01.春晴荘と銀髪の少女
今日から住む春晴荘の敷地内で、銀髪の女性が倒れていた。
「ええ……」
四月から高校生になるとともに一人暮らしを始める阿多部総悟は、早くも新天地に足を踏み入れづらい状況である。
本来ならば門の前で管理人と待ち合わせをする予定なのだが、あの女性が管理人だろうか。外国人の住人かもしれないが、どちらせよこのまま放っておくわけにはいかない。
総悟は女性のもとへ駆け寄り、まずは意識があるかを確認する。
「あの、大丈夫ですか!?」
「……だいじょばない」
その答え方はどうかと思うが日本語は通じるようで安心だ。
「えっと、いま救急車呼びますから! 気を確かに!」
「そこまでしなくても……部屋に持っていって、くれれば……」
「持っていくって物じゃないんですから……」
女性はゆっくりと起き上がり、ふらつきながらも総悟の方を向いた。
「あの、肩をかしてくれますか……?」
気だるい表情からでもわかる色白で綺麗な顔立ちに、少し慌ててしまう。
「わ、わかりました! 部屋はどこですか?」
「二○一……」
「二○一ですね!」
肩を組んで倒れないよう慎重に一歩ずつ進む。身長は総悟と同じか少し低いくらいだ。
……ふわっと女性からシャンプーの香りがする。総悟はなるべく意識せず前庭の景色を眺めていった。
春晴荘は二階建ての全八室で構成され、前庭と裏庭があるのが特徴的である。前庭がそこそこ広いので門と部屋までの距離が少しだけ遠い。
中身不明の池、色とりどりの小さな花壇、シンプルなガーデンベンチ、不規則に並んだ木々、謎の置物。総悟にとってはどれも新鮮で、新しい住まいに思わず期待が膨らんでしまう。
ほのかに募っていた緊張と不安が、少しずつ消えていくのがわかる。
階段を上り二○一号室に着くと、女性はゆっくりとドアを開けた。
「えっと、おじゃまします」
まさか自分の部屋よりも先に他人の部屋に入るとは、複雑な心境の総悟であった。
女性をベッドまで運ぶとようやく女性に安堵の表情が表れる。
先程も思ったが、美人だ。
「ふぅ……運んでくれてありがとうございます」
「本当に大丈夫ですか? 病院に行ったほうが」
「平気、です。久しぶりに日光浴びて気持ち悪くなっただけなので……」
「それは平気とは言えませんよ!?」
いったい彼女は何者なのだろう。年は総悟と変わらないように見えるが。
一方、あっちはあっちで総悟をじっと見つめていた。
「……ところであなた誰ですか?」
助けてくれたとはいえもっともな質問だ。不審者と思われてはいなさそうだが、はっきりと自己紹介をする必要がある。
「今日から春晴荘でお世話になる阿多部総悟といいます! よろしくお願いしますねっ」
「そうなんですか……よろしくです」
「じゃあ僕はこれで」
戻ったら管理人がいるかもしれない。そう思いこの場を去ろうとした瞬間。
ドアが開き、茶髪の女性が現れた。
「羽鶴ー。ちゃんとゴミ出せたー?」
声の持ち主は室内の光景に愕然とし、発狂した。
「…………羽鶴が可愛い男の子部屋に連れ込んでイチャイチャしてる!?」
「大いなる誤解ですよ!?」
「どう見たらイチャイチャしてるふうに見えるの……」
総悟が急いで状況を説明すると、茶髪の女性は笑いながら納得する。
「なーんだキミが阿多部くんかー。てっきり羽鶴が大胆な行動しでかしたと思ったのに。ちなみにアタシここの管理人ね」
この茶髪の女性こそが春晴荘の管理人。年齢不詳。
そして、さっき運んだ女性は羽鶴という名前のようだ。
「ゴミ出しで倒れたこの子を運んでくれたのね。わざわざありがとうね阿多部くん」
「いえそんな、無事でよかったです」
「羽鶴もちゃんとお礼言った?」
「うん」
「もう一回言いなさい」
少しふてくされる羽鶴。この二人はどういう関係なのだろうか。
「……さっきはほんとに、ありがとうございました。いつか……お詫びします」
「お詫びなんていいですよ。それよりもお大事にしてくださいねっ」
「よーし阿多部くん。そろそろキミの部屋に案内するわね」
「はいっ」
いよいよ自分の部屋だ! とわくわくしながら退出した。
「阿多部くんは一○四号室ね。荷物とかはいつ来るの?」
「夕方に届く予定です。といっても衣類ぐらいしかないんですけど」
「その大きなリュックの中身は?」
「これは勉強道具一式です! 教科書ノートはもちろん参考書もたくさん入ってます!」
その重量はなかなかのものだが、総悟にとって最優先すべき荷物となる。
阿多部総悟は三度の飯より勉強を取る、大の勉強好きであった。
「気合い入ってるわね」
「はい! 今日からは親の目を気にすることなく勉強に没頭できます。勉強三昧です!」
「ゲーム三昧じゃないあたりすごいわね。確か阿多部くんも神柳学園に入学するのよね?」
神柳学園――通称カミヤナ。私立の付属校であり、入るには相当の学力を必要とする全国屈指の超難関進学校だ。
中学から大学までエスカレーター式に上がっていく者もいれば、総悟のように高校から入学する者も多い。大学は大手企業への就職率が極めて高いため非常に人気のある学校である。
「そうですけど……『も』ってことは?」
「さっきの子も一応中学のときから神柳なのよ。あと……」
一〇四号室に向かう途中、一〇三号室のドアが開くと。
「お、モリリン。噂をしようとすれば」
「モリリン?」
モリリンと呼ばれた男はなぜか唖然としている。
「んー? モリリンどうしたの?」
「…………いくらなんでも小学生をナンパはマズイですよ」
間髪入れずに管理人による本気の鉄拳が、モリリンという男の腹に制裁。そして続けるように頭にチョップを連打。
「アタシでもそのぐらいの分別つくしそもそもナンパしてねーわよこの野郎!」
「いや、すみません、だってこの前フラれたって聞いたからついにやけくそになったかと思って、痛いですすみません」
「その口をさっさと閉じろ!!」
「あと僕小学生じゃないです……」
傷ついているのは管理人だけじゃないことを、モリリンという男はまだ知らない。