第2幕 ②
(…………大丈夫かな?)
キーファは城を目指す途中の坂道で、ふと家の方を振り返った。
昨日、イグルは何も言っていなかったので、今日は城の宝物庫に行くつもりだった。
問題は、ルキだった。
当然、留守番か、もしくは、キーファが仕事中は、孤児院に行ってもらおうと考えていたのだが、彼は朝起きてこなかった。
ルキは、キーファと一緒に寝ることを断固拒否して、椅子を並べてその上に眠っていた。
絶対、そんな不安定な場所で眠れるはずがないと、思っていたのだが、朝キーファが起きだしてみると、ルキは熟睡していた。
正直、起こそうと思った。しかし、しばらく、あどけない寝顔を眺めていたキーファは、そっとしてあげようという気持ちに転じた。
きっと、疲れているのだ。
虚勢を張っている子供の方が素直に生きるより、数倍疲れることをキーファは知っている。結果、キーファは孤児院に行くようにと、置き手紙を卓の上に残して、家を出てきた。
これで良いと思っていたのだが、今になって不安になってきた。
(あいつ、字読めるのかな?)
あれだけ偉そうなことを言っているんだから、きっと読めるはずだ。
それに、仮に読めなかったとしても、あいつなら適当にやるはずだろう。
だけど、ついつい気になってしまう。 昨日の今日でこれだ。
(私は絶対、動物は飼えないだろうな……)
ルキと動物が同列になっていることは、この際どうでも良い。
この気持ちを切り替えて、キーファは仕事に臨まなければならない。
呪具の浄化も、一日には何度もこなせない。集中力が必要なのだ。
キーファは、今日こそ声をかけてくる街の連中を無視して、城下町の象徴でもある長い石畳の坂を上っていく。
坂の中腹に到着すると、道は細くなり、二つに分岐する。
右に行けば、孤児院で左に行けば城だ。
迷うことなく、左に進むと、四角い巨石を積み立てて作られた城の土台部分が大きく見えてくる。見知った門番の顔が入口付近で、遠目に見えた。
「おはようございます。宝物庫担当のキーファです!」
「おお。早いな」
叫ぶように、挨拶を交わすと、髭を蓄えた初老の門番が真剣な顔で、膨大な量の紙を捲り始めた。
国王陛下の住まいでもある城だ。不審人物を通さないためにも、朝、仕事で訪れる者の名前と特徴は細かく照合される。
……そして、この照合時間が恐ろしく長いのだ。
キーファは早く中に入りたいがために、到着前から早めに名乗るようにしている。
「……ああ。キーファ。あった、あった。姓のないキーファだったな。宝物庫担当。外見も、亜麻色の髪の長身の娘。記載通りだ」
門番は、髭を撫でつつ、筆記具でキーファの名前部分に丸をつけている。
「行って良いですか?」
「勿論だが……」
いつも、ここで軽く会釈をして擦れ違う仲なのに、今日に限って、門番の顔つきは険しかった。
「……何ですか?」
「だけどな。お前さん、まだ後ろの坊主の名前は聞いていないんだが?」
「坊主?」
――嫌な予感がした。
おそるおそる、背後に目をやる。
……いない。
一瞬、安堵したが、そいつはキーファの直ぐ横にいた。
「僕は、ルキと言います」
「おいっ!!? 何でお前が!?」
「ルキ……?」
目を白黒させている門番に、ルキはすらすらと口上を並べた。
「僕もキーファ嬢と同じ力を持っていて、聖騎士団の総長イグル様が僕の力を認め、彼女と同じ仕事をさせてみたらどうかと、進言して下さいました。それが昨日のことです。いきなりのことなので、まだこちらまで、指示がないのかもしれませんが……」
平然と言ってのける。
「本当に、イグル様が? そんなことが昨日あったのか!?」
キーファは、ルキの言い分を半分信じてしまった。
もしかしたら、昨日キーファがいない時にそんな話が出たのではないか?
「うーむ。お前の言うことが事実だとしてもなあ」
門番は揺れている。ルキは、あからさまに、よそ行きの愛らしい笑顔を浮かべた。
「もしここで、僕を通さなければ、後々、イグル様が融通の利かない門番だとお怒りになるかもしれませんよ。僕が何かしたならば、責任はこのキーファさんが全部取ってくれるんだから、良いじゃないですか」
「ちょっと待て!?」
しかし、門番は、キーファの後ろに並び始めた列に気付いて、片眉を吊り上げた。
「ああ。もういい。分かった。分かった。行って良し。何かあったら、お前が責任を取るんだからな」
「そんな!」
「行くよ。キーファ!」
門番に詰め寄ろうとしたキーファを、ルキがその場から引き剥がした。
キーファの手を掴んで、白亜の白に続く吊橋を、ずんずんと進む。
厚ぼったい黒の外套が翻った。
家を出て来る前に、埃っぽいからと、気を利かせて外に干してきてあげたのに、ルキはもう着てしまったらしい。
いくら何でも城内部で怒りを爆発させるわけにもいかず、キーファは小声で非難した。
「私は、卓の上に手紙を置いてきたはずだ」
「字が汚くて、読めなかったんだ」
「ふざけるな」
「……気の短い人だね。別に、僕がいたって良いじゃないか。君の役には立てるはずだ」
「あのな。呼び捨てにしたり、君とか呼んだり、一体、お前は何様なんだ」
「別に貶めているわけじゃないんだから、良いじゃないか。僕だって、君にお前呼ばわりされる筋合いはないんだよ」
「くそっ」
言い争っているうちに、豪奢な大理石の廊下を抜けて、地下に続く螺旋階段を下り始めていた。
「お前さ、こんな所までついてきて何がしたいんだ? 宝を盗むつもりじゃないだろうな」
「君が相手にしているのは、宝というより呪具だろう。そんな曰くつきのあるものを盗んだって、高値で売れないよ」
「高値では売れるだろう。一般人には分からないんだから」
「売れないよ。買い取りを専門に商いをしている店は、大抵、呪具かどうか鑑定できるような君のような人間を雇っているもの。君だって知らないわけじゃないだろう?」
…………確かに。
キーファは知っている。
短い時間だったが弟子入りしていた鑑定士も、そんな人間を雇っていた。呪具がどういうものか、分からずともその単語が一人歩きしている昨今だ。もしも、呪具を売ったとなれば、その店の信用が失墜してしまう。
「ああ、悪かったよ。そうだろうな。じゃあ、どうして私の後をついて来たんだ。独りで留守番するのが淋しかったって言うような子供じゃないよな」
「僕も少々の知識はあるんだ。城の宝物庫に興味があったって良いでしょう?」
「お前、浄化が出来るのか?」
訝しげに、キーファは尋ねる。今まで呪具を見分けることが出来る能力者には会ったことがあったが、浄化までした能力者は見たことがなかった。
案の定、ルキは首を横に振った。
「……浄化は出来ない」
「……だろうな」
「だけど、君の力は異常だよ」
「……んだと。お前、自分が出来ないのが悔しいから、そんなこと言うんだろ?」
「おい、何やってんだよ。相変わらずうるさいな。キーファ」
剣呑な空気を破ったのは、宝物庫の門番だった。
地下に下りると、宝物庫の黒い鉄の扉の前には、二人の門番が立っている。頭からすっぽりと、鋼の兜を被り、重そうな鎧を纏って、完全武装している若い男達は、キーファとは顔馴染みだった。
「可愛い子じゃないか? いつ生んだんだ? キーファには似てないけれど」
「何か意図的な勘違いをしていないか。冗談じゃないぞ」
「へへっ。相変わらず、気が強いな」
門番が笑う。キーファも、口元に笑みを浮かべた。軽口は、挨拶のようなものだった。
不毛な会話を続けているうちに、手の開いている方の門番が黒い円形の扉に重厚な鍵を差し込んで、扉を開けてくれるのだ。
「仕事、頑張れよ」
「……ああ。うん」
キーファはルキを先に宝物庫の中に入れてから、気になっていたことを尋ねた。
「ところで、お妃様の父上は帰られたのかな?」
「ああ。アルバ公か」
顔を見合わせた門番が二人同時に笑った。
「よほど娘が可愛いらしいな。城からは出たんだけど、郊外の別荘に居座っているようだ」
「……そう」
娘を溺愛していたことは知らなかったが、城の外に出たということは、キーファの仕事には差し支えはないということだろう。
「有難う」
キーファは軽く頭を下げて、向こう見ずに、どんどん進んでしまったルキの背中を追いかけた。