第8話・御嬢様と姉御
メギドの町・レストラン『ザクロ』
「ム、此処だ。」
「ほう、中々に年季が入った店だな?」
町の鍛治職人・ラガミに店まで案内されたリクスは表情こそ変えぬものの内心ではかなりワクワクしていた。帰らずの森以外での初の食事…外食は元より、この店にはどんな料理を出されるのかと期待していた時であった。
「ウォオオオオ!!逃げるんだギョ!逃げるんだギョ!!生きるために逃げるんだギョーーー!!」
「なんだ?今のは?」
突如、店の出入口から頭上に人魂を浮かばせ、頭に白い三角巾を付けてる赤・黒・白の体色をした和服を無理矢理着込んだスイカ大の球状の魚…否、そうは見えないが金魚が宙を泳ぐ様な移動法でリクスの側を横切る形でまるで何かから逃げるかのように猛スピードで飛び出てきたのだ。
「まさか今時…食い逃げする人、がこの魔界に…いるなんて…。」
「食い逃げというとアレだろ?金を持ってない貧乏人の分際で店で食い散らかしては逃げ去るという…実際に見たのは初めてだからなんとも言えんが。」
先程の食い逃げをした金魚に似た姿の魔族…幽霊金魚族の馬鹿者を呆れた様子で見るカイナに対し、リクスはというと食い逃げ犯とはいえ犯罪者などを見たのは始めての経験なのか、至って冷静に流した。
「ギャッハッハッハッハ!!バカだな!あの金魚野郎!!本気でトンズラこけるとでも思ってんのかよ!!ヒーヒッヒッヒ!!やっべぇ!!腹痛ェーよ!!」
「ム、間違いない…死ぬぞ、あいつ…」
「あぁ、『あの人』相手に逃げ切れるとは到底思えんな…全くこの店でなんてバカな事を…。」
男性陣はというとギャスクは幽霊金魚の食い逃げに腹を抱えながら爆笑し、ラガミは意味深に十字を切り、バンホーは両腕を広げてやれやれと言わんばかりのポーズを取る。
魔界は弱肉強食…強い者が弱き者を虐げて奪い取るのは自然の摂理、食い逃げをはじめ、強盗や万引きなどの窃盗が重罪なのはこの世界でも同じことだ。しかし、実力の伴わない者がそれを行ったところで待っているのは死である…但し、それは人間の世界でいうところの『社会的な死』ではない。
「この食い逃げ野郎!!アタイの店で食い逃げたぁ良いクソ度胸だねぇ!なぁオイ!?ゴルァッ!!」
「ギョギョッ!?」
…『肉体的な死』である。
「死にさらせやーーーーー!!」
「ギョーーーーーー!!?」
店の店員らしき女性の声と共にライフル銃の銃口が突き出され、乾いた破裂音と共に放たれた銃弾が幽霊金魚に見事に命中し、奇妙な断末魔と共に食い逃げ馬鹿はそのまま絶命してしまったのだ。
「フーッ…フーッ…!!ハッ…こんのクソカスがァアアア~ッ!!この店で食い逃げは死を意味するんだよッ!!あの世で覚えておきやがれッ!!ペッ!!」
怒りのあまり興奮が止まないのか…息を荒げつつも気を取り直し、決闘を終えたガンマンのようにライフルの銃口から漏れ出る硝煙を一息で吹き消し、忌々しげに幽霊金魚の死体を一瞥する見た目は人間の女性に似てはいるが顔と胴体以外は緑色の肌をし、花弁で胸や下半身を覆い、両腕や両足に蔦植物を巻きつけた植物の体、そして頭には巨大な口をバックリと開けて舌や牙を覗かせている異形の花を咲かせた食人植物族の亜種・腐醜花の女性…フローラ・ブルームは右手の親指を下に突き出し、更にはその場で頭の口から液体を吐き出して幽霊金魚の死体をドロドロに溶かしてしまった。
「ム、フローラ…どうどう。」
「馬じゃねぇよッ!このデクノボウ!!見てたなら取っ捕まえて殺しとけよ!?このグズッ!!」
宥めるラガミであったが逆効果らしく、むしろフローラの怒りの矛先が彼に向けられてしまい、銃身で頭を思いきり殴りつけられてしまうが独眼魔人族特有のメタリックボディのためか体が少し揺れた程度でビクともしなかった。
「おいおい、やべぇぞ、バンホー…フローラの姐さん、思いの外…いつも以上にブチギレてやがる…。」
「マ、マズイ時に来てしまったか…って、ヒィッ!?」
「あぁん!?」
バンホーやギャスクはリクスと会う前から度々メギドの町のこのレストランで食事を取ってる常連でもあるため、ラガミ同様フローラの恐ろしさと血の気の荒らさはまではよく知っていたが今日の虫の居所の悪さまでは想定外らしい、そして運悪く、ここでフローラから二人の存在が気づかれてしまった。
「バンホーにギャスク!!テメェらも居たのか!?またあの時みたいに店の中で殴り合いの喧嘩をやらかすつもりかッ!?あぁ!?ドゴンガとヴァイトを出せ!!全員まとめてシメてやるァアアアッ!!」
「ひぃいいいいっ!?じょ、冗談じゃねぇッスよ!!オレら、姐さんにどんだけ痛めつけられたと思ってるんスか!?」
「あわわわ…そ、それにあの二人はもう居ねぇよ!!代わりにオレ達がグループの新しいリーダーだし、古象人と化石魚はもう和解したァアアアアアア!!」
「はぁーーー!?顔を合わせりゃ毎回毎回くだらねぇ小競り合いしていたテメェらが和解だぁーーーーー!?嘘つけ!この痰カス共がァアアアッ!!」
「「ヒッ…!?ヒェエエエエエ!!」」
フローラはつい最近になってバンホーとギャスク…古象人と化石魚の二大種族が和解したなどと二人の口から言われたものの頭に血が上ってるせいもあるが、『ある事件』が原因でハナから信じてなどいなかった。
その昔、まだ縄張り争いの小競り合いをしていた頃…フローラの店で食事をしようとしたものの偶然にも鉢合わせになってしまった彼らの元リーダーであるドゴンガとヴァイトの些細な口喧嘩がキッカケで殴り合いの大喧嘩、否、本気の殺し合いにまで発展してしまい、フローラがブチギレ全開の実力行使、それも一人で止めに入って全員を叩きのめしたので死人こそ出なかったものの、グループのバンホーをはじめとした古象人とギャスクをはじめとした化石魚達は勿論のこと、巻き込まれただけの無関係な客まで重傷を負うという大惨事が起きたのだ。彼女が二人に良い顔せず、また、言うことを信用出来ないのはこの事が主な原因であった。
「あぁああああ!!もう!!
さっきの食い逃げ雑魚助野郎もそうだがテメェらの顔見てたらやる気完全に削がれたわ!もう店閉めてやる!!」
「ちょっ…!?まっ、待ってくれ!フローラの姐さん!!」
「この際、俺達野郎共には飯出さなくていいからせめてあの人だけでも食わせてやってくれねぇかな!!頼む!この通りだ!!」
「俺とバンホー、それにラガミの旦那の分は本当にいらねぇから!!なっ!なぁっ!?」
「ムム、おい…お前ら…勝手に俺を、含めるな…」
怒り狂ったフローラはあまりの不機嫌ぶりに遂にラガミと同じく唐突に開店時間にも関わらず閉店にしようとした…このままではリクスが二回も続けて門前払いされるというヴァジュルトリア家14代目当主にあるまじき恥をかき、何よりフローラのレストランのメニューにありつけないことになると食べるのが好きな彼女にそれはあまりにも酷な事になってしまう。なにより、最悪ラガミに断られた時の怒りが再燃して自分達が石にされかねない…即座にそう悟ったギャスクとバンホーはその場で土下座をし、なんとかフローラに考え直してもらおうと試みた。尚、二人から何気に食事無しの対象に自分も勝手に入れられたためラガミは不服そうに巨大な独眼を細めて地面に額を擦りつけているギャスクとバンホーをジロリと睨んでいた。
「ただでさえテメェらだけでもムカつくってのにツレまでいんのかよ!ダメだ!ダメダメッ!!ダメに決まってんだ、ろ…?」
当然ながら聞く耳持たず…と、ここで土下座している馬鹿者二人の後ろのあるものを目にして、フローラは思わず店内に戻ろうとした足を止めた。
「ええい、コイツめ…フラフラと飛びおってからに…」
「リクス様、あともう少し…今、です…!」
「よし…ハアッ!!」
バンホーとギャスク、フローラの三人の話し合いが長過ぎたために聞き飽きて暇にでもなったのか?リクスはパタパタと足音を立てて忙しなく駆け回りながら町中を飛んでいた髑髏の模様が入ったやたら馬鹿デカい羽を持つ蝶型の蟲妖・黒揚羽をカイナの応援を受けながら追いかけ回し、無事に捕獲を成功させていた。
「うま、うま…まさかこんな奴が居たとはな…はぐっ…しかも結構イけるぞ。」
リクスはすかさず黒揚羽の羽をむしり、なんの迷いもなく口に運んでムシャムシャと頬張り始めたのだ。黒揚羽はその独特の粉っぽい触感に食べた後のピリピリと多少の痺れが舌を刺激し、食欲を増進させる効果があるため前菜代わりに捕食している者も多い。
「この町には時折…外から飛んで来る魔獣や蟲妖…運が、良いときには、海からやって来る魚妖なんかも、たまに飛んできますよ…?」
「魚妖か、そういうのもあるのか…アイツらの話がまだ続いてるなら探しに行かないか?」
最早、完全に蚊帳の外になってきたと自覚したのか…カイナとリクスが魔族の少女らしい女子トークで盛り上がっていた。
「あら、あらあらあら…?ちょっ、ちょっとアンタ達!たまに店に来てるカイナちゃんはともかく、あっちの女の子は…!?」
二人の少女の微笑ましいやり取りを見るや否や、さっきまで憤怒の形相はどこへやら…慌てながらフローラは頬を緩ませ、まるで可愛い小動物でも見かけて激しく食いつくようなリアクションを取りつつ、店の客としてよく見かけるカイナの側に居た初めて見るリクスについて未だに地べたに跪く惨めな野郎二人に質問を投げつけた。
「んん?姐さん…???」
「あぁ、あの人は今の俺達の雇い主のリクス御嬢様だよ。」
「や、雇い…あの娘が!?テメェらぁあああ!!あんな素敵な女の子が一緒にいるんならもっと早く言えェエエエエエ!!」
「ぶべら!?」
「なんでー!!?」
ギャスクとバンホーの説明を聞いた途端、フローラは何故か顔を赤らめながら興奮気味に二人を意味もなくライフルの銃身でシバいた。彼女は男にはその日の気分にもよるが基本的には罵声を浴びせたり暴力を振るったりとやたら対応が厳しいものの、逆に女性に関しては優しいを通り越して激甘対応という女尊男卑の精神の塊だった。ぶっちゃけると可愛い女の子とかを愛でるのが大好きなそういう人種の女傑である。
「ハッ!?」
「…」
「ギブッ!!ギブ!!ギブアップ!!ぐえ!?」
「た、助けてぇえええ…かはっ!!」
ここで初めてフローラとリクス、お互いに視線が合った。フローラは胸ぐら掴んで持ち上げていたギャスクとバンホーを無造作に投げ捨て、彼女をジーッと見つめるリクスに近寄った。
「オホホホ…ごめんなさい、見苦しいところ見せちゃって!リクスちゃん…だっけ?私はフローラ、この店の店長よ!」
「うむ…私はリクス・L・ヴァジュルトリア、鍛冶職人に食事を一緒にと誘われ、此処にやって来た所存だ…是非とも料理を食べさせてもらいたい…。」
「勿っ論よ!!リクスちゃん!貴女とカイナちゃんなら…!!」
先程の野郎共に対しての荒々しい汚い言葉使いとは対照的にあからさま過ぎる女口調でいけしゃあしゃあと愛想良くリクスに挨拶を交わすフローラは自分の店で食事したいと聞いて大喜びし、『こちらこそ是非ともウェルカム!』と言わんばかりに彼女とカイナを店に招待しようとした…。
「…ところだったが、そうもいかないようだ…。」
「…タダでなんでも御馳走してあげっ…えっ?」
…が、駄目っ…!どういうわけか、表情こそそんなに変わらないものの少々浮かない顔をしたリクスはフローラの熱烈な歓迎を断ってしまったのだ。これには流石のフローラも静かにショックを受けた。
「な、何故!?どうして!?」
「聞けばフローラ、といったか…貴女の店でウチの者達が迷惑をかけたらしいな。」
「ぐぅうっ!?た、確かにアイツらは私の店で相当やらかしていたけど…」
「そればかりかバンホーとギャスク達は貴女一人に負けたそうだな…」
「んぐっ!?んん…!ゲフンゲフンッ!!ま、まぁ…ちょーっと、やり過ぎちゃったかなー?あは、あははは…」
「この魔界は弱肉強食、勝者は敗者の弁など聞く必要は無いし、負ければ勝者に何をされようが文句は言えないのが絶対の掟…ウチのスタッフが敗者ならばその雇用主である私も敗者、勝者の貴女がダメと言うならば、口惜しいことだがそれに従おう…」
「お、御嬢様ァアアアアアア!!」
「御嬢ォオオオオ!!」
普段から感情の起伏を感じさせないリクスの表情が徐々に暗くなってくる…話を聞いてないようで実は聞いていたらしく、昔の事とはいえバンホーとギャスクがフローラ一人に大敗したという大失態を指し、部下の責任は自分の責任か…間接的に彼らの現在の雇い主であるリクスもフローラに敗北したということで彼女は魔界に於ける弱肉強食を掲げた血の掟に従い、入店お断りなフローラの言い分を素直に受け入れて食事を諦めようとしていた…その言葉を聞き、バンホーとギャスクもまた責任を感じ、思わず号泣してしまった。
「うぁああああ!!御嬢ォオオオオ!リクス御嬢ォオオオオ!!何もアンタが俺達みてぇなクズなんかのために責任を取らなくてもォオオオオ!!」
「本当に…本当に!!すみませんッ!!俺達がフローラの店でバカな事をしたばかりに!!ふぐぅうううう…!!」
「…気にするな、仕方ないことだ…お前達を打ち負かしたフローラが頑なに拒む以上、負け犬である私達が何を吠えようと彼女には何一つ響かん…諦めて他を当たろう…」
「ううっ…リクス様…お腹の音が、鳴ってます…!食事は貴女の、数少ない楽しみだって、言ってたじゃないですか…!!」
(何、これ?何、これ!?これ、明らかにアタイの方が悪い奴みたいな流れだよね?完全に意地悪女扱いだよね!?このままじゃアタイ、タダの根性ヒン曲がった理不尽な暴君女じゃねぇかぁあああああ!!)
昔の愚行で己の主人に負う必要の無い責任を負わせてしまったことに慟哭するギャスクとバンホー…負け犬二人を間接的負け犬であるリクスは一切責めたりせず、見切りをつけて他を当たるつもりでいた…負け犬仲間のカイナから空腹を堪えての無理を指摘されながら…。一方、本来ならば勝利者たるフローラはむしろ自分の方が負けてるかのような気分に陥り、心中で思いっきり狼狽していた。どうやらリクス達から聞く耳持たず来る者全てを理不尽極まる難癖つけては拒絶する様な…そういう横暴な暴君女帝扱いされているのではと、内心かなり焦燥しきっていた。
負け犬共が諦めかけていた時、一陣の風と共に『ソレ』はやって来た。
「むぐぅ?なんだ?『求む!無謀、且つ、愚かなる剣闘士を!』…なんのことだ?これは???」
突如、自分の顔に風で飛ばされてきたと思わしき一枚のチラシが張り付いたため、リクスはそれを顔から剥がして書かれていた文章を読み上げた。
「ム、それはこの町の名物…賭博場の名物…闘技場の、参加者…剣闘士の募集のビラ、だな…」
「闘技場に、剣闘士?」
メギドの町の名物とされている魔界の辺境の町としては珍しい巨大な賭博場『ソドム』の主催者が経営、尚且つ、そちらとは別にギャンブルの会場用に設立したもう一つの施設…それが闘技場『ゴモラ』、此処では剣闘士と呼ばれる参加者達の命を賭けた鮮血と狂乱の戦いが行われ、その合法的な殺し合いに客は金を賭けて楽しむという魔界ならではの悪趣味極まりない娯楽…人間世界で言うならば巨大な金が動く殺人OKの地下格闘技の様なものである。
「ム、ム…ちなみに、フローラは…闘技場の元・花形選手…」
「なに?」
「げぇっ!?ま、マジかよ!?ラガミのダンナァッ!!オレら、そんな話は初耳なんだけど!?」
「どうりでアホみたいに強いと思ったら、なんとまぁ…」
「フローラさん、すごい…です。」
「バッ…!?て、テメェ!!ラガミィイイイイイ!!リクスちゃん達に何デタラメ吹き込んでいやがるゥウウウウ!!?」
「ム…デタラメではない、事実だが…?」
ラガミはなんと…フローラがこの闘技場の元・花形選手というとんでもない経歴の持ち主であることをリクス達にカミングアウトしたのだ。いきなり自分の黒歴史を暴露されたことに対してフローラは再び怒りを爆発させてしまった。
「ムム、ム…しかし、チャンピオンの座まであと一歩及ばず…連戦に次ぐ連戦、怪我の蓄積が原因で身体を壊し、引退せざるを得なくなった…」
「ハッ…!ンな、カビ生えた様な昔話、今更してんじゃねーよ、デカブツ…」
ラガミ曰く、剣闘士時代のフローラは相当無茶で無謀な戦いの日々を過ごしていたらしく、それの無理が祟ってか、引退を余儀なくされるほどに身体を故障してしまい、現在に至る…。
「…つまり、フローラ…貴女が出来なかったことをもし、私が出来れば認めてくれるんだな?私が貴女の店で食事するに値する勝者となれば…。」
「へ?あ、あのー?」
「…リクス御嬢様?」
「アンタ…まさか!?」
「そんな…無茶です!!」
フローラの過去の話を聞いたリクスは一切表情を変えず…。
「闘技場のチャンピオンに、私はなる…!!」
…それでいて、自信たっぷりに言い放ったのである。
「どうしてこうなったァアアアアアアアアアアアァーーーーーーッ!!?」
そんなことなど一切求めていないフローラはリクスの明後日の方向へと盛大にズレまくってるまさか過ぎる結論に対して驚愕のあまり、今日一番の絶叫を町中に響かせた…。




