チャプター7:決着の行方
――✝――
跳躍していた明日香は病院の屋上に黒い異形がいるのを視認した。悪魔だ。
「そういえば、中級悪魔だった」
悪魔は基本的に下級、中級、高級と三つの等級にわけられる。
そのうち中級悪魔以上が人間界において実体を現すことができる。実体とは言っても魔力を持った者、あるいは悪魔自身が定めた相手にしか見ることはできないが……。ただし中級の場合はそれに制限時間がある。個体差があるため時間は正確にわからない。けれど、いつかはその姿が消えてしまう。そうなってしまっても探索はできなくはないが、難易度が上がってしまう。祓魔師の中でもできる人間は少ない。
昨今の祓魔界では実体が保てなくなった悪魔は能力行使、そして特定の人物の頭に直接言葉を送る以外の外部干渉ができないとされている。そして実体を失った状態で人間界に長時間留まることはできないとも言われている。
あの悪魔は自分を中級だと言っていた。それが本当なら、このままではあの悪魔が消えてしまう。
悪魔は槍を持ち、座り込んだ人間を見下ろしていた。その人間は後ろ姿のため誰かはわからない。けれど悪魔に何かしらされそうな気配はあった。幸運なことに悪魔は明日香にまだ気がついていないようだ。悪魔が消えてしまうのも問題だが、あの人間が傷つけられることはもっと避けなければならない。急いだほうがよさそうだった。
「今度こそ……」
明日香は病院の屋上に向かって高く跳んだ。瞬間、凄まじい速さで何かが飛んできた。気が付くと身体が勝手に反応をしていた。鞘に納めた刀を抜き放つ、居合でもって飛来物を弾き飛ばす。弾いたそれは明日香の真横を通り過ぎていった。
目の前に視線を戻すと、悪魔の手にあった槍は消えている。きっと明日香の存在に気が付き、氷の槍を投擲してきたのだろう。
「くっ」
明日香は一度着地をし、思いっきり地面を蹴って勢い良く跳躍した。刀を逆手に持ち、そのまま切っ先を悪魔に向ける。後退した悪魔に体当りするように飛び込んだ。そして、甲高い音が鳴り響いた。
刀の切っ先は氷の盾で弾かれた。間髪入れずに刀を順手に持ち変え、今度は右から左への斬撃を放つ。けれど再び弾かれてしまう。めげることなく明日香は斬撃を何度も放つ。相手が攻撃に転じる隙を与えないように。何度も、何度も。けれど悪魔はそのことごとくを弾いていく。
「数で押そうとでも考えているのかな。でも、意味ないよっと」
言い終わったと同時、氷の槍を出現させ横へ薙ぐように振るった。明日香を刀ごと弾き飛ばした悪魔は明日香に掌を向けた。すると明日香の足元周りの地面から何本かの氷の棒が生えてきて、檻のような形を作り上げた。上を見る明日香だったが、いつの間にかそこも塞がれていた。無駄だと薄々わかっていながらも、彼女は悪鬼殺しでの破壊を試みる。結果は予想通りで、氷の檻を壊すことはできなかった。
「おっと、君も動いてもらっちゃ困るよ」
悪魔の背後で攻撃を仕掛けようとした篝も、明日香同様に捕らえられてしまった。
「あ、ちなみに壊そうとしても無駄だよ。女の方は念のためだけど、カガリだっけ? 君の魔術の破壊力は怖いからね。耐久性を上げといたんだ」
篝は破壊を試みたようだが、やはり檻は壊せない様子だ。
「……お前、本当に中級か?」
「さあ? 君たち人間にチュウキュウなんて決められたのは百年ほど前だし、僕も成長したってことかもしれないね」
まるでとぼけるように言う悪魔は手に持った槍をくるりと回し、手品でもするようにそれを消してみせる。
「いいや。やっぱり明日香の言うように、お前は特級か。遠野目を信じるなら、あるいは限りなく高級に近い中級ってところか」
分類ってのは難しいな、と篝は愚痴をこぼす。
「そんなのどうでもいいです」
明日香はポツリと零す。彼女は俯く。刀を片手で持ち、けれどその腕はだらりと下を向いている。刀の切っ先は地面に当てている。
「……さっきから何なんだよ。バカにしてんのか」
先程までとは違う、男口調。彼女の心の中は負の感情に染まっていく。それをぶちまけるように、明日香は刀を振るった。
「だから悪魔なんて嫌いなんだ」
一瞬にして氷の檻は粉々になる。地面にばらまかれた氷の欠片など見向きもせず、ゆっくりとした動きで歩き始める。ローファーの底が氷を踏みつけ割っていく。氷の檻を粉砕した刀の刀身は、青紫色の空気を纏っていた。それは濃密な魔力を纏った証。そして刀の切っ先は地面に当たったまま、明日香は切っ先を引きずって進む。
「やめろ、明日香」
篝の制止の声は、しかし今の彼女には届かない。
「ふむ」
悪魔は興味深気な声を漏らし彼女を見つめてくる。ゆっくりと顔を上げ、その目を睨み返す。
「さっきとは別人のようだ。面白いね、君」
「黙れよ、鬱陶しい。今からぶった斬ってやるから、おとなしくしてろ」
「ほう……。なんでそんなに僕を、悪魔を斬りたがっているんだい?」
「あんたが一番わかっているだろ」
「ん?」
「あんたら悪魔はすぐに裏切る。人の気持ちを散々弄んで、飽きたら簡単に放り捨てる。」
「そんなのあたりまえだよ。だって僕らはそういう生き物だからね。フツマシであるなら、君だってわかっているだろ?」
「ああ、わかっているさ。でも、わかっていても。……わかっていたはずなのに、ボクは悪魔を信じてしまった。そんな自分が憎い。そしてそんな気持ちにさせたあの悪魔が憎いッ」
その言葉は悪魔にではなく、自分自身に向けたものだった。過去の何も知らなかった馬鹿な自分に向けた言葉。
「……君は悪魔に裏切られてことがあるわけ、か。なるほどね」
「また説教でもする気か? 自分勝手だって……。だからどうした。そんなの知るか。逆恨み? そうだよ、悪いか。でもいいだろ、逆恨みしたって。だってあんたらは恨まれても仕方がない、悪魔なんていう生き物なんだから」
明日香自身にだってわかっていた。自分の言っていることは自分勝手だと。けれど、今の彼女には止められない。
自分の全てが別の誰かになっていくのを感じる。明日香は抗えず、いや抗わず。自らの身体が乗っ取られていくのを止めず、ただただ身を任す。恐怖はなく、心地良いとすら感じる。そしてゆっくりと瞼を閉じるように、意識を手放していく。
その時だった。
「明日香ッ!!」
篝の叫び声が、明日香を正気に戻した。
「あ……。また、だ。……またボクは」
ドサリと膝をつく。刀が地面に落ちて乾いた音を響かせる。全身が疲れ切ったように重く、指先すら動かせない。
「あーあ、戻っちゃったか。せっかく面白いものを見つけたと思ったのに」
本当に残念そうな声色で呟く悪魔がそっと明日香に近寄る。目線を合わすように屈み込む。
「まあでも。君みたいな面白い子がいるってわかっただけでも、今回は大収穫かな。……そうだ、君の名前を訊いてもいいかな?」
「……明日香。……遠野目、明日香」
頭が呆然としていた明日香はつい答えてしまう。
「トオノメ、アスカ……。あの男の一族か。通りで面白いわけだ。それに……アスカ、か。君があの、アスカか」
これは面白いことになったね、と悪魔は続けた。
「あいつへのミヤゲバナシができたよ」
どうして自分の名前を知っているのか。あいつとは誰なのか。疑問には思ったが、今の明日香に尋ねるだけの気力はなかった。
「さてと、僕はもう帰るよ」
言った瞬間、悪魔の姿は消えていた。それと同時に篝を捕らえていた檻も消える。
それを呆然と見ていた明日香に篝が近づいてくる。
「大丈夫か、明日香」
「はい。……でもすみません。逃げられて、しまいました」
「まあ、思っていたよりも難敵だったからな。気にすんな。……立てるか?」
「ちょっと、無理そうです。……あはは」
恥ずかしそうに笑った明日香に座り込んで背を向ける篝。
「ほら、おぶってやる」
「篝さんが優しい。ゆ、雪でも降るんじゃ、ないですかね」
「馬鹿なこと言ってんな」
明日香は素直に篝の背に乗る。
立ち上がった篝は諸星ヒカリの元へと歩いて行く。
「ってことで依頼は達成させてもらった。料金は振り込んでおいてくれると助かる。……何か、助けはいるか?」
「いえ、大丈夫です。それより、明日香さんは大丈夫なんですか?」
「あー。たまにあることだからな。気にしなくていい。……じゃあ、俺たちは帰る」
「はい。ありがとうございました」
頭を下げる諸星ヒカリに、篝の背中から明日香も軽く頭を下げた。
篝は振り返ると、そのまま鉄扉を開け、屋上を後にした。
「篝さん」
階段を降りる篝に、明日香は声をかける。
「なんだ?」
「篝さんは、どうしてボクを助けてくれたんですか? あの雨の日、どうして」
「どうした、いきなり」
「いえ……。なんだか、昔のことを思い出してしまって」
「……何度も言っているだろ。お前の兄貴に頼まれたからだ」
「そうじゃなくて。仲が良かったとは言っても、ボクを助けるだなんて当時は大変だったと思うんです。今みたいに落ち着くまでもけっこうかかったじゃないですか。たぶん、篝さんならわかっていたはずです」
「そうだな。お前と一緒で俺も家を捨てた身だし、何よりあの遠野目一族っていうのもあったからな。ある程度は予測していたさ。でも、だからこそ。助けてやりたいって思ったんだよ」
「同情、ですか?」
「違う。ただでさえ力のない俺が、同情で遠野目を敵に回すマネするかよ。同じ失敗をしてほしくなかっただけだ」
「失敗、ですか?」
「ああ、失敗だ」
何を失敗したのだろう。明日香は気になったが、それ以上は聞かないことにした。だって、篝が寂しそうに笑ったから。
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