第4幕 ③
朝は、いつもと変わらずにやって来た。
鳥の囀りに、仕方なく目を覚ます。
――と、隣でルキが孤児院から貰った涼しげな半ズボン姿で眠っていた。
「ルキ……。いたのか」
キーファは、目頭を押さえる。
(究極に疲れているなあ……。私)
おかしな夢を見た。その夢の続きも不可思議なものだった。
夢の中に存在していた青年が現実世界のキーファに声をかけてくるなんて、まず有り得ない。
しかも、抱き締められたのだ。イグルに失恋した直後にこんな節操のない夢……。
更に、その青年はルキにそっくりだったなんて。
(…………違う)
それだけは、譲れない。
ルキのはずがない。
キーファは、ルキの寝顔を一瞥して、ぶんぶんと頭を振った。
「だって、なあ、コイツ、小さいじゃないか……」
身長はキーファの半分にも満たない。
腰を丸めて眠っていれば、尚更だ。
(指輪だってないし……)
唯一、確認した男の特徴でもある人差し指の紅い指輪は、ルキにない。
小さな手は毛布の上で上手に組まれている。
キーファは、ルキの黒髪を撫で、無防備な頬を、人差し指で押した。
親子の関係にはさすがに見えないが、どう見たって、姉と弟にしか見えないと思う。
たとえ、夢の世界で「術」というものが人知を超えたものとして、存在していたとしても、あれはあくまで夢の中だ。
(でも……)
ルキが夢の中の彼と同一人物であるのならば、宝物庫の隠し部屋の宝石が盗まれた件も、納得がいくのも事実だった。
夢の中での彼にとって、扉を破壊するなんて、容易いことだった。
「…………痛いな」
ルキは、キーファの人差し指を払いのけて、紫色の瞳をじろりとこちらに向けていた。
「わっ、あっ。すまない」
キーファが慌てていると、速やかにルキが上体を起こした。
健康そのものの寝起きが、キーファには少し羨ましい。
「あのさあ、君は、どうして、落ち着いていられないの? ……また咳き込むよ」
「やっぱり、私は昨夜、咳こんでいたんだな」
「寝ながらね。覚えていないの?」
キーファが覚えているのは、息苦しくて夜中に飛び起きた自分だった。
……堂々巡りで、おかしくなりそうだ。
「まっ。いいや。思い出すの面倒くさいし」
「…………その見当違いな能天気ってどうなんだろうね。忘れてるのならいいけど」
「今日も良い天気だ。こういう日は、まさしく仕事日和だ。仕事、仕事だな」
キーファは、胸を押さえながら慎重に起きるあがると、ワンピースを頭から被った状態で、器用に寝巻だけ脱いだ。
以前、豪快に脱ぎ始めたキーファに対して、物騒なものを見せるなと、怒鳴り込んできたルキと、大喧嘩になったことがあったからだ。
「いい加減、辞めてよね。あんな仕事」
寝床で胡坐をかいたまま、ルキが怖い顔で言う。これも日課のようになっていたが、今日はいつもよりも真に迫っていて、気持ち悪かった。
……だから、キーファも真摯に返すしかなかった。
「うん。分かってるよ。もう辞めるさ」
「えっ。本気で?」
あっけない答えに、ルキの方が面食らったようだった。
キーファは、底の深い大皿に、水を汲むと、卓の上で水飛沫をたてながら、顔を洗った。
前髪が濡れて、雫が滴り落ちる。
「……そろそろ、駄目なような気がする」
「駄目って?」
「ああ、体だよ。あれから浄化の力は使っていないけど、かなりきつい。体が弱ってると、呪具が近くにあるだけでも駄目なのかな。たまに意識がなくなりそうになるんだ。次こそ、イグル様と会ったら辞めるって言うよ」
「…………キーファ」
おかしなものだ。あれだけ、辞めろと騒いでいたルキの方が沈んでいた。
「いいんだ、もう。今まで「浄化」っていう特殊な力にしがみついていなければ、私の価値もないって思っていたけど、それはお前の言う通り、愚かだった。死ぬのは怖くなかったんだけど、苦しいのは、やっぱり嫌だな」
ルキが立ち上がる。キーファは顔を拭きながら、真剣な顔つきのルキに大丈夫の微笑を送った。
「変な奴だな。どうせ、お前のことだ。毛ほども同情なんてしていないんだろう。でもな。私はお前を心配しているんだ。お前が何か暗いものを抱えていることは分かっている。だけど、私はお前に会えて良かったと思っているんだ」
「そんな……。君らしくないことを言うのは、やめてくれ」
下を向いたルキの表情は見えなくなった。
キーファは椅子に掛けっぱなしだった上着を羽織ると、出勤の準備を終えた。
「この水。片しておいてよ」
平然を装って、指示を出せば、キーファの長い上着をルキが引っ掴んでいた。
「何だ?」
「待って。キーファ。…………君、朝食は?」
「ああ、いらないよ。お前の分はスープがあるから、それを飲んでればいい。昼食は……」
「僕のじゃない、君のだ」
「あまり、食欲がないからいらないんだ」
「……食い意地だけははってたのに」
「うるさいな」
「つまり、君は立派な病人だってことだ。だったら、それこそ寝てなくちゃ駄目じゃないか。仕事を辞めるっていうのなら、代わりに僕が……」
「ばーか。お前は城内に立ち入り禁止なんだぞ。使いになんて出せないよ。それに、こういうことは自分で言わなくちゃ」
「でも……」
「やっぱり、お前、根は良い奴じゃないか……」
「違う。僕は……」
「じゃあな」
「キーファ。僕は……」
「うまいものを買って帰るから、楽しみに待ってろよ」
何か言いかけているルキの頭を撫でて、キーファは外に出た。
誰かに心の底から心配されるのは、久しぶりだ。
最後にルキに会えたのは、キーファにとって幸いなことだったのかもしれない。
(私がいなくなっても、誰かが覚えてくれるんだもんなあ……)
もっと、暴れて、死を受け入れたくないと駄々をこねても良いだろうに、キーファは、もはや、そうすることも出来ない自分の体力に苦笑するしかなかった。
ぼうっと歩いていれば、朝を告げる鐘が、高らかに響き渡っている。
城の敷地内に設けられている聖堂の屋上には、大きな鐘が設けられていて、住民に時間の感覚を植え付けるように、一日、十回鳴らすよう手配されている。
係の人間によって、時間が少しずれたり、音が微妙に小さい日もあるが、いつまでも、音がすっと伸びて、街の隅々まで音色がよく届く、なくてはならない当たり前のものだった。
リスリムにおいて、仕事の始業時間は統一されている。この鐘がもう一回鳴り響くときが仕事始めの合図を表していた。
丁度、城に着く頃に鳴ってしまいそうな感覚がするので、キーファは急がなければならなかった。
問題になっているルキは、ずっと留守番をさせているから、門番の前を通過する時間が早いのは助かることだ。
イグルが遣わした監視役が常にルキの側にはいるので、ある意味キーファはルキを一人にしても、心配しないで済んだ。
……だけど。
毎朝、会釈程度はかわしている監視役の兵士の姿が、今日に限って見当たらないのが不思議だった。
「…………あれ?」
(何かあったんだろうか?)
キーファは胸騒ぎを覚えつつ、城に向かった。
以前、ふってわいたように、キーファに鑑定を依頼してきた街の人間は、ルキの宝物庫での事件が誇張しながら噂になったせいで、めっきり減った。
最初からルキの存在は恐れられていたので、今回の件は決定的だったらしい。
――静かだ。
キーファの周囲と同様、街全体がおとなしかった。
いつもは、もっと賑やかだったはずだ。
そして、城内に入ると、キーファの疑念は更に濃くなった。
配置されている衛兵の数が多い。
――が、そのわりに、取次官の姿が見えない。
取次官は多数いて、国王以外の大臣にもその役を担っているので、いないということは有り得ないのだが……。
みんな、おかしいと感じているようだった。
だが、誰一人としてその理由を質している場面が見えない。
(どういうことだ?)
廊下の端から、男が一人こちらにやって来た。黒の制服姿だが、帯剣していない。
――取次官だ。
何処に行くのかと、目で追っていたら、キーファの目前で足が止まった。
男は軽く頭を下げた。
「お妃様が、お待ちしています」
「はっ?」
キーファは、背後を見た。まさか自分であるはずがない。
……しかし。
「貴方ですよ。キーファ嬢」
「…………私?」
キーファは、目を丸くした。嘘じゃないかと疑った。
キーファをリタ妃が呼ぶ理由が分からない。
だが、先導され、先日イグルと謁見した隣の部屋の前に案内されると、いよいよ現実味が帯びてきた。
両開きの扉を恭しく取次官が開ける。
それほど広くはなかったが、金と白地の派手な壁に、天井には満開の花が描かれている。
キーファの嘆息が、明るい室内に零れ落ちた。
――そして。部屋の中央に、真っ白な人形のような人がいた。
純白の生地を主に、黄色の紐で飾り付けたドレス姿のリタだ。
頭も揃いの黄色の紐で綺麗に一つに束ねられている。
ここにいないような遠いところにある目と、すべてがか細く、壊れ物のような体は、近づくのも倒してしまいそうで、怖かった。
妃は、音もなくキーファの横を通り過ぎて、扉に向かった。
今日は一人も供がいない。
廊下の侍女に人払いを徹底させているようだった。
「……ええっと。お招き頂き……有難う? 恐縮至極でござい?」
「堅苦しい挨拶は、いらないわ」
やんわりと、しかし強い口調で、口上を打ち切られたキーファは、困惑したままその場に突っ立ていた。
背後では、扉が閉められてしまって、もう逃げ場はない。
重苦しい、沈黙が続いた。
(一体、何のために私を呼んだんだ?)
妃がキーファをここに呼んだ理由は不明だ。
だが、キーファはリタ妃に聞きたいことがあるのだから、これは絶好の機会に違いない。
「お妃様。私は貴方が呪具を集めていらっしゃるという噂を聞きました。先日の宝物庫の件。誰も何も言いませんが、貴方は何かご存知なのではないですか?」
「知っていたら、どうだというの?」
無感情に問いを投げ返されて、キーファは困却する。
「もしかして、ルキは貴方を庇っているのではないかと……。だったら、私も辛い。街の連中がルキを恐れ始めています」
「皆が恐れる? 当然だわ。彼は、正真正銘の魔法使いなんですから」
「はっ?」
あまりにもはっきりリタ妃が断言したので、キーファは面食らった。
「…………あの呪具は、別に扉を破壊してまで欲しかったわけではないのよ。だけど、あの子が率先して扉を壊すから、こんなに大事になってしまったのよ」
「……そう、ですか」
本当に、あっさりと、宝物庫にいたことを認めてしまった。リタ妃には、それが後ろめたいことでも何でもないのだろう。
しかし、それが事実であれば、やはりルキの証言は嘘だったことになる。
妃に感謝しなければならないだろう。
リタ妃が口を開いていれば、ルキは牢から出る出ないの問題ではなく、間違いなく、極刑だった。
「私はね。ただ、陛下が困るお顔を見たかったの。……悔しかったから」
「悔……って? たった、それだけのことのために、宝物庫に忍び込んだのですか?」
「呪具の年代の宝石も沢山揃えたわ。お父様が研究に使いたいと仰ったこともあったけれど、陛下があまり良い顔をしないから。わざと集めたかったのよ。少しでも、気にかけてほしかったの。もしかして、その中に呪具があって、私が具合悪くなったりしたら、心配してくれるかもって。でも馬鹿げていると思ってやめたのに……」
それは……。
キーファの行動に、とてもよく似ていた。
「そんなことしたって、意味はありませんよ。お妃様」
「よく言うわ。あの晩、陛下とお会いになっていたのは、お前ではないの?」
「それは……。その、一応、そうですけど……」
それは事実ではあったが、リタ妃が懸念しているようなことは、起こってもいないし、……本当に悲しいくらい、何もなかった。
「あ、ほら。私は買い物に同行させて頂いただけで。お妃様。陛下から、首飾りを受け取りませんでしたか? 私はそれを選ぶために、呼ばれたんです」
「これのこと?」
リタ妃は、首を覆っていたドレスの中から、橙色に輝く宝石のついている首飾りを引っ張り出して、自分でそれを外して見せた。
(あれ? これは、私の選んだ方じゃない)
それは、キーファが選んだ銀色の首飾りではなかった。イグルが候補にしていたもう一つの方だ。銀色が気に入らなかったのか?
「こんな安物……。一体、どういうつもりなのかしらね?」
「安い?」
キーファにとっては、とんでもない高額だったが、王妃ともなると安物となるのだろう。
「これで暴挙はやめろと? 呪具を収集している妃なんて評判が悪いもの」
リタ妃の言い分は、キーファにも分かる。
でも、違っている。そうではない。
「これね。お前にあげようと思っていたのよ。だって、お前も陛下が好きなのでしょう。そのくらい、一目見て、私にだって分かるわ」
おもむろに、リタ妃は、首飾りを大理石の床に放った。
「何てことを……」
「お前にあげる。取ったら良いわ」
つかつかと、妃の前まで迫ったキーファは感情に流されて、片手を振るい上げた。
だが、リタ妃は瞬きもしない。そのままの姿勢で呟いた。
「間もなく、私は離縁させられる。陛下からは会えないと使いが来たわ。分かっているのよ」
キーファの掌の勢いが止まった。
「それは、どういう?」
「父上の仕業よ。……きっと」
「は?」
今までまったく焦点の合っていないリタ妃の瞳が初めてキーファの視線と重なった。
「陛下が、お命を狙われたのよ」




