エピローグ
小さくノックをして、エリシアはそっと主の部屋の扉を開く。寝汚いラクスがこの程度で起きるわけがないと数日経った今は学んでいたが、一応、声をかける。
「ラクス、朝よ」
使用人の恰好は主が決めるものだ。
今のエリシアは金縁刺繍のされたボルドーの、詰襟のドレスを着ている。装飾は金ボタンのみというシンプルなデザインだ。下はホットパンツとニーハイブーツ。
どう見ても使用人の制服ではない派手な衣装だが、つまらないメイドのお仕着せではないこの恰好を、エリシアは結構気に入っていた。
「ねえ、ラクス。朝、ぅむっ」
急に伸びてきた手に口を塞がれ、エリシアは驚いた。次に行動を起こすよりも早く、ベッドの中に引きずり込まれる。
「ん、むっ!?」
「……うるせえ」
口を抑えられているせいで、エリシアの唇から漏れたのはくぐもった声だった。うろたえたそれを耳にしたラクスは完全に寝ぼけた状態で、一切取り合わない。そのまま、押し倒したエリシアの上に乗り、キスをして唇を塞ぐ。
「――!!」
ラクスはまだ覚醒していない。抵抗しようと思えば、エリシアには可能だった。が、エリシアは動揺が去るとただ目を閉じ、唇の感触を堪能する。
「は、ぁ……。ラクスぅ……」
あえかな吐息と共に、うっとりとした声で小さくエリシアはラクスの名を呼ぶ。
「…………あ?」
エリシアの細い両手首を押さえ付け上に乗ったまま、ラクスはぼんやりとした声を上げ、まだ眠たげな目を瞬いた。
そして目の前にあるエリシアの顔に気が付き、首を傾げる。
「何、してんだお前」
「な、何してるっていうか、し、したのはあんたの方よ……!」
「そこまでですわ!」
エリシアが言い終るか終らないかのうちに、バン! と大音を立てて扉が開け放たれた。ラクスとエリシアが揃って首を巡らせると、そこには腰に手を当て仁王立ちになったキティがいる。
「旦那様がちょーっと遊ぶぐらいならともかく、責任を押し付けようとするなんてとんでもないですわ! キティは裏切り者は信用しません。再度の信頼を得たいのなら、相応の態度をわきまえるべきですわ。下足番からやり直しです。一足飛びに愛人だなんて許しませんわよ!」
キティのキンと響く声が悪かったのか、騒ぎを聞きつけたらしいバルヴァラまでもが顔を覗かせて。
「おい、何の騒ぎだ。まさか我を差し置いて先にエリシアに手を付けたのではあるまいな! そうであるならすり潰すぞ!!」
勝手なことを喚くキティとバルヴァラの怒声が、起き抜けの頭にわんわん響く。
「うるせーよ! 何もねーし、万一何があって何が起きても、いまさらこいつとの関係がどうにかなるか!」
「わ、わたし、ラクスになら、それでも……っ」
「さっきから『様』が抜けてますわよ召使い!」
「別にあんたの召使いじゃないし。わたしはラクスのものだから、命令してもいいのはラクスだけよ。わたしのこと教育していいのも、もちろんラクスだけ。ラクスに指導されたらそうするわ!」
「ああぁぁあぁ……」
頭が痛い。のろのろとベッドから這い出し、肩にガウンを羽織る。とりあえずこの場から逃げ出したい。
「ちょっと、ラクス!」
「うるせーよ! お前らな、この城の主が誰だと――」
言いかけた途中で、言葉を切る。エリシア、バルヴァラ、キティも同様だ。
城の入り口付近で、魔力を感じる。
「客か。エリシア、相手してこい。俺もすぐ行く」
「分かったわ」
「我も行こう」
「ん、ありがと」
さきほどの言い合いが嘘のように、エリシアとバルヴァラは並んで本宮殿へと向かう。
二人を先行させ、自分は身なりを整えてから、ラクスもホールへと向かった。
エリシアとバルヴァラは、すでに訪問相手と向かい合っている。その相手とは――
「……おい?」
アルテナとユーグだった。若干、やつれた感がある。特にアルテナの方が。
早速報復か――と思ったが、相手にどうやら戦意はない。
「何の用だよ?」
「……家に、帰れなくなったの」
「負け続けですからねー。アートフォリングスの恥だって、っ痛ッ」
アルテナの手がユーグの頭を叩いたが、一歩遅かった。
「わ、わたくしも貴方の力になってあげようかと思って。まあ、わたくしを降す実力の持ち主ではあるのだしッ」
「というか、他に行く当てもなくて、アルテナ様がどーも野宿も限界っぽいのでお願いしま、痛!」
事情は分かった。
エリシアとバルヴァラの目が、無言で『どうする?』と訊いてきていた。
はあ、とラクスは溜め息をつき。
「言っとくが、妙な真似したら今度は一生消えない落書きするからな?」
嫌なことを思い出したのか、アルテナは顔を引きつらせて。
続いてこくこくっ、と首を縦に振った。
魔王候補・ラクス=シュテーゼ=ミリアン・アスガフトス。
現在、全勢力・総員五名。




