第1幕 ①
「キーファ。すまないが、これも見てもらえないかい」
「はあー? ちょっと見て分かんないのか。これから仕事なんだけど?」
不機嫌に眉を顰めながらも、喧騒の中、髪の薄い親父から、黄金の腕輪を受け取ったキーファは、碧眼を細めた。
下を向いた拍子に、緩く一つに結った亜麻色の髪がさらりと音を立てて、左肩を伝って前に落ちてくる。
「お前さんも、年頃の娘なんだし、もう少し言動に気をつけたらどうだ?」
「それで、美味いもんが食えれば良いけどな」
「言うわりには、若い娘に流行りのひらひらの下穿きを穿いてるじゃねえか? 惚れた男でも出来たんじゃねえのか?」
「いちいち、うるさいな。……はいよ」
キーファは弱みを握られたのを隠すように、ひょいと腕輪を親父に返した。
女にしては背が高いキーファなので、返すというよりは、胸に突きつけるような格好になってしまう。
「気の強いお嬢ちゃんだな。こんなんじゃ、男も逃げるわ。……で、どうだったんだ?」
「失礼な親父だな……」
キーファは膨れっ面で、親父の前を通過していく。腹が立ったので、取り合わないつもりでいたが、長い下穿きの裾に足を引っ掛けて、躓きかけたところを見事に親父に見られた。
……恥ずかしい。
「ああ……。まったく、何やってんだよ。」
「うるさいな。悪いもんなんか憑いてないよ。もしも、憑いていたら何かしら反応しているさ。だからついてこないでくれる?」
「反応ねえ?」
疑わしげな親父の視線を背中に受けながら、キーファは盛大に溜息を吐いた。
「信用していないなら、私の所なんかに持ってくるなよ」
「いやいや、信用しているさ。何せ、お前さんは宝物庫の番人だ。お前の鑑定ならば、胸を張って、客に売ることが出来る。有難うよ」
「まったく」
キーファは呟くと、城までの坂道をゆっくりと歩き始めた。
最近、キーファが城の宝物庫で仕事をしていることが、何処からかばれてしまったらしい。確かに、毎日城に通っているのだから、知れてしまうのも当然かもしれないが、毎日、誰かに声をかけられて、物置から引っ張り出してきた骨董品や、形見の品を見せられている身にもなって欲しい。
「あああ! そこのお嬢ちゃん止まってくれ!」
(ほら、またお出ましだ……)
キーファは背後から届いた声を無視することに決めた。
宝物庫の仕事は体力的にきついのだ。ただでさえ最近具合が悪いのに、こんなことをしょっちゅうしていたら、本格的に体を駄目にして本業の方に支障が出てしまう。
しかし、キーファの歩みは、小さな物体が腹に当たってきたところで、完全に止められてしまった。
「…………子供?」
キーファの臍くらいの位置に、小さな顔があった。
黒い外套をすっぽり被り、膝丈の下穿きに薄汚れた靴を履いていた。
近所の子供でないことは、一目で分かった。
闇のように黒い髪が色白の顔を際立たせていた。長い前髪で邪魔で分からなかったが、特徴的だったのは、その瞳だった。
……淡い紫色をしている。
この近所、いやこの国の人間ではないかもしれない。
キーファと接触したせいで、少しだけ飛ばされた少年は、驚いた顔でキーファを見上げていた。
「どうした。坊主?」
「別に」
一応、少年の話している言葉は流暢なリスリム語だった。リスリム人らしい。
「やっと止まったか。クソガキ」
訛りのある粗野な言葉が飛んできた。キーファを呼んでいたらしい男だ。
「……ったく。逃げ出したかと思ったぜ。この坊主」
茶髪に白髪の混ざった壮年の男がのろのろとやって来て、少年の肩を軽く叩いた。
その服装は全身紺色で、腰には小振りの剣が差してあった。帯剣できるのは、特別に認められた職種の人間だけだ。
「……セシムさん?」
「キーファじゃないか」
キーファは目を見開いた。
セシムは、ここ王都ウルクの警邏隊の一人だ。近所なので顔馴染みだったが、まさかこんなところで会うとは思ってもいなかった。
「迷子ですか?」
「まあ、似たようなものだが、似ていないような気もするな」
「はあ」
セシムの後に彼の部下らしい男達が二人走ってきて、キーファも事が単純でないことを悟った。
「王都の外れの黒の森を知っているだろう?」
「そりゃあ、知っていますよ」
呪われた森などと囁かれている昼間でも薄暗い広大な森のことだ。キーファも一度近くまで行ったことがあるくらいで、詳しくは知らない。
「そこに最近、魔女が住み着いたって、噂が流れてな。確認のために俺が行ったわけよ。そしたら……」
「この子がいたわけですか。……一人で?」
「家族がいたら、俺がこんなふうに、甲斐甲斐しく連れてなんかいねえよ」
「確かに」
キーファが見下ろすと、瞬きもせずに少年の大きな瞳が自分を睨んでいた。
(何だ。こいつ?)
さっと瞳を逸らすと、セシムがキーファに近寄ってきて、耳打ちした。
「何とも思わないか?」
「……えっ」
「あの坊主だよ」
「何ともって……?」
自分に向ける複雑な視線と瞳の色はともかく、それ以外は普通というよりも、上品な少年だ。街で出くわすやんちゃな子供たちとは違う。
「別に、何も感じませんけど」
「おお、そうか!」
セシムは不必要にキーファの背中を何度も叩いた。キーファは一応、女なのだが、まったく手加減してくれないらしい。
「いたた……。痛いなあ!」
「そいつは良かった!」
「はあ?」
「坊主、良かったな。キーファがそう言っているんだ。お前さんの嫌疑は晴れたようだぞ。お前は魔物じゃない」
「魔物?」
「何も感じなかったんだろう?」
あっけらかんと、セシムは言い放つ。
「ちょっと待ってください。私は物に憑いたもんだったら、判定できますけど、人に対しては魔物かどうかなんて……」
「形式みたいなもんだ。気にすんな。一応、建前っていうものがあるだろ?」
感情と一緒に手が出るらしいセシムは、今度は少年の真っ直ぐの黒髪をぐしゃぐしゃに撫でながら笑った。
「先の王様に比べて、取締りは緩くなっているけれど、疑いがあるのは良くねえからな。あの森から来たっていうだけで、街の奴らは良い顔をしないんだ。お前に一言大丈夫だって言って欲しかったんだよ」
「そう言われても……」
何だかキーファの名前だけ一人歩きしているようで、居心地が悪い。
キーファは、過去にリスリムに存在していたという魔力を発見し、無効にする力を持っている。
以前の国王たちは異能力を弾圧していたので、キーファの先祖達が隠し通してきた。時代が変わって、ようやくキーファも自分の力を口にすることが出来るようになったのだ。
現在の国王は、厳格な先代の国王を追放して王位に就いた果敢で高邁な英君だ。
キーファは会ったことがないが、キーファの力も神の恩恵として受け入れてくれた。
しかし、時代が大きく変わったとはいえ、前国王までは魔法というものを毛嫌いし、異端者たちを悉く弾圧してきたのだ。今の国王も魔法使いや魔女を処刑する法律には、周囲の反発が強くて手が出せていない。その影響で、未だにリスリムでは魔法に関して民衆の警戒心が強かった。
「……坊主、家族はいないのか?」
キーファはしゃがんで、目線を少年に合わせた。
「いない。死んだ」
「そうか。大変だな」
キーファの親も、丁度キーファが少年くらいの年頃に病気で死んでしまっている。
唐突な出会いではあったが、キーファは少年に深く同情をしていた。
「お前、名前は?」
少年は、少し間を置いてから、小声で告げた。
「…………ルキ」
「ルキ。そうか、じゃあ街の孤児院に入ると良い。待遇はいいぞ。私もいた所だからな」
「君も?」
「君……じゃないだろう。年上の人を呼ぶときは貴方か、お姉さんかだろ? 私は明らかにお前より年上だ」
「……それで。魔物判定がお得意な貴方は、孤児院出身なの?」
面の皮が厚い少年だ。キーファの言うことを何も聞いていない。
「ああ。そうだ。うちの家系は若死にが多くてな。まあ、孤児院に入れただけ幸運さ」
「……へえ」
何やら、感慨深げにしているルキの腕を掴んだセシムは、キーファにその腕を取らせた。
「仲良くなったみたいで良かったな。そんじゃ、キーファ、坂の途中の孤児院にこいつを届けてやってくれよ。どうせ城に行くついでだろ?」
「はあっ!?」
キーファは叫んだものの、セシムと部下はとっくに背中を向けていた。
「仕方ないだろう。俺達はこれから仕事に戻らないと、魔女がいるってみんな怖がっているからな。森を巡回しなくちゃいけないんだ。子供連れなんかで行けるか」
「私だって、これから仕事なんですよ」
「そう。まさしく、お前さんが毎日平穏に仕事できるように、街を護っているんだ。今日は、城に要人が来ているもんだから、俺達も忙しいんだ」
「要人?」
「じゃあ、頼んだぜ」
キーファの問いなど聞きもせず、嫌味なくらい、陽気な微笑を残して、セシムと仲間達は、街の雑踏の中に消えて行ってしまった。
「くそっ。年をとるごとに、この街の連中は人使いが荒くなっていくみたいだな」
キーファは、頭をかいた。
「いい年をした女の人が、その言葉遣いはどうかと思うんだけど?」
「ほう。坊主、言うじゃないか?」
殴ってやろうかと一瞬思ったが、何とか堪えたキーファは、人に流されそうになっているルキをひょいと抱きかかえた。こうなっては仕方ない。
「何をするんだ?」
「ふらふらするな。こんな軽い体じゃ、攫われるぞ。まさかとは思うが、都は初めてか?」
「そんなことはどうだっていいでしょ。ねえ。本当、恥ずかしいんだけど。おろしてくれない?」
「お前、ほんとーに生意気だな」
キーファは、渋々ルキを下ろす。城までの上り坂は傾斜がきつい。
孤児院は城に近いので、子供の足では大変だろうし、時間がかかる。せっかく運んでやろうと思ったのに、子供のくせに見栄を張っているようだ。沈黙のまま足を動かすと、少年は遅れながらもキーファの後についてきた。
(……何だろう?)
キーファは、何故か少年の熱視線を背中に感じていた。