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第3幕 ②

 ルキシスが目覚めた世界は、死後の楽園ではなく、地獄に程近い現実だった。

 そこは、ルキシスの生きていた時代ではなく、ルキシスもルキシスという男ではなくなっていた。ミアネの放った術は、ルキシスの力を根こそぎ奪い去り、体までも子供に変えてしまった。


 …………呪い。


 目覚めなければ、まだ幸せだったのかもしれない。

 せめて、眠ったままだったのならば……。

 しかし、ルキシスは誰かに起こされた。

 ……暗く冷たい土の下に埋められた棺を開けたのは、誰だったのだろう?

 でも、その誰かは直ぐにルキシスの前から姿を消してしまい、ルキシスは自分が目をそむけていたものと戦わざるを得なくなってしまった。


 ――聖導士でなければ、生きていけない……。


 そう強く思っていたのに、自分は無力な子供で、金も権力も、力すら持っていなかった。

 しかも、意識がない間に時代は進んでしまい、文化も風習も変わってしまった。


 ……ミアネに術をかけられてから、三百年が経っていた。


 歴史書は改ざんされ、リスリムには、「導士」自体が存在していなかったことになっている。「術」は魔法と呼ばれ、民衆には良い印象を持たれていなかった。

 おそらく、共に城での宴に参加していたルキシスの弟子達も、あの後すぐに殺されたのだろう。

 誰も術を正しく理解できていないようだった。

 ルキシスは、自分の眠っていた森の中で生活をはじめ、たまに付近の町に出て情報を仕入れた。食べ物には、元々知識があったので、森の中で食べられる草や、花の蜜を集めて飢えをしのいだ。人が生きていく最低限には困らなかった。

 でも、心の底から惨めだった。


(どうして、こうなったのか? ……誰のせいなのか?)


 本当は、分かっていた。自業自得だということに……。

 だが、自分をひたすら痛めつけて死ぬために生きていくのは、ルキシスには耐えられなかった。

 もう一度、自分を取り返したかった。

 そのために、ルキシスは計画を立てた。

 名前を「ルキ」と変えて、自尊心を捨てて……。

 周到に練った計画は、少しの狂いもなく順調に進んでいた。すべて、ルキシスの……「ルキ」の思惑通りだった。


 ルキは、城の宝物庫に潜入したかっただけだ。

 セシムを誘導して、不思議な力を持つ宝物庫の鑑定士と顔なじみになることが出来れば、それで良かった。

 当然、ミアネに所縁のある人物と、遭遇するだろうことも、予想していた。

 術を使った人間とかけられた人間は、因果の鎖で繋がっている。覚悟しなければならないことだった。

 しかし、こんなにも、あっさりとキーファに出会うとは思ってもいなかった。

 顔を見た瞬間に、すぐに分かった。

 顔形も、髪色も瞳の色も違っているし、言葉遣いも違っている。

 ――だけど。

 気がついたら、やはり、ルキは、彼女の中にミアネを探すようになっていた。

 肌理の細かい白い肌や、目が少し悪いこと。足が遅くて、方向音痴で、肝心なところが抜けているけど、正義感が強くて、優しくて……。


(――でも、結局、自分以外の男に恋をしているんだ。今も)


 懐かしさと、憎々しさと、痛々しさが混じって、態度が一定しなかった。


 ―――お前は、一体何がやりたいんだ?


 キーファの問いは、ルキの心に細波を起こす。


  (…………何をしたいんだろう。僕は?)


 ふぅっと、ルキは、長く息を吐いた。

 リスリムは大陸の南に位置している。その中心に位置する都は、年中温暖な気候ではあるものの、やはり夜は冷えるようだ。小さな手に息を吹きかけると、じんと温かくなった。


 ……生きている。

 実感した。しかし、それはルキにとっては、喜ばしくないことだった。

 いっそ、あの時……、命を落としていれば。

 何度思ったか知れない。


(……ああ、行かなくちゃ)


 キーファは、大丈夫だろう。

 リタ妃の面前で、浄化して以来、能力は使っていないので、体調は落ち着いている。

 昨夜は遅くまで、部屋を散らかして服を選び、今日は仕事が終わると同時に、家に戻って、着替えをした。素晴らしい体力だ。

 今頃、きっと、ルキのことなど忘れて、イグルと会っているだろう。


(何か、腹が立つけれど……)


 時間なんか気にすることなく、ルキは目的を遂げれば良い。

 城の側面に回り、控え壁の裏側に隠れたルキは、巡回していた衛兵が自分の横を通り過ぎたのを確認してから、再び歩き出した。

 城の正門は、簡単に突破してしまった。

 昔、初歩の初歩だと弟子達に教えてきた化身の術で、鼠に姿を変えたルキは、簡単に門番達の横を通り過ぎることに成功した。

 ルキは、ほとんど、力を使うことなく人気のない城の裏手に回ることが出来た。

 向かっているのは、地下宝物庫だ。

 実際、城に入ってみるまで、入口は正門を通り、門番が護っている扉からの一方向しかないと、思い込んでいたわけだが、キーファに付き合い、宝物庫に出入りするようになってから、正門さえ突破することさえ出来れば、後は簡単だということに気付いた。


 ――明かり窓がある。


 半分だけ外部に露出している窓があった。

 常人では入ることなど不可能だが、ルキは現在子供だ。

 今の細さならば何とか入ることが出来るだろう。

 しばらく、一定間隔に造られている控え壁に張り付くように、用心深く進んでいたルキだったが、想定していた場所まで着くと、そっと窓に手を翳し、術で綺麗に硝子を割った。


(あれさえ、あれば……)


 ……絶好の機会なのだ。

 本来の力を取り戻せば、ルキはキーファとも別れることが出来る。

 自分で過去からの因縁を断ち切ることが出来るし、優れた導士として、再び名を轟かせることも可能だろう。


 ……彼女と一緒にいることは、ルキにとって苦痛なのだ。


 三百年前、命を懸けて、ミアネはルキシスを封じた。

 その術の後遺症は、子孫までをも巻き込み、今も続いている。

 何が「浄化」だ。

 負の力に体が反応するように、召喚した魔物に仕組まれただけじゃないか。

 ルキは、浄化は出来ないが、呪具に宿る負の力を自分のものに変換することは出来る。キーファには知らばっくれていたが、宝物庫の呪具をそうして自分の力に換えて、術を使えるまでに、回復させていた。

 これでは、はるかにルキの方がましな待遇ではないのか?

「呪い」に、違いない。

 だけど彼女は、笑うのだ。

 この力は「祝福」なのだと……。

 本気でそう思っているとは、考えられなかった。そう言い聞かせているのだろう。


(それが何だっていうんだ?)


 自分を裏切った弟子の子孫なんて、知ったことじゃないだろう。

 ルキは、華奢な体を精一杯窄めて、窓の中に体を押し込んだ。

 少しの間、力んだり、体を押し込んだり、引いたりを繰り返して、何の予感もなく、ルキの体は、明り窓から斜めに宝物庫に落ちた。


「…………っ」


 踏ん張って、地面に立ったつもりだったが、程なくして、爪先から全体重を受け入れた痺れが伝わってきて、ルキはその場に座り込んだ。

 顔を上げると、丸い光の塊が空虚な空に浮いていた。

 今宵は、満月だった。

 淡い光がルキの黒い頭を金色に染める。

 こんな月の綺麗な夜に、自分は今世で優しくしてくれたキーファを裏切っている。


(…………駄目だ。考えるな!)


 ルキは葛藤を絶ち切って、紫の瞳を宝物庫の闇に戻した。


 …………紅の指輪を取り戻しに来たのだ。


 ルキシスの力の源。ミアネが封じたルキシスの能力。

 呪具専門に集められた城の地下室。

 その奥に作られた国王以外開けることの出来ない扉の前に、ルキは立つ。

 ミアネの子孫・キーファが保持していないのならば、ここ以外、考えられなかった。

 ルキの力を吸収した指輪は、力の主であるルキを呼んでいるはずだ。なのに、ルキは目覚めてから一度も指輪の波動を感じていなかった。

 これは、おそらく国王が宝物庫の内部に結界を張って対魔術用に警備しているせいだろう。

 しかし、歴代の国王はまさかルキシス本人が宝物庫に侵入することなど、想定をしていなかったようで、扉は鉄製ではあるものの、叩いてみれば、庶民の玄関扉のように薄いのが分かった。

 こんな扉を破ることなんて、子供姿のルキにだって出来る。


(馬鹿に、されているようだな気分だな) 


 体に付着した埃を落として、ルキは目を瞑った。

 術で、こんな扉、破ってやるつもりだった。

 空気が泡立っていくような感覚を皮膚で感じ、力の流れを自分に作る。

 ……しかし。


「誰? そこにいるのは?」

「え?」


 ふわふわと、地に足のついていない緩い女性の声がルキの耳を擽る。


(この声は……?)


 確信に至るまでに、蝋燭の灯が向けられて、声の主が誰なのか知ってしまった。


「……貴方は」


 逃げる暇はなかった。

 大体、逃げるという発想自体がこの時のルキにはなかった。


「お前は……」


 やっと相手の方も、ルキの正体が分かったらしい。


「お前、こんな時間に何をしているの?」


 間の抜けた質問だった。警戒心もなく、近付いて来る。

 自分と同じ、漆黒の髪が暗闇の中に同化していた。


「それは、貴方の方こそ……」


 言ってから、ようやく跪いて恭しく頭を下げた。彼女だけであったら、ルキもそこまでしなかったかもしれない。彼女の背後に人影を見たからだった。


「大変、ご無礼を致しました。リタ王妃」

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