表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Soul Cry  作者: 水無月ナツキ
第一章 出会い、日常、そして……
5/15

チャプター3:悪魔

 病院を出た明日香と篝は依頼人の兄、諸星聖也の自宅アパートへ向かっていた。

 助手席に座る明日香は車窓から外の景色を眺めていた。何かを考え込んでいるわけでもなく、けれど心の中がもやもやするのを彼女は感じる。それがどういう感情なのかわからず、もやもやを発散させられずにいた。


「……同情でもしたか?」


 運転席からかけられた篝の言葉に、明日香は煮え切らない表情を浮かべる。


「どうなんですかね」

「なんだそれ」

「自分でもわからないんです。これが同情なのか、それとも別の何かなのか……。ただ、どうにかして助けてあげたいと思いはしました」

「それは諸星ヒカリの姿を見たからか?」

「……はい」

「そうか」


 そう言ったあと篝は黙りこんだ。しばらく煙を吐き出す音だけが車内を包んでいた。やがて灰皿に煙草を押し付けた篝は、静かに口を開いた。


「俺はお前じゃないし、お前が抱いてるそれが同情かどうかはわからん。だがわからないままでもいいだろ、別に。助けたい、それだけでいいんじゃねえか」

「そう、ですかね……」

「なんだ、思うところでもあるのか?」

「同情だったら嫌だなって」


 明日香は同情されることを嫌っていた。共感ではないそれは本当の意味では理解できていないということ。ただ可哀想だというあわれみの感情だ。可哀想なんて言葉はいらない、あわれみなんて想いいらない。そんなものは相手を惨めにさせるだけだ。よけい追い込む行為だ。彼女はそう思っていた。

 だから諸星ヒカリへ抱いた気持ちが同情であることが嫌なのだ。もしも同情であるのならそんなものは捨てたかった。


「考えすぎだ、もっと気楽になってもいいと思うぞ」

「気楽に、ですか」


 そうなることができれば苦労しない、と明日香は思う。小さなことでも不安になると考えこんでしまう、彼女はそういう人間だから。






 しばらくして、明日香と篝は諸星聖也の部屋の前にいた。篝がポケットから諸星ヒカリに借りた鍵を取り出し、玄関扉を開ける。

 中に入ると荒らされた部屋があった。物があちらこちらに散乱していて、空き缶などのゴミまでが散らばっている。まるですべての物に当たり散らしたような惨状だった。


「お邪魔します」


 明日香は小さく呟くと、靴を脱いで部屋に上がった。フローリングの床の先、畳の部屋まで行く。そして彼女は辺りを見回した。

 四角いプラスチック製の上に何本か散らばったペンを見つけると、その一本を手にとって背後まで来ていた篝に見せる。使い古されたシャープペンシルだ。


「これでいいですかね?」

「まあ、大丈夫だろ。橘の探査魔術(ダウジング)の魔法陣だからな」


 そう言って篝はポケットから二枚の紙を取り出す。折られたそれを広げると、テーブルの上に置いた。一枚は地図で、もう一枚には幾何学模様が描かれていた。探査魔術を簡単に行うための魔法陣だ。

 探査魔術は用途別に様々な種類があるが、今回明日香たちが扱うのは特定の人物の居場所を特定する魔術だ。必要な物はこの魔法陣と地図、ペンデュラム・ダウジングと呼ばれるダウジング用の振り子、そして捜したい対象の所持品。所持品は対象が長く触れているほど良い。その分、精度が高まる。ただし今回の探査魔術の場合、簡易魔法陣のためある程度の範囲までしか絞れない。

 手順としては魔法陣の上に地図を置き、その上に対象の所持品を置く。あとは魔法陣に魔力を流し、地図の上に振り子をぶら下げるだけだ。

 準備を整えた篝は簡易魔法陣に魔力を流し始める。すると魔法陣が青白い光を放ち始めた。光は段々と光量を増していき、やがて地図とペンを包み込んでいく。

 そして、地図のある一帯を振り子は円を描くように示す。その範囲内に対象がいる。


「見つけた。ここから離れられる前に行くぞ」






 諸星聖也の自宅をあとにした明日香と篝は、探査魔術で特定した範囲内へ踏み込む。そこは廃工場の敷地内だった。コンクリート製の駐車場を抜け、工場の建物へと向かう。側面にあった半開きの簡易扉を見つけた二人は、そのまま中へと入った。

 鉄錆臭さが立ち込める工場内はひっそりと静まり返っていた。物は何もなく、広い空間がただそこにある。

 そしてその空間の中心に一人の男が座っていた。明日香はポケットから出した諸星聖也の写真とその男を見比べる。


「諸星聖也さんに間違い無さそうですね」

「そうか。ならさっさと終わらせよう」


 煙草を口に咥えたままの篝は、ポケットからナックルダスターを取り出す。両手に嵌めながら悪魔に憑依されているであろう諸星聖也と近付いて行く。肩にかけていた竹刀入れから日本刀を出し、その刃をすぐに抜けるように構えながら明日香も後に続く。

 ある程度の距離まで近づくと、諸星聖也の周りを円を描くように歩く。篝は右回りに、明日香は左回りに。しかし諸星聖也は座ったまま動かない。コンクリートの床を叩く革靴の音が響く中、彼は瞑想でもしているかのように瞼を閉じている。

 その姿に明日香は一層警戒を強める。これだけの余裕を見せるということは、それだけの自信があるのかそれとも何か策でもあるのか。そう考えたからだ。

 やがて明日香と篝が対角線状の位置にたどり着く。そこで立ち止まった二人は中心に座る諸星聖也の方へ身体を向けた。明日香は居合い斬りの構えを取るが、篝は特に構えの仕草を取らなかった。


「随分と余裕そうだな、悪魔野郎」

「……別に余裕って訳じゃない」


 篝の挑発的な言葉にようやく諸星聖也に取り憑いた悪魔は反応を示した。


「ただ今は闘う気分じゃないだけさ」


 そう言って悪魔は立ち上がった。その顔からは恐れも焦りも慢心も感じられない。


「この人間は魔術に疎いと思ったんだが、まさかこんなに早くエクソシストに見つかるとはね。エクソシストというのは存外優秀なものになったようだね」

「何時の時代の祓魔師と比べてるのか知らないが、技術力は上がっていくものだぜ」

「フツマシ……。そういえば、この国ではそう呼ぶんだった」

「特級、悪魔?」


 悪魔の言動に明日香は独り言のように疑問を口にする。低級、中級、高級。悪魔は基本的にこの三つに分類される。けれど稀に特級という分類に入れられる悪魔が現れる。低級、中級、高級が強さや能力によって決められるのと違い、特級はそれら三つとは異なる性質を持つことから分類される。謂わば悪魔の特殊体だ。

 明日香は目の前にいる悪魔の言動から特級ではないと思ったのだ。彼からはどこか会話を楽しむよう感じがしたから。

 通常の悪魔であるのなら会話に応じることはあっても、こんな世間話はしない。人間のように会話を楽しまない。けれど彼はそれをしている。特級であるかもしれない。


「トクキュウ……確か君たちがトクイタイとか呼んでる悪魔のことだったか。残念ながら僕は違うよ、たぶん。詳しくはわからないけど前にこの国に来た時、トオノメとかいう一族のフツマシが僕のことをチュウキュウだなんて呼んでいたし」


 違いはよくわからないけど、と悪魔は言った。


「遠野目一族に会ってるんだ」


 誰にも聞こえないような声で明日香は呟く。


「遠野目の奴が言うなら間違いなさそうだな。……しかし、中級悪魔にしてはよく喋るなお前」


 篝はいつもの面倒そうな顔で煙草の煙を吐き出した。煙は天井に向かって広がり、やがて空気に溶けていく。


「悪魔にだって会話を楽しむ奴くらいいるさ」

「生憎、こっちはお前と会話を楽しむ気はないんでな。帰ってもらうぞ、地獄へな」

「闘う気分じゃないと言っているじゃないか」


 そんな悪魔の言葉などお構いなしに、篝はその拳を諸星聖也に放つ。いつの間にか青色の淡い光を纏っていたナックルダスターが諸星聖也の身体に触れる寸前、パキンというガラスの割れるような甲高い音が響いた。諸星聖也の身体と篝の拳の間を区切るように、一瞬のうちに分厚い氷の壁が出来上がっていたのだ。篝の拳は氷壁に当たり、その表面を砕いていた。

 だが防がれた音がした瞬間に明日香は刀を抜いていた。放たれた居合い斬りは一瞬にして諸星聖也の身体に届く。そして、再び氷壁の表面が砕ける音が響いた。


「闘う気はないと言っただろ?」


 氷壁と氷壁の間で、悪魔は笑う。何かを楽しむようなその顔は明日香と篝に敵意などないことを示していて、脅威など微塵も感じていないように見えた。

 瞬間、氷壁が砕け散った。甲高い音が無数に鳴り響き、工場内を支配した。氷の破片を避けるために明日香は急いで後退する。一瞬、視界が塞がる。気がついた時には諸星聖也の身体が消えていた。


「まったく、君たちエクソシストやフツマシっていうのは話を聞かないんだね。悪魔と知ればすぐに排除しようとする。もっと余裕を持った方がいいよ」


 その声は明日香の後から聞こえてきた。明日香が篝の方を見ると、彼は斜め上を見つめて舌打ちをしていた。

 急いで振り返ると、工場の窓に諸星聖也の身体があった。大人が余裕で通れそうなその窓はいつの間にか開けられていて、諸星聖也の顔で笑みを浮かべながら悪魔は桟に座っている。


「今度のエクソシストは話し相手になってくれるかなとちょっと期待して、わざと待っていたんだけど。やっぱりダメか。……まあいいや」


 時間もないみたいだし、と独り言のように付け加える。


「僕はシツレイさせてもらうよ。でいいのかな? この国の言葉は難しい」


 そう言って悪魔は窓から飛び出す。

 明日香は地面に置いていた竹刀入れを回収しつつ、入ってきた扉に駆け寄った。そのまま外へと飛び出し、上を見上げる。一瞬、諸星聖也の身体が見えた。その方向へと明日香は走りだす。


「Leap! Leap! Leap! Mein Körper von Leap!」


 そして異国の言葉を叫ぶ。すると明日香の足が青白く光る。しかしそれは一瞬のことだった。すぐに光は消えた。それと同時に明日香は跳躍した。人間とは思えない跳躍力だった。

 工場の隣の民家の屋根に乗ると、明日香は再び走りだした。彼女の瞳には屋根から屋根へと飛び移っていく諸星聖也の背中がはっきりと映っていた。

 そんな明日香に気が付いたようで、悪魔は彼女の方へ向いた。バックステップをするように跳躍を続けたままで。


「君は決断力があるようだ。というよりも深く考えない質なのか。罠だとは思わなかったのかい?」

「たとえ罠があっても、篝さんがなんとかしてくれる」

「カガリ……。さっきの男か。随分と信頼しているんだね」

「あたりまえです。篝さんはすごい人ですから」


 ふーん、と悪魔は考える素振りを見せた。そしてすぐに悪戯を思い付いた子どものような顔を見せた。


「君はこの先もそういう風に生きていくのかい?」

「……え」


 明日香には悪魔の言葉の意味が理解できなかった。誰も人生の話などしていないのに、何故彼はそんな疑問を投げかけてきたのか。彼女にはわからなかった。


「つまり。このままあの男を頼って生きていくのかって聞いているんだ。君があの男を頼るのは勝手だが。彼がなんとかしてくれるなんて気持ちで、危険な場所へ考えなしに飛び込むのは如何なものか。その行為が君を殺すかもしれない。万が一ということもあるだろう?」

「篝さんなら絶対になんとかしてくれる。万が一なんてないです」

「仮にそうだとして。ムテッポウなままの君でいいと思うのかい?」

「何が言いたいんですか」


 苛立ちを隠しもせずに明日香は言う。


「もしもあの男がいなくなった時、どうやってピンチを乗り越えるつもりだい? まさかその時になったら考えるとか言わないだろうね。そんな行為はオロカだよ。そうなる前にムテッポウさを治すべきだと思うけど。でないといつか死ぬ」

「ボクが死のうが死ぬまいが、そんなのあなたには関係ない。それに」


 明日香はそこで一度言葉を切り、言うか言うまいかを考えた後に続けた。


「この無鉄砲さは治せないです。そういう風に育てられたから」

「……なるほど。君もいろいろあるようだね」


 悪魔はまた考えるような仕草を見せたが、すぐに考えることをやめたようだ。


「まあいいか。……さて、追いかけっこはここまでにしようか」


 そう言った瞬間、パキパキという音が連続した。そしてすぐに諸星聖也の身体の周りに大きな氷柱が無数に現れた。


「いけ」


 悪魔の言葉を合図に、無数の氷柱が先を明日香に向け飛び出した。

 迫り来る氷柱に日本刀で立ち向かう明日香。一つ斬り、二つ斬り、三つ斬り……。二十を越えたあたりで明日香は足を止めてしまう。氷柱は斬っても斬っても飛んでくる。そこへ更に幾つもの氷柱が同時にやってくるようになった。動きながらの防御が難しくなったのだ。


「くっ!」


 終いにはまるでマシンガンのように氷柱が迫り来るようになる。必死の形相で氷柱を捌く明日香。砕けては飛ぶ氷の欠片をその身に浴びながら斬り続けていると、突然氷柱の雨が止んだ。


「すごいね。でも」


 背後から聞こえた声に明日香が振り返った瞬間、彼女は強い衝撃に吹っ飛ばされた。衝撃とともに冷たさを感じる。氷で出来た何かに殴られたようだった。屋根から落下する明日香。だが彼女が地面に叩きつけられることはなかった。

 明日香は誰かに抱えられたような感覚がした。上を見ると、篝の顔があった。後から来た篝に抱きとめられたようだ。


「ありがとうございます」

「気をつけろ」


 地面に着地した篝は明日香を降ろす。

 篝の全身には血管に沿うような形で青白い線が走っていた。肉体強化、魔術特有のものだ。発動時に対象の部位に見られる現象。先ほど明日香の足が青白く光ったのも肉体強化魔術による影響だ。しかし光るのは発動時のみで、すぐに消えてしまう。例に漏れず、篝に走る線もすぐに消えた。

 基本的に祓魔系以外の魔術が苦手な篝は、明日香のように細かな魔術は扱えない。魔術の基本の一つである肉体強化なら普通にできる。そう明日香は篝から聞いている。


「大丈夫か?」

「はい」

「ちっ、逃げ足の速い奴だ」


 明日香は篝が見上げる先を見つめてみる。そこに諸星聖也の身体はなかった。


「すみません、ボクのせいです」

「そんなのは今いい。とにかく捜すぞ。まだこの地域にはいるはずだ」

「……はい」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ