二十五話
「旦那様ー? お風呂のお支度が整いましたわ」
「ああ」
ひょこんっ、と顔を覗かせ部屋に入ってきたキティに、ラクスはだらりと転がっていたベッドから身を起こす。
エリシアを連れて帰ってきたラクスに、キティは何も言わなかった。ただお帰りなさいませと言って迎え入れただけだ。だからきっと、問題なかったのだろう。
「あら?」
起きると同時に指先で転がしていたトパーズ――エリシアの魔石をテーブルの上に置くと、キティが反応した。
「どうした?」
「魔石の模造品ですの? 旦那様は慎重ですわね」
「ああ、やっぱそうなのか」
「?」
キティが意図せず教えてくれた事実で、ラクスは決断できた。面倒だという気持ちを押し切って、気だるい仕草ながら立ち上がる。
「どちらへ?」
「万魔殿に」
現魔王の住む宮殿だ。
キティに言い置き、ラクスは自室を出て竜舎へと向かう。普段の生活は怠惰になりがちなラクスだが、目的がある場合はその限りではない。
愛竜ルゼクを駆り、ものの十数分で万魔殿へと到着する。
ラクスは公爵家なのでアダルシーザに面会の申し入れを直接行うことが可能だ。アダルシーザとも面識があり、それなりの好意を勝ち得ている。だが、それでも正規の手続きで会うにはそれなりの時間待たされるだろう。
ただひと言文句を付けたいだけだというのに、面倒くさい。
だから当然の顔をして宮殿内を闊歩し、アダルシーザの私室へ向かう。魔力をそちらから感じるので、休憩中か何かだろう。
「――待て。何者だ」
「来客の予定など聞いていないぞ」
さすがに奥に行けば衛士によって止められた。アダルシーザの魅了にかかった忠実な兵士たちだ。
だからラクスもためらわなかった。
「強魅了」
魅了魔術の上書をして、棒立ちになった衛士を擦り抜けると、アダルシーザの私室の扉を開く。
「失礼、陛下。邪魔をさせてもらいます」
「……ほう?」
ラクスが声をかけると、やはり休憩中だったらしいアダルシーザは、指でスコーンを摘まんだ状態で感嘆の声を上げ、振り返る。
「妾の魅了を上書きしたか」
「はい。貴女が本気で魅了をかけてるのは精鋭の側近だけでしょうからね」
裏切られては困る相手には強い支配を行うだろうが、衛士ぐらいは緩くても構わないのだ。アダルシーザ自身も、充分な実力者なのだから。
魔力は無限ではない。底を突けば魔術は解け、忠誠は失われる。アダルシーザの政権の形では、魔力を切らすわけにはいかないだろう。
「ふふ。そうだな。では何の用だ? お前が妾に挑むのはまだ早いぞ? 望むところではあるがな」
「そのことで宣言をしておこうと思いまして」
「申してみよ」
「俺は貴女に魔王の資格があるとは思えない」
ぴく、とさすがにアダルシーザは眉を跳ね上げた。
その彼女の目の前にトパーズを放り投げる。魔石は沈黙したまま。
当然だ。これは魔石ではないのだから。
「結局貴女は、部下の教育一つできていない。魅了魔術に頼り切った貴女の国が、俺はどうやら嫌いらしい」
幼い頃は絶望した。子どもの頃に光を見た。そして今は、自分の意志で成し遂げる覚悟を得た。
――だから、素直に思った通りに、生きることにする。
「貴女の支配の仕方では、国は弱体化しかしない。ついでに――」
一旦、言葉を切る。
頭に過ったのはエリシアのこと。
彼女に厳しい国のルールを、正直、ラクスは歓迎していた。己にエリシアを依存させるのに都合が良かったから。
しかしその常識そのものは、やはり、好きではない。
「俺はもう少し、実力で昇りやすい国を作る」
魔王の座になんか興味はなかった。面倒くさいだけだと思っていたから。
(違う)
それを面倒くさいと思っていたのは、ラクスが何も持たなかったからだ。
怠惰な淫魔の気質からしても、当然の流れと言えた。気楽な生活は大好きだ。今も変わらない。
しかし、それ以上に。
――大切な相手への理不尽を、腹立たしく思う。
だから、決めた。
「俺は魔王を目指す。近いうちに貴女に挑みに来ます」
ラクスの宣言にアダルシーザは唇を吊り上げ、歓喜の表情となった。
「素晴らしい」
そして、称える。
「お前の兄弟たちは、誰一人目指すものを持っていなかった。資格があったからただ何となく魔王試験に挑み――妾に敗れ、飼われる身となった」
「……」
「やはりお前が一番、父親に似ているよ。ラクス。――楽しみにしている」
「俺は親父じゃありませんので」
辟易とした調子で言って、ラクスは踵を返す。用事は済んだ。
そしてアダルシーザも引きとめてこない。ご機嫌な様子で休憩に戻っている。
(まあ確かに、今の俺じゃあ力不足だ)
個人の技量も、勢力も。
(目指すなら、成し遂げられる力を手に入れねえとな)
しばらく、仲間たちには目標は黙っておこう。
もしもラクスが魔王になって、もう少し素直に実力で上に上れる世になったら、エリシアはどんな顔をするだろうか。
その瞬間を想像して――悪くない、と思った。




