十五話
「……」
曖昧に言葉を切って沈黙するラクスに、バルヴァラは不愉快そうに眉を寄せた。
「気に食わんな」
「悪い」
「お前ではない。お前を裏切ったその女の方だ。その女のせいで我は今、我自身の要因でない部分でお前に拒まれようとしている」
「それは……まあ、そう、だな」
ことこの話に関しては、バルヴァラの何が悪いわけではない。それは認める。たとえエリシアと何もなかったとしても、その先があるかどうかはともかくとして、だが。
「気が変わった。我はこれからその女を倒しに行く」
「は!?」
今度は断固とした口調で宣言すると、バルヴァラはラクスを置いて扉へと向かう。
「待て! 何で――」
「止めるのか?」
「!」
振り返ったバルヴァラに怒気を向けられ、ラクスは息を呑む。
会ってから始めて、ラクス自身へ向けられた怒気だった。滲み出る威圧に、ごくりと喉を鳴らす。
「我を止めるのか、ラクス。まさか、その女に未練があるのか?」
「あるわけねーだろッ!」
「ならば止めるな。我はその女の覚醒の書を焼くが、その程度の女だったのだとさっさと忘れろ。お前が手を掛けるまでもない」
「何いきなりお前がその気になってんだ!? エリシアは俺の仇だろ!」
「違う。たった今、そいつは我にとっても仇となったのだ」
バルヴァラは自分を止めるラクスにも怒っていたが、それ以上に、顔も知らないエリシアへ向けて怒っていた。
「お前を傷付け、結果として我の邪魔となった。ゆえに制裁を与えに行く」
「ま、待て!」
「なぜ止める?」
無視して行くこともできたはずだが、バルヴァラはそうしない。ラクスが自分を止める理由をそれだけ気にしているのだ。
(俺は、何で止めたんだ?)
ラクス自身にすら、バルヴァラを止めた理由が分かっていなかった。だがここで虫をしてはならない。そんな気がする。
バルヴァラの言う通り、未練があるのか――と考えるが、それは違うと断言できた。エリシアを愛しく想う気持ちは、今はまったく存在していない。
なのに黙って見送る、ということができなかった。
エリシアに対する復讐を、バルヴァラに先に完遂されることに不満があるのは間違いない。
(だが俺があのとき、嫌な気分になったのは……)
バルヴァラに先を越されるのが気にくわないとか、そういうことではなくて、もっと――
「ふふ。複雑ですわね、旦那様」
「キティ……」
隣に座っていたキティの声に振り向けば、彼女はテーブルに肘をついてこちらを見上げていた。瞳にラクスを試すような光を浮かべながら。
「旦那様のその迷いは、旦那様にとってとても大切なものですわ。旦那様は、もっと自分のことを良く知るべき。そして決断するべきなのです。キティをがっかりさせないで下さいましね」
「……!」
魔石に『がっかりさせるな』と忠告を受ければ、より緊張感が増す。
「どうするのだ、ラクス」
「――俺も行く」
「行ってどうする」
「さあな。ただ――」
抱いた感情の正体が分からない。しかし一つだけはっきり言えることはあった。それを行うのが魔王不適合と言われても構わないと思う程度には、譲りたくないこと。
「あいつが一番初めに負けを認める相手は、俺でなきゃ気が済まない」
誰かによって敗北を味わわされた後など、冗談ではない。その『誰か』は自分でなくてはならない。湧き上がってくる衝動をラクスは否定できなかったし、しなかった。
「ええ、そうでしょうとも」
キティはうなずく。試す光を消さないまま。
「道理だな。しかしお前が自らの手で制裁を加えたいというのなら、我は引こう。ただし同行はする。手は出さんが。しかし、お前が負けた場合は我がその女を倒す。いいな」
「今すぐじゃなきゃ駄目なのか?」
ラクスとしては、もっと戦える確証がついてから挑みに行きたいのだが。
「我の気が収まらんからな。お前が見送るなら、我が一人で行くぞ」
「……分かった」
諦めてラクスも立ち上がる。バルヴァラを見送ってエリシアを取られるよりは、勝敗が分からないままでもエリシアに挑みに行く方がマシだった。
「行ってらっしゃいませ、旦那様」
「……キティ」
にこりと微笑んだキティの、心の奥に仕舞われた考えは計れない。
「旦那様のお帰りを、キティは楽しみにしておりますわ」
「……行ってくる」
「どれだけ逃れようとしても、旦那様は旦那様。己から逃げる術などないのです。旦那様の強さを、キティは信じておりますわ」
「俺の、強さ?」
魔力のこと――ではないだろう。
(……俺自身からは、逃げられない)
何かが刺さった、気がする。
見たくないものだ。
――けれど、見なくてはならないものだ。
「どうした、ラクス。来い」
「あ、ああ」
うっかり考え込んでしまった顔を上げ、バルヴァラに付いて歩き出す。
「うむ。で、どっちだ?」
「……」
庭に出たところで立ち止まり、仁王立ちになって問いかけてきたバルヴァラに、ラクスは思った。
――放っておいても、何も起こらなかったんじゃねーかな、これ……。
エリシアと面識のないバルヴァラが、彼女の居場所など知るはずがなかったと今更気が付いて、脱力した。
人の姿を取っているとはいえ、バルヴァラの本性はドラゴンだ。その機動力は、人と同じ足しか持たないラクスとは比べものにならない。
エリシアの城に向かうのに、バルヴァラは自分の翼を使うことを提案したが、ラクスが断った。人からドラゴンへの変身、またその逆工程で裸になられるのが嫌だったからだ。
なので若干嫌な思い出が一緒に甦るのだが、エリシア行動していたときに使っていた飛竜を呼んでみることにした。
動物は世話をしてくれる相手に忠実である。
そして飛竜の世話をしていたのはラクスだ。巣は今もエリシアの城にあるが、飛竜にとって主はラクスという認識に変化はなかったようで、呼んだらちゃんと来た。ならばこのまま自分の城に連れ帰るべきだろう。
竜族の中では下位種族に相当する飛竜は、他種族にもよく移動手段として便利に使われている。
「ほう、なかなかの鱗艶だ」
「竜族のお前から見てそうなら、自慢してもいいかもな。ルゼク、頼むぞ」
飛竜――ルゼクの鱗はエリシア好みの純白だ。首筋を撫でながら言うと、ルゼクはクアァ、と快く返事をした。
いつもとパートナーが違うことには少し不思議そうに首を傾げたが、ラクスがいるので大人しくバルヴァラも受け入れる。
「エリシアの城に向かってくれ」
ルゼクにしてみれば今さっき飛んできた道を戻るだけだ。迷わず翼を羽ばたかせ、エリシアの城へと向かう。
(……何だかな)
エリシアと別れて僅か数日。裏切りにあった場所へと向かうのに、心はひどく凪いでいた。ラクス自身が戸惑うほど。
(もっと、何かしら感情が動くもんだと思ってたんだが)
多く移動手段に使われることが証明しているように、飛竜の機動力には定評がある。ややあって、ラクスの眼下に見覚えのある城が現れた。
「見ろ、ラクス。ずいぶん陰気な城があるぞ」
「そこが目的地だけどな」
「……」
ただの物珍しさから声をかけただけの城が恋敵の居城と知って、バルヴァラは微妙な間を空けてから。
「ほう」
と、何とも言えない声を出した。




