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解放軍エレジー(一)

 この季節にはめずらしく大きな積雲が、東の空にムクムクと育っていた。

 ちょうど日の暮れかかる時刻で、夕日を照り返した雲のみねが燃えるように赤々と染まっている。

 そんな秋さびた空を教会の窓からぼんやり眺めながら、ルーダーベはひとり言のようにつぶやいた。


「なーんか大事なこと忘れちゃってる気がするのよね……」

 となりでおなじように頰づえついて空を見あげていたアシが、風船ガムをパチンと鳴らした。

「アシちゃんも右におなじー。なんかさァ、シルヴィアが死んでからずーっと考えてたんだけど、なんだろうね、この胸のモヤモヤ」

「私たちってたぶん、なにか大事な記憶がスッポリ抜け落ちてるのよね?」

「うんうん、しかも思い出せないでいることに、なぜかホッとしてるっていうかー」

「あっ、それそれ」

 二人は顔を見合わせてうなずきあった。


 どこからか澄んだ鐘の音が聞こえてくる。夕刻の祈りをうながす、アンジェラスの鐘だ。

 聖エウロギウス教会は、国民に多くのクリスチャンを擁するペーシュダードのなかにあって最も尊ばれている教会だ。その歴史は古く、現王国が誕生するまえのカマラ王朝時代にまでさかのぼる。


 当時イエズス会からこの地へ派遣されてきた宣教師は、夢のなかで大天使アニエルよりお告げを受けた。この丘のうえに南蛮寺を建てなさい。そうすればやがて信仰は根付き、この国にあまねく広まってゆくことでしょう。

 宣教師はさっそく村人たちの手を借りて、城を見おろす高台のうえに小さな礼拝堂を建てた。それがこの教会の始まりだ。エウロギウスというのはそのときの宣教師の名である。

 それ以来、歴代の司祭たちによって改築がほどこされ、その壮麗華美な建築様式で、国内にあまたある教会のなかで白眉ともいえる存在となった。


「おやまあ、どうしたのですか。二人ともその若さですっかりたそがれてしまって」

 不意に声をかけられ二人は同時に振り向いた。

 見あげるほど背の高い男が、聖書を片手に微笑んでいる。この教会で司祭長をつとめる、カルロス・アモ・ロメロ神父だ。


「ううん、神父さま。たそがれてるんじゃなくって、アシちゃんたち考えごとをしてたのよ」

「そう。記憶のなかへ置き忘れてしまった大事なものをさがしに、ちょっとね……」


 ロメロ神父はそっとうなずくと、胸のまえで十字を切った。

「もとめなさい、そうすれば与えらるでしょう。たずねなさい、そうすれば見つけられるでしょう。門をたたきなさい、そうすれば開かれるでしょう」

「なにそれ?」

「マタイによる福音書の一節です」


「ふうん。イエス様って意外と良いこと言うのね。じゃあアシちゃんお言葉に甘えて赤ワインが飲みたいなァ。ここの教会で造るワインって鬼ウマなんだよねー。あと贅沢は言わないけどォ、おつまみにはモッツァレラのピンチョスが欲しいかなァ、なんて」

「あのねえ……」

 キラキラとつめの光る人さし指をアシの鼻さきへ突きつけて、ルーダーベが言った。

「そうやって、いつもいつも間食ばかりしてるから太るんじゃないの」

「太ってないもん。アシちゃんスリムだもーん」

「へえ、夏の合同演習のとき、アーマーがきつくてゲロ吐くーって泣きべそかいてたの、どこのだれかしら?」

「さて、だれでしょう」

「だいたい酔うとすぐにロシアンルーレットはじめるような危ない子は、ワインなんか飲んじゃいけないのっ」

「アシちゃんには神さまのご加護があるから、弾なんて当たりませんけど?」

「今まで運が良かっただけでしょ! そもそも、あんたには最初っから近衛騎士としての資質が備わっていないのよ」

「資質なんてなくても良いんですゥー、女の子は可愛いければ大概のことは許されちゃうんですゥー」

「あんたねえっ」

「あっかんビー」

「もう、あたま来た」


 ツーサイドアップにして垂らしているアシの髪の毛を、ルーダーベが左右に引っ張った。

「いやーん」

 お返しにルーダーベの頬っぺたをつまんで、ムニュっと捻りあげる。

「痛ひゃあい」

「ルーダーベの、おたんこなすっ」

「あひのばふぁっ」

「ハイ、そこまでーっ」

 ロメロ神父が、二人のあいだに割って入った。


「ケンカでしたら、今夜の話し合いが終わってから部屋でゆっくりなさってください。それよりみなさんお待ちかねですよ。さあ、私たちも早く参りましょう」

 赤くなった頬をさすりながらルーダーベがアシをにらんだ。

「後で覚えてなさいよっ」

「ゆーあー・びーっち!」


 三人は聖堂を離れ、アトリウムのわきを抜ける回廊を歩きはじめた。聖エウロギウス教会には、カテドラルと平行するように修道院や神学校が建てられており、これらの建物は中庭をかこむ渡り廊下で結ばれている。


「そういえば、今日は修道士たちのすがたが見えないわね。お祈りの時間にも集まってこなかったようだし」

 ルーダーベが言った。無人の廊下に、彼女たちの靴音がカツカツと響く。今日は二人とも、近衛騎士の正装であるピンク色の鎧を身につけていた。


「手分けして他の教会へ避難してもらいました。図書館が襲撃された件もありますし、ここへいてもらっては危険ですから」

「ねえ神父様。どうしてあのアジトのことが敵に知れたのかしら? あの場所は、私たち解放軍のなかでもごく限られたメンバーしか知らないはずなのに」


 ロメロ神父は、少し難しい顔になって足もとへ視線を落とした。ステンドグラスから差し込む光が、廊下の床に半透明のポップアートを描いている。


「じつは私もずっとそれを考えていたのです。あの建物には、国防に関する機密も収められていますから、セキュリティは万全のはずです。地下へ通ずる出入り口も一箇所のみで、そこは絶えず監視カメラに見張られています。部外者は絶対に立ち入れないようになっているのです」

「敵のなかに、転移魔法を使う高位魔術師がいるのかしら?」

「それはありえませんね。そもそも王立図書館の建材には、すべてミスリル銀を使った耐魔法合金を使用しています。どんなに優秀な魔法使いでも、あの壁を通り抜けることは不可能です」


 風船ガムをパチンと鳴らしてアシが言った。

「きっと銀貨三十枚もらって、敵を手引きしたやつがいるんだよ」

「なにそれ、解放軍のなかに裏切り者がいるっていうの?」

「アシちゃんの、ゆーしゅーな頭脳がそう告げております」


「お二人とも、今は仲間を疑うことはやめておきましょう」

 神父が優しい声で言った。

「もし不正をおこなうものがいれば、いずれ主によって正しい裁きが下されますから」


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