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スヴェニアの戦士

作者: 七橋かける

 真冬の海風は寒冷地の民であるスヴェニア人にも厳しかった。

 目深に毛皮のフードを被ったその男が王都に辿り着いたのはつい先頃のことだ。

 海に面した王都ミュルダルは、港こそ凍らないものの険しい寒さと吹雪に覆われ、大通りにも人は疎らである。目につく人影も物乞いか、行き倒れた傭兵の成れの果ての何れかだった。

 歩いているだけで亡者のような彼らに纏わりつかれるのではないかと危惧した男は足早に宿屋に駆け込んだ。

 宿屋も通りと同じく亡者の吹き溜まりと化しているのではないか――そんな心配は杞憂に終わった。扉を開けた途端、暖炉の暖気が寒さでカチカチに固まった顔の皮膚が解け落ちるようだった。

「いらっしゃい。兄ちゃん1人かい」

 宿屋の主であろう、気のよさそうな壮年のマスターが出迎えてくれた。

「あ、あぁ……さっき着いたばかりなんだけど、もう酷いね」

 寒さで少し喉がやられたらしい。言葉がつんのめるようで上手く発音できない。

「そうかい。しばらくゆっくりしていくんだろう? こいつでも飲んでなよ」

 そういうとマスターはジョッキにエールを注いでくれた。

 ジョッキを受け取ると、まじまじと中の液体を訝し気に見ていたのを見て取ったのかマスターが聞く。

「どうした、酒はいけるんだろう」

「いや、こういう時はウイスキーを出してくれるんじゃないかと思ったんだよ」

 とぼけたような事を口走るその若者を見たマスターは大袈裟に笑い始めた。

「面白いな兄ちゃん。名前は?」

「ヨアキムだ。タリム村の戦士ヨアキムだ」

 誇らしげに唇を吊り上げ名乗る男、ヨアキムの姿に気を良くしたのかマスターはグラスにウイスキーを注いで渡した。

「ありがとう」

 一口に飲み干すと、身体に熱が蘇ってくるのを感じた。

「いいぜ兄ちゃん。それでこそスヴェニアの男だ」

「生き返った心地だよ」

「それで兄ちゃん、何だってこんな日にウチに来たんだい」

 ヨアキムはマスターの顔をちらと見て逡巡した後、話し始めた。

「人を探してるんだ。ロバンっていう、オレよりも一回りでかくて髭も髪も長い、中年の男なんだが」

「そんな男はミュルダルにはごまんといるぜ。なんだ、そいつが何かしたのか」

「オレの親父なんだ。秋の収穫が終わった後にミュルダルまで出稼ぎに行ったっきり、便りも無しに帰ってこなくてな」

「収穫が終わって出稼ぎってこたぁ、春先までこっちに居るもんじゃないのか。兄ちゃんの村じゃ冬に仕事がないってんで、はるばる都まで来たんじゃないのかい」

 マスターの言うことは、ここスヴェニアでは当たり前のことだ。大陸南部のアヴィリオンならまだしも、北部に位置する雪国のスヴェニアでは冬季になるとロクに作物も育たず、狩りに出ようにも獲物も居ない(居るとすれば穴持たずの羆くらいだ)。漁にしても過酷な船出になる。余った男手は都で手工業に従事するか傭兵になる他ない。

「実はさ、お袋がずっと病気でな。村の医者が言うには都で良い薬を買ってこないと治らないって言うんだ。それで親父が都まで買いに行ったんだけど、一向に帰ってこないんだ。そうこうしてる内にお袋の病気が悪くなって寝たきりになってな……」

「それでお袋さんをほっぽり出してコッチまで来たのかい」

「いや、弟と妹が世話してるよ」

「なるほどなぁ、そいつぁ大変だが……ミュルダルで人探しとなると、だいぶ骨の折れることだ。薬屋を当たっていくのが一番近道なんじゃないか……いやちょっと待てよ」

 マスターが言いかけてところで、ふと何かを思い出したようだ。

「そういえば、秋ごろに薬を買う金が欲しいって、傭兵の仕事を探しにきてた男が居たな。よくよく見ると兄ちゃんに顔つきは似てたような気もする」

「本当か!? そいつに仕事は紹介したのか?」

「あぁ、あの頃なら港で海賊退治の仕事を紹介してた筈だ。沿岸の詰所のヨースタイン隊長が傭兵を指揮しているから、明日の朝行ってみるといい」

 ヨアキムはマスターから殴り書きしたメモ書きのような地図を受け取り、礼を言った。

「今夜は部屋は空いてるのか?」

「あいにく部屋は全部埋まっててな。毛布なら貸してやるからそのへんの床で寝てくれ」

「恩に着るよ」

 マスターの用意してくれたボロきれのような毛布にくるまり、暖炉のそばで横になった。旅の疲れと酒が回っているせいか、目を閉じた瞬間に泥のような眠りについてしまった。



 翌朝、ヨアキムは宿屋で朝食を摂った後、ヨースタイン隊長が指揮しているという沿岸の詰所に向かった。

 真冬ではあるが、ミュルダルの港は余程の大寒波が来なければ凍り付くことはない。今日も漁師や水兵が忙しなくしていた。

 磯の香りもどこか寒々しい港の中心、灯台の下の石造りの小屋が詰所だった。宿屋のオヤジの紹介であること伝えると、すぐにヨースタイン隊長に通してもらえた。

「遠い所からご苦労なことだ、親父さんを探していると」

 ヨースタイン隊長は無造作に伸ばした髪と頬も覆うような長い髭と、典型的なスヴェニアの壮齢男性だった。しかし、鎖帷子と冬羆の革で拵えた鎧は紛れもなくスヴェニア選り抜きの戦士、ハスカールに間違いなかった。

「そうです。親父の名前はロバン。タリム村のロバンです」

「ふむ、秋の衛兵リストにロバンの名前はないな」

「そんな、リストに漏れがあるのでは」

「リストは間違いない。毎日2回点呼を取っているし、リストも週に1回更新している」

 参った。容易に父親に会えると期待していたのが甘かったようだ。

「しかし……お前の顔を見て思い出した。お前と顔つきの似た――もちろん歳は食っていたが、男が衛兵の仕事を求めて来ていたぞ。給金のことを教えてやると、少し考えると言って去っていったが……それがお前の父親かもしれん」

「本当ですか。その男は次にどこに行くか、何か言っていませんでしたか」

「そうだな、とにかく金が要るようだったな。給金の支払い時期も気にしていたしな」

「親父は母の病気を治すために、薬を手に入れるためにミュルダルまで来ていたんです」

「ほう、だとすれば相当希少な薬なのだろうな。風邪程度であればミュルダルのどこでも薬は買えるが」

「村の医者が言うには、滅多にかかる病気じゃないから薬もないみたいで」

「難病奇病となると異国の行商人の薬に頼る他ないな」

「その行商人を追うしかない、ですか」

「やめておけ。今の街道は雪崩で封鎖されている。冬の山越えが危険なのは百も承知しているだろう」

 目ぼしい手がかりは尽きたように思えた。これ以上、父親を捜してミュルダルに留まる金は持ち合わせていなかった。

 もう諦めて帰ろうかと思っていた時、ヨースタイン隊長がこれ名案とばかりに言った。

「せっかくだ、手がかりが見つかるまでここで衛兵をやらないか。見たところ、腰に下げた短剣はこけおどしでは無いだろう。給金は1日あたり80クロンで食事と寝床付きだ」

 悪くない待遇だった。ヨアキムは快諾し、港に留まることにした。



 使い古しの革鎧を着た後、詰所の中を案内され、夕食のパンを頬張っていると灯台の警鐘が鳴り響いた。

「海賊だ! 海賊がきたぞ!」

「おい新人! 飯の時間は終わりだ。出動するぞ!」

 ベテラン衛兵に促されると、ヨアキムは壁に掛けられた片手戦斧とラウンドシールドを手にして港へ出た。

 海原の向こうから2隻のガレー船が迫ってくるのが見える。その両方から、次々に弓なりに石が放たれていくのが見える。

「気をつけろよ新人。奴ら、先に投石器でこっちの気勢を削いでくるのが常套手段だ」

 ベテラン衛兵に連れられ、防壁の陰で海賊たちの放つ石の雨をやり過ごした。

 ヨアキムのすぐ傍に石が落ちてきた時はヒヤリとしたが、じきに投石攻撃は散漫になっていく。

「矢を放てー!」

 ヨースタイン隊長の怒号が遠くで聞こえる。

 防壁から顔を出してみると、海賊のガレー船がすぐそこまで迫っていた。衛兵達の放つ矢がガレー船に降り注ぐがほとんどが船体に刺さるだけで海賊から痛々しい悲鳴など聞こえてはこない。

 そうしている間にガレー船から渡し板が掛けられ、海賊達が雪崩れ込んできた。

「さぁいくぞ新人、全員ぶっ殺すくらいの気合で行けよ!」

 衛兵達が鬨の声をあげて海賊達の波に突っ込んでいくのを見て、ヨアキムもそれに倣って駆け出した。

 ヨアキムにとって戦は初めてではない。故郷のタリム村を賊から守る為に何度も斧を取って戦った。

 だから、真正面から剣を振り下ろす海賊にも怖気づくことなく左手のラウンドシールドで弾き返し、仰け反ったところを右手の戦斧で脳髄を叩き潰してやった。

 戦える。敵は今まで相手にしてきた賊と大差ない。

 乱戦の中、ヨアキムは戦線から離れた所にいる男を1人見つけた。みすぼらしい身なりに刃こぼれした斧。間違いなく海賊だ。

 このまま町に入って悪事を働く気なのだと判断し、その海賊に迫っていく。

 その海賊はヨアキムに気づき顔をこちらに向けた。立派にたくわえた口髭と顎鬚、顔の左側に痛々しく刻まれた刀傷。ヨアキムと同じ黒みがかった茶色い髪――

「お、親父……!?」

「ヨアキム……!?」

 その男は誰あろう、ヨアキムの父親ロバンの顔だった。

「親父、何してんだよ……?」

 ヨアキムは何が何だかわからなかった。

 その男はヨアキムが静止したのを見るや、そそくさとガレー船の方へ逃げてしまった。

 ヨアキムは慌てて男を追いかけようとしたが、横から襲い掛かってきた海賊に妨害された。

「邪魔するな!」

 悪態をつきながら戦斧を肩口にばっさりと振り下ろし、仕留めた。

 ガレー船の方を見てみると、既に父親らしき男の姿はもう見えず、船も港を離れていく様子だった。

「逃がすな! 沈めてやれ!」

 ヨースタイン隊長は投石用のカタパルトと弓兵を指揮し、逃げる海賊ガレー船に追い討ちをかけている。

 衛兵達の奮闘も虚しく、矢玉がガレー船を沈めることはついになかった。

 こうして、ヨアキムの衛兵としての初仕事は終わったのだった。



 海賊たちが撤退した後、港に残された死体などの片づけを済ませ、ヨースタイン隊長の号令で衛兵達が詰所の前に集まってきた。

 ヨースタイン隊長の足元には縄で縛られた15かそこらの少女が横たわっていた。

「お前たちのおかげで海賊どもは今回も無事撃退することができた。もう二度と秋の襲撃のような被害を出さぬよう、これからも奮戦してほしい。特に活躍してくれた者には、褒賞も与えるとの上からのお達しだ」

 ヨースタイン隊長は鼻高々だった。

「そして今回はにっくき海賊の1人を生け捕りにすることができた。この娘はこのまま倉庫に放り込んでおけ。なかなか口を割らんので後日、王宮の術師が自白の術を試すそうだ」

 そう言ってヨースタイン隊長は衛兵達を見まわし、ヨアキムと目が合った。

「よし、ヨアキム。お前がこいつの見張りをしろ」

「わかりました」

 ヨアキムは海賊から町を守ったことよりも、逃した父親らしき海賊のことで頭がいっぱいだった。

 ヨースタイン隊長は衛兵の点呼をとった後、解散させた。ヨアキムはベテランの衛兵に案内され、少女を倉庫に放り込んだ。

 倉庫は詰所の向かいの木造の小屋だった。嵐でもくれば吹き飛びそうなボロ小屋ではあったが、一時的に罪人を放り込んでおくには十分だとヨアキムは思った。

 夜、支給された堅パンとスープを食べながら捕虜にされた少女を見張っていた。

 小屋の壁は所々穴が開いており、真冬の海風が吹き付けてきた。

 分厚い毛布も渡されていたので、凍死するようなことはないだろうが、やはり顔に風が叩きつけられるのは敵わなかった。

 捕らえられた少女は栗色の髪の毛を後ろで結んでおり、血色の良い肌も小奇麗にしていた。とても海賊を生業にしているようには見えない。件の海賊がよほど金持ちでない限りは、だが。

 風が吹くたびに身体を強張らせて耐えている。

 毛布にくるまる自分よりもか弱い少女がぼろきれしか纏っていない状況に耐え切れなくなり、ヨアキムは自分の毛布を少女にかけてやった。

「少しはマシになるだろう」

 ヨアキムは毛布の代わりに床にばら撒かれた麦わらでも集めれば多少はマシになるかと思っていたところで、少女に声をかけられた。

「あなた、ロバンに似てる」

「なんだって?」

「ロバンよ。今は海賊に捕まってるけど、あたしとお母さんに良くしてくれてるわ」

「そのロバンってのは、タリム村のロバンか? 顔の左側に縦の切り傷のある?」

「そうよ。タリム村……そうね、確かそう言ってた」

「親父だ。俺の親父なんだ! 海賊に捕まってるって、どういうことだ? 親父は海賊になってしまったんじゃないのか?」

 ヨアキムは興奮していた。やっと父親の事を知っている人間に出会えた。夕方に見たあの男はやはり父親ロバンだったのだ!

「親父、ってあなたはロバンの息子なの? 確かに、見れば見るほど似てるわ」

「いいから、答えてくれ。俺は親父を探すためにミュルダルまで来たんだ」

「落ち着いてよ。あたしとお母さんは薬の行商をしていて、秋にミュルダルに立ち寄ったの。ここのお医者さんや王宮はお得意様だからね。そして、ロバンがあたし達の事を尋ねてきた。たぶん、お医者さんから紹介されたんだと思う。ロバンがお母さんからカモレラの煎じ薬っていうとても貴重な薬を買おうとしていて、でも持ち合わせが足りなかったから値引きしてくれって、頼み込んでたの。あたしとお母さんは港に近い通りでずっとロバンに引き留められてた。お母さんもロバンがあんまり必死に頼み込むから折れかけてたんだけど、そこで海賊があたし達を取り囲んだの。ロバンはすごく強くて、あっという間に3人も海賊を倒しちゃった。でも見惚れていたあたしが海賊に捕まって、人質になっちゃったの。ロバンもお母さんもそれで降参しちゃって、捕まっちゃった」

「そうだったのか……じゃあなんで、親父は海賊と一緒に港を襲ったんだ?」

「ロバンはあたしのお母さんとカモレラの煎じ薬をダシに脅されているの。海賊として町から相応の金品を略奪すれば、薬もお母さんも解放するって。あたしも同じ条件でガレー船に乗せられてたの。でも、あたしもロバンも町の人に酷いことなんて出来なくて、いつも見てるだけだった……」

「そうか、親父は本気で海賊なんてやってるわけじゃないんだな」

 ヨアキムはそれを聞いただけでも安心した。そうとなれば、やることは一つしかない。

「親父を海賊から助けたい。もちろん、君のお母さんも。島まで案内してくれ」

「本気なの? 1人で行くなんて無茶よ。何十人も海賊が居るのよ」

「大丈夫。見つからないように隠密で2人を救出するんだ。それには島の事情が分かる君の助けが居る。付いてきてくれ」

 ヨアキムの真剣な表情と声色に負けたのか、少女は肯いた。

「よし、ならすぐに出発だ。俺はヨアキム。君とお母さんの名前は?」

 ヨアキムはせくせくと少女の縄を解いてやった。

「あたしはカチュア。お母さんはエステラ。ねえ、縄を解いたらあたしが逃げ出すとか思わなかったの」

「考えてもみなかったな。いちおう、縄を繋いでおいた方がよかったか」

 ヨアキムがあまりにすっ呆けたことを言うのでカチュアはくすりと笑った。

「わかったわ。絶対お母さんとロバンを助け出しましょう」

 2人は夜の闇に紛れて港の小舟で海賊の根城へと漕ぎ出した。



 港からしばらく小舟を漕いでいくと、海賊達の根城らしき小島が見えてきた。島というより大きな岩窟の入り口が海にせり出しているような恰好だった。

「ヨアキム、あれが海賊達の根城だよ」

 オールを持つ手を止め、注意深く見てみる。松明の明かりと、見えるだけでも見張りが4人居て、今は焚火を囲んで談笑している様子だ。

 ヨアキムの手元には片手戦斧と短剣がそれぞれ一振りしかない。まともに相手をするのは現実的ではなかった。

「正面は無理だろうな。カチュア、他に入り口はあるか」

「その為に連れ出してきたんでしょ。裏側に回って。逃走用の非常通路があるわ。そっちには見張りは居ないはず」

「捕まって長くはないだろうに、よく調べたな」

「海賊なんてマヌケの集まりよ。酒を呑ませればなんでもペラペラ吐き出してくれるんだもん」

 見張りに気取られないよう、なるべく音を立てないよう、慎重にオールを漕ぎ、裏側へ回ってみる。

 裏側から見るとただ大きな岩が海上に佇んでいるだけのように見えた。

「確かに見張りは居ないが、肝心の入り口はどこにあるんだ」

「あそこの凹んだところに舟をつけて」

 言われるがままに小舟を岩の凹んだあたりに漕いでつけた。

 カチュアは飛び降りると、危なげなく岩にしがみつき、ぺたぺたと岩の表面を探り始める。

「あった」

 そう呟いてから、ある部分を指さしてヨアキムを手招きした。

「これが入り口。この石で隠してあるのよ」

 よく見ると、少々色味と肌触りの違う部分があった。かっちりと嵌め込まれているが、隙間に手を入れれば除けられそうだ。

「よし、任せておけ」

 石は思ったよりもあっさりと外れた。屈めば大人1人、なんとか通れそうな穴だった。ヨアキムが早速中に入ろうとしたところをカチュアが制止した。

「待って。あたしが先に行くわ。ヨアキムは中のこと何も知らないでしょ」

「言われてみればそうだが」

「もう、せっかちなんだから」

 やれやれといった表情で先導するカチュア。

 ヨアキムはその様子を見て、やっと自分の気が急いている事を自覚したのだった。


 狭い通路を抜け、やっと広い場所に出た。松明が1本灯してあるだけで他には何もないようだ。

「この先は迷路みたいになってるから、離れないでよ」

「わかってる。頼りにしてるさ」

 カチュアの案内する通りに蛇のようにうねった通路を進んでいく。

 天然の洞窟に手を加えたものらしく、石や木を組んで部屋を区切ってあり、ヨアキムは「賊のくせに随分と手が込んでいるな」と感心していた。

 途中、海賊達の寝床を抜き足差し足で通り抜けながら、やっと目的の場所に辿り着いたようだった。

「この扉の向こうにロバンとお母さんが捕らえられているわ」

 覗き窓のついた扉の向こうから怒鳴り散らす声が聞こえてくる。中を覗いてみると、真っ先に父親ロバンの姿がそこにあった。傍らにいる栗色の髪の女性はカチュアの母親エステラだろうか。2人の海賊に壁際に追い込まれている。

「ようようロバンよぉ、テメェ今回もマトモに働かなかったよなぁ」

 大柄でスキンヘッドの海賊が片刃の剣をロバンにちらつかせていた。もう1人のバンダナを巻いた細身の海賊も手に棍棒を持ってロバンとエステラを睨みつけている。

「テメェがそういう心算なら、この女をヤっちまってもいいんだぜ、オイ?」

「やめろ。その人はそもそも関係ないだろう!」

 ロバンは剣を突き付けられていながらも、堂々と立ち向かっていた。港で出くわした時とは別人のような覇気を放っている。

「だったらさっさと町から金を巻き上げてこいやぁ!」

 細身の方が痺れを切らし、棍棒をロバンに叩きつけた。ロバンを咄嗟に両腕でそれを防いだが、頭に会心の一撃を食らわせられなかったことで海賊の怒りをいっそう酷く買ってしまった。野獣のように唸り声を上げながら、その海賊は何度も何度も棍棒をロバンに振り下ろした。ロバンはというと、ひたすら耐えるだけだった。

 スキンヘッドの方は相方の有様を見て「お手上げだ」と言わんばかりに両手を広げて見せた。

 そこをチャンスと見て、ヨアキムが扉から飛び出し、スキンヘッドに戦斧を振り下ろした!

 ザクロが弾けるように血飛沫を上げて膝から崩れ落ちる様を見届けぬまま戦斧から手を放し、短剣を細身の喉元に突き刺した。

 あっという間に2人の海賊を始末した手際に、その場に残った3人は唖然とした。

「ヨアキム……なのか?」

 ロバンは死体と化した海賊から得物を抜き取るわが子に驚きと感心の思いで声をかけた。

「そうだよ。親父とそこのエステラさんを助けに来たんだ」

 カチュアも扉から出て母親に飛びついていた。

「カチュア、無事だったのね……よかった」

 エステラはわが子の無事を心底喜んでいた。

「再会を喜ぶのはここを出てからにしよう。カチュア、道案内を頼む。親父は殿を頼む」

「あ、あぁ……わかった」

 ロバンはスキンヘッドの亡骸から剣を回収し、エステラの背後に回った。

 カチュアは母親に頭を撫でて貰ったことで一先ず満足したのか列の先頭に付く。

「それじゃあ、来た道を戻るよ。遅れずについてきてね」

 再びカチュアが先導し、洞窟を進んでいく。

 来た道を戻るだけなのだから、何事も無いだろう……というのは余りに呑気な考えだ。先ほどのスキンヘッド達の声が洞窟内に響いたのだろう、何人かの海賊が起き上がっていたのだ。

「おい、夜中に喚き立てるなよヘミング。みんな寝てるんだぜ」

「ったくしょうがねえよなぁ。ロバンのマヌケが来てからヘミングの短気も酷くなるばっかりだ」

 海賊達の寝室らしき部屋の手前で立ち往生していた一行だが、これは不味いことになったとカチュアが舌打ちした。

 このままでは死体が発見され、洞窟中の海賊達がヨアキム達を探し始めるに違いない。

「カチュア、最短距離で駆け抜けるしかない。この部屋を突っ切るぞ」

「突っ切るって……お母さんはそんなに早く走れないよ」

「ワシが担ごう」

 そう言うと、ロバンは持っていた剣を「邪魔になる」とカチュアに渡し、エステラを軽々と背中に乗せた。

「親父は大丈夫なのか。さっき手酷くやられたばかりだろ」

「スヴェニアの戦士にあの程度の打撃など蚊に刺されたようなものだ」

 ロバンは顔こそ強張っているが、その立派な体躯が言葉を嘘に思わせない。

「分かったわ。あたしとヨアキムで突破口を開く。ロバンはお母さんを担いで全力疾走。これでいいわね」

「あぁ、突入のタイミングはカチュアに任せる」

 カチュアは深呼吸した。

 一世一代の大博打のように思える。否、失敗した後の事を考えれば正しくその通りだ。

 だから、成功させねばならない。何が何でもあの隠し通路から脱出し、ミュルダルに戻らねば――そう思えば思うほどにプレッシャーが身を固くする。

 不安から、傍で合図を待つヨアキムに視線を向けた。ヨアキムは迷いなくカチュアの目を見て頷いた。不思議な感覚だった。この男が味方してくれるのであれば、何とかなるのではないかと思ってしまう。

「いくわよ」

 意を決してヨアキムに頷き返し、一斉に飛び出した。

「なんだこいつら!?」

 扉から一番近くに居た海賊は驚きの表情のままカチュアに心臓を刺し貫かれた。

 剣がすぐに引き抜けないと見たカチュアは剣から手を放し、短剣に持ち替える。

 そうしている間に部屋の中央に躍り出ていたヨアキムは1人の心臓を短剣で刺し、2人の首を戦斧で切り飛ばしていた。

 寝起きへの奇襲攻撃とはいえ、圧巻の手捌きだ。

「ひぃ……! た、助けてくれ! お、おれは悪くねえ! 俺は悪くねえ! 全部お頭の命令だったんだ!」

 最後に残った海賊は完全に戦意を喪失し、失禁しながらのたうち回っていた。

 こんな男まで手にかけるのは流石に気が引ける、とヨアキムは思っていた所に部屋の向かいの通路から巨大な影がのっそりと現れた。

 床に小便を垂れ流しながら出口へと逃げる情けない海賊の手がその巨大な足に触れた。

「お、お頭ぁ、おたすけぇ~」

 救いの神を見たかのように羨望の目でその影に抱き着こうとしたがしかし、その頭上に降りかかったのは救いではなく、鉄拳だった。

「グビビ、情けない奴め」

 首どころか胸まで原型を留めず拉げた死体に唾を吐き、その巨体はヨアキム達に向き直った。

「グビッビビビ! このズラタン海賊団のお頭グビラ様をコケにしたこと、後悔させてやるグビ」

 肉ダルマと呼ぶに相応しい、脂肪だらけのずんぐりとした巨漢――彼こそがこの海賊団のお頭なのだろう。

 お頭まで出てくるとは、隠密作戦は完全に失敗しても同然だ。ヨアキムは状況は一変したことに悪態をつかずには居られなかった。

「冗談だろ……コイツは巨人族の仲間じゃないのか」

「あいにくコイツは人間よ」

「羆よりも厄介そうだ」

 ヨアキムはそう言って戦斧を構え直した。

 見たこともないほどの巨漢だが頭さえ潰せば死ぬはず、と真正面から襲い掛かる。

 しかし。

「グビビビビ!」

 グビラはその巨体から信じられないほどの反応速度で体当たりで応えたのだ。

 ヨアキムは咄嗟に避けようと右に跳んだが、グビラはあまりに巨大だった。避けきれずに体当たりを食らい、衝撃で戦斧を取り落とし、自身も地に倒れ伏してしまう。

「グビッビビビビ! 残念だったなぁ!」

 グビラはヨアキムを片手で持ち上げ、カチュアとロバンに見せつけた。

「グビグビグビグビ! こいつの首が千切れるのを見せてやるぞぉ」

 ヨアキムは体当たりの衝撃で意識が朦朧として、まともに身体を動かすこともできない。

 グビラがヨアキムの頭と胴体を両手で持ち、力任せに引き千切ろうとする。

 このままでは本当にヨアキムの首が永遠にその身体とおさらばしてしまう!

「やめろぉぉぉぉ!!!」

 突然、ロバンが叫んだかと思うと、担いでいたエステラをするりと下してグビラに突っ込んでいった。

「歯を食いしばれ外道……!」

 渾身の力を込めたストレートパンチがグビラの腹に炸裂した。

「グビバァー!」

 あまりの衝撃の強さにグビラの体脂肪がぶよぶよと波打った。当のグビラ本人も口から血を撒き散らして仰向けに倒れた。血と涎を垂らし、白目を向いて気絶してしまっている。

 ヨアキムが解放されたのを確認すると、ヨアキムが落とした戦斧を拾い、薪を割るかのように躊躇なくグビラの頭を粉砕した。

 ミュルダルの港を騒がせた海賊団のお頭の最期だった。

「大丈夫か、ヨアキム」

「あ、あぁ……流石だよ親父……」

 久しぶりに父親の苛烈な一面を見たヨアキムは素直に感激していた。

「ロバンって、本当はすごく強かったんだね……」

 カチュアも呆気に取られていた。

「あぁ、若い頃はスヴェニア指折りの戦士だったって聞いてる」

 助けに来た心算が最後は逆に助けられてしまったという、奇妙な事態になったがヨアキム達は良しとして、無事にミュルダルに戻るのだった。



 一行がミュルダルに戻ると、既に朝になっていた。

 ヨアキムは父親とカチュアを連れて真っ先に港のヨースタイン隊長に謝りに行った。事情があったとはいえ、捕虜を連れ出して行動したのだから、相応の罰が下されると思っていたのだが、

「よいよい。父親が見つかって良かったじゃないか。おまけにあのズラタン海賊団の頭を潰してくれたんだ。礼を言いたいぐらいだよ」

 エステラの助言で、グビラの殆ど原型を留めていない首を持参したおかげで、咎められるどころか報奨金をたんまり頂いてしまった。その金でエステラからカモレラの煎じ薬を買うことができたのだから、大満足の成果だった。

「それでは、ロバンさんもヨアキムさんも大変お世話になりました」

 エステラが深々と頭を下げると、カチュアもそれに倣って頭を下げた。

 その様子が可笑しくて、ヨアキムはくすりと笑った。

 エステラとカチュアは護衛の傭兵を雇い、幌馬車で次の行商の地に向かうとのことだった。

 幸い、海賊達に奪われたのはどこにでもあるような薬ばかりで、本当に貴重な薬は肌身離さず持っており、難を逃れたとのことだ。

「また今度、タリム村にも寄せて頂きます」

「何もない村だけど、羆料理ならいつでも食えるから寄ってくれ」

「ええ、必ず……もう出発しますね」

 エステラが幌馬車に乗り込む。カチュアは名残惜しいのか、何度もヨアキムの方を振り返り、なかなか乗り込もうとしない。

「いつでも村に来てくれれば良い。離れの村だから何時だって薬は入り用だ」

 ヨアキムの言葉に頷くと、やっと幌馬車に乗り込んだ。

 御者が鞭を撓らせ、馬車が走り出す。

 去っていく馬車からカチュアが顔を出し、いつまでも手を振っていた。

 ヨアキムも大きく手を振って応えてやるのだった。

「さて、村に帰るぞヨアキム。母ちゃんをもう待たせるわけにはいかないからな」

 ヨアキムは村への帰路を行く父の背を追って歩き出した。

 これまでよりもその背中は頼りがいがあり、そして越えたい目標になった。

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