7. 一日の終わり
辺りもすっかり暗くなり、店の前にも設置された幾つものテーブルからは、五月蝿いくらいの笑い声が響いている。
日が暮れたことで開店した店内は人で溢れ、店の前には臨時でテーブルが置かれて、路上なんてお構いなしにどんちゃん騒ぎ。
今日のドラゴンはヤバかった、俺が追い返した、いいや俺だ。俺に恐れをなしたんだ。そんな喧しい喧噪が辺りに響いている。
来た人皆に名前が知られているのには少し驚いたけど、スマホを使えば広まるのは仕方ないか。
厨房の方は、三人のドロップアウト組と紹介された女性達と啓司が担当しているけど、ホールって言うか、外まで含めての給仕は俺一人。
浮けるし、浮かせられるだろって事で任されたけど、適当にぶん投げてもお礼を言ってくれる皆が優しくて、とても助かってる。細かいことは一切気にしない。
「ヤータちゃん! ビール追加!」
「はいよ! もう瓶ごと飲んでろよ」
「えー、どうせ咥えるならヤータちゃんのちくぐぼぁ!?」
気持ち悪いことを言う口には栓をしないと。酒の入った瓶を操り口へ突っ込むと、辺りから歓声がわく。
しかしまぁ、どんな事でも盛り上がる酔っ払い達には、少し羨ましい気持ちが湧いてくるな。酔わないと楽しさ半減って、こう言うことか。
「おいヤータ! 飯食っとけ!」
少し切ない思いに駆られていると、厨房から丼を持って現れた女の啓司に声を掛けられた。
そうか、俺まだ此処に来てから飯食ってなかったっけ。そう思い始めたが最後、猛烈に腹が減ってきた。
此処に来たのは成人式が終わった後、昼も食べてない時だった訳だけど、此処の時間ってどうなっているんだろうか?
「おい、どけ」
「えー、どうせならヤータちゃんに優しく頼まれたい」
「俺じゃ不服か?」
「外行ってきまーす!」
そんなやり取りの元、店の角の方に確保された席へ向かうと、そこに置かれた丼の中身、いい匂いのする焼き肉丼に目が奪われた。
「いっただっきまーす!」
「おう、食え食え」
席に座って思いっきり丼に口を付けてかき込もうとして、なかなか入ってこないご飯と肉に少し絶望してしまう。こんな美味そうな丼を、お上品に食わなきゃならないなんて。でも美味い。
「初飯うまー」
「お前、飯食ってなかったのか。ああ、食っていたらあの時吐いてたか」
幸せの時間に嫌なことは思い出させないで欲しいのですが? でも、そのお陰で気になっていたことを思い出せた。
「此処の時間ってどうなってるんだ?」
「基本は日本と変わらんな。季節もあるし、昼夜も変わらん」
安心するような、物足りないような。この島って異世界感があんまりないんだよな。それが十年間頑張ってきた、皆の努力なんだろうけどさ。
啓司が厨房へ戻るのを見送り、四人掛けのテーブルが十卓程ある店内を見渡してみる。
そこには屈強な男達が数多く居て、その体は傷こそないものの数多くの戦いをしてきただろう事は、体つきを見れば一目で分かる程だ。
女性にロリが多いのは見て見ぬ振り。
「幼女は人気なんですよ? 化粧をしなくて済みますもの」
何処から現れたのか、リンリルが正面の椅子に腰を下ろした。そして心を読んだのかそんな解説をしてくれたけど、それは男性目線なのか、はたまた女性目線なのか、それが問題だ。
「リンリルは何処に行ってたんだ?」
開店と共に姿を消していたリンリルの行方。正直忙しさで忘れていたけど、何か用事でもあったんだろうか?
「貴方にプレゼントを用意していたんです。はい、どうぞ」
そう言って手渡されたのは一つの腕輪。ブレスレットと言うほどお洒落な物ではなく、細い鉄の板を円くしたような無骨なデザイン。
早速着けてみると、余裕があった筈なのにぴったりと腕に密着して取れそうもない。魔法のアイテムみたいで格好いいけど、これには何の意味があるんだろう?
「出ろって念じると、椅子が出ます。ただ浮いているだけでは可愛くないでしょう? 仕舞う時も念じれば大丈夫です。発信機も付いてますけど」
外さないと、絶対外さないと! ここは死に戻る事も考えて、いっそのこと腕を切り落とすか? 無理だ、俺にそんな度胸はない。
「どんな事をしても外れませんよ? 例えて転生したとしても」
うん、諦めよう。もういっそこの状況を受け入れて、悪い方向へ行かないように努力しよう。
リンリルが見つめ続ける中、黙々と焼き肉丼を食べ進めているのはある種の防衛策の一つだな。反応しない。それが俺の唯一の武器だ。
だがしかし、無視しきれない幾つかの視線が感じ取れた。何故なら、それはリンリルによるものではなかったから。
チラリとその方向をそれぞれ見てみると、この場には珍しい、成人と思わしき女性や、河童。それに結婚男に全身タイツ。いや、全身タイツの奴は股間もっこりし過ぎだろ。
「河童まで居るんだな」
「ええ、イエティも居ますよ。今は山の方に住んでいた筈ですが」
どうせ後から転生できるんだし、どんな姿でも良いと思うけどさ。生活に不便だったりしないのだろうか?
まぁ、マイマイは見ている限り楽しそうにしているし、そんな事を一々悩むような奴は居ないのかもな。
ゆっくりながらも焼き肉丼を食べ終わり、リンリルにお茶を入れて貰い、ほっと一息ついた時。店の中まで響く、一際大きな遠吠えが聞こえてきた。
「野郎共! 狩りの時間だ!」
厨房から響く啓司の掛け声に、店内に居た人達や厨房からも人が現れ、押し合いへし合い扉を潜り外へと駆けだしていった。
「何があったんだ?」
「魔物の襲撃だ。リンリル、俺も行くからヤータを頼む」
「ええ、特別ですよ?」
簡潔に答えを教えてくれた啓司はリンリルに言葉を残すと、答えも聞かない内に店内から飛び出していった。
何が特別なんだろうって思っていたら、リンリル達ギルド職員は、転生者の身の安全には基本的に関与しないって事を教えて貰えた。
ここまでリンリルに特別扱いされるなら、この体にされて良かったかも。今後どうなるかは考えないとしてさ。
「首輪を着けちゃおうかしら?」
きっと沈黙しているのが正解だと、俺はそう信じてる。てか、首輪が好きなのか? それともペット扱いされているのか?
……やっぱりあの神様、厄介ごとを押しつけたくて俺をこんな体にしたのかもなぁ。
「何で、皆急いで出て行ったんだ?」
それでも、何時までも無言でいられるほど間を持たせる能力はない。だから、気になったことを素直に聞いてみようか。
店の中に居ても爆発音やら、地震のような地響きが聞こえる状況が少し怖くて、気を紛らわせようって魂胆もあるけど。
「ボーナスみたいな物なんですよ」
襲われるのにどこがボーナス何だ、と思ってしまうけど、それにはこの島ならではの理由があるそうだ。それはこの島の魔物は自分達の縄張りから出ないって事。
自分達の縄張りから出ないって事は、完全に地の利が魔物側にあるって事だ。そのため魔物の討伐はとても難易度の高いものらしい。
しかし、魔物の皮や骨、牙や肉。魔物の何かしらをギルドに持って行けば、多額の報酬を貰うことが出来る。
だからこそ、出ない筈の縄張りから出て街を襲い来る魔物達は、転生者達が自分の地の利で戦える唯一の時。だからボーナスと言う言い方をする訳だ。
「何で縄張りから出てくるんだ?」
「お腹が空いたからご飯が欲しい、その程度の理由ですよ」
転生者は死んでも街の広場で生き返るけど、死んだ時の死体はその場に残るらしい。無尽蔵な餌場なら、確かに魔物にとっても有り難い物なのかもな。
「怖くなりましたか?」
「怖いけど、頑張るさ」
「ふふっ、大丈夫ですよ。魔物は、広場には入らないようになってますから」
良かった。それなら、襲撃の際は広場に逃げれば良いって事か。ま、広場に辿り着く前に殺されたらショートカットだけど。
「折角の二人きりの時間です。此処に魔物が来る時まで、特別なお酒を飲みましょうか」
そう言ってリンリルが取り出した酒は、この体でも酔える特別製らしい。
どこから取り出したんだって思うけど、この人は色々おかしいから気にしない。酒は欲しければ売るって言うけど、俺が買える日は来るのだろうか?
よし、啓司の下で仕事に励もう。そうすればものを操る練習にもなるし、一石二鳥な筈だ。
二つ用意された氷の入ったグラス。それに注がれたその酒は、ウイスキーを模した物らしい。琥珀色って言うのかな、それが凄く綺麗だと思う。
「それでは、ヤータのこれからに。乾杯」
「乾杯」
グラスを持ち、それを軽く持ち上げて二人で乾杯の合図。リンリルはグラスをぶつけたりはしないみたいだ。そうして口をつけて味わう酒の味、これが本来の酒の味。
「うっ、ぐ、と、トイレ」
「もう飲まない方が良いですね」
一口で吐き気がするとは思わなかった。