ピンクの悪魔(三)
雨上がりのぬかるんだ道を踏みしめブルームーン一行が密林の野営地へたどり着いたころには、すでに日もとっぷりと暮れていた。雨期による高湿でヨレヨレになったミリタリーテントの群は、軍の拠点というよりも難民キャンプのようなみすぼらしい印象を与える。それでも隣国から支援物資がとどいたというので、ボルガン軍のほうでは下にも置かない歓待ぶりであった。
本営のあるプレハブの横に、ふだんは野戦病院として使われているばかでかいテントがある。そこへさっそく酒宴が張られていた。半死半生の負傷兵が唸る簡易ベッドをわきへ追いやり、そこへ折りたたみ式の長テーブルがならべてある。テーブルのうえには保存食のコーンビーフやら乾パンを盛った皿と、酒の入ったグラスが置かれていた。
ブルームーンはうんざりした顔で席へ着くと、犬みたいにグラスのにおいを嗅いだ。消毒薬のような刺激臭がツンと鼻をつく。おそらく酒とは名ばかりで、エタノールを水で希釈したような代物だろう。荷馬車十数台ぶんの支援物資ごときで小躍りするほど窮乏していたのだ、まともな酒など出てくるはずがない。
「ええ、みなさん本日は遠路はるばるご苦労さまでした。わがボルガン共和国は、みなさんのご苦労とペーシュダード国王のご厚意をけっして忘れることはないでしょう。今日はささやかですが酒の席を設けさせていただきました。なにもありませんが、ひとつのんびりくつろいで旅の疲れを癒してください」
ボルガン軍の歩兵中隊を率いる司令官は、細い鼻のうえに金縁眼鏡を乗せた、いかにも神経質そうな男だった。目の光にも、どこか他人を見下したエリート意識の片鱗がうかがえる。おそらく軍の大学を出て、さほど実戦経験を積まないまま階級だけを得たものだろう。どこの国でも、制服組のトップにはこういう毒にも薬にもならない輩がいるものだ。プライドばかり高くて、戦場ではくその役にも立たない。
さっき自己紹介されたばかりだが、ブルームーンはもうこの男の名前を忘れてしまっている。嫌いなタイプの人間は、あえて記憶にとどめないことにしているのだ。
「それでは、我らが輝かしい同盟の揺るぎないことを祝して、乾杯っ!」
居並ぶボルガン兵たちがグラスをかたむけ得体の知れない酒を喉へ流し込んでゆく。礼儀なので、一応ペーシュダードの騎士たちも口だけはつけている。ブルームーンは、チロッと舌の先で味見してすぐにグラスを置いた。やはり消毒液のようだ。
「なあ、ライマー」
横にいるライマーに小声で言う。
「後で一緒に焼き肉でも食べに行かないか。どうもここのメシは、お嬢様育ちのわたしの口には合わないようだ」
「飲食ができそうな町までは、ここから馬を飛ばしても丸二日はかかりますぞ」
「いや、すずしろちゃんに頼んでさ、野鳥か猪でも狩ってもらって」
「狗盗どもは、みな斥候に出ております」
ライマーはため息をついた。
「それにボルガンだって貴重な兵糧をこうして振る舞ってくださっているのですぞ。ありがたくいただくのが軍人としての礼儀というものでしょう」
「くそっ、今ごろ王宮では上等のワインを口にふくんで、宮廷料理人の作った豪華ディナーに舌つづみを打ち、本日のデザートはココナッツミルクのレチェ・フランと洋梨のアイスクリームでございまァす、とかなんとか……ああ、ひもじいなあ」
ライマーが相手にするのをやめると、入れ替わるようにボルガンの司令官がすり寄ってきた。すでにエタノールの酒が効いているのか、ドロリと赤くにごった目をしている。
「いやあ、噂には聞いておりましたがペーシュダード騎士団の強さは尋常ではありませんな。なにせ、あのムイムル川にかかる橋をたった一晩のうちに落としてしまうんですから」
酒くさい息にブルームーンが顔をしかめるが、おかまいなしに距離をつめてくる。
「おや、ブルームーン殿、まったく酒がすすんでおらぬようですが、やはりこのような安酒ではお口に合いませんか」
「酒ってより、これ消毒液だから。でもまあ、せっかくだから後で蚊に刺されたところにでも……」
言い終わらぬうちに、その口をライマーがグローブのような手でふさいだ。ブルームーンが、もごもご言いながら目を白黒させる。
「これは失礼しました。我らペーシュダードの騎士は常在戦場の精神を忘れないため、あまり酒はたしなまぬのです。ご不快に思われたのならば、どうかご容赦いただきたい」
「いえいえ、私どもこそせっかくお越しいただいた貴殿らにたいしたもてなしも出来ず、お恥ずかしいかぎりです」
そう言ってから司令官は、揉み手せんばかりに愛想笑いを浮かべてブルームーンに身を寄せた。
「それで、あの……支援物資のほうなんですが、これからもどんどん送られてくるのでしょうか。なにせ大所帯なものでして、武器弾薬はもとより食料や医薬品などもすぐに底をつく始末で。それとできれば、そのあの、嗜好品といいますか娯楽用品のほうもひとつ……」
「なに、エロ本でも欲しいのか。それともまさかオナ……もごもご」
またライマーに口をふさがれる。
「補給路の安全さえ確認できれば、今後も第二、第三の輜重部隊が物資をとどけに参るはずです。なにせボルガン共和国がラゴス軍に占領されるようなことになれば、我が国としても防衛上すごく厄介なことになりますからな」
「うんうん、そうでしょうなあ、いやそれを聞いて安心しました」
ではこれにて、と言って立ち上がりかけた司令官の肩をブルームーンがグイッと引き戻した。
「まあ、待ってつかァさいや、ボルガンの」
おかしな広島弁をしゃべりながら、むりやり座らせる。
「ちいと相談に乗ってほしいことがあるんじゃがのう」
司令官は少しおどおどしながらブルームーンとライマーを交互に見た。
「な、なんですかいきなり……」
中小企業の経営者を恫喝する暴力団員の目をして、ブルームーンが言った。
「若いもんを二百人ばかし都合して欲しいんじゃけど。あと百五十ミリ軽カノン砲ぶっ放すつもりじゃけえ、野砲をあつかえる砲兵がいると助かるのう」
ゲッと目をむいて司令官は二人をまじまじと見た。
「あ、あんたら、一体なにをするつもりだ……」
「なに言うて、そがいなこと決まっとるじゃないの」
なれなれしく司令官の肩へ腕をまわすと、ブルームーンはリップグロスで艶めいたくちびるをペロリと舐めた。
「明日ダーリェン丘陵の砦に夜襲をかけるつもりだからそこんとこ、よ、ろ、し、く」




