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大魔導士の誤算  作者: 森戸玲有
プロローグ
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プロローグ

 ――その日、リスリム王国は、隣国アルバを完全に統一した。

 王国に凱旋を果たした聖導士・ルキシスは、至るところで握手を求められ、歓喜の声に出迎えられた。


「さすがです。聖導士さま!」

「聖導士さまのおかげで、我が国は憎きアルバを制圧することが出来たのです!」


 城で催された祝賀会が終わり、久々の自宅に戻る途中でも、燭台を手に取った庶民達がルキシスの乗り込んだ馬車を囲んで、しばらく身動きがとれなかったほどだ。

 前線で戦うのは軍人だが、その後ろで援護するのは、軍人ではない。


 ――導士(どうし)だ。

 導士は、厳しい修行を経て、神々、精霊、この世に姿を現さない大きな存在の力を借りて、自在に操ることが出来る能力者のことをいう。その中でも抜きんでた実力を持つ者が聖導士だ。聖導士は、リスリムの長い歴史の中でも、三人しか存在していない。


 ルキシスは、過去の二人に比べて三十歳も若く聖導士の位に就いた。


 戦争の混乱による異例の抜擢だったが、国王の目に狂いはなかったらしい。

 ルキシスが放った炎の術で、アルバ王国の都は焼失し、滅んだようなものだ。

 アルバ王国にも、導士が多数存在していたが、ルキシスの相手ではなかった。


(僕の力で、王国は勝利した)


 城で飲んだ上等な酒に、少しだけ酔っているのが分かったが、今日くらいは良いだろうと、初めてルキシスは自分に甘えていた。

 馬車から降りたルキシスはゆったりとした足取りで、暗闇に溶け込んでいる自宅の扉を開ける。

 城門と競えるほど、大きな門はルキシスが片手を掲げただけで、両開きに開いた。

 蝋燭の明かりを点しながら、大理石の床をゆったりと歩く。突き当たりの書斎に月明かりが伸びて、清かな夜風に読みかけだった書物がぱらぱらと捲れていた。


「……誰?」


 人の気配を察したルキシスは、歩みを止めた。


「いるんでしょ。返事をしたら?」


 広い円形の部屋の中は、依然静寂のままだ。相手の反応が返ってこない。

 だが、ルキシスには、部屋の奥に佇んでいる人物が誰なのか見当がついていた。

 長い純白の下穿きが、微かな光彩に色を染めている。


「……ミアネだろう?」


 ぴくりと、光を抱えた影が動いた。


「明かりくらい点けたら、どうだい?」


 ミアネはルキシスの弟子だ。屋敷の離れに彼女の部屋を(あて)がっているのだから、彼女がここにいても違和感はない。


「祝賀会にはいなかったね。彼の看病かい?」


 ミアネは答えない。けれども彼女であることは疑いようがなかった。

 長い金髪が闇の中に、きらきらと輝いている。

 沈黙に耐えられず、ルキシスが渋々、机上の蝋燭に術で火を点そうとした時だった。


「……彼は、先ほど死にました」


 一言、ミアネは告げた。凍えるほどに冷たいのに、艶のある綺麗な声だった。


「そう」


 ようやくルキシスは、真っ直ぐ彼女を見た。

 いつもは明るく穏やかな緑色の瞳が闇に沈んだ森のような色になっている。目が合うと、ミアネの瞳からはとめどなく涙が溢れて、床にぽたぽたと落ちた。

 自分の責任くらいは、認めているつもりだった。だけど、ルキシスは謝罪なんてしたことがなかったし、理屈以外の方法で、彼女を慰める(すべ)を持っていなかった。


「でも、リスリムは勝ったんだ」


 泣き続ける彼女の傷を広げることしか出来ないのに、口を閉ざすことが出来ない。


「僕だってシオンを助けたかったよ。でも、仕方のないことだ。戦争なんだから。彼だって王子である以上、このくらいの覚悟は出来ていたはずだと思うよ」

「…………何故!?」


 ミアネは子供のように、泣いた。


「何故、先生はあの方を診てくれなかったのです!? 先生のお力があれば、瀕死の王子を救うことが出来たはずです。戦争は長引くかもしれないけれど、それでも……。あの方は貴方の弟子じゃないですか?」

「そうだ。シオンは王子の前に、僕の弟子だ。だからこそだよ。弟子だからって、シオンだけを特別に優遇することは出来ないんだ」


 ルキシスの襟足までの黒髪が風にそよいで、また戻った。

 本当は、助けることだって可能だった。シオンは攻撃魔法の詠唱途中で、アルガ王国の弓兵の矢が当たった。酷い出血は、矢にこめられた呪いの影響かもしれなかった。

 一目だけでも、ルキシスが様子を診れば良かったのだ。そうしたら、怪我を快癒させることは不可能でも、その術の効果を無効にすることくらい出来たかもしれない。


(――だけど、僕は行かなかった……)


 月光の中に佇むミアネは煌びやかに見えて、暗闇の中に身を置く自分がひどく下等な人間であるかのよう思えた。一度、大きく瞳を見開いたミアネは諦めたように、目を瞑った。


「そうでしたね。貴方は、いつも正しい。きっと、私が同じ目に遭っても、同じ決断を下したでしょう」


 そして、彼女はルキシスから窓側に数歩遠ざかって、おもむろに片手を掲げた。


 ――それは、術を作動させる時の合図だった。


「ミアネ?」


 ルキシスは目を疑った。弟子(ミアネ)が自分に攻撃を仕掛けようとしている。

 しかも、彼女は幼い頃から、ルキシスの近くに仕えていた従順な弟子だった。

 即刻、術の種類を頭の中で探り始めたルキシスだったが、どんな方法であれ、ミアネがルキシスに敵うはずがなかった。彼女はルキシスの一番弟子ではあったが、劣等生だった。


「馬鹿なことはよすんだね。君の腕では僕に敵わない」

「……ええ。そのくらい、分かっています」

「だったら……」


 ルキシスはここに至っても暢気に構えていた。きっと、ミアネは感情が昂ぶっているのだ。しばらく時間をかければ、シオンを喪った悲しみも癒えるはずだ。


 ……しかし。それは油断だった。


『我、汝に共鳴する。汝は、漆黒の主。深淵に佇む破壊者。混沌たる世界の創造者。我、死を司る汝を、空ろな闇に召喚す――』

「なっ!?」


 直後に、ルキシスを紫色の五芒星が取り囲む。


(紫色の光芒。闇からの召喚か……?)


「ちょっと、待て! ミアネ。それは禁呪だ!」


 勿論、ルキシスならば、十分な下準備をすれば使いこなせるものだった。だが、ミアネには無理だ。使いこなせるはずがない。

 ……何しろ相手は魔物だ。


「こんな大技を使ったら、君自体が食われるぞ!」


 ミアネは微笑している。承知しているのだ。自分の命を懸けても良いと思っている。


「そこまで、君はシオンのことを……」


 呆然と、ルキシスは呟いた。

 今なら……。

 今、必死になれば、彼女の放った術を解くことは出来る。しかし、そうすれば間違いなく彼女は死ぬだろう。


 ……殺すしかない。


 ルキシスの脳裏で暗い声が響いた。強く握りしめていた拳を少しずつ広げていく。


(こんな所で、僕はくたばるつもりなんてないんだ。この国を支えているのは僕なんだから)


 ……だが、ミアネは、ルキシスの気持ちを見透かしたかのように、静かに宣言した。


「無駄です。先生。これは、陛下の勅命なんです」

「えっ?」


 ルキシスの抵抗力は、一気に沈み込んだ。結界は、丸い光の線でルキシスを覆うことによって完成している。


 ――もう、逃れられない。


 つい先ほどまで、祝賀会で、君のおかげだと、ルキシスの杯に酌までしてくれた国王の笑顔が鮮明に浮かび上がった。


「…………嘘だ」

「貴方には居場所がない。陛下は宿願だったアルバ王国を征服して、術者は用なしだと考えていらっしゃいます。先生を手始めに、これから術自体が取り締まりを受けることになるでしょう。先生は考えなしに術を使いすぎたんです。自分を脅かす力に陛下が黙っているはずがありません」

「しかし、陛下は、僕を讃えて下さった。自慢の聖導士だと…………」


 激しく昂ぶる気持ちを何とか鎮めようとするが、完全にルキシスとミアネの立場は逆転していた。余裕をなくしているのはルキシスの方だ。ミアネは冷めた目でルキシスを凝視している。


「……知っていますよ。私はずっと先生の近くにいました。そうですね。先生はご自分が歩む道で精一杯だった。周りのことなんて気にも留めていなかった」

「ミアネ……」

「私には、貴方を害する力はありません。でも、貴方を呪う力はあります。貴方の魔力を封印させてもらいます。そして、貴方自身も」

「……それで、満足なのかい? 大好きな彼の敵を命懸けで討つことが出来て」

「ここに」


 ミアネは、片手で腹を撫でた。


「彼の子供がいるんです」

「………………はっ?」


 刹那、ルキシスの何もかもが真っ白になった。


「貴方は、この子の父親を奪った」

「そんな……」


 シオンがミアネのことを好いていることには気付いていた。

 でも、どうせ片思いだと思っていた。第三王子と庶民ではつりあいが取れないだろうと、一人勝手に安心していたのだ。

 そう……。

 その感情は確かに「安心」と名のつくものだった。

 気付きたくもなかった。けれど、ルキシスはシオンが邪魔だったのだ。

 だから、ルキシスは彼を助けに行かなかった。彼は弟子だったが、ルキシスとミアネの前からは消えて欲しかった。そうすれば、ミアネは自分のもとに帰ってくる……と。


 暗い、黒い感情がルキシスにはあったのだ。


「父のいない子供を女手一つで育てていけるほど、この世は出来ていません。シオン様が生きていらっしゃれば、陛下にちゃんとお願いにあがる予定でした」

「……ミアネ、君は」


(だから、命を捨てても良いと思ったのか)


 結界内に吹き荒れる突風に、ルキシスの意識が攫われていく。


(全部、夢だったら良いのに)


 しかし、間もなく自分が永遠の夢を見るだろうことに、ルキシスは世の中の皮肉を見ていた。

 ミアネの一筋流した涙がきらりと光って、紅の玉がはめられた指輪に吸い込まれていく。

 力のある鉱物には、人の感情も能力も封印することが出来る。彼女は安易に召喚出来る魔物を選び、ルキシスの自由を奪った上で、その力と体を封印するつもりなのだろう。

 そんな術を、彼女に禁忌だと教えたのは、自分だった。

 ルキシスはそんな昔の思い出に、目を細めた。

 地の底から上がってきた混沌の闇に、身も心も溶けていく。透き通った宝玉は、色を変え、紅くなった。きっと、その紅はルキシスの力の結晶だろう。


 ……そして。ルキシスは長い眠りについた。

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