第1幕 ③
「お妃様の父上……?」
アルバ領は、北領でも代表的な領地だ。昔、表立ってリスリム王国に反逆したのは、アルバ国のみだった。結局、リスリム王国がアルバを制圧したわけだが、長い間、差別が続いたのは事実だ。まさか、その領地から、わざわざ妃を娶ろうとするなんて思いもしなかった。決断を知った時には、都の住人も大いに驚いたものだった。
婚礼の儀式の際、城の露台から国王と揃って、お披露目があったらしいが、当時都の外れに住んでいたキーファは、結婚式があったことすら、しばらくの間、知らなかった。
そのお妃様の父親?
「お妃様のお父上は、魔術を信仰しているのですか?」
「……あくまで、噂だけれど」
イグルは、浮かない顔をしていた。
確かに、魔法について興味津々な人物がいたら、キーファの能力を面白がるに違いない。
「ほら! みんな。大人しくお外で遊んで来るのよ」
キーファは、その声に弾かれたように我に返った。
「嫌だ。キーファお姉ちゃんと遊ぶ」
「キーファお姉ちゃんと、院長先生はお話があるのよ。さあ、行って」
杖をついて、部屋の中に入って来たのは、エネミア院長だった。
いつも身に纏っている襟付きの焦げ茶のドレスと、自ら編んだ温かそうな肩掛けを羽織っている。しばらく会わないうちに、後ろで一つに結っていた金髪を、頭の上でまとめあげている所だけは変化していたが、相変わらずのようだった。
「お久しぶりです。院長先生」
「本当、久々だわね。今日は……」
言いかけたエネミアの円らな黒い瞳が大きく見開かれた。
「貴方様は……」
「私も、随分とご無沙汰していました。院長先生」
イグルは人懐っこい笑顔で、軽く会釈をした。
「本当、朝からびっくりだわ。今日は特別な催しなんて何もないんだけど?」
「特別……というか」
キーファは自分の真下で、何やら難しそうな顔をして考えこんでいる少年の背中をどんと押した。
「今日の元凶です」
「あらあら。……どうしたの。君?」
エネミアは、今までまったくルキの存在に気付いていなかったらしい。
慌てて駆け寄り、そっと肩に触れた。
「お察しの通り、孤児ですよ」
感慨もなく、ルキが言い放つ。エネミアは、息を呑んでキーファを見上げた。
「……キーファ。この子に何をしたの?」
「何もしていませんよ。こいつは、こういう、つまらない子供のようです」
「口を慎みなさい」
逆に叱られた。キーファにとって、エネミアの怒りを買うのは久々だったので、その衝撃は大きかった。悄然としつつ、今までの経緯を簡単に説明した。
「まあ! あの黒の森に独りでいたっていうの? あんな薄暗い森に!?」
エネミアは、キーファからすべてを聞く前に、泣きそうな顔で悲鳴を上げだ。
「それはさぞ、怖かったことでしょう」
「この人に比べれば、まったく怖くないですけどね」
ルキは、人差し指をキーファに向けた。大変素直で、腹の立つ子供だ。
「さて、どうしてやろうか……」
キーファが拳を鳴らして近づくと、素早く逃れたルキが呟く。
「…………まったく、君はのんきだな」
「はっ?」
部屋をぐるりと見回して、中央の長椅子にいきなり腰をかける。ルキは優雅に足まで組んでみせたが、子供の短い足では格好がつかない。ただの虚勢のようにも見えた。
「…………お前なあ」
よく、イグルもエネミアも、よくこいつの厚顔無恥な行動に、我慢しているものだ。
「静かにしてよ。えーっと。ミ……」
「私の名前は、キーファだ」
間違えるにしても、せめて一文字くらいは合っていて欲しい。
「すぐにムキになるんだね、君は。大体、自己紹介しないほうが悪いんじゃないの」
そういえば、キーファはルキに名乗ってもいなかった。
「うるさいな。どうせすぐ別れる予定だったんだよ」
殴りたい衝動を堪えていると、イグルがそっと肩を叩いた。
「冷静にね。キーファ。何だかルキ君が面白い話をしてくれそうじゃないか。……で。一体どうしたの?」
「頭から否定しないのならば、話しても良いけれど?」
「否定しないわよ」
エネミアが断言して、イグルが首肯した。こうなっては、キーファは黙るしかない。
しんとなったところで、ルキが早口で話しはじめた。
「この屋敷は元々魔術的力を倍増するように造られている。その屋敷に呪具を入れると、普通の人は過敏に反応してしまう。特に子供などは体調に異変が現われたり、急に性格が変わったり、いろんな作用が出るものだ」
屋敷のことはともかく、呪具については民衆もよく知っていることだ。
呪具とは、弾圧が始まる前、魔法使いが自分達の魔力を予備の力として、宝石に封じたものだ。別名、魔導具とも呼ばれているが、一般民衆にとっては、まさに呪われた道具だった。呪具を手にした庶民は、特別素敵な効果を得られるわけでもなく、気分が悪くなったり、性格が急に変わったりなどと、ろくなことがない。
そのくらいの知識、近所の子供だって知っていることではないか。
「確かに、風邪をこじらせている子が何人もいて、今、お医者様からお薬をもらってきたところだったのよ」
「学校の見送りに出ていたのかと思っていましたが……」
「学校に見送ったついでに、お医者様の所にも寄っていたの」
……そうだったのか。朝から忙しないことだ。
「えーっと。呪具っていうのは、つまり貴金属のことよね」
エネミアは、興味深そうにルキの話に耳を傾けた。
「最近、誰かから宝石を貰いませんでしたか? それから子供達の調子が悪くはなっていたりとかは……?」
「えっ? 宝石」
しばらく考え込んでから、エネミアは手を叩いた。
「あれかしら? いや、でも。子供達の体調が悪いのが、あれのせいってことは、有り得ないと……」
「だが……。僕が見るに、この場が乱れたのは最近だ。貰ったっていう「あれ」に心当たりがあるのならば、今ここで見せてもらったほうが良いかもしれません」
「ちょっと、待っていて頂戴」
慌てて、エネミアは部屋から出て行った。
「……詐欺でもしようっていうのか。ルキ?」
「こんな孤児院の院長から金をまきあげて何になるっていうの? どうせやるなら、その人から巻き上げたほうが取れそう」
「……私かい?」
イグルが自分を指差して、何度も瞬きをした。
「ルキ!」
怒鳴りつけた矢先に、エネミアが駆け足で帰ってきた。
「これ……なんだけど?」
「…………えっ」
キーファは驚いた。それは、紫水晶の腕輪だった。大きな石と小さな石を交互に繋ぎ、繋ぎの金具は金を使っている。高価なものかもしれないが、特別変わった点はない。
だが……。キーファには見えていた。腕輪の周りを渦のように旋回する黒い気体を……。
「先生、これは……」
「つい最近、高貴なお方から寄付金と一緒に頂いたの」
「…………やっぱりね」
淡々と、ルキが言った。座った体勢のまま、腕輪を一瞥しただけで、キーファが感づいたことが分かったらしい。
(こいつ……視えるのか?)
「キーファ。もしかして憑いているの?」
エネミアはキーファの仕事について知っているので、率直に尋ねてくる。
キーファは、深くうなずいた。
「……憑いていますね。ここに先生が持って来てくださるまで分かりませんでしたが」
「何をするんだ?」
ルキが訝しげに立ち上がった。
「何って……。魔法を取り除くんだよ」
戸惑うことなく、腕輪を受け取ったキーファは腕輪の宝石部分を額に当てた。
ひんやりした宝石が温かくなるまで一途に念じる。
繰り返すのは、子供の時に習った聖典の一説だ。全知全能の神にして、初代国王への信仰を捧げる文句。
(我が神よ。我らは貴方の御力によって悪しきを倒し、魔を退けることが出来る。貴方の慈しみと憐れみを持って、正しき道に私をお導きください)
キーファは信仰など、まったく持っていないが、何故か経典の一句を唱えていると、落ち着くことができた。キーファの心が真っ白になったところで、宝石が発光し、金色の光がキーファの手の中から零れて、周囲に広がった。
「…………浄化」
目を開くと、正面に突っ立っているルキの険しい顔は変わっていなかった。大抵、キーファの力を見た子供は、感激するはずなのだが……。
(まったく、面白くない子供だな)
でも……。
「いつ見ても、綺麗だなあ」
イグルの感嘆の声を聞いたので、キーファは満足だった。
これを見たイグルの推薦で、キーファは城勤めの職を得ることが出来たのだ。
得意げに鼻を鳴らして、エネミアに腕輪を返す。
「これで大丈夫ですよ。エネミア先生」
「有難う」
優しく礼を言うエネミアだったが、そんなに驚いてはいない。むしろ、心配そうな顔で見守っていた。
「城で仕事をしているのに、ここに来て、浄化までして。貴方体は大丈夫なの。少し痩せたような気がするけど?」
「キーファ。危険だったら、いつでも言ってくれよ」
少々体がだるく、体重が減ってきたのは事実だが、二人に喜んでもらいたかったのに、心配されてしまっては、元も子もない。
「平気、平気。大丈夫ですよ。エネミア先生のご要望ならば、何度でも浄化しますよ」
胸を張って笑ってみせる。結構疲れるので、一日に何度は勘弁して欲しいと、正直思っていたが、イグルには自分の頑健さを強調して見せたかった。
「でも、キーファも素晴らしいけれど、彼もすごいわね。だって、こんなに離れているのに、呪具の存在を言い当てたのよ」
「私も驚きました。もしかしたら、キーファと同じ力を持っているのかもしれないね」
「何か、胡散臭いなあ……」
(こんな話をあちらこちらで、でっちあげて、詐欺でもやっていたんじゃないの?)
キーファはしゃがんで、ルキと目を合わせた。
「お前、本当に呪具があることを分かっていたのか?」
「屋敷に入ったときから、重い気を感じていた。あれは、呪具のせいだよ。純然たる力も放置されて、年月を経て、いろんな持ち主の気を宿すと、害になる」
「まるで、その道の専門家のような言い草だな」
「両親が存命中に、そんなことを話していた」
「言い方が、子供っぽくないんだけど……」
「……じゃあ、他に何て言えば良いの?」
沈黙したキーファの腹の虫を掻きたてるように、廊下で聞き耳を立てていた子供達が大笑した。