中学一年生篇2
向かう先は駅。ショッピングモールを出て、すぐにある。
彼らの通う中学は、電車通学よりもバスでの通学の生徒数が多い。そのため、知り合いに会う確率も少ないので、移動には電車がもってこいなのだ。
直樹と茜は駅のコンコースを抜け、取り敢えず三駅分の切符を買う。
ホームで電車の到着を待っている間も、直樹は誰かに見られているような気がして落ち着かなかった。
ソワソワしていると余計に目立ってしまうことはわかっていたが、周りの反応が気になってしまう。
自分の格好は似合っていないのではないか、男だとバレてしまっているのではないか。
今、後ろを通った笑いあうOLたちは、自分のことを指差して笑っていたのではないか。
黒く渦巻く負の感情を胸に、直樹は隣に立つ茜の横顔を見た。
背筋を伸ばして凛と立つ彼女は、何かを怖がっているようには見えない。
茜は女装しているわけではないので、そこは怖がることなどないのだが、直樹と一緒にいても恥ずかしくはないのだろうかと疑問に思う。
ふと、視線を感じた茜が直樹に振り向く。
「……なに」
恥ずかしそうに頬を染めて、ぶっきらぼうに答える茜に、直樹は思ったことを素直に伝える。
「いや、やっぱりバレちゃうんじゃないかなって。……見られてる、気もするし」
言葉尻が萎んでいく自分の声が情けない。
けれど、胸の内を隠せてしまうほど直樹は嘘が上手ではない。茜も何も言わずに付き添ってくれているが、迷惑と感じているのではないかと不安になる。
視線が下がる直樹の顔を覗き込むように腰を曲げ、茜は首を傾げる。
「可愛いから、大丈夫だよ?誰もわかんないよ」
胸張りな、と直樹の背中を叩く茜に、そうではないと直樹は地団駄を踏みたくなった。
あの頃の幼い自分とは違う。今ならわかる。
見られても褒められるのならいいが、直樹がしていることは世間一般では、そうならない。
身の丈に合った服を着て、年相応の振る舞いをしなければ人の見る目が変わる。
だから怖かったのだが、茜はそうは思っていないようだ。
直樹の表情が変わったのを見て、「そうじゃなくて?」と笑う。
「ここでバレることなんて、怖いことないよ。だって、知り合いはいないんだよ?」
直樹は頷く。
ここは生徒が少ない駅構内。学校が終わってすぐに飛び出したので、人の数もそれほど多くはない。知らない人が多い時間だ。
茜も頷く。
「でしょ?ここにはアタシたちを知らない人ばっかり。そんな人たちに嫌われても、別に困ることないじゃん」
さらっと言ってのけた茜の言葉に、直樹は目を丸くした。
自分の輪の外にいる人に嫌われようが、関係ない。確かに、それならば心配する量は減る。
電車が来たことを告げるアナウンスが流れ、ゴウッと風が吹く。直樹はスカートを押さえ、茜は目を細めて電車の到着を迎える。
帰宅ラッシュにはまだ早く、スーツの人はまばら。降りる人たちを眺め、茜に手を引かれて直樹も電車に乗り込んだ。
座席の端に二人して並んで座る。扉が閉まり、ちょっとした静けさのあとに電車は走り出した。前の席に座る男の子は、母親に服を掴まれながら、座席に膝立ちをして窓の外を眺めている。
直樹もホームの人たちが流れていくのを目で追った。
行き先を決めずに乗ってしまったが、どうやら郊外へ向けて走っているようだ。
街の景色が顔を覗かせると、男の子は楽しそうに体を揺らして、持っていた小さな車のオモチャごと腕を振る。
微笑ましい光景に、直樹は男の子と同じくらいの年には何をしていたか記憶を探る。
思いかえされるのは今と変わらない。少女向けの番組を姉と見て、人形で遊ぶ。ミニカーなどももってはいたが、小物として使う程度だった。
静かにするよう母親に宥められた男の子から視線を外して、直樹は茜に向く。
「ねえ、茜ちゃんは小さい頃、何して遊んでた?」
「小学校、一緒だったじゃん」
「幼稚園とか、保育園のときだよ」
揚げ足をとられた直樹が頬を膨らませると、茜は笑って謝罪を繰り返す。
顎に指を当てて考えている彼女の目元のホクロを見ていると、「そうだな」と人差し指が立った。
「外で遊ぶことが多かったかな。サッカーとは言い難い、ボール遊びとか」
「その頃から男の子みたいだったんだ」
「ナオもそうでしょ、どうせ」
「どうせ、だって!」
おどけたように言ってみせ、今も変わらない茜に笑んだ。
話の内容が内容なだけに、茜も目の前の男の子に目を移し、直樹を肘でつつく。
「あの子も園に入ったくらいかな。あの頃は、何にも考えずに遊んでたなー」
今もそうだけど、と言う茜に相槌をうてば、直樹の頭を拳が襲う。
痛い痛いと手で払いのけながら遊んでいると、カシャンと足元で音がした。
じゃれ合うのをやめて、直樹が音のした足元を見てみると、小さな車の模型が落ちていた。
どこかで見たオモチャだと前を窺うと、男の子が窓枠に掴まりながら後ろへ顔を向けている。自分の持っていたオモチャが飛んで行ったのを見ているようだ。
手を振り上げた際に離してしまったのだろうが、揺れる車内で小さな子が立ち上がるのは危ない。
母親が腰を浮かすよりも早く、直樹は足元に転がるミニカーを拾い上げる。知らない人にオモチャを取られ、男の子は心配そうに直樹の顔と手の中の物を、交互に見やる。
安心させるため、直樹はシートから立ち上がり、振動に揺られながら男の子の前にしゃがんだ。
「はい。無くさないように気をつけてね」
「すいません、ありがとうございます」
男の子の代わりに、母親が頭を下げる。
いえ、と手を振って微笑む直樹の手から、男の子はオモチャを受け取るが、恥ずかしそうに目の前の顔をチラチラと盗み見るだけ。
母親は肩を叩いて、彼に耳打ちする。
「ほらレンくん。お姉ちゃんに、ありがとうって」
ドキリとした。
聞き間違えでなければ母親は今、彼のことを「お姉ちゃん」と言ったはずだ。
直樹は融通の利かなくなった首を回し、男の子の反応を窺う。母親に後押しされた彼は俯きながらも、走行音にかき消されそうな声量で、もごもごと口を動かした。
「おねえちゃん、ありがとう」
「……どう、いたしまして」
だんだんと速度が落ち、ブレーキ音を響かせて電車は完全に止まった。直樹は、しゃがんだまま手すりに掴まって倒れるのを防ぐ。
男の子はこの駅で降りるようで、のろりと立った直樹の隣を、母親と手を繋いで通り過ぎる。
去り際に母親がもう一度会釈をして、男の子は小さな手でバイバイと手を振った。
直樹もそれにならって手を振りかえすと、扉がゆっくりと閉まっていった。
ホームを駆け抜けていく電車の中、茜の隣に戻っても、どこか夢心地でぼうっとしてしまっている。
一部始終を見ていた茜は、興奮気味に直樹の肩を叩く。
「やっぱり!男の子だってわからないんだよ!」
感心する彼女の声を聞き、次第に現実に戻ってきた直樹は慌てて否定した。
「たぶん服のせいじゃないかな!ほら、スカートだったら男の子だなんて思わないし」
「あんなに近くにいて気づかないなんて、これはそういうことでしょ」
強引に話を締めくくろうとする茜に、直樹は両の頬を押さえて、火照る顔を冷やそうとする。
しかし、肌に触れるものみな熱く、どんどん熱を吸収してしまう。
なかなか赤みの引かない頬を、茜がつつく。擽られているようでこそばゆく、ニヤニヤしながらされるがままになっていた。
女の子二人でイチャイチャと体を寄せ合うのは結構注目の的だったが、今は気にもならなかった。
自分はちゃんと女の子に見られている、ということが直樹を嬉しくさせた。
ジャンパースカートのプリーツを指先で撫でながら、あと二つ先の駅名を確認する。
窓の景色は、大きな建物の密集地から、小さな畑と住宅街へ、ゆっくり変化を映し出していった。