03.阿部より早い男
一人暮らしを始めて三日経ち、いよいよ神柳学園入学式の日。
紺色の学生服はまだ着慣れないが、高校生になった証として誇らしい。
鞄を持って出かけると、凛太朗が前庭で掃除をしていた
「おはよう阿多部くん。そっか今日は入学式か。始業式はまだだからびっくりしたよ」
「おはようございますっ……ところでモリリン先輩はどうして庭の掃除を?」
「庭やその付近は住人が当番制で掃除してるんだよ。管理人さんもああみえていろいろ忙しくて大変だからさ」
アパートの管理以外にも仕事があるのは初耳だ。いつか機会があれば聞いてみたい。
そうなると自分の当番はいつなのか。新顔だからすぐ回ってくるかもしれない。
「じゃあ僕はいつやればいいですか?」
「あー、当分は大丈夫」
「え?」
「この先二週間は俺が当番って先日決まったから……」
小学生ナンパが相当尾を引いていた。
心の中でモリリン先輩がんばってと応援し、通学路を歩きながら今後のことを考える。
中学の頃は小学校からの友達がいたが、同じ中学から神柳学園に進学した者は総悟だけだ。今回は一から関係性を築いていかなければならない。
「友達、できるかな……」
思わず声に出してしまった。
「知り合いが一人もいないと不安でしょうがないよねー」
「そうだね。僕なんかいまから緊張しちゃって」
「わかるわかるわたしもー」
……誰!?
自然と会話ができているが、いつの間にか隣にいる女性の正体がわからない。同じ制服ということは神柳学園の生徒ではあるが。
「あの、どなたですか?」
「ええ、ひどいっ。もしかしてわたしのこと忘れちゃったの?」
忘れたもなにもこの女子生徒とは面識がない。記憶を振り絞っていままでの知り合いを思い出すが……
「ごめんなさいっわかりません!」
「……だよねー。だって初対面だし」
「ええ……」
呆気にとられた総悟に対してくすくすと笑う女子生徒。してやったり感全開だ。
「いやー表情暗かったから和ませようと思ってつい。折角の入学式なんだからさ、明るくいこうよ」
そんなに暗い顔をしていたのかと反省。
確かに初日からそんな顔をしてはいけない。気遣って声をかけてくれた女子生徒に感謝だ。
「そっか、わざわざありがとうっ。えっときみの名前は……」
「わたしは若葉琴乃だよ。ことのんって気軽に呼んでね」
黒髪で少しハネているセミロングに、白い小さな髪留めがワンポイント。
にこやかな笑顔は誰とでも仲良くなれそうな人柄を醸し出していた。
「僕は阿多部総悟! じゃあ僕のことも気軽にそうごんって呼んでくれていいから」
「うん、そうちゃんでいいね」
「はい、琴乃さん」
そうごん呼びはあっさりスルー。ちょっと悲しい。
「そうちゃんは中学どこだったの?」
「山梨の中学だよ。だから多分言ってもわかんないと思う」
「へえ……じゃあ小学校は?」
「実は小学校は神奈川なんだっ。途中で山梨に転校しちゃって」
「じゃあもしかして一人暮らし?」
「うん。琴乃さんは中学どこなの?」
「わたしは牧元中学ってとこ。神奈川だから実家から登校してるよ」
会話が適度に膨らみ、気がつけば総悟から不安の種が枯れかけていた。
「初日から友達ができてよかったよ。話しかけてくれてありがとう、琴乃さん」
「どういたしましてー。でもねそうちゃん、まだ安心するには早いと思うなー」
「え?」
「わたしとそうちゃんが同じクラスになるとは限らないんだよ?」
「…………」
考えてもいなかった。不安の種がにょきにょきと芽吹いていく!
「きみはすぐ顔に出るからおもしろいね」
「だ、大丈夫! それでも僕達は友達だよ!」
「わたしが励まされてる感じになってる? あ、学校着いたねー」
自宅から神柳学園まで徒歩十五分で到着。
早速掲示板に貼ってあるクラス表を眺めると、二人とも一組に名前がある。
「あった! あったよ琴乃さん! 僕達の名前あったあった!!」
「まるで受験合格したときのようなテンションだなきみは」
「同じクラスに友達がいてよかったよっ」
「そだねー。あとは同性の友達も作らないとね」
総悟の受難は続く。友達百人できるかな。
一年の教室は二階にあり学年が進む毎に三階、四階と上がっていく。三年になったら四階まで大変だなあと、総悟は早くも体力的な意味で先のことを心配していた。
一組の教室に貼ってある座席表を見て、総悟はがっかりする。
男女混合の名前順で並んでいて、阿多部総悟は右端の前から二番目の席。
若葉琴乃は左端の一番後ろの席であった。
「あらら、わたしとそうちゃんの席すごく遠いねー」
「こういうとき名前順が恨めしい……」
「まあでもそうちゃんおもしろいしすぐに友達できるよっ、それじゃまたね」
琴乃さんは優しい人だなあとか友達すぐできるのは琴乃さんのほうだよなあとか思いつつ、離れていく琴乃が早くも恋しくなる。
予定ではまずここでホームルームを行ってから体育館に移動する。
しかし、そろそろホームルームの時間になるというのに、まだ一つ前の席の生徒が現れない。
入学式から休みだろうか? と総悟は考える。確か座席表では相江羽鶴と書かれていたが……
名前はなんと読むのだろう。アイエハネツル、ハツル、ハヅル……
春晴荘の管理人が、その名を呼んでいたような。
思い出しそうなタイミングで鐘が鳴り、十数秒後に女性の教師が入ってきた。
「新入生のみなさんおはようございます。私が一年一組の担任を務める田口です。教科は英語で、えーと……」
その間、一分。
「ごめんなさい初めてクラスを受け持つことになったから緊張しちゃって……と、とにかくよろしくお願いしますね」
なにはともあれ温厚そうな担任で安心できそうだ。
「入学式にはまだ時間があるから、自己紹介でもしてもらおうかしら。ではまず出席番号順で相江さん……は欠席ね。なるほど」
なにか納得したような様子で、出席番号一番相江羽鶴の欠席を受け入れる田口担任。
「じゃあ阿多部くんからお願いします」
まってましたと言わんばかりに総悟は立ち上がった。
実はこの日のためにとっておきの挨拶を用意していた総悟は、これで掴みはばっちりクラスの人気中心人物となる記念すべき第一歩にしようと密かに目論んでいたのであった。
そのとっておきをいま、披露するとき!
「阿多部総悟といいます! 珍しい苗字で覚えづらいかもしれませんが、いつも阿部くんよりも出席番号が早いので、阿部より早い阿多部と覚えてくださいね!」
空気が凍った。
こんなはずじゃなかった。
「は、はいっ。阿部より早い阿多部くんでしたー。素敵な自己紹介ですね。それじゃあ次は上野さんお願いしますね」
田口担任のフォローが辛い総悟であった。
一発目の総悟があまりにもドギツイものだったからか、以降の自己紹介は無難かつ平和に続いていく。そして最後は琴乃の番。
「若葉琴乃です。苗字が名前っぽくて名前も苗字っぽいんでよく混乱されますが、どっちでも好きなほうを呼んでもらえればー」
暖かい笑いが飛び、和やかな雰囲気になる一年一組。
総悟とは真逆、締めに相応しい終わり方であった。