小鬼 第四話 ソレデモマダ人トシテ
今までの人生において、これ程時の経過の遅さを恨んだことは無かった。
頼むから少しでも早く遠くへ行ってくれと、ひたすら息を潜め願い続ける。
冷や汗が背中を伝うのを感じながら姿を追っていると、餌を探しているかのような様子を見せながらトリケラトカゲはのしのしと進んでいく。
すぐ横を通り過ぎた後、トゲトゲが沢山生えた背中が見えた。最早恐竜を見ているようだ。
目を瞑り、震える体が間違いを犯さぬように全身に神経を巡らす。
よし、あと少し。あと少しの辛抱だ。通り過ぎた足音が徐々に小さくなっていき、そこで目を開けて確認する。
「あぅっ。」
真っ直ぐ進んでいき、あと少しで姿が見えなくなるかと思ったその時、トリケラトカゲが突然振り返ると真っ直ぐこっちを見据えた。
な、なんでだ?!気付かれたか!?やばい!こえぇ!どうする!
トリケラトカゲは体を反転させ一気にダッシュすると、そのまま俺達の所へ突撃してくる……かと思いきや、目の前をそのまま素通りして走り抜けた。
「……どーいうこと?!なんで通り過ぎていっ……!?」
走り去るトリケラトカゲをぼけっと見送っているといきなりニコが俺の手を掴み、大きな木の根っこの窪みに引き入れた。
窪みに隠れる瞬間俺が一瞬見えたのは、茂みからゆっくりと出て来た青い光を放つ鎧の姿だった。
「シャベラナイデ。」
「……。」
喋らないでと言いながら力任せに口を塞がれ、喋れるわけない状態ながらも俺はコクコクと頷いた。
まぁ口を塞がれてなくても俺は絶対声を出さなかっただろう。何故ならトリケラトカゲの時はニコに少しの余裕を感じたが、今は口を塞いでる手が震えてるのに気付いたからだ。
要するにやばいやつ…なのだろう。
目で見るな、忘れろ!!バロンリーの格言を勝手に改変して心に言い聞かせる。何も見てないし、というか俺は石とか木だから目が無いし、むしろ風とか酸素だけどね!!むしろレイっていう素粒子の類だけどね!!見える?見えないっしょ?!素粒子だからね!!!
そうして静かにテンパっていると、ニコが俺の肩をトントンと叩いてきた。
「レイ、ダイジョウブ?」
「……あれ?」
ニコが普通に話しかけてきたので周囲を見渡すと、バケモノはいつの間にか居なくなっていた。
一体どれだけ長い間、心がどこかへ逃避行していたのだろうか。時間的に結構心は遠くまで行ってただろうな。
「モウイナクナッタカラダイジョウブ。安心シテ。」
「そ、そっか。ところでさっきの何?」
「初メテ見タケド、アレハ多分…深淵ノ亡者。ツヨイ。モットズット深イトコロニイルハズノ魔物……。」
なにその意味深な発言。やめて、不安になるから。
「……とりあえずバロンの所に行こうか。」
……夜の森嫌い。
☆
森をさまようよろいな亡者さんから逃れ、ニコと共にバロンを追いかける。すると再度ニコの手が俺の行く手を塞ぐ。
「こ、今度は何?」
「………イル。」
またかよ!!夜の森のエンカウント率高すぎんだろ!!!!
「……アソコ。」
「え?どこ?」
ニコが指さした方を見てみるが、何かがいるようには見えない。もしかしたら、擬態するような魔物でも潜んでるのか?
「ギガルピア・ドグランナ。……ネ?」
ね?って言われてもなぁ。つーか、ギガルピア・ドグランナ……すげぇ強そうな名前だな。でも、どこにも魔物なんか見当たらないけどな。
「ホラ、動イテル。珍シインダヨ。」
よーーーく見てみると、僅かにボウリング玉位の石がゴトゴトッと動いていた。
「あっ、ほんとだ!!あれは危ないヤツ?」
「害ハナイ。直接攻撃モシテコナイ。デモ傷ツク。」
害はないのに傷つくの!?意味が分かんねーし!!!
するとギガルピア・ドグランナと呼ばれる石ころは立ち上がった。そう、立ち上がったのだ。
「手足があるんだね。あと、顔も。」
「ウン。」
一言で言うなら濃くて渋い。そんな顔が石ころに貼り付き、そこから胴体を経由する事無く手足が生えていた。顔が渋いせいでやけにシュールに見える。
……足が無かったら魂バージョンの俺みてぇだな。
何となくテンションが落ちたが、ニコから攻撃はしてこないとの情報を聞き、安心して近付ける初の魔物にドキドキしながらギガルピア・ドグランナへと近付いていく。
だがこの時の俺は致命的な事を聞き逃していた。
ニコは攻撃をしてこないではなく、直接攻撃しないと言っていた。それを知っていれば近付かなかったのに、知るよしも無い俺はすぐ傍まで近づいてしまった。
そして……口擊が始まった。
「…………何見てんだよブサイク。生きてて辛くないか?身も心もブサイクなんだから諦めろよ。まぁ生まれ変わってもブサイクだけどな。」
「……………。」
こいつ喋ったよ。辛辣な台詞をスラスラと喋りやがった。
「ブサイク。ほんとブサイクだな。目が潰れそうだから、死んで償えブサイク。」
グハッ……。駄目だ、真に受けてはいけない。石ころの言葉だ。
「別に……ブサイクじゃねーし。」
「息臭ぇ。ブサイクだと気付けねぇブサイクはただのブサイクだぞ。この一生童貞野郎。」
クフッ……。駄目だ、飛べない豚みたいな表現はまだ耐えられたが、その後のことは最早防御のしようがない。
手と膝を地面に付き圧倒的敗北感を味あわされた俺を音に現すならズーーーンだった。
直接攻撃モシテコナイ、デモ傷ツクとか言ってたのは、こういう事か。心にくるやつね。でもニコさんや。これは直接攻撃の部類だろ。心を直接撃ち抜きに来てるぞこいつ。
それにしても陰湿な攻撃だ。俺が何をしたってんだ。
すると俺の気持ちを捨て置いて、ギガルピア・ドグランナは地面を掘って消えていった。
「ダ、ダイジョウブ?レイハブサイクジャナイヨ?ムシロ………」
2人?2匹?に言いたい事は山ほどあるが、今はそれどころじゃなく打ちのめされていると、小さな声で申し訳なさそうにニコが慰めてきた。
余計辛いわ!!!!そして決して皆まで言うなよ!!大体予想は出来ている!!!
「あ、ありがとう。気にしてないから大丈夫だよ。それより先を急ごう。夜の森は長居したくないからね。」
とにかく俺は先を急いだ。もちろんバロンが心配だし、こんな危険な夜の森を彷徨っている人間が気になったからだ。
決してムシロ…の後を聞いてはいけない衝動からではない。無いと言ったらないのだ。
再度月明かりだけを頼りに森の中を進む。俺はニコの背を頼りにしているだけだが。
するとニコが徐々にスピードを落とし辺りを警戒しているかのような仕草を見せた。
「どうかした?」
「血ノ臭イ………サッキマデハ無カッタノニ。」
血の臭い。例え誰が流した血であったとしても、現状においては不安を煽る要素でしか無い。
魔物が流したものか、迷い込んだ人間が流したものか……なんにせよ心が冷たい何かに追い込まれていくような感覚がした。
「ニコ、早くバロンの所へ行こう。それで急いで住処に帰ろうよ。」
「……ソウダネ。」
不安に耐えきれず弱音を吐き、ニコにかっこ悪い姿を見せた。だがそんなことを気にしていられる余裕なんてなく、早く洞窟に戻って引き籠もりたい衝動にかられていた。
ニコは先程までよりも明らかに進む速度が低下していた。ニコの様子は至って普通に見えたが、きっと彼女も不安な気持ちと対峙しているのだろう。
「レイ、血ノ臭イデ鼻ガキカナイ。……キヲツケテ。」
鼻が効かないということは、近くに何かがいても先んじて知ることが出来ないということ。
視界に映る全てに集中し、念の為剣の柄を握りながらニコの後ろを進む。
速度が遅くなったのに対して、不安や恐怖は加速度的に増していく。
風が枝で遊んだだけでもビクリと体が強張っていた。
「レイ。安心シテ。ワタシガ絶対守ルカラ。……ネ?」
ニコが振り返り優しく声をかけてくれた。だが俺は返事をすることが出来なかった。
それが恐怖のせいか言葉を信頼する事が出来なかったからなのか、俺には分からなかった。
ただ一つ確かなのは、死がつきまとう異世界の洗礼を受け不安の種が芽を出したことに耐えられていなかったことだ。
不穏な空気が肺を埋め尽くす。何故なのだろう、胸騒ぎがいつまでも治まらない。
このざわめきはただの考えすぎなのだと自らに言い聞かせ、鈍い反応を示す足を前に出す。
「レイ。何カガ近クニイル。離レナイデ。」
背負った弓では無く、腰の短剣を引き抜きニコは構えた。俺も不格好ながら剣を構える。
俺は離れないでと言ったニコの背に何かを感じた。愛情とも同情とも違う何かが俺の心を掻き回し、様々な色が混ざり合った俺の心は一つの決心を固めた。
「ニコ………俺の心の平穏の為に一つだけ約束して欲しい。」
「……ナニ?」
「本音を言えば見捨てて欲しく無い。でも……時と場合によっては必ず俺を置いて逃げて。それが俺の為にもなるから。」
「……近イ。」
その時、ニコは返事をしなかった。
何かがいるであろう方向を見てニコは神経を研ぎ澄ます。短剣を構えいつでも反応出来るように身を低くした。
躙り寄るような形で進んでいく。すると死角から何かが飛びだしてきた。
「ピチュー?」
突然の物音に体は強張ったが、体躯よりも大きな耳を備えたネズミが横切り繁みへと消えていく。
「………っはぁ。」
このまま息が止まるのでは無いかというほどに肺に息を溜めた後、これでもかと深く吐き出した。
客観的に見ればネズミ一匹にビビりすぎだろうと思うのだろう。だが実際この状況は恐怖以外の感性を殺していた。
日本で例えるならばチェーンソーを持った殺人鬼が不特定多数潜んでいるビルを彷徨っているようなもんだ。俺の刀なんて小さな懐中電灯に等しい。……そんなくだらない事を考えている自分は思いの外落ち着いているのだろうか。
ーーーガサッ…スタッーーーー
「ッ!?」
木が揺れ葉が騒ぐ。そして何かがすぐ俺の後ろに下り立った音がした。
俺は想定よりも遙かにビビりだった。
何だかんだ咄嗟の事態には勝手に体が動くだろうと楽観的に考えていたのだが、実際には恐怖で体が硬直し、振り返るどころか走り出す事さえ出来なかった。
そんな俺を知ってか知らずか、ニコはすぐに動き出し俺の前に現れた。
心は、俺の言うことを聞かない。
短剣を顔の前に構え、身を挺して俺の前に出たニコが動き出さず、それどころか短剣を下ろした。
「ニイサン。」
一体何が起こったのか分からなかったが、その一言で全てが理解出来た。
そしてどんな励ましの言葉よりも聞きたい言葉だった。
「ニコ……何故レイガココニイル。」
「ニイサン、ゴメンナサイ。」
ニコはその後の言葉を飲み込んだ。情けない俺を追い込むであろう言葉を。
「バロン。俺が無理を言ったんだ。ごめん。」
流石にニコにこれ以上背負わせられない。卑怯だと知りながら、贖罪にもならないと思いながら頭を下げた。
「……話ハ帰ッテカラ聞コウ。今日ノ森ハ騒ギ過ギテイル。」
騒ぎ過ぎている……その言葉は森を知りもしない俺でも感じられる程に重苦しい言葉だった。
だが聞かなくてはいけない。じゃないとこれまでの道のりが全て無駄になる。
「その………人間は?」
「死ンダ。」
バロンが指さした先には草むらがあり、その先には太い幹の木が生えていた。草むらを掻き分けていくと大きな木の根元に、女の子が光を失った虚ろな目で横たわっていた。
俺は間に合わなかった。
「深淵ノ亡者ガ現レタ。人間ヲ斬リステテ消エテイッタ。」
助けてあげられなかった。ニコがついてる俺でもこんなに怖かったんだ。女の子一人でこんな暗い森にいただなんてどれ程の恐怖だったのだろうか。
「レイ?」
俺はゴブリンの爪で地面を抉る。
「……ドウシタノ?」
俺は穴を掘る。この体のおかげで爪は痛くもないし剥がれもしない。
初めて見た死体に気持ち悪さは感じなかった。ただ見知らぬ人だったのに胸が痛む。
「レイ。」
俺は穴を掘る。掘らなくてはいけない。掘らなくては……消耗し切った精神が壊れてしまいそうだった。
「レイ!!」
ニコの叫び声が森に響く。魔物を呼び寄せるかも知れない可能性があるにも関わらず、この地に生きるゴブリンが声を上げたのだ。
「…………ごめん、どうしても埋めてあげたいんだ。」
「……。」
バロンもニコも返事はしなかった。だがそれから止めることも無かった。
魔物に掘り返されない深さに達したと判断して、女の子の元へ向かった。抱き上げる事に戸惑いは無い。唯々手にのしかかる人間の本来の重さが、手よりも心に重圧を感じさせていた。
「……バロン、ニコ。……ありがーーーー」
穴を埋め戻し緊張から解き放たれた俺は、情けない事にまたしても意識を簡単に手放してしまった。
日々の半端じゃないストレスと晩酌のせいで連投してしまった……!!
こうしてストックは減っていったのであった。頑張れレイ!頑張れ自分!