SとN
辺りに漂うコーヒーの芳醇な香り。そんな香りに包まれながら、香りを漂わせる元凶であるコーヒーを口に含む。
「苦い」
「お子様ですね」
苦いと言っただけでお子様と言うのは、些か酷いと思うぞ? これは嗜好の違いであって、ただ好みではないだけだ。飲めなくは、ない。ないったらないぞ?
「言い訳は結構です。はい、ミルクと砂糖」
決して言い訳をしたわけではないけど、甘さを足すのは悪くない。それは有り難く頂いておこう。
生前は飲むことのなかったブラックコーヒーだけど、まさかこんな味だとは思わなかったな。
確かに苦いだけものではなく、コク、と言うのかな? なかなか深い味わいがあると思う。
それが受け入れられないという事は、俺の人生はそこまで深い物にならない可能性も高いかもな。
うん、一年後にまた挑戦してみよう。
「ビールも飲めるようになると良いですね」
どうせ酔わないし、それはなくて良いと思う。だがしかし、人生の苦味を感じれば飲めるようになるという可能性もあるのか?
飲み物からの人生哲学。眼鏡を掛けてそれっぽく話せば、頭良さそうに見えるのではないだろうか。
「似合いそうな物を用意しておきますね」
色は黒が良いです。
「まるで以心伝心ね。羨ましいわ」
ちっ。遂に話しかけてきやがった。
ギルドの前にあるカフェのテーブルにて、俺の目の前に座るこの女性の事はまだ憶えている。
歓迎会的なやつの時、リンリルから教えてもらったドエスな奴だ。
はぁ、嫌な予感はしていたんだよな。金の事には厳しいリンリルが急にコーヒーを奢るなんて、今考えればおかしすぎる。
そんな簡単に奢ってくれるような奴なら、給料の前借りくらいしてくれそうだしな。
「謀ったな」
「面白そうですもの」
俺は面白くも何ともないけどな!
とは言え、目の前に座るドエスな女性は美人でもある。ちょっとドキドキしてしまうのは仕方のない事だけど、けしてエムと言う訳ではない。
そこはくれぐれも勘違いしないように。
「ふふっ、分かってます」
「ホント、羨ましいわね。先ずは自己紹介でもしましょうか。私はクイーン、よろしく」
名前がストレート過ぎるよ。てか、待って、自己紹介しながらなんで鞭なんて取り出してんだよ。しかもそれ、競馬とかで使うやつじゃないか?
「この鞭で打つと私に惚れます」
「何物騒なもんだしてんだよ!?」
これ逃げないとダメやつだろ!
お願いだから逃げさせてくださいリンリルさん。がっちり腕をつかまないでくださいお願いしますからさ!
「そう言う異常は効かない体ですよ?」
なんだ、それなら安心。……出来るか! 惚れなくても痛いだろ!
「もしかして、痛いのはお嫌いかしら? でも安心して、私の魔法で痛みは快楽へと変わるから」
それなら安心……、出来るか! だって、異常が無効ならその魔法も無効しちまうだろ!
くそぅ、どうせなら痛みに強い体にしとけってんだ。なんで、わざわざ痛みだけはちゃんと感じるんだよ。
「あの子、ファニーボーンが好きなんですよ」
ド変態じゃねぇか。
「あのねぇ、そろそろ口に出して喋ってくれないかしら? 表情で突っ込んでいるのは分かるのだけれど。……私、放置プレーは嫌いよ」
「いや、すまんかった。正直、癖になっててさ」
普段から口に出さなくても分かってくれるって、かなり楽なんだよな。そんな人がずっと居れば、俺はゴロゴロしているだけで、も……。
待て待て! これじゃあ、あの神様と何にも変わんねぇじゃんか! ま、まさかリンリルはこれを見越して……。
ちらりと見たリンリルの顔は、とても素敵な笑顔でした。
はぁ、俺はまんまと嵌められていた訳か。
「ハメてもみたいです」
「黙らっしゃい」
これからの課題はいかに独り立ちするか、なんだけど……。
そろそろ、クイーンの相手をしないとマズい気がする。
眉間にしわを寄せてムスッとしているし、何よりパシンパシンと手に鞭を当てて音を鳴らす仕草が異様に怖い。
「とりあえず言っておくが、俺は断じてエムなんかではないぞ? いたって普通の性的嗜好だ」
「エムはなるものじゃない、つくるものよ」
ドヤ顔で物騒なことを言わないで欲しい。
「それなら同意が必要だろ?」
「そうね。でも安心なさい、後で皆お礼の言葉を言い出すもの」
事後承諾は駄目だと思う。てか、鞭で叩くと惚れるんだろ? ほぼ強制じゃん。
でも、そうだな。正直その人達の気持ちも分からないわけでもない。エムではないけどな。
だって、この人すっげー美人だし。
かつての俺なら、ホイホイ着いていったんじゃないかな? そう、かつての俺ならさ。
男のシンボルがない体で、何に興奮しろと言うのか。二十歳の男にゃとても辛い。こちとら遊び盛りだっつーの。
「何度でも言いますが、薬で生やせますよ?」
「何度でも言うけど、それは駄目」
俺は病気以外で薬を使わないと、そう堅く決めているからな。あと、どんな物を生やされるのかが不安すぎる。
それに薬に頼るとかなんか情けないしさ。机の引き出しからそんな薬が出てきたらさ、ぷーくすくすなんて笑われるぞ?
「可愛いと思います」
「俺は変態だと思うけどな」
この価値観にだけは、絶対に染まらないようにしよう。
「なる程ね、なんとなく事情は分かったわ。とりあえず、あなたがノーマルだと言うことは認めてあげる」
それは有り難い。出来ればもうお会いしたくないけどな。でも、そんな直ぐに引き下がるような性格には思えない。
何か、裏でもあるのか?
「でもその方が都合は良いのよね。だって、普通、つまりノーマルとエスは、NとSは引き合う物だから」
人に磁力はないっての。
てかこれってさ、俺がどう言ったって詰んでたんじゃない? エムだと言えば当然喜ぶだろうし、ノーマルだと言ってこの反応じゃあ、打つ手なしだろうよ。
試しに、俺はエスだと言ってみるか?
いや、駄目だな。どうせ、屈服させるのが楽しいとかって言い出すのが落ちだ。
「それじゃあ、私はもう行くわ。ヤータちゃん、食事には気をつけることね」
そう物騒な事を言って席を立ち、この場から立ち去るクイーンを見ながらふと考える。
果たして薬を盛るのはどちらだろうか。俺に安らぎの日々は訪れるのだろうか。
「安心してください。食事は全て私が用意して差し上げます」
それが怖いんだって。




