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主1

 奴隷を買おうと思ったのだ。


 両親が他界し、家業は兄が継ぎ、妹は嫁に行き、僕は一人小さな屋敷だけを与えられ孤独になった。家族とは悪い仲ではなかったが、僕は兄のような才能も妹のような愛嬌も持ち合わせてはいなかったから、いずれ厄介者扱いされるのは順当な結果といえた。



 社交性の乏しい僕に友達は少なく、容姿に恵まれなかった僕に恋人なんて居たことがない。いや、容姿のせいにするのは卑怯だろうか。見た目を理由にして多くのことから逃げてきた。

 両親の死をきっかけにいい加減一人で暮せと兄に宛てがわれた屋敷で、僕はぽつんと何の色も持たない虚しい生活をしていた。



 寂しい。

 誰でもいいから側にいてほしい。夜な夜な目を瞑って幸せな想像をしても、次の朝洗面所の鏡に映るのは醜い自分だ。どんよりと深い沼の底に沈んでいく気持ちになる。

 寂しさを埋めたい。埋める方法は知らないけれど。





 食材を買いに行った帰り、派手な張り紙が目に留まった。奴隷の広告だった。奴隷制度に反対する両親の下で育ったので、こういったものには馴染みがない。興味本位に広告を眺めていれば、姦しい声が鼓膜を揺らした。


 見れば奴隷とその主人がいる。重そうな荷を腕に抱えながら俯きがちに歩いている少女と、それを怒鳴りつける妙齢の女性だった。薄汚い少女が酷く哀れで惨めに映った。



 僕が主人なら、少女をこんな風に扱ったりしないのに。きちんと自分のものとして、大切にするのに。


 眺めていれば少女と目が合った。偶然のそれにどぎまぎしてしまう。咄嗟に笑顔を作ろうと試みたが、僕の表情が動くよりも早く、少女の顔が歪んだ。彼女は物凄い勢いで主人の後ろへと隠れる。もう視線が交わることは決してないだろう。



「そう、だよなぁ……」



 目の前を通り過ぎる奴隷に同情した。あんな主人を持って、おまけに僕なんかと目が合うだなんて。醜い僕に仕えることに比べれば、あの女性に怒鳴られていたほうがまだ良いだろう。自分でそう考えて、気が滅入った。




 奴隷にとって主人とは絶対の存在らしい。支配者であり、保護者なのだと誰かが言っていた。たとえどんな辛い目に合わされようと、その人に買われた瞬間からずっと、奴隷の全ては主人のものになるのだ。


 ならば自分が奴隷を買ったとして。


 その全ては僕のものになる。僕のことがどんなに嫌いでも、憎くても、決して僕から離れていくことはできない。僕に笑いかけろとそれに命令をすれば、きっと懸命にその口角は上がろうとする。僕から離れていくこともない。寂しさを埋める手段にも、なるだろうか。


 だから奴隷を買おうと思ったのだ。





 さっそく奴隷を買おうと探して歩いたが、何件か門前払いを食らってしまった。運良く商品を見せてもらえても、僕とまともに対峙することすらままならない奴隷ばかりだった。


 もうこの辺りで残るっているのは、質は良いが値段の張ると評判の奴隷屋だけだ。一縷の望みをかけて入店すれば、眼光の鋭く雄健な男が出迎えた。



「いらっしゃいませ。どんなものをお探しで? ウチは良いモン揃ってますぜ」



 僕の容貌を認めると、店主らしい男はピクリと眉をしならせた。けれどそれ以上の反応はない。それだけでほっとする。どうやら叩き出されることはないようだ。



「ええと、僕と同じか少し下くらいの年で……できればその、女性が良くて」

「性奴隷ですか?」



 店主が読めない表情で問いかける。僕みたいな男が奴隷を望むのは、そういう目的が多いのだろか。不躾ともいえる質問に少しだけ引っかかったが、考えてみればそう思われるのが自然である。認識した途端に気恥しくなる。



「えっ、いえ……違うんです。そういう事に使うつもりじゃなくて」



 全くそのつもりがないと言えば嘘かもしれないが、問答無用で組み敷こうだなんて思ってはいない。女性に僕の顔は堪えるだろうから、独りじゃないと思えさえすれば正直なところ男だって構わなかった。女性が良いと言ったのは、ただ街で見たあの少女を従える様子が頭に残っているだけだ。



「ああ、すみません。礼を欠いた質問でしたね。ここンとこ、そういう注文が多いもんで。それじゃ、いくつか連れてきますから」



 店主は僕を奥の部屋に通し、そう言ってドアを閉めた。





 それからいくつか店主の連れてきた奴隷と対面したが、どれもこれも僕をひと目見ると小さく悲鳴を上げ青い顔をして俯く。さすが教育が行き届いていて叫びだしたり気絶することはないが、それらを僕のものにするのはお互いに辛い選択だと思えた。



「あァ、お客さんにこんなこと言うのも悪いとは思うんですが、そろそろ諦めちゃどうです? ウチも店仕舞の時間ですし」



 呆れた様子の店主が溜息を殺して話しかけてくる。

 そうは言われても、もうこの店しかないのだ。諦めたくなかった。ここで大人しく帰ってしまえば僕と一緒にいてくれる人間は永遠に見つけられない予感がした。そんなもの錯覚でしかないのに。

 仮に店中の奴隷が全て同じような反応だったとしたら、その時は大人しく帰ろう。


 今持っている金を見せ、必要であれば小切手も使うからと頼み込む。店主は僅かながら態度を軟化させて再び奴隷を見繕いに行った。






 最後だと言って見せられたのは、可憐な少女だった。

 大人しく品の良さそうな顔がこちらを向く。柔らかそうな唇に目を奪われていれば、そこから丁寧な挨拶が溢れた。悲鳴を覚悟していたあまり、呆けてしまう。


 今、僕が見たのは間違いなく微笑みだった。それも僕に向けられた笑み。

 一瞬にして周囲の音が遠くなる。世界に色がついた。店主が何か僕に問いかけたが、気もそぞろに相槌を打って身じろぎをした。


 欲しい。絶対に。これを逃せばもうこんな機会、一生巡ってはこないだろう。ただ、こんな無垢そうな少女を、僕なんかのものにして良いのだろうか。僕なんかのせいで彼女の生を無駄にしてしまって良いのだろうか。いいや、良いはずはない。けれど僕にあんな表情を見せた少女は彼女だけで、僕は身の程知らずにも彼女を愛してしまったのだ。この一瞬で。彼女を僕の物にできるチャンスを、不意に出来るわけがなかった。逡巡しても、結局欲望には勝てない浅ましさが嫌いだ。



「買います。いくらですか」



 僕の答えを聞くと、店主は慌てたように言葉を並べ始めた。何を言われても引く気はなかったのでそれの欠点など瑣末なことである。それから一旦店主と少女が部屋を出ていき、戻ってきてからは円滑に事が運んだ。






 少女が引き渡され、ついにこれは僕のものになった。決して僕から離れていかない。僕の、僕だけの、奴隷だ。


 彼女に取り付けられた奴隷証を見てほくそ笑む。これがある限り、彼女は僕に逆らわない。逃げたりしない。詳細はよく知らないが、逃げれば死よりも恐ろしい罰が待っていると聞いた。正直僕と暮らす以上の苦痛は思いつかないけれど。

 恭順して僕の隣に座る彼女に目を向ければ、すぐさま温かな視線が返ってきた。たったそれだけのことをしてもらうのは、家族以外ではじめてだった。


 ああ、そうだ。名前を決めてやらないと。



「よろしく、僕のーー」


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