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memory  作者: 浜花采沙
プロローグ
4/5


 アベルの言葉に、エヴァはカミーユと呼ばれた朱が綺麗な髪の毛をもつ女が駆け寄ってきたことに気付く。



「カミーユ、悪いがこいつの記憶覗いてくれねぇか」


「ん? わかったよーん」



 座る主をなくした椅子を引き寄せ、カミーユはドカッと豪快に座る。向かい合わせであり、距離は膝頭がくっつくくらいに近い。



「私、カミーユ=アジャーニっていうの。薬室勤務でね、属性が特殊というかー能力が特殊というかーそのヒトの記憶を覗けるんだぁ。痛いことはしないようにするけど、覗かれてるとき変な感覚がするみたいでね、具合が悪くなったら我慢しないで伝えてね、オッケーかな?」



 白衣を纏う彼女は、ブラウンの瞳でまっすぐにエヴァの瞳を見つめる。明るい彼女の説明に、エヴァは悩むように視線をずらす。



「何が不安なのか、聞いてもいいかな」



 カミーユは、それでもエヴァから視線は逸らさなかった。



「……ここで、するんですか」


「あっ、そうだね、失念してた。こんなロビーにいたら見世物みたいだよね。うんうん、移動しよう! いいでしょ、マスター」


「当たり前だ。ルカ、背負ってやれ」



 当然のようにかけられた言葉に、エヴァは酷く慌てた。



「そんな、歩けますよ」


「駄目です、エヴァさん。ここもヒトが多いですから、また足を踏まれるかもしれません。黙って背負われてください」



 グイッと右腕を引かれ、背中に体を預ける形になったエヴァは、その強引さに少し驚きながらも仕方なく背負いやすいように態勢を整える。すぐに体は浮き、ルカはアベルとカミーユのあとを追った。


 すぐ傍にある耳に、エヴァは囁く。



「大事な仲間に、言いすぎました。ごめんなさい……」



 ルカはその囁きに、同じように声を潜めて返す。



「悪いのはレアですから、気にしないでください。自分が分からなくて不安なときにあそこまで言われてしまったら、誰だって怒りますよ」



 「それに」とルカは言葉を切る。ちらっと、一瞬だったがエヴァの顔を見上げた。綺麗な緑色をした瞳が、また二人の後姿を捉える。



「エヴァさんの左腕は、醜いわけでも気持ち悪いわけでもありません。そう自分を卑下しないでください」



 その声は、出会った当初から変わらず、とても優しく穏やかだ。エヴァは鼻の奥がつんと痛くなり、思わずルカの髪に顔を埋めた。


 ルカの髪から、ふわりと花の香りがする。



「ルカさん、花の香りがしますね」


「あ、あぁ……寄り道がてらお昼寝しましたからね。あそこの湖の花は香りが華やかですから、移ってしまったんでしょう」


「……それって、水に浸かっても落ちないものなんですか」


「え、どうでしょうか。そういうのは疎くて……」



 首をかしげるルカに、ふっと笑みが浮かぶ。ルカとの会話は穏やかな気持ちにさせてくれる。それが、今は何よりホッとするものだった。


 彼の歩く振動でゆらゆらと足を揺らし、ぼうっとする。瞼を伏せると、その背中の温もりに意識が集中する。なんだろう、少し眠たい。体が思った以上に疲れているのだろうか。


 うとうとするエヴァに気付いてか、ルカは落ちないように少しだけ状態を前傾させる。



「……はる……」



 こぼれたつぶやきは、誰かの名だった。ルカは少しだけ瞠目し、たまたま聞こえたのかカミーユがこちらを見ていることに気付き立ち止まってしまう。


 カミーユは唇に人差し指を当て、静かにするように言う。ルカはその通りに黙り、背中に乗るエヴァに意識を向ける。どうやら完全に眠りに落ちてしまったようだ。


 彼女が震える。



「ごめ……なさ……ごめ……」



 閉じられた瞳から、こぼれた涙。震える彼女から囁かれるのは、顔も知らないモノへの懺悔。カミーユと顔を合わせる。思った以上に彼女は重い何かを背負っているのではないかという疑念は深まる。



「ルカ、カミーユ」



 アベルの声に、二人はそちらを向く。一つの部屋の入り口を開け、アベルは無言で入るように促した。二人は顔を見合わせ、カミーユはすぐにルカの背後に回りエヴァを落ちないように支える。


 ゆっくりとエヴァが起きないように気を付けながら部屋に入り、中に用意されていたベッドに下ろす。下ろされた彼女は足を引き寄せ、丸まってしまった。まるで、母体にいる胎児のような態勢だとルカは思った。


 彼女は変わらず震えている。涙をこぼしている。



「私、少しだけ診てみるね」



 カミーユの申し出に、ルカは手近にある椅子を引き寄せ座りながらエヴァの手を握りうなずく。


 彼女は一体何に怖がっているのだろうか、小さな手をギュッと握ってみせると、エヴァは無意識だろうが握り返した。


 窓の外から、扉の外からヒトのざわめきが聞こえる。今頃レオはレアを捕まえることができただろうか、自分とエヴァの噂も広まっている頃だろうか、なんて取り留めもなく考える。ここは静かだ。眠るエヴァのためにも、そして力を使うカミーユのためにも、アベルの計らいでここは音を極力まで防がれている。


 カミーユはエヴァの額と自分の額を合わせ、覗いてみる。多分、寝ている今覗けるのは夢かもしれない。少しの浮遊感を味わいつつ、彼女は潜る。


 そこからは、ゾッとした。映像はまだ見えないのに、あふれる感情に体が否応なしに緊張する。



「(凄い……これ、何かな。とっても心が冷える……)」



 流れ込むモノは、今眠っている彼女を支配する感情だ。とても冷たいものだが、その中に強い気持ちを感じ取る。


 すると、映像が流れた。視界はぼやけているため、それで彼女が泣いていることが分かる。声は聞こえない。これはよくあることだ。


 彼女のいる場所がほんの少しだけ見える。灰色の床、白いテーブル、手に持っているものは黒い長方形のモノ。それが反射して顔が映っている。ボロボロと涙をこぼしているエヴァだ。眉間にしわを作り、苦しそうに、辛そうに、見ているこちらまで泣きたくなるような顔をしている。



「(なんで、泣いているの……?)」



 ふっと舞い込んできた声に、そして押しやられる感覚にカミーユは思わず額を離した。


 汗が噴き出る。目の前のエヴァと目が合う。


 エヴァの目は、見開かれていた。恐怖と疑問の色を宿して、その目はこちらを凝視している。



「エヴァ」


「……何、今の……どうして」



 エヴァは震えている。夢を見た。思い出すことが怖くなる、そんな夢を見た。見知らぬ誰かがいた。その誰かと話をした。その誰かの声が、カミーユを押しやりエヴァを起こした。


 思い出すと、汗は止まらない。触れてはいけないナニかがいたのだ。そんな気がして、二人の体が勝手に震える。



「エヴァ、あなた――」



 ――まだ、そのときじゃないよ。


 その声が囁く。楽しげに、悪戯に、その声は笑っていた。



「二人とも、どうした」


「大丈夫ですか、エヴァさん。カミーユも」



 カミーユはその言葉にハッと我に返る。視線を震えているエヴァから心配そうにこちらを見つめるルカ、アベルへと移す。

息を吐く。それだけで、少しだけ気持ちが落ち着いた。



「マスター、ルカ、もしかしたらこの子、とんでもない爆弾を抱えているかもしれない。記憶覗きは控えることをお勧めしちゃうかな、私はね」



 たった一度だけの記憶覗きで、この反応だ。顔面蒼白で震えは落ち着かない。それだけ記憶を取り戻すことに全身で拒否しているのだ。これ以上は彼女の中の何かが壊れてしまうかもしれない。そんな懸念がされてしまう。


 カミーユの進言に、アベルとルカは顔を見合わせて一つうなずく。カミーユの判断、そしてエヴァの様相に二人は痛感してしまった。ちょっとの刺激で揺らぎ、彼女は震える。彼女は〝彼女〟を拒絶する。



「エヴァさん、大丈夫ですよ」



 歯の根が合わない彼女の耳元で、安心するように努めて声を穏やかにさせてルカは囁く。彼女の手を握る手に力を入れると、よけいにわかる。指先が冷たくなっている彼女の体温の低さ。



「大丈夫ですよ、もう大丈夫ですから」


「あっ……あ……っ」


「もう、怖くないですよ」



 エヴァのブラウンの瞳がこちらを捉える。ようやく夢から覚めてきたのかもしれない。ルカは微笑む。少しでもエヴァが安心できるように。


 エヴァはようやくルカを見た。



「ルカ、さん」


「はい」


「わたし、わたし……こわいです」


「はい」


「思い出すのが、とても恐いです」


「はい」


「私、どうしてこんなに傷だらけなんでしょうか。なんでこんなに後悔しているんでしょうか。何もわからないのが、それでも思い出すのが、恐いです」



 エヴァは泣く。ボロボロと大粒の涙をこぼして、ルカの手を握り締めて、彼女は不安を吐露する。



「私、こんなことになるなら……」


「エヴァさん、もう大丈夫です。焦らないで、恐がらないで。今は考えないようにしましょう」


「……今は」


「そうです、今は考えなくていいんです。無理しなくていいんです」



 ルカの言葉に、エヴァはうなずく。震えは、徐々に治まっていった。


 二人の様子を、アベルとカミーユは黙って見守る。今はルカの言葉しか届かないエヴァを落ち着かせるのはルカしかいないと思ったから。


 エヴァは笑わない。瞼をおろし、息を吸って吐いてを繰り返して落ち着かせている。



「……ルカさん、ありがとうございます」



 エヴァはそう言う。ルカは微笑む。それだけだが、それでも心を穏やかにさせるには十分だった。


 その光景に、カミーユは声を掛けることを躊躇う。記憶を失くした今、エヴァにとって頼りになる者はルカだけだろうから。まるで幼子が母に縋っているようにも見れる。しかし、湖で溺れていたところを助け、そしてここへ導き、尚世話を焼いているルカの姿は、普段の彼を知っている彼女からすれば絶句するものでもあり、さらに声を掛けさせることを躊躇わされる。


 その中でも、アベルは冷静にエヴァを見ていた。思案に暮れるその瞳は、ルカに縋るエヴァを決して離さない。赤茶の髪、けれど染色されたようなそんな人工的な色味を感じるそれ。ルカよりは短いが、それでも十分な長さがある髪はあまり癖も見られないストレートだ。



「……クダンのそれとは、違うのか……」


「マスター?」


「いや、少々気になることが山積みでな。だが、いつまでもそうしてはいられない。ルカ、それとエヴァ、これからについて話していこうか」



 スパッと切り込むアベルに、カミーユは「空気を読んで、敢えてそうしたんだよね……?」と苦笑交じりにぼやく。当の本人であるアベルは、そのぼやきが耳に届いていたのだろう。カミーユに向かってまるで当たり前だろうと語るようにうなずいて見せた。


 エヴァのブラウンの瞳と彼らは視線が合う。少し潤んだその瞳は、やはりか不安げに揺れている。



「エヴァ、キミはこれからこのギルドに登録して、記憶が戻るまでの身分証を作ろう。名前はエヴァ……後見人として俺を立てるから、姓はアライスを名乗ってくれ。それとキミの年齢はわからないから、見た目のもので記載しておく」


「エヴァ=アライス、ですか」


「そうだ。ルカでもいいかと思ったが、歳が近そうだしこいつの所属先が所属先だから俺にしておく。俺にしたほうが何かと楽だしな」


「……ルカさんは、何歳なんですか」


「18ですよ。成人したばかりです」


「……そうなんですか」


「そうなんです」



 見えないな、と思ったことは隠しておいたほうがいいだろうか。そうだとしても、ルカは腰以上に伸びた金の髪を一つにくくっていて、緑色の瞳もパッチリとしている。一目見ただけでは、若い女に間違えてしまうだろう。ただ、細身に見える体にはほどよく筋肉がついていて、冒険者としては十分なのだろう。



「言っておきますが、エヴァさんも成人しているようには見えませんからね」


「え、私そんなに若く見えるんですか」



 爽やかに微笑むルカの言葉に、エヴァはもう一度湖面に映った自分のだろう顔を思い出してみる。けれど、色の無いそれに何処まで本当なのか疑ってしまう。


 考えていても仕方ない。今はそのことは頭の片隅に追いやろう。エヴァはアベルに視線を戻す。



「ただ、問題があってな」


「問題ですか」



 エヴァの言葉にアベルは顎を触りながら「ああ。所属先を何処にするかが問題なんだよ」と返してきた。思案に暮れるその顔に、ルカもカミーユも納得したように顔を見合わせていた。エヴァは一人だけ首をかしげる。



「所属先、ですか」


「うん、私は薬室勤務でこのギルドに常駐なんだ。ルカは各地を冒険していて、その近郊で起きた事件とかそういうのに携わる調査隊に所属しているの」


「普段は冒険家と称させていただいてます」


「それでね、このギルドには他にも部署があるの。結構血生臭い部署もあるし、エヴァちゃんの適性もわからないからね。マスターも選びかねてるんだ」



 カミーユの説明にエヴァはやっとアベルの言う問題が理解できた。エヴァ自身の適性がわからなければ、何処の部署に所属させるか悩んでしまう。身分証のための所属なのだから、適当にやってしまえばいいのだろうが、そういうわけにもいかないのだろう。



「手っ取り早く、エヴァになんの属性があるのか測定するか」


「そうだね、記憶喪失ならわからないし。いろいろと測定済ませちゃお」


「そうですね。エヴァさん、行きましょうか。これが終わったら食事にしましょう」


「……はい」



 エヴァはルカに手を引かれる。アベルが先導で、この寝かせられていた部屋から出て行く。


 部屋から出た矢先、カミーユが薬室に戻ると申し出た。カミーユはマスターであるアベルや冒険家のルカと違ってギルド内の薬室に常駐している身だ。ここに顔を出している以上、今日も仕事があったのだろう。



「マスターがエヴァちゃんの測定に行くなら、中々戻って来れなくなるからね。薬室に戻ってマスターの代わりに指示出さなきゃ。怪我人は耐えないから、ココ」


「あー、そうだな。頼むわ、カミーユ」


「はぁーい。ついて行きたかったけど、仕方ないからねー」


「そうなんですか。えっと、お仕事頑張ってくださいね」



 エヴァの言葉に、カミーユはニコッと笑う。それから手を振って、奥へと消えていった。



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