第24話:似た者同士でした。
オラース国王との謁見、といってもその大半はスフラス閣下の質問タイムだったわけだが、とにかく過去最高レベルの緊張から解放された次の日の朝、俺はいつもより遅い時間に起床した。
具体的に言えば、毎朝意識せずとも耳に入ってくるはずの鳥のさえずりが今朝に限って聞けなかったり、えっちらおっちら起き出して食堂に行ってみれば父さんもフェリシアも既に食事を終えていたりしたくらいである。
まあ若干寝坊したからといって特に用事もなければ、すっかり日課となった魔法練習からくる精神疲労のおかげでぐっすり眠れるだろうから、ベッドに入っても寝付けずに明日に響くということも無いだろう。
そういうわけで悠々と、しみじみと朝食のスープを楽しんでいたのだが、そんな俺しかいない食堂へと父さんが入ってきた。
とりあえず今日初めて顔を合わせたので無難に「おはようございます」と言っておく。
しかし父さんが朝の挨拶を交わすためだけにわざわざ食堂に来るとは思えない。俺に用があるのは考えずとも分かることなので、父さんが俺の向かい側の席に着いた後もスプーンを持たずに父さんが口を開くのを待った。
きっと父さんに顔を向けたままの俺の意図を察したのだろう。父さんは自分の頬を人差し指で軽く掻いた。
これは父さんの癖の一つで、気まずくなるとよく見られる仕草の一つだ。なんとテンプレな、という気もするのだが、自分の感情を包み隠さないところは(もっとも本人は隠したい場合もあるのだろうが)父さんの魅力だと思う。
その癖が出てしまっていたことに気付いた父さんは、さらに気まずそうに目を泳がせたのだが、少し間をおいて咳払いを挟んでから、俺の目を見て口を開いた。
「いや、それほど重大な話ではないからそこまで気を張る必要はないんだが……。端的に言えば一度家へ帰りたいんだ。それで、出来れば今日中に帰ってきたい」
思わず「なんだ、そんなことか」と漏らしそうになって慌てて言葉を飲み込む。
どうやら父さんは俺に魔法を使わせることを遠慮しているらしい。
確かに王都から屋敷の距離を短時間で往復するとなればそれなりに魔力を消費するとは思うが、この前みたいに何日も眠ってしまうようなことは無いだろう。
ああ、もしかしたら父さんはそれを気にしてあんなに気まずそうにしていたのかもしれない。俺だけに負担をかけるのは気が進まないということだろうか。
ただ、俺はあの頃と違って自分の限界くらいなら分かるようになった。というか意識するようになった。
だから、父さんに頼まれた内容くらいならある程度余裕を残してこなせると冷静に判断を下した。
「問題ありません。任せてください」
「そうか、やってくれるか、ありがとう。私はもう準備が出来ているから、コウタの準備が出来次第出発したいんだが、構わないか?」
「大丈夫です」
「よし、では準備が出来たら声をかけてくれ」
父さんはそう言って席を立つと、そそくさと食堂から出て行ってしまった。
それからなんとなく急かされたような気分になった俺は、さっさと食事を終えて自分の部屋に戻るとバッグを掴んで父さんの部屋へと向かった。
「コウタです。準備出来ました」
ノックをして名乗りを上げると、すぐに部屋の扉が開けられた。
「早いな」
「大体の物はいつもこのバッグに入れてますから」
「そうか、では早速行こう。この部屋からで問題ないか?」
「大丈夫です。じゃあ帰ってくるための石板をここに置いてもいいですか?」
「分かった、どこに置いてもらってもいい」
許可を貰った俺が一度部屋に戻って石板を取ってくる間に、父さんは臨時の使用人に対して許可があるまで部屋に入るなと言いつけていた。
「よし、これで大丈夫だな」
「分かりました。では行きますね」
緊張しているのか少し唇が固くなっている父さんに合図を出し、俺は転移の魔法を発動した。
移動先は転移魔法補助の石板が設置してある俺の部屋。誰かに見られる心配もないし、石板の周囲に近づかないように目印をつけてあるから物で塞がれてるなどの危険はないはずだ。
そう、思っていた。
だから無事に転移が終わった直後に聞こえた短い悲鳴に、俺も父さんも思わず身構えてしまった。
「コウタさん!……と旦那様、失礼いたしました」
恐らく部屋の掃除をしていたのであろうソフィが深々と頭を下げる。
「いや、こちらこそ驚かせてしまってすまない」
俺が何とも言えない気持ちになって言葉を詰まらせてしまった代わりに、父さんがソフィに謝罪の言葉を告げた。
今回、悪いのは俺たち、というか俺だ。
誰もいなかったところにいきなり人が現れたら、たとえそれが自分の知人であろうと、その知人が瞬間移動を使えると知っていても、驚かずにはいられないだろう。
だから俺は、父さんが謝罪したことに対してすっかり恐縮してしまって、頭を下げるというより縮こまってしまっているソフィに近づいて、その肩に優しく自分の両手を乗せた。
ハッと顔を上げたソフィの目は少し潤んでいて、そんな顔もかわいい、などと場違いな思考を胸の奥に押し込める。
けれど、慰めるべきか、謝るべきか、今の気持ちをどう告げたらいいのかわからなくなって、二人の間には沈黙が流れてしまった。
その沈黙が、見つめ合いが、だんだんと色を帯びてきて、思考が為す術もなく泥沼に引きずり込まれていく感覚があった。
突然、咳払いが聞こえる。
いったいどれだけの間見つめ合っていたのかは分からないが、見かねた父さんが介入してくれたようだ。
そうだ、考えてばかりで動けなくなるのが俺の悪いところ。だからとりあえず今思いついた言葉を素直に言ってみることにした。
「ごめん」
それしか言えなかった。それだけが俺の偽らざる本心だった。
「私は大丈夫です。こちらこそ、突然大声を上げたりしてすみませんでした」
だから、ソフィが気にしていないと言ってくれてすごく安心したし、自分は悪くないのにそれでは気が済まず謝ってしまうソフィがとても愛おしく思えた。
そんな束の間の、相手の一挙手一投足にいちいち心を動かされてしまう青春の一幕は、勢いよく部屋に飛び込んできた二人の少女によって閉じられた。
「大丈夫ですか!」
部屋に入ってくると同時に叫んだのはフィオラ、もう一人の少女であるサーシャは、声こそ出さなかったもののその顔つきは真剣そのものだった。
二人のただならぬ様子に逆に俺が心配させられてしまったのだが、俺たちの姿を認めて胸をなでおろした二人を見てひとまず安心する。
そして何の気なしにどうして二人が焦っていたのかを聞いてみたのだが、その返答にすっかり面食らって何も言えなくなってしまった。
「どうしたんだ?そんなに急いで」
「あ、いえ。うちを狙う賊にとって、お父様とお兄様がいない今が襲撃をかける絶好の機会ですので、警戒しているのです!」
自信満々な言いっぷりに加えて腰に手を当て胸を張るというジェスチャーからは、言外に「褒めて!」という主張がたっぷりと込められているのだが、その内容が物騒過ぎて素直に褒めるべきなのかたしなめるべきなのか分からなくなってしまったのだ。
ふとソフィの方を見ると、同じくこちらを見ていたソフィが苦笑いを浮かべたので、どうもこの件は彼女の手にも余るようだ。
一瞬、母さんは何も知らないのかという考えが頭をよぎったのだが、フィオラがこんなことを母さんに言うわけもないかと思い、その思考を隅の方へと追いやる。
フィオラの発言を最後に誰もしゃべらなかったせいで徐々に気まずくなりつつある空気を一掃したのは、またしても父さんだった。
父さんは大真面目な顔を作って二人の方へと歩み寄った。
「二人の気持ちは嬉しいし、言っていることも正しい……が、危ないことに自分から飛び込んでいくのはやめなさい。もし、そのせいで二人に何かあったら、私たちが悲しくなってしまう」
「でも……」
父さんの言葉によって、フィオラは不満そうながらも最終的には納得する、という道をたどりそうだったのだが、それと対照的にサーシャは無言で、されど力強い目で父さんを見つめ返すだけだった。
その目からは「それでも私はやめない」という、いや、サーシャ風に言うならば
「それでも余はやめんぞ」ああいや、サーシャの正体を明かしてあるのはまだカール先生だけで、家族の前では普通の女の子を演じているはずだから「それでも私はやめんぞ」か。
いや、そんな普通の女の子を演じようとしているけど結局偉そうな口調の癖は抜けないとかそういう話はどうでもいいのだ。
今重要なのはサーシャを説得することにある。
「サーシャ、俺も父さんと同じ気持ちだよ。それでも納得できないんだよね」
「そうだ」
「それはどうして?」
「ソフィはコウタの大事な人だから、私の中のコウタみたいに大事な人だから、いなくなったらコウタが悲しむ。それは嫌だ。それに……」
「それに?」
「それに……親しい人間がいなくなるのは私も悲しい」
「そう、か」
思いがけず、普段はあまり見えないサーシャの本音が垣間見えた気がした。
ソフィとサーシャは、いくら仲が良いとはいえ、俺がどちらとも付き合っているとはいえ、その本質は恋敵であるはずだ。
俺がいるから無理をして仲良しを演じているのではないかと邪推してしまうこともあった。
けれど、きっとサーシャはソフィのことが嫌いなんかじゃなくて、ライバルだけどそれ以上に良い友人なのだろうと、それをこの場で告白したのだろうと思った。
「確かに、ソフィは俺の大事な人だ。いなくなったらとても悲しい。だけど、それと同じくらいにサーシャも大事に思ってる。今回はソフィだったから仕方ないのかもしれないけど、俺は何としてでも二人のことを守って見せるって決めたんだ。だから危険なことに向かっていくのはやめてほしい」
「……分かった」
俺の言葉に、サーシャは少しうつむいて了承した。
そこで俺はやっと、無意識のうちにサーシャの頭を撫でていたことに気付いた。
慌てて手を引っ込める俺と、その手を少し名残惜し気に見つめたサーシャ。
これでは説得したというより誤魔化した感じになっちゃったかなとも思ったのだが、嘘はついていないよしと思うことにした。
無意識から段々と理性を取り戻すと、ここには俺たち二人だけではなかったことを想いだして慌てて確認する。
真っ先に目を向けたソフィは微笑んでいたので怒っていないとわかり安心する。
次にフィオラと顔を合わせると、慌てて目をそらされてしまった。
仕方なく父さんの方に目をやると、見るからにやれやれと言った感じで肩をすくめた後、口を開いた。
「じゃあ、私はルシアナと話をしてくる。コウタも二人に話しておきなさい」
せっかく父さんが助け舟を出してくれたのだが「二人と」ではなく「二人に」と言われたことに納得できず、思わず聞き返す。
「何の事ですか?」
「謁見の間で話は聞いていただろう?あのときスフラス閣下は『コウタの実力を確認するので王都に滞在しているように』としか言わなかったが、私が思うにそれなりに長い期間王都に居なければならなくなる。そうなると怪しまれないためにも寝食は向こうで済ませないといけないし、こちらに長くいることも出来ないだろう」
「……なるほど。分かりました」
父さんは大きく頷くとフィオラを連れて部屋から出て行ってしまった。
「まあ、大体のことは父さんが言ってくれた通りなんだけど」
俺はとりあえず二人を座らせて、改めて話を始めた。
「そういうことなら仕方ないと思います」
すんなりと理解してくれたのはソフィだった。
ソフィは今年で16歳、俺よりは若くてもそういう「どうしようもない事情」はある程度わきまえている。
それと対照的に、実年齢にそぐわない、というかある意味見た目通りの反応を示したのはサーシャだった。
「余はいやだぞ」
「どうして?」
「不安になるからだ」
「その気持ちはわかるよ。俺だって二人と遠く離れていれば不安になるし、寂しくもなる」
「いや、本当に分かっているのならばそのようなことは言わないはずだ。コウタは余がどれほど不安に思っているのか全く理解していない」
「そうかもしれないけど……」
サーシャの以前の社会的地位を考えれば、今回のような事情を理解できないということはないはずなのだが。
それを踏まえて考えればサーシャのこの頑なな態度にも何か理由があるのかもしれない。
そうか、これはあれなのかもしれない。「私と仕事、どっちが大事なのよ!?」というアレだ。
本来は仕事仕事と女性をほったらかしにする男性が言われる言葉のはずで、俺はそこまで二人に対して冷めているわけじゃない。
とすればこれはサーシャなりの愛情表現なのかもしれない。
通常は「君のほうが大切に決まっているじゃないか」と言ってあとはそれを行動で示せば解決するのだが、今回はそういうわけにもいかない。
閣下の呼び出しを無視するわけにはいかないが、それがサーシャを大事に思っていないというわけではないのだ。
「そう言われても今回ばかりはどうしようもないんだ。頼む、分かってくれ」
「いやじゃ!」
うーん、いや「じゃ」と来たか。
この「じゃ」という語尾はサーシャと初めて会ったときに使っていたもので、今はすっかり聞かなくなってしまったものだ。
恐らくうちに連れ帰ってきてからソフィあたりに聞いたのだろう。俺の周りでは使っているのがカール老先生だけということからもわかる通り、この語尾はこと現代(この世界でも俺の前世でも)においては古めかしすぎるのである。
サーシャが女王であった時代は少しでも威厳を持たせるためにそういう言い方をしていたらしいのだが、周りから奇異の眼差しを向けられてもそれを気にしないほど強気な女の子でもないし、何より俺に変な女の子だと思われたくないと考えたらしい。
そういった理由がサーシャの可愛いところでもあるし、その語尾を気にしておきながら偉ぶったしゃべり方が抜けないというのもまた彼女のチャーミングポイントなのだろう。
ちなみにこの件から、この国で使われている言葉には「語尾」というものが存在することが分かった。
例えば英語には特徴的な「語尾」というものがなかったはずだし、自分との年齢差が前提になって使われる二人称(お兄ちゃんや先輩など)があることからもこの国の言語は日本語に近い価値観が存在することが分かる。
話は横にそれてしまったが、結局俺が言いたいのは「じゃ」という語尾が現れた時のサーシャは、癖が隠せなくなるほどに本気であるということだ。
その本気に対して、残念ながら俺は正しい解決法を持ち合わせていなかった。
「なら、俺はどうすればいいんだ……」
そして意外にもその解決法は簡単なものだった。
「余も王都に行く」
「えっ?」
俺は簡単だけどあえて目を伏せていた方法をサーシャから提示されて面食らってしまった。
視界の端で、ソフィの顔が少し明るくなったのも見える。きっとソフィも本当は王都に行きたかったのだろう。
「コウタが何日も王都で過ごすならば、余も王都で過ごせば良いのだ」
俺が黙り込んでしまったのを好機と見たのか、サーシャが再び主張してきた。
けれど、やっぱり彼女を王都に連れて行くわけにはいかない。
「だめだ。危険すぎる」
「どうしてだ?王都には魔獣などおらぬだろう?」
「違うんだ。そういう自然的な危険じゃなくて、人それ自体が危険なんだよ」
「どういうことだ?」
「だから……その……二人はとても魅力的だろ?だから変な気を起こす輩がいるかもしれないじゃないか」
「そ、それは……」
俺も口にするのは恥ずかしかったが、思わぬ角度の攻めに動揺したのは向こうも同じようで、顔を赤くしてそれを見られないように目を伏せてしまった。
だが今回の俺はここで引き下がるわけにはいかない。今度は俺が畳み掛けてあきらめさせなければならない。
「それに、サーシャの正体に気づいて襲ってくる奴もいるかもしれない」
「それならばあのエルフの女もそうではないか」
しかしそれは失言だったようで、何とか立ち直ったサーシャにうまい返しをされてしまって少し言葉に詰まってしまう。
「それは……彼女は強いし、何よりやらなければならないことがあったから……」
「なら余だって同じだ。魔獣の攻撃を防げるほど強いし、人と戦ったこともあるし、コウタといるということが今の余にとって最も重要なことだ」
あとで冷静に考えてみれば、少なくともこの理由の半分は的外れなものだったのだが、今の俺は先の諸刃の剣で動揺していたし、サーシャが(この時の俺にとっては)論理的な反論をしたので出す手がなくなってしまった。
ふとソフィのほうを見れば、期待に満ちた眼差しで頷いている。
そして俺は、結局二人に対して激甘な対応しか取れないのであった。
「わかった。父さんに頼んでみるけど、だめといわれたらあきらめてくれ。それから、もし王都に行っても俺を連れずに外を歩かないこと。これを守ってくれるなら仕方ない、王都に連れて行くことにする」
「分かった!それでいい」
「あの、なら私もいいですか?」
目を輝かせたソフィがここぞとばかりに参入してくる。
彼女はお世辞にも腕が立つとは言えないのだが、今の俺に否と答えろというのは無理難題でしかなかった。
「もちろんだ」
「ありがとうございます!」
そして待つこと数分、もっともこれは体感なので測る由もないが、二人を連れて行くと約束してしまったのに激しい後悔を覚えて自問自答しだすのにそう時間はかからなかったので、本当はもっと長かったのかもしれないが、俺の部屋の扉を叩く音が聞こえた。
すっかり自分の世界に入り込んでしまっていた俺が大して考えもせずに扉を開けると、そこにはどこか疲れた印象の父さんがいた。
その後ろに見えるのは実にさわやかな顔をした妹と、いつもと変わらぬ涼げな顔の母親だったので、なぜ父さんが疲れているのかは聞くまでもないことだった。
「あの、父さん、ソフィとサーシャも連れて行きたいんですけど」
「ああ、構わん。ついでにルシアナとフィオラも頼めないか」
「俺は大丈夫ですけど、部屋はあるんですか?」
「ああ、ざんね、いや丁度良いことに私とルシアナで相部屋にして、フェリシアが出ていけばぴったりだ」
「そうですか。じゃあ、行きましょうか」
「ああ、その前にジーヴスを呼んで二人追加の指示をしなければ」
「……はい」
そして俺たち六人は転移で王都へ移動して、かなり無理やりに説明(王都に行くという手紙だけを残して二人で旅立った俺と父さんを心配して母さんと妹たちが追いかけてきたという話だった)をして王都に短期滞在することになるのだった。




