五話
魔王候補とは、立候補によってなるものだ。
一定以上覚醒の書のページを埋められていれば、魔王候補の資格ありと認められ、魔王城の元となる魔石が与えられる。
手続きをしに現魔王の住む魔王城《万魔殿》を訪れていたラクスは、ちょうど通りかかった魔王に見咎められ、そのまま彼女の私室に連行された。
「久しいな、アスガフトスの末息子」
すべての魔族の上に君臨する王者らしい、高慢な様子で彼女は口を開く。
白大理石のテーブルの上に並べられた、バラ模様の白磁のティーカップ。取っ手を掴む彼女の指も、透けるように白く繊細で、美しい。嫋やかな美で形作られているがゆえに、爪を飾る毒々しいラメ入りの紫のマニキュアがよく映えた。
切れ長の目に収まる瞳は、深く輝く孔雀石。青と緑がまだらに混ざる不思議な色合い。髪は緑銀。薄いシルク生地で作られた、時刻を無視したナイトドレスの装いから、豊かな胸がこぼれんばかりに露出している。
魔王アダルシーザ=ラーナ=ラーヤ・フィリックスも、淫魔だった。
ただし相手は七大侯爵家に名を連ねる、ラクスの実家からすれば雲の上ほど格上の貴族だが。
「よく父親と似てきた。大変良い」
「俺は親父じゃありませんので、言いたいことは本人にどうぞ」
うんざりしながらラクスは答える。
テーブルの上には、急な来客にも動じない手際と用意の良さで、ティーセットとお菓子が並べられている。
何かの花の蜜で光沢を出した紅茶は見た目も麗しく、香り高い。焼き立てのスコーンも、一流素材で作られたジャムやクリームも美味しそうだ。
が、手を付けようとは思えない。食べ物に罪はないが、何が入っているか知れたものではないからだ。
アダルシーザが魔王の座を奪いはしたものの、一時代、格下のアスガフトス家に従わされたことが、フィリックス侯爵家はどうにも相当不服らしい。
「お前の兄弟たちは、皆、妾のものになった。後はお前だけだ、ラクス」
ラクスの言葉を、アダルシーザはさっくりと無視をした。
「お前が魔王候補に名乗り上げるのをずっと待っていた。疾く、妾の元まで来い。すぐさま降してくれよう。さすれば、お前は妾のものだ」
「丁重にお断りします」
魔族の社会は、基本的に実力社会だ。そしてその実力とはもっとも原始的なもの――暴力である。
気に入った相手を五人十人愛人として囲うのは、実力者であれば当然のこと。そこに男女差はない。あるのは実力差だけだ。
ただし、一部例外もある。
魔王候補に名乗り上げられるだけの実力を持った者には、魔王が害を加えてはならない、という決まりだ。力尽くで囲うことも害とみなされる。
若い才能を老害が潰さないようにするための配慮であり、魔族全体の弱体化につながるとして、固く禁じられていた。
実際それが原因で魔王が弱体化し、精霊と人間に領土の半分ほどを奪われていた時期がある。
過去の教訓を生かし、魔王になりえる才能を持つ者は、才能がない者よりも多少の保護をする制度が作られたのだ。
しかし魔王候補としての資格を失った後は、どうとでもしていい。
魔王候補の資格を失う条件は二つ。
一つは、年老い魔力を失うこと。
もう一つは、魔王試験を通って魔王に挑み、敗北すること。現魔王よりも力がないとして、魔王候補である意味を失うからだ。
「お前は本当に、あいつによく似ている。妾に堕ちないところもな」
アダルシーザの目が魅了の魔力を帯びて紫に輝く。意識して体に魔力を行き渡らせ、ラスクは仕掛けられたイタズラを受け流した。
いかに魔王とはいえ、イタズラで惑わされるほどラクスの魔力は低くない。
「合意の愛人・側室関係は確かに法に触れませんが、魅了魔法での合意は、合意に入りませんよ」
「お前にはせんよ。妾が罰されるだけだ」
「法に触れないから魅了魔法で支配するってのも、どうかと思いますが」
ラクスの兄弟は、残念ながら魔王候補となるだけの才覚を持たなかった。あるいはアダルシーザにすでに破れた。
手に入れた彼等を、アダルシーザはほとんど顧みていない。もう彼女の興味外なのだ。
それでも兄弟が何と言うか、ラクスには分かっていた。
「良いではないか。今、お前の兄弟が感じている幸福は本物なのだから」
ラクスが一番嫌悪することを、アダルシーザは平然と肯定してみせた。淫魔としては彼女の考え方の方が一般的だ。
「しかし……ふふ。面白い」
「何がです」
「今まで、誰が何と言おうと魔王試験を受けなかったお前が、一体どのような心境の変化だ?」
「……色々ありまして」
恋人だと思っていた少女にいいように使われていただけなのが面白くなくて、彼女の邪魔をしたいから――などという恥ずかしい上情けない理由を、他人に話そうとはとても思わない。
「ふん」
答えなかったラクスに、アダルシーザは鼻で笑って。
「失恋でもしたか」
「はッ!?」
図星を突かれ、思いきりうろたえて反応してしまった。
後悔するがもう遅い。アダルシーザは盛大に大笑いをした。
「隠さずともよい。今まで下民の小娘にべったりだったお前が、一人で行動し魔王試験を受けようというのだ。仲違いをした以外の理由などあるまいよ」
「ぐ……」
当時はどう思われようと一切気にならなかったラクスだが、エリシアと別れた今、改めて指摘されるともの凄く恥ずかしい。居た堪れない。
ラクスの羞恥心を存分に楽しんだ後で、アダルシーザは瞳に冷ややかな侮蔑の色を浮かべて、嘲笑った。
「しかしあの小娘、馬鹿な真似をしたものだ。手にしていた優秀な駒を自ら手放すようでは、国取りなど到底できん。お前の助けなくして、あれが魔王試験に受かることなどない」
アダルシーザの呟きにふと思い付いて、意趣返しに提案しておく。
「それ、そのまま言ってやって下さい。見物だから」
「機会があればな」
アダルシーザの唇が意地悪く弧を描く。彼女は生粋の嗜虐嗜好の持ち主で、弱味を見せた相手をいたぶるのが大好きだ。
まず、好んで個人的に深く付き合いたい相手ではない。
しかしそんなアダルシーザには、従順な配下がそれこそ掃いて捨てるほどいる。皆、アダルシーザのためならば命を惜しまぬ忠実な臣下だ。
――魅了魔法に惑わされた。
「さて。そろそろ時間か。すまぬがお開きとしよう。妾はこれでも忙しい身なのだ」
「俺が時間を割いてくれと頼んだわけじゃありませんが」
わざわざ嫌味のように忙しさを口にしたアダルシーザに、即座にラクスは切り返す。格下から向けられた無礼に、アダルシーザは怒るどころか愉快そうに笑って。
「お前は本当に小気味良い」
「――失礼します」
アダルシーザが退出するのを待たずに、ラクスは席を立った。
主の趣味を忠実に再現した、豪華絢爛な装飾に飾られた廊下を歩きながら、今しがたの会話を反芻する。
(魔王が俺を面白がる感覚は、きっと俺が感じてるのと同じところからきてるんだろーな)
ラクスも感じているもの――それは、『虚しさ』だ。
アダルシーザには部下が沢山いる。
けれど、一人だ。
本当は自分のために動く者など誰もいないと、アダルシーザも分かっている。
もしかしたら、真実、心から仕えている者もいるかもしれない。しかしアダルシーザはそれを信じていないだろう。
強すぎる魔力を持った彼女は、心を通わせる相手を作る機会すら、幼い頃から滅多に与えてもらえない。同じ経験をしてきたラクスだからこそ、アダルシーザが抱いている鬱屈が分かる。アダルシーザが諦めてしまったのだということも。
自分への好意は魔力があってこそ。魅了体質に惑わされているだけだと、どうしても疑ってかかる。
だから自分に反発するラクスが面白いのだ。それはラクスの本当だと、アダルシーザに確信を与えてくれるから。
好意よりも反発の方に安心するようになるとは、何とも皮肉な体質だ。
父親との絡みで気にくわないのも本当だろうが、面白がっているのにも嘘はないだろう、とラクスは思っている。
帰り際、本来の用件だった魔石を事務室で受け取って、ラクスは万魔殿を後にした。