一話
「ふふっ。本日のターゲット、見ーつっけた」
白い鱗の飛竜の背中に乗った少女から、楽しげな声が上がる。
少女の年頃は十五、六。やや幼げな顔立ちに不似合いな、妖艶さを滲ませた獰猛な笑みを浮かべている。
背は低めだが張り出した胸は大きく、華奢な腰つきと相まって余計にエロティシズムを強調していた。
可憐で可愛らしい顔立ちと、色めく表情と身体付き。すべてが酷くアンバランスだが、その不均衡さが絶妙で、少女に年齢以上の魅力を与えている。
風になぶられる赤金の髪を押さえ、緑の瞳を眇めた少女の後ろから、もう一人、同乗していた青年が眼下を見下ろす。
月光に輝くダイヤモンドを溶かしたような、硬質で、しかし比類なく美しいプラチナブロンド。瞳は朝日が昇る直前の空を閉じ込めた深い群青。どのような表情にあっても作り物めいた、完璧な美貌の持ち主だった。
充分に人目を引くはずの少女の隣に青年が顔を覗かせた途端、一気に少女の印象が希薄になった。それほどの存在感。
「エリシア、まさか、行くのか?」
「まさかって、何言ってるのよラクス。見つけたんだから当然でしょ?」
「どんな奴の城かも分からないのにか?」
「大丈夫よ。わたしとあんたがいれば」
愛嬌たっぷりにウィンクをして見せてから、エリシアはそっとラクスの頬に唇を寄せ、ちゅ、と音を立ててキスをした。
「頼りにしてるわ。わたしのこと、守ってね」
「そりゃ、もちろん。俺の命に代えても、お前は守るよ」
お返しのように、今度はラクスからエリシアの頬にキスをして。
「行くわよ!」
ラクスのキスを受け入れてから、エリシアは飛竜の背から飛び降りた。ラクスもその後に続く。
みるみる近付いてくる城の天井へ向けて、エリシアは手をかざす。
「空の振波衝爆弾!」
天属性・物理衝撃波の波が城の尖塔にぶち当たり、跡形もなく破壊される。
「風の包翼!」
もうもうと立ち上る爆煙に飛び込む直前に、ラクスが風の結界を張った。自身から数メートルの視界を確保すると同時に、落下の速度を緩める。ふわり、と自分の意思で床に降り立ってから。
「突風陣」
エリシアが強風を起こし、煙を一方向へと無理矢理押し流した。
後に残ったのは、突然の事態に呆然とした様子の兵士たち。しかし、すぐに我に返ると。
「魔王候補の襲撃だ!」
「カイアス様にお伝えしろ!」
伝令役の一人が走り去り、残った兵士はこの城の標準装備らしい、槍を構えて穂先をラクスたちへと向ける。
「ザコに用はないの。どうせ相手にならないんだから、ご主人様が来るまで引っこんでなさい!」
見下したエリシアの言い様に、多くの兵士が槍を握る手に力を込めた。
「舐めるな!」
「我等とて、城を守るためにカイアス様に見出されし精鋭よ!」
「カイアス=バファル=ログ・カセーナに仕えし我等が誇り、とくと見よ!」
兵士の中の誰かが、勢い付けるために言った言葉。
その中の一つに、エリシアは、今まで浮かべていた余裕の笑みをすぅっと消した。
代わりに浮かべたのは、強い――憎悪と言っていいほどの、敵意。
「へえ。そう。ここ、カセーナのガキの城なの」
「貴様! 古き始祖の血を引く、七大貴族であらせられるカセーナ家に、何という暴――」
「は? 古き始祖? 何ソレ」
一人の兵士の言葉を、エリシアは苛立ちを隠しもせずに荒い口調と――そして行動で遮った。
ゴッ!
腕の一振りで、形となる前の魔力を衝撃波として放ち、その場の兵士たちを全員壁に叩きつけながら、エリシアは高く、嘲笑を上げた。
「バッカバカし! 血筋って何? 何の役に立つの、そんなもん! 焼いて炒めてブタに食わせろ!」
「その品のない言いよう……貴様はどうやら下民だな、女」
敵襲の最中だというのに、いっそ舞踏会場へ向かうかのごとく優美に歩み寄ってきた男へと、エリシアは鼻で笑って返した。
「だったら何?」
挑むように言ったエリシアを無視し、カイアスの目は、後ろのラクスを捉える。
「ダイヤを溶かした月光の銀髪と、暁の瞳。ラクス=シュテーゼ=ミリアン・アスガフトスか。前魔王の末息子を引き連れ、虎の威を借る種堕ち魔王候補……。貴様がエリシア・フェーゼだな」
「負け犬って、皆そう言うのよね。ラクスのせいにしとけばメンツ保たれるとか、本気で思ってんのかしら」
腹立たしげに、トントン、と靴の爪先でエリシアは床を叩く。
「俺が相手を倒したことはないんだけどな」
その後ろで、ラクスも苦笑する。
「まあ、どーっでもいいけど。負け犬の遠吠えなんか。わたしが魔王になれば、全部証明されることだから!」
「驕るな、小娘!」
叫ぶと同時に、カイアスが腰に下げていた剣を引き抜く。その刀身には薄赤い光が宿って仄かに光を放ち、火の属性の魔力を宿した魔剣だと分かる。
柄と鍔に施された金の装飾に、エリシアは眉を寄せた。
「下品な剣。好みじゃないわ」
「けど、宿ってる魔力は結構高そうだ」
「その通りだ! この剣は、我がカセーナ家に代々伝わる秘宝・魔剣エグザスティ! その一閃は女神の腕のように美しく、情熱的に敵を屠る!」
無駄に詩的なカイアスの言葉の全容は、実践によって理解できた。床に向かって一閃すると、剣閃によって入った亀裂から、灼熱の溶岩が噴き出してくる。
「!」
さすがに驚き、身を引いたエリシアの前に。
「氷結の硬殻」
頭から足元までをすっぽりと包む、薄く透明度の高い水の殻をラクスが出現させ、自分とエリシアの身を守る。結界に触れた溶岩は、すぐに冷えて黒く固まった。
「へー。宝剣って、そんなもんなんだ」
余裕を取り戻したエリシアが、水の殻の中でせせら笑う。
「なっ、何を……! お前はアスガフトスの結界の中に隠れているだけではないか!」
「心配しなくても、今すぐ見せてあげるわよ!」
ヴッ!
エリシアの突き出した手の平の手前に、魔法陣が生まれ、体内の魔力が集まり、輝き出す。
「溶岩なら、せめてこれぐらい熱くしなさい! 火の炎融塊陣!」
エリシアが発動させた魔法は、部屋の中央から溶岩を吹き上がらせ、瞬く間に広い床を埋め尽くし、炎上させた。
当然、ラクスやエリシア本人の方へも流れ込んでくるが、エリシアの溶岩も、水の結界に触れた途端に、カイアスの魔剣で生み出したもの同様、冷えて黒く固まることになる。
「カイアス様」
「ルビー! 無事か!?」
逃げまどう兵士たちの間からするりと抜け出して、一人の女性がカイアスの元に歩み寄る。その表情は沈痛だ。
「いいえ。魔王城の破損が私の許容値を超えました。私はもう魔王城を維持できません。引き続き魔王の座を狙うのであれば、どうぞ、新しい城をお求めくださいませ」
「なっ、待……っ」
伸ばしたカイアスの手は、直前までルビーと呼ばれた女性のいた場所を、虚しく通り過ぎる。
コツン、と小さな音がして、その足が床に落ちた石を蹴った。紅玉だ。ひび割れた紅玉は、全員の目の前で儚く砕け散る。
そして同時に起こる、城全体の崩壊を予兆して、震える音。
「まずい、エリシア。崩れるぞ。逃げないと」
「そうね」
うなずいたエリシアが手を伸ばし、するりとラクスの首に手を回す。エリシアの細い腰を抱いてから。
「風の包翼」
もう一度風の結界を張り、崩れた天井から脱出した。
「――ラクス、待って」
「?」
空中で待機していた飛竜の元に戻ろうとしたラクスを止めて、エリシアは地上を冷ややかな眼差しで睨みつける。
「下りましょ」
一体何を見つけたのかと、ラクスもエリシアの目線の先を追って――少し、ためらった。エリシアの望みはすべて叶えてやりたいと思っているが、そこにいたのは面倒な相手だったのだ。
以前、ラクスとエリシアが破壊した城の持ち主。向こうは相当こちらを恨んでいるだろう。
「わざわざ相手にしなくてもいいんじゃないか?」
「あいつの目的はカセーナの城だったはずよ。それをわたしが先に使えなくしてやったんだから、笑ってやらなくちゃ」
魅力的な笑顔で、エリシアは陰険なことを言う。