表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大魔導士の誤算  作者: 森戸玲有
第2幕
6/30

第2幕 ①

「……あっ。起こしてしまいましたか」


 目を覚ますと、優しい蝋燭の灯が室内を照らしていた。


「すいません」

「ミアネか……」


 ルキシスは前髪をかきわけて、現状を確認した。

 机の上に開いた書物と、筆記具。

 どうやら、自分は勉強の最中にうたた寝してしまったらしい。


(……いけないな)


 自省しつつ、今まで書き写していた書物に再び視線を戻した。


「いや、眠ってしまわなくて良かった。今夜中に調べたいことがあったからね」

「根を詰めていらっしゃいませんか? お疲れなのでは?」


 そっと、ルキシスの手前に温かい飲み物が置かれた。ふと後ろを見ると、何よりも目映く、ミアネの金色の髪が輝いていた。


「昔、先生が教えて下さった栄養一杯のシト茶です。シトの実が滋養強壮に良いって聞いたので」

「僕は、シトの実は、妊婦の悪阻が酷いときに飲むと良いと教えなかったかい?」

「…………あれ? そうでしたっけ!?」


 ルキシスは、溜息交じりに、杯の茶を一口含む。強烈に苦い。出来れば、水が飲みたかったが、師匠の意地として我慢した。


「君は、まだまだ修行が足りないようだね。無理しろとは言わないけれど、何か得意な分野を作らないと、聖導士の弟子とは他人様に紹介出来なくなるよ」

「はい……」


 消沈して首肯したミアネは、本当に落ち込んでいるようだった。


(まいったな……)


 ミアネの目が赤い。それに、いつもの覇気がなかった。

 異例の昇進で若くして聖導士になったルキシスには、理解できないことなのだが、ルキシスの弟子の間で、ミアネは苛めの対象になりつつあるらしい。

 ミアネは導士として研鑽は積んでいるが、どうにも詰めが甘く、それが力不足だと弟子達に認識されているようだ。そんな未熟な弟子がルキシスの側にいるのが、弟子達には堪らないらしい。

 ミアネは仲間の僻みと嫉妬を恐れて、ルキシスと距離を取り始めている。

 他の弟子と共に、寮に入ると言ったのを、ルキシスは止めたばかりだった。

 シオン王子が内密に知らせてきて確信に至ったのだが、ルキシスとて、以前から薄々は分かっていた。

 弟子達の感情も。

 ミアネの進むべき道も……。

 彼女は、導士として生きるよりも、もっと他の道が似合っているかもしれない。

 研究と、暗記漬けの変化のない生活を送るよりは、華やかな日向の道を、ゆっくりと歩いて行くほうが、ミアネの幸せなのかもしれないのだ。


(僕が……、潰しているんだ)


 だけど、それを口に出して、ルキシスはミアネを手放したくなかった。


「まあ、君は僕の部屋の整理は得意かもしれないな」

「そう……ですか」

「僕が読み散らかした本を、うまく整理してくれる」

「あ、有難うございます!」


 ミアネは、抱えていた盆を強く抱き締めた。


「シオン様も褒めて下さいました。お二人が褒めて下さるなんて、本当に有難いことです」


(シオン……ね)


 急激に心が冷えていくのを、ルキシスは感じ取っていた。


「シオン様が仰っていました。この戦が終結したら先生とみんなで息抜きに海を見にいこうって。リスリムには湖しかないですが、アルバ王国には海があるんですってね。戦争に勝つことが出来たら、みんなで一緒に見に……」

「悪いけれど……」


 ルキシスは、感情のまま勢いでぱたんと書物を閉じた。


「僕は、朝までにやらなければならないことがあるんだ。一人にしてくれないか?」

「……あ」


 ミアネは、慌てて頭を下げた。


「申し訳ありません。つい……」


 無言でいるルキシスを気遣わしげに見ながら、何度も頭を下げていく。


(必死だな……)


 戦災孤児の少女を、ルキシスの父が憐れんで拾ってきたのが始まりだった。

 ミアネは、ルキシスに嫌われたら他に行く所なんてないのだ。

 だから、彼女はルキシスに優しいが、その感情は決して愛情ではない。

 こんな無愛想で、肝心な時に護ってくれない男を好いてくれるはずがない。


(……いや。……違うんだ)


 ……そうじゃない。

 ルキシスは、額を押さえて小さく頭を振った。

 そんな女々しいことを考えている自分が嫌いだった。

 シオンのように、広い心でミアネの言葉を受け止めたかった。


(こんな勘繰りや、計算めいたことまでして、僕は楽しいのか?)


 分厚い書物を占める冷たい文字の羅列に、深い息をつく。

 木製の杯からは、静かに湯気が上がっていた。


 …………茶は、まずかった。


 だけど、こんな時間までミアネは起きて、ルキシスのために茶を淹れてくれたのだ。

 何故、その背中に「有難う」と、たった一言。

 平凡で、些細な言葉を口にすることが出来ないのか。

 ミアネが身の周りのことをやってくれるから、自分は仕事に没頭できるのだ。

 愛情を量ったり、駆け引きなんてしないで、ただいつも、感謝しているのだと、ありのままに礼を言えば良いだけなのに。どうして、いざとなると、唇が動かないのか。口から出る言葉は、余計なものばかりだ。


(また明日。今度こそ、ちゃんと言おう)


 ……そう。

 明日があると、ルキシスは思っていた。

 明日が駄目なら、その翌日でも良いと、泰然と構えていた。

 ルキシスにとって、時間は無限に続いているものだった。

 まさか自分が戦争で死ぬとは思ってもいなかったし、生き残る自信もあった。

 この時間は、永遠に続くものだと、無闇に信じきっていた。

 彼女の中の時間も、自分と同じ速度で流れているのだと、軽信していた。


 …………その時、すでに手遅れだったなんて、思いもしなかったのだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ