第1幕 ②
街に一つしかない孤児院は、城のすぐ側にひっそりと佇んでいた。
大木のすぐ隣に、凭れるようにして建っているので、まさしく、ひっそりといった感じだ。木陰の中に存在している建物は、三階建ての洋館だ。
かつては、王家の別荘だったという白壁の建物は、何度も色を塗り替えたせいか、むしろ壁が黒ずんで傷んでしまっているが、それでも窓枠に施された見事な彫刻は、時を感じさせない。孤児院とはいえ、キーファにとっては自慢の我が家だった。
こうしてたまに立ち寄ると、ここに戻りたい気持ちにもなる。
キーファが自慢気に、孤児院を指差すと、何故かルキは大笑いした。
「これぞ、茶番だな」
意味不明な一言の後に、立ち止まって、腹を抱え、瞳には涙まで浮かべている。
「大丈夫か? お前」
キーファは純粋に心配した。独りぼっちになってしまった孤独で、おかしくなってしまったのかもしれない。しかし、ルキは先を歩いていたキーファを抜かして、前を進む。
すばしっこい早足で、風のように孤児院に入って行った。
「おい!」
追いかけたら、さっさと大きな扉を開けていた。キーファよりも一回りは小さいのに、意外に力はあるらしい。
(それにしても……)
一体、何様のつもりなのだろうか。ちゃんとした教育を受けていないのか。
「ルキ!」
慌てて後に続く。……が。
「キーファ姉ちゃん!」
「うわっ。本物!?」
かつての孤児院仲間達が押し寄せてきて、キーファは動きが取れなくなっていた。
「院長先生は、学校の見送りかい?」
この孤児院をたった一人で切り盛りしているエネミア院長は、上の子供達を直ぐ隣の学校まで見送りに行くのが毎朝の日課だった。
「お見送りと、お薬もらいに行ってる」
ルキよりも幼い、赤茶の髪の少年が舌足らずに告げた。キーファは彼のことを知らないので、新入りの子供だろう。
「薬?」
そういえば、今日は迎えに出て来る仲間の人数が少ないような気がする。
「パーシーもアリスも病気なのか?」
「風邪みたいだけど、長引いてるんだ」
「そうか。心配だな」
エネミアは忙しいらしい。こんな時にいきなり押しかけてきて、迷惑かもしれない。
(迷惑といえば……)
ルキはとっとと、赤絨毯を進んでいた。まるで、この屋敷の配置がすべて頭の中に入っているような確信めいた足取りだった。
そして、敷居のない突き当たりの部屋で、呆然と立ち止まった。
「何してんだ! ルキ」
後ろから掻っ攫うように、抱きかかえると、ルキは、ぼそりと呟いた。
「君は、魔物について詳しいんだろう?」
「はあ?」
「ならば、どうして、何も感じないんだ?」
意味不明だ。……ということは、考えて発言する必要はないと、キーファは判断した。
「ああ、そうだな。感じているさ。お前の行儀の悪さについて。ばんばんとな!」
キーファは片手を少年の顎に回して、強制的にこちらに向けた。
「父ちゃんや、母ちゃんに習わなかったのか!? 人の家に行ったら、まず「お邪魔します」だろ!? こんな、いきなり押し入ったらな、さっきの警邏隊のおっちゃんが不法侵入で捕まえに来るぞ!」
「人の家……ねえ」
「何だ? その含みのある言葉遣いは。子供のくせに、そんな言葉で格好つけているつもりなのか?」
「あのさ、キーファ」
「呼び捨てにするな!」
呼び捨てにされたことに、発作的に怒鳴りつけたキーファだったが、ふと気付いた。
(あれ、この声?)
――ルキではなかった。大人の男性の低い声である。
「……あれ?」
「お手柔らかに頼むよ。相手は子供なんだから」
ほんわかした優しい口調に、キーファは耳まで赤くしながら振り返った。
「イ、イグル様……?」
強引に小脇に抱えていたルキを、見事に床に落とした。少し目線を上げれば、キーファよりも頭一つ分、背の高い青年が穏やかに微笑していた。
吸い込まれそうなほど、美しい青の瞳に、真っ直ぐの茶髪を一つに結っている。
藍色の長い外套の腰の部分が膨れているのは、大剣を帯びているせいだ。
普通に話すことも憚られるような高貴な雰囲気を放っているのは、確実に、身分のせいだと思う。彼は、高位の貴族様だった。
「どうして、こんな所にい、いら……、いらっしゃられるのですか?」
「相変わらず、面白い敬語を使うね。キーファ。いや、街をふらふらしていたら、警邏隊の連中に会ってね。君がこちらに向かうと聞いたから、追いかけて来たんだ」
「お、追いかけて?」
胸の高鳴りで、そのまま卒倒しそうな一言だった。
「わざわざ私を?」
「そう。今日は、城に行かないほうが良いと忠告しておこうと思って」
「えっ?」
(何だ。そういうことか……)
軽い失望を勝手にしたものの、キーファはふと我に戻った。
「何故? イグル様。私が城には行ってはいけないって?」
「ああ……。ちょっと、厄介な相手が来ているらしくてね。君は極力城にはいないほうが良いのではないかと思ったんだ。今日は陛下が君に与えた休息日だと思えば良い。君の上司には、私から伝えておいたから」
「は、はあ」
キーファがイグルの早口に飲まれていると、すっかり忘れかけていた存在が口を開いた。
「厄介な相手って、誰?」
……悪意はなさそうだが、口の利き方がなっていない。
キーファは、ルキの頭を容赦なく上から押さえつけた。
「いいか。この方はな、恐れ多くもエリンスト国王陛下の側近。聖騎士団の総長・イグル様だ。一人ぼっちで村にいた幼い私を救って下さった大恩人でもあるのだぞ」
「あっそ」
ルキは冷ややかに首肯すると、子供とは思えない年季の入った嘲笑を浮かべた。
「そのお偉い総長さんが、真っ昼間から出歩いて、こんな所にいるんだ。天下のリスリム王国も落ちたものだな」
「おいっ!」
がつんと、キーファは鈍い音を響かせて、ルキの頭を叩いた。
「痛いな」
「痛くなきゃ、殴った価値がないからな」
「まあまあ……」
イグルは、恐々見守っている孤児院の子供達に手を振って宥めながら、ルキの肩に手を置いた。
「君の言い分にも一理あるよ。平和の時の騎士団の仕事といったら、腕が鈍らないように鍛錬することと、警邏隊の真似事くらいしかないからね。……つまり、暇なんだよ。だから、君の噂も当然セシムから聞いている」
「黒の森で、一人きりで生活していた悪魔の子供だそうですよ。イグル様」
「僕が、貴方には悪魔に見える?」
「いいや。まったく見えないけど?」
「本当に?」
「ああ。正直、君の髪色と瞳は、北領の血をひいているようだけど、人じゃないものには見えないな」
北領とは、都の北側に位置している領地だ。かつて、北の大地は小国が独立していて、それを併呑したのがリスリム王国だった。
「でも……」
ルキは、いかにもわざとらしく、うつむいた。
「僕、色々と大人の話を聞いたよ。今の世の中、術を使うことが出来る人間はみんな悪魔。魔法使い。罰せられるんだってね?」
「……それは」
立場上、どう言えば良いのか、困惑しているイグルを慮って、キーファが口を出した。
「でもな。前の国王の時代は、色々とうるさかったけど、実際、今は魔法使いなんてそのものが存在していないんだからな。よほど変な真似でもしない限り魔女裁判にかけられることなんざないさ」
「ふうん。じゃあ、魔法使いは、もう存在していないってこと?」
「どうだろうね。いまだに処罰の対象になってしまうからね。キーファの特例を除けば、まだまだ名乗り出ることは出来ないだろうなあ。でも、歴史の上では、魔物と取引をしているとんでもない者達だということになっているけど、私は彼らには、彼らの正義があって、この国のために戦ったのだろうと思っているんだけどね」
「…………イグル様」
未だに先代の国王の言葉に逆らえない民衆や貴族が数多く存在しているのだから、イグルの発言は、大貴族として、革命的なものには違いなかった。
「この世には不思議な力が確実に存在していると私は思っている。君が「術」と言っているものも、キーファの力も、呪いの道具も存在しているからね。……だけど、今の国王の時代になって容認されているからって、妄信する人は良くない。私はね。術は万能とは思っていないんだよ」
そして、急に嫌なことを思い出したのか、イグルは溜息混じりに告白した。
「……実は。今日、城に来ているのは、その盲信に当てはまるだろう人物。王妃のお父上。アルバ公なんだ」