十六話
「お前は大分、趣味が悪いようだ」
「うるせえっ」
エリシアの性格に難があることぐらい、分かっていた。……分かっていてもどうでもいいと思っていたのだから、やはり趣味が悪いのだろうか。
――考えると落ち込むので、自分の趣味に関しては、とりあえず目をつぶっておくことにする。
「下りるぞ。――風の包翼」
自分とバルヴァラを包んで風の結界を張り、城の庭へと降り立つ。
侵入者に対して働く迎撃用の氷の結界は、ラクスが設定したままになっているのか、ラクスとバルヴァラを侵入者とみなさなかった。発動しない結界に拍子抜けする。
(しっかし、相変わらず陰気だな)
離れて、改めて訪れてみると――しみじみとそう思った。
「こういうのがお前の好みか? であれば、我にはとてもできん。諦めろ」
「別に、好みかどうかなんてどうでもよかったんだよ」
愛してくれてさえいれば、それで満足だったのだ。
エリシア自身への愛情は吹っ切ったつもりでいるが、心に穿たれたものが消えるわけではない。自然、ラクスの声は沈んだ。
「泣くなよ、ラクス」
「は!?」
少し物思いに耽っていた間に、いつの間にかバルヴァラが至近距離にいて、ラクスはぎょっとしてのけぞった。ラクスを追ってそっと伸ばされた手が、頬に触れる。
魔力の盾を素手の拳で割るような、無茶苦茶な真似をするというのに、その手はやはりきめ細かく柔らかで、繊細でたおやかな女の手だった。
「お前が裏切りに心を痛めることは、二度とない。我を信じろ」
「……やめてくれ」
「そうか」
拒んだラクスに、バルヴァラはすぐに手を引いた。そこにもう怒りはない。ただ、気遣う微笑みだけがあった。
「気にするな」
「してねえし。つか、何で俺がお前の勝手な気持ちを拒むだけで気にしなきゃなんねーんだよ」
口ではそう言いつつ、心は素直で気にしてしまっている。口調の弱さが物語っていた。
「そうだ。別に気にする必要はない。我は待つことのできる女だからな」
「言ってろ」
バルヴァラの態度はいつも通り尊大だ。だから少し、ラクスもほっとしてしまう。
そうして二人で並んで慣れた石畳の上を歩く。相変わらずぬるつく地面と苔に侵食されぎみで、石の上でも油断できない。
(なんか、俺が最後に見たときより酷くなってる気がするが、気のせいか?)
陰気であることには変わりないので、大した差はない、と言ってしまえばそれまでだが。
エントランスへ入って、しばらく待つ。他人の魔力が侵入すれば、エリシアならばすぐに気が付くはずだ。
――そして、ほぼラクスが予想した通りの時間で、エリシアはホールに下りてきた。
(……?)
彼女の姿に、まず違和感を覚える。
見た目に拘るエリシアらしくなく、髪はおざなりに櫛を入れただけ。リボンの結び方も乱雑だ。さすがに服装におかしなところはないが、組み合わせを選びもせず、手に取った物を適当に着ただけ――という印象はある。
それに何より。
(一人?)
ユーグがいないのも不思議だ。こちらが二人できているのは分かっていただろうに。
「……何の用?」
顔も、少しやつれた感じがした。一見して目立つほどではないが、ずっとエリシアの側にいたラクスには、彼女の肌が普段よりも荒れ気味で、血色もよくないのに気が付けてしまう。
「お前……」
ラクスがどう言おうかと言葉を探しているうちに、エリシアはバルヴァラへと目を向け、はっきり顔を歪めた。
腹立たしいような、痛みを堪えるような、泣きだすのをかろうじて抑えたような、そんな表情。
「早速味方作って、復讐にきたってわけ? さすが、たらし込むのが上手いわね。それとも貴族同士の繋がりってやつかしら?」
「なっ……」
言われた内容はかなりラクスの勘に障った。エリシアの体調がどうだとかなど、一瞬で頭から吹っ飛ぶぐらいには。
「次から次へと、渡り歩けて羨ましいわ。――だから、あんたなんか大っ嫌いなのよッ!!」
「上っ等だ! 俺もお前なんか大嫌いだ!!」
「っ……」
言った言葉をそのまま返しただけだったのに、エリシアの顔が、泣きそうに歪む。
「きらいよ」
絞り出すようにか細く、自分に言い聞かせるかのように、エリシアは同じ言葉を繰り返す。
「きらいよ。きらい。大っきらい! だってあんたは――!」
床を蹴ったエリシアの指を飾る指輪が、光る。
適当に選ばれた服や、ぞんざいに結った髪の適当さと比べて、現れた女神の花炎剣は曇りなく、手入れが行き届いていた。いっそラクスが最後に見たときよりも、輝きを増しているようにすら見える。
「あんたの方が、わたしじゃなくてもいいんだもの!」
「!?」
身を捻って避けたラクスの脇を通り抜けた女神の花炎剣の熱で、肌が少しだけ炙られたが、それよりも。
「何、言ってんだ……?」
「そうじゃない!!」
闇雲に振るわれる剣に殺気はない。だからどうしていいかを迷い、ラクスも夜魔の神封剣を出したまま、ただ避けるだけに留まった。
「あんたはいつだって、誰だって、何だって手に入れられる! 何よその女! どうして貴族なのよ! やっぱり貴族の、上品な女性のがよかったんでしょ!?」
「エリシア……っ」
「だから! あんたなんか大っきらいッ。わたしの欲しいものは何でも持ってて、いくらでも持ってて、いつでも取りかえられるから! わたしのことだって……!」
ギンッ! と鋭い音を立てて、ラクスとエリシアの剣が交差し、噛み合う。瞬間、エリシアの剣から炎が消えた。
「やっぱり、取り替えても何でもなかったんじゃない……ッ」
吐き出された想いの正体を、ラクスはようやく悟る。
エリシアはずっと、怖がっていたのだ。
彼女本人も認めたがらなかったその気持ち。だがラクスが離れたことで、直視せざるを得なくなってしまったもの。
――ラクスへの敗北感を、エリシアはずっと心に凝らせていた。
だから、誰にも見向きされない。側にいてくれるのはラクスだけ。
けれどそのラクスには、一歩エリシアから離れれば、エリシア以上の価値がある人材が、いくらでも彼を欲するのだ。
「あんたが、どうしようもない奴ならよかった」
「……エリシア……」
瞳から大粒の涙を零し、エリシアはしゃくりあげる。その彼女に何をするべきなのか――分からない。
「本当に、わたしがいないと何もできない奴ならよかったのに……っ」
へたん、と床に座り込んで、エリシアは泣く。
「どうして、わたしだけがあんただけにならなきゃいけないのよ……」
もう戦意など欠片もないエリシアの様子に息をつき、ラクスは手に持っていた夜魔の神封剣を腕輪に戻す。
「何度も言ったけど、それでも、俺にはお前が一番だったんだ」
「……」
「お前がいれば、俺はそれでよかった。お前はそれでも不満だったのかもしれないけどな」
俯いたまま、エリシアは肩を震わせる。
「分かってたわ。でも! それでもわたしが、あんたに比べて無価値だってことは変わらないもの!」
その惨めさに、エリシアは耐えられなかった。
輝かしい相手と比べて、あまりにも無価値なのが。
その輝きをすべて使って愛されても、ただ自分が塗り潰されるだけで輝けない。押し潰されて折れゆく気持ちは、輝く側のラクスには、きっと一生理解できないもの。
「わたしでなくちゃならないんじゃなきゃ駄目なのよ……!」
ラクスにとってエリシアは一番だった。それだけで満足できる程度には。
――けれど、すべてではなかった。
それではエリシアには足りなかったのだ。
自分がどれだけ無価値で、ラクスに価値を置く相手がどれだけいるかを、知っていたから。
大切だと言われても、エリシアの心からは不安が消えず、納得しない。だからすべてでなくては不安だったのに――




