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危険なふたり(三)

 ペーシュダードの朝はコーヒーのにおいで始まる。

 これだけはラゴス軍に占領されてからも、変わらぬ日常だ。この小国のコヒー豆消費量は、年間およそ二十万トン。単純に人口で割り算すると、毎日一人当たり七杯のコーヒーを飲んでいることになる。

 街のいたるところにカフェがあり、年齢や身分を問わず、ひまを見つけてはコーヒーブレイクを楽しむ。それがこの国の流儀だ。ペーシュダードをおとずれる観光客は、そんな彼らの優雅なライフスタイルにいつも憧れの目を向けてくる。


 国王の居城から同心円状にひろがる、ペーシュダード中心部の街なみ。

 そのなかにある一軒の洒落たカフェ。

 石灰で塗りかためた白壁と、テラコッタ調の瓦屋根。

 ギリシャ建築を思わせる瀟洒なたたずまいだ。


 そのテラス席に、ルーダーベはいた。

 三才のころからバレエを習っているだけあって、彼女はとても姿勢が良い。たとえ丸テーブルに頰づえをついて、ファッション雑誌をめくっていても、どこか凛とした気品のようなものを感じさせる。


「まったくあのおバカときたら、どこで道草くっているのかしら。ちょっと自由にさせてあげると、すぐ居場所が分からなくなるんだから。まるで首輪をはずしたポメラニアンだわ」


 ため息をつき、読みかけの雑誌をパタンと閉じる。そして本日二杯目のカプチーノをすすりながら、ふと顔をあげた。その視線のさきには、朝靄にかすんで、ペーシュダード王城の威容が黒々と天をついていた。今から二百三十年まえ国の威信をかけて建造された城塞は、巨石を積みあげた堅牢な造りで、機能性と造形美をかねそなえ、ユネスコの世界遺産にも登録されている。


 あの、ひときわ高い主塔のどこかに、国王陛下が幽閉されていらっしゃるのだわ……。

 ほんの一瞬ルーダーベの周囲に、淡く輝く光の粒子のようなものが、まるでソーダ水から立ちのぼる炭酸ガスのようにフワッとはじけて消えた。魔力のオーラだ。常人では制御しきれないほど厖大な魔力を有する彼女は、ときどき感情の起伏にともない、抑え込んでいたパワーを漏出させてしまう。


 今にも破裂しそうなほど大容量の魔力を内に秘めた、高位魔法使い。

 それが彼女の正体だ。

 ついたあだ名が「ハルマゲドンの魔女」


 早朝のカフェテラスは、喧騒をむかえるまえの一瞬の怠惰と穏やかさに充ちていた。白い湯気とコーヒーの香りが、路面に舞い落ちた枯葉と一緒に風に吹きさらわれてゆく。

 その平穏な空気を破って、地鳴りのような重低音が路面を震わせた。まるでバスドラムを連打したときのように、ドッドッドッと腹に響く野太い振動が伝わってくる。ルーダーベは麦わら帽子のつばを持ちあげ、石畳を敷きつめた街路の向こうを見やった。冗談みたいにでかい自動二輪車が、徐行しながら彼女のいるほうへ近づいてくる。


「やっと来たようね」

 残りのカプチーノを飲み干すと、ハンドバッグをつかんで立ちあがった。周囲にいる客たちが驚いたような顔で音のするほうを振り返る。

 ボスホス・ビッグブロックV8。

 総排気量八千二百CC、シボレーV8のエンジンを積んだモンスター・バイクだ。

 その牛のようにでかいバイクにまたがっているのは、赤い皮ジャンにデニムのショートパンツをはいた女の子、アシだった。


「おーい、ルーダーベー、やっほー」

 ツインテールをなびかせたアシが、バイクのうえで伸びあがって手を振ってくる。ルーダーベは、チッと舌打ちして足早に彼女のいるほうへ歩み寄った。


「あんたバカじゃないの? なんなのよ、この目立つバイクは。いつも私たちが乗ってるホンダCBRはどうしたのよ?」

「廃車」

「はあ?」

「あのね、ロケットランチャーで撃たれて天に召された」

「意味わかんないし」

「昨日あの女のひとを病院まで送った帰りにね、ラゴス軍と戦闘になっちゃって、おおむねアシちゃんが勝利したんだけど、ちょっと油断してたらバイクをオシャカにされたの」


 そういって風船ガムを顔のまえで膨らませる。ルーダーベのきれいに引かれた眉がつりあがった。

「で? このお化けバイクはいったいどうしたの」

「エルム通りのバイク・ミュージアムへ行って、ちょっと拝借してきた」

「拝借って、あんた泥棒してきたわけ?」

「ああん、軍事徴用って言ってよゥ。この戦争が終わったら、ちゃんと返しに行くんだから」


 ルーダーベは、あきれた顔でため息をついた。

「もういいわ。あなたと話していると気が狂いそう。さあ早く行きましょう。私のヘルメット出してちょうだい」

「ないよ」

「はい?」

「CBRと一緒に、産業廃棄物におなりあそばした」


 ルーダーベは、癇癪をおこしてボスホスの前輪を蹴飛ばした。

「冗談じゃないわ。私にヘルメットなしでバイクに乗れって言うの。絶対にイヤよ。あんたがコケたら、路面に脳みそぶちまけることになるんだから」

「だいじょうぶ、このボスホスは総重量六百キロだよ。直進安定性なら四輪自動車にだってひけを取らないもん」

「そういう問題じゃないでしょう」

「ほらほら、早くしないともうすぐアシちゃんを追って怖いひとたちが来るよ」

「えっ?」


 ルーダーベはとっさにアシのやって来たほうを振り返った。ビルとビルのすき間を縫って、あきらかに軍用とわかるヘリコプターが二機、なにかを探すように旋回を繰り返している。驚いた彼女は、あわててボスホスのタンデムシートにまたがった。


「くっ、でかいバイクだこと……」

「でもCBRより乗り心地いいでしょう」

「いいから早く出しなさいってばっ」


 アシが、アクセルグリップをひねり空吹かしさせると、デロデロデロというV8特有の不気味なエンジン音が轟いた。クラッチをつないでやると、高回転でバーンアウトしたタイヤからモクモクと白煙が噴き出す。


 ルーダーベが、アシの細い腰にギュッとしがみついた。フロントブレーキを離すと、悍馬がさお立ちするように一瞬ボスホスの前輪が持ちあがり、ドスンと着地した。ルーダーベが悲鳴をあげる。さらにスロットルを解放すると、たちまち五百馬力のエンジンが爆音を響かせ、後輪を激しくホイルスピンさせた。


「じゃあ行くから、しっかりつかまっててねっ」

「無茶はしないでよっ。陛下を救出するまでは、死ぬわけにはいかないんだからっ」

「安全運転なら、アシちゃんにお任せあれっ」

 そのまま二人を乗せたバイクは、巨大な弾丸のごとく早朝のメインストリートを疾駆しはじめた。


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