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中学一年生篇9

鏑木家でのひとときを満喫し、直樹は帰路についた。暗くなる前に帰って、お母さんを安心させた方がいいと言われ、素直に従っておくことにしたのだ。

いつまでも待ってるからね、と鏑木からの言葉を貰い、帰りたくないなと思う心に鞭打って直樹は最寄りの駅に降りた。いつもの風景画広がると、胸がグッと縮こまる思いがする。

人の少ない通りを行こうと、学生の通りがない道を選ぶ。さっさと家に帰ってしまわないと、誰かに会ってしまうかもしれない。直樹は足を速め、急いで我が家に向かった。


学校は終了しているが、まだホームルームが続いているか微妙な時間帯で、周りを気にしながら歩く。同じ制服の生徒は見ないが、電車には他学校の制服を着た姿もある。チョコレートの入ったポケットをガシャリといわせて、直樹は十字路に出た。

あと少しだ。


「ナオ」


声が聞こえた。


進行方向の曲がり角から出てきたのは舜。彼の声に続いて、茜も顔を覗かせた。

思わず歩くのをやめてしまう。それどころか、体はもっと正直で足は逃げ出そうと後退を始める。

舜は彼の行動を見破り、声を抑えて低く唸る。


「逃げんな」


切実な願いを声に乗せ、直樹を射る。

打ち抜かれた直樹は、舜の言うままそこに留まるしかない。逃げたとしても、迷いのある足では舜や茜にだって追いつかれてしまうだろう。


車通りの少ない通りの端に寄り、二人分の視線を受けながら直樹は押し黙った。

誰も口を開こうとしない中、おそるおそる茜が一歩踏み出した。


「どこに、いたの?」


彼女にしては小さな声音に、直樹も静かに答える。


「僕のことをわかってくれる人のとこだよ。いい人たちだ」


「危険じゃない?」


「危険なわけない。ちゃんと親身になって話してくれたよ。少し、お世話になりたいと思う」


そう言うと、茜は驚いたように目を見開いた。

彼女のあとをついで、舜が言う。


「ナオ、健二のこと気にすんなよ?やっぱりキツく言っときゃよかったんだ……。ナオが気にすることないからな?」


一歩、直樹と間を詰めようとする舜だったが、すぐにまた差がひらく。

苦しそうに身を引いて、直樹は自分を守るようにカバンを盾に二人と線を引く。これには、舜も距離を縮めるのをやめた。


「ナオ?」


「僕は、女の子の格好をするのが好きなんだ」


舜はピタリと動きを止め、開きかけた口を閉じた。

茜も何をするのかと見守っているようだ。彼女にも聞いていて欲しいので、直樹は更に言葉を重ねる。


「大島くんが言ったとおりだ。みんなに嫌われたくなくて、ずっと言えなかった。それは、みんなのことが好きだからで……。でも、学校の人には知られちゃったし、僕と仲良くしてると二人も何を言われるかわからないよ。一緒にいるのは、やめたほうが」


パン


小気味いい音がした。頬が痛い以上に、耳が痛い。

視線が下がっていて、誰かが近づいていたことに気がつかなかった。

頬を叩いたのは茜だった。背後では、舜がビックリして先ほどまでの威勢のよさが消えた。


彼を置いてけぼりにしながら、茜は怒った顔で直樹を威嚇する。頬を叩かれただけでも十分すぎる威嚇だったが、彼女はそれだけでは足りないらしかった。振り下ろされた手は震えていて、第二波が来るんじゃないかと身を硬くする。

しかし、その考えは空振りに終わり、直樹は目を閉じていた目をそっと開く。


目の前には、怒っているのか、苦しいのか、悲しいのか、何ともとれない表情で茜が直樹を見ている。手は強く握り締めて、体の横についている。


「バカなこと言ってんじゃねえ!」


一喝が轟いた。直樹の胸もビリビリと震え、体中に電撃が走る。

彼女が本気で怒ったところを初めて見た。長く一緒にいたかのように思えたが、まだ知らない彼女の部分があったことを今さらながら知る。


頬を押さえていた手を離し、直樹は茜を見つめた。

不穏な空気が流れるが、舜はそのまま成り行きを見守ることに決めたようだった。

再び茜が食ってかかる。


「アタシらがナオと仲良くしてたのは偽善じゃない。周りが何か言ったからナオといたわけじゃない。アタシがナオといたいから一緒にいるんだ。それをナオが終わらせようとすんなよ!こっちの許可なく制限なんてかけんな!」


一気にまくしたて、言いたいことは言ったぞと腕を組む。呆気にとられた直樹は、彼女の後方にいる舜にも目をやった。頷いている。

考えていた結末とは違う結果に、直樹はにわかに信じられずに「でも……」と食い下がる。


「だって、僕は普通じゃないのに。僕と一緒にいたらみんなも」


「ナオ」


舜の声が優しく届く。


「ねえ、ナオ。普通って何だろう」


幼稚園生に尋ねるような言い方に、直樹も素直に考えてしまう。


普通とはなんだ。


学校に行って、友達と遊んで、家に帰るだけが普通の人たちの生活だろうか。そんな人もいないとは考えられないが、少ないように思う。何かしらの娯楽と共に生活してるだろう。

その娯楽とはなんだろうか。旅行とか、ゲームとか、スポーツとか、音楽とか、舞台を見に行ったりもするかもしれない。そうだ、それが普通なんじゃないだろうか。直樹は舜に伝える。

自分だって、女の子の格好をしたいことを除けば普通なんだ。それさえなければ、誰にも気分を害されることなく生活できたに違いない。


直樹の返答を聞き、舜は賛同を示した。ホッとして、一体それがなんなのかと疑問になった彼に、舜は再度重ねる。


「それじゃあ、みんながみんな、そうやって生きてると思う?同じような毎日を過ごしていると思う?」


「それは、ないと思うけど……」


「そうなんだよ。ナオが言った〝普通〟を元に、そこにちょっと〝彩り〟を加えて、みんな毎日を過ごしてる。その彩りがきっと個々で違うから、変わって見えちゃうんじゃないか」


柔らかな笑顔で話す舜に、直樹は言葉を見失う。


〝普通〟はみんな持っているもので、そこに少し変わったものがくっついてくる。例えば、直樹には異性の格好をすること、茜は男勝りな性格、舜は家庭の事情。

思わず下を向いてしまう直樹に、俊はいつもの陽気さで続ける。


「だから、今さらナオが変わってましたー、なんて言われてもなんとも思わねえって」


「コイツ、ナオが逃げてから大変だったんだよ?」


茜も割って入ってくる。直樹を元気付けるために。


「健二と殴り合いになってさ、先生も来るわ親も呼ばれるわで……。結局は先に手を出したのが舜だからって謝ったけど、納得いかない」


怒りの矛先を健二に切り替えた彼女に、舜も同感だと頷く。

黒板に書かれた直樹のことは後にして、二人のケンカのことについてキツイお叱りを受けたという。親を呼ばれてしまっては、さすがにどちらも部が悪く、舜が率先して謝罪した。

しかし、瞼を切るという大きな怪我をしたのは健二のほうで、彼の母親が怒り来るって、舜と舜の母親を追撃するかのごとく言葉を散弾した。仕事を切り上げて帰ってきた母親に申し訳なく、舜は殴りかかりたい衝動を抑えて、ただ乱射される弾の数々を一身に受け止めた。


なんとか担任の擁護で場は収束を迎えたが、学年では瞬く間にケンカの噂が巡った。ケンカの酷さが話題に上ることが多く、そのお陰か、直樹のことは大事にはならなかったようだった。

自分がのんびりとしている間に、とんでもないことになってしまったと罪悪感がこみ上げる。


ずっと下を向いて話を聞いていたが、もう我慢はできそうになかった。涙腺が緩みはじめたのだろうか。ぽたりぽたりとアスファルトに雫が落ちると、近くにいた茜が慌てはじめたのがわかった。小声で舜の名前を呼び、泣いちゃったよ!と作戦会議が開かれる。「そんな気はしてたんだよなー」と苦笑する舜の声。

直樹は顔を上げ、涙で濡れる瞳を細めて笑って見せた。


「ありがとう」


感謝の言葉は、二人にそれぞれの形で届く。全部同じものじゃない。

照れくさそうに笑った茜は、そっぽを向いて口を尖らせている。

グッと顔を近づけた舜の顔は、痣だらけで紫色に染まっていた。しっかりと顔を見ていなかったので気がつかなかったが、とても痛そうだ。こんな状態になっても、彼が謝らなければならない理由があるのか。怪我をしたのは、どちらも一緒だというのに。


痕になってしまうのではないかと痣に手を伸ばそうとしたとき、自分よりも背の高い舜に腕を引かれる。ぎゅうっと抱きしめられ、これでは記憶が吹っ飛んでいってしまうと思いつつも、直樹は彼の背を撫でた。


「ごめんね、痛かったよね」


「ホントだよ、バカ野郎……なんでもかんでも一人でやろうとすんな」


苦々しく吐き出される舜の声は濡れていて、直樹は涙を拭いながらくすくすと笑った。


「あれ、泣いてるの?」


「うっせ!ふざけんな!」


「わっ!」


叫ぶと同時に、舜は直樹を抱きすくむ。公道での熱い抱擁に戸惑うが、こんな日もあっていいかと直樹は妥協した。なにせ、みんな笑顔なのだ。

さざ波のように広がる笑い声。いつしか直樹と舜の立場が逆転して、舜が涙に濡れる。そこまで面白いわけでもないのに、笑いはあとからあとから溢れてくる。声を出さずにはいられなかった。


帰宅する小学生たちが何事かと遠巻きに眺め、男子たちは真似をしたりして騒ぎながら通り過ぎていく。それにまた笑う。

ひたすら笑った後は疲れてしまい、舜は抱きしめるというよりは直樹に乗っかっている状態に。肩にズッシリと重みを感じて、直樹は舜の体を押す。


「重いよ」


「心配かけた代償だろ。甘んじて受け取れ」


「いらない」


無下に断り、「ほら」と背中を叩くと、やっと体が離れた。同じ姿勢を保っていたせいで体がガチガチだ。空も遠くのほうは赤く染まり始めている。早く帰るつもりが、いつもと変わらない時間になってしまった。

ここまでくれば少し遅くなっても構わないだろう。直樹は、泣きはらして目を真っ赤にした舜に言った。


「舜の家に行ってもいい?お母さんに会いたい」


いいよ、と一度は断られたものの直樹のお願いに折れて、このまま舜の家に向かうことになった。積もる話は明日にまわすことにして、今日は一旦お開きだ。


留まっていた十字路で茜と別れ、直樹と舜はまっすぐに帰宅した。


「学校にお母さんを呼ばれて、何か言われたんじゃない?」


「あ?」


痛々しい顔をこちらに向け、学校でのことを思い返す舜。中学に入ってすぐにこんな調子では、今よりも彼を見る周囲の目が厳しくなってしまう。

どんどんとマイナスなイメージを持ってしまう直樹の顔が沈んでいく。舜は横目で彼の表情を見て、夕闇迫る暮れの空のように暗くなっていく直樹に前を向いて答えた。


「本当に殴ったのか聞かれただけだよ。殴ったって言ったら、そうってだけ。俺のとこもお前の母さんと一緒でサッパリしてるから、そんなもんだよ」


それだけ言って、直樹よりもコンパスの長い彼は一歩先に出た。

それ以外は何も続く言葉もなかったが、直樹も詮索をするのをやめた。


「また不良に近づいちゃうね」


「箔がついちまう。これ以上俺を男前にさせて、お前どうするつもりなんだよ」


「いいじゃない、かっこよくなるなら」


「惚れるなよ?」


「ワー、カッコイイー」


「棒読みやめろ」


手の甲で直樹の額をはたいて、家の前に立った。鍵を取り出そうとして、今日は母が家にいることを思い出す。ただいまとドアを開ける舜のあとに続いて、直樹も玄関に入る。


「お邪魔します」


最近はご無沙汰だった舜の家はあまり変わらない。独特の他人の家の匂いもそのままだ。


舜のあとを追う声に驚いたのか、何か言ったことはわかったが、なんと言ったのかまではわからない母親の声がする。ガシャガシャと大きな音をたてるところを聞くと、キッチンで夕飯の準備でもしていたのだろう。おっちょおこちょいなところは、今も健在だ。

恥ずかしくて眉をしかめる舜に、直樹は小さく含み笑いを零す。


上がれよ、と舜に促され、彼の母がいるキッチンへと顔を覗かせる。案の定、彼女の足元にはフライパンやら鍋が散乱している。舜がため息をついて、料理器具をかき集めて頭上の棚へ上げた。


「大丈夫かよ」


「平気、平気。ありがとね」


あービックリした、と胸に手を当てて息をついた彼女は、舜の背後にひっそりと立つ直樹に目をとめた。先ほどの声の主は彼かと合点がいくと、頭を掻いて浅く腰を曲げる。


「こんなお出迎えで申し訳ないね。久しぶりに来てくれたのに、なんのお構いもできなくて……」


「気にしないでください!挨拶に寄っただけなので」


「挨拶?」


顔の前で手をパタパタと振る直樹に疑問の目を向ける。おたまを持ったまま真剣な表情で見つめられる日がくるとは思わなかったが、直樹も彼女と同じく真剣な表情で頭を下げた。

急のことに舜の母親は目を丸くして、自分の息子と交互に見ていた。舜が肩を少しあげて、口元だけで「今日のこと」と告げる。

なるほどと頷いて、「ごめんなさい」と紡がれた直樹の声に、彼女は頭を数度軽く叩いた。小さな衝撃に直樹は顔をあげる。謝罪の相手は困ったように笑っていた。


「僕のことで、舜に怪我させちゃって、あの……」


何か言わなければと思うほど頭は混乱する。単語は浮かぶのに、それを上手に繋ぐことができない。パクパクと金魚のように口を開閉させるだけで、最終的にまた頭を下げる。

口が達者なほうではないので、こういった場面にはほとほと弱い。


再び頭を叩かれゆっくりと姿勢を正すと、困った笑顔だった舜の母の表情は苦笑に変わっていた。


「こっちこそ、気にしないでくださいってやつよ。まあ、私が決めることでもないけど」


言って、舜に目配せする。


「俺だって、謝りになんてこなくてもいいって言ったんだ。ナオにしたらけじめなんだろうと思って連れてきたんだけど」


腕に手を当てて直樹を視線で示す。

二人に見つめられ、なぜか自分が場違いのような気がしていた。

いや、そんなわけはない。迷惑をかけてしまって、それを謝りに来ているのだから、こちらがおかしいことはないだろう。なのになんだこの空気は。疎外感すら感じる。


直樹は口をすぼめて高い位置にある相沢親子を見上げる。

子のほうは親を見て、親のほうは直樹の視線に合わせて腰をかがめる。舜に似た顔が近くに寄り、一歩引いた。


「でも、謝りにきてくれてありがとうね。怪我のことは本人が大丈夫って言うんだから、ナオちゃんは気にしないで。何か言われたら、いつでも舜のこと連れてっていいから。こういうときしか使い道ないんだから」


「おい、もっと使いどころあるだろ」


「家でも高いもの取るときくらいしか働かないくせに、何言ってんだか」


言って、夕飯の用意をするからと二人をキッチンから追い出した。お世辞にも広いとは言えないそこは、大人と中学生男子が二人はいるだけでもいっぱいだ。料理なんてできたものじゃない。

直樹は納得いかないままキッチンを出て、玄関に向かう。


舜もついてきて、送ろうかと言われたが丁寧にお断りした。近い家なのに、男の子に送られるほどやわじゃない……と思いたい。

靴を履き、ドアに手をかけたところで舜がぽそりと呟く。


「お前のやってることは親には言ってねえから。説明のときにちょっと触ったくらいだからさ。さすがに担任には話したけど、あんま考えんなよ」


壁に体を預けて囁く舜に、直樹はしっかりと受け取る。もし女装のことが知られていれば、こんな歓迎ではすまなかっただろう。舜が直樹の家で息子同然と思われているように、相沢家でも直樹は息子のようなものなのだ。


無言のままいると、舜が直樹の頬を指で挟んで引っ張った。遠慮なしの攻撃に涙目になりながら、痛い痛いと舜の腕を叩く。離れたときには頬が完全に伸びきってしまったように感じた。

赤くなって熱を持つ頬を指でさすり、舜を見上げる。


「なに」


「なにじゃない。考えんなって言ったろ」


「そのことじゃないもん」


「問答無用!」


今度は反対側の頬に手が伸びる。直樹は慌てて手でガードをするが、舜のほうが一枚上手で、手の甲をつまんで引っ張った。再び攻防が始まる。

その声に、キッチンから高い声が飛ぶ。


「舜!ナオちゃんイジる暇があるなら手伝いな!料理できる男はモテるんだから!」


「わーったよ!」


言いつつも、直樹の頬を優しくつまんで離さずに見下げる。潤む瞳を見つめながら、舜は小声で言った。


「今度、俺にも見せてよ。ナオがかわいい格好してんの」


さりげない要望に、直樹は胸が高鳴った。照れくさそうに言う舜が、いつもより可愛らしく見えたことは口が裂けても言うまい。

嬉しさと羞恥が共存する中、直樹は頷いて


「じゃあ、舜が料理上手になったら、僕にも食べさせてね」


「……ああ」


なんだか、前にもこんな話をしたことがあったがあったかなと、デジャブのようなものを感じながら、二人は約束を交わした。

手を振り、別れる。

彼との未来を思い描きながら、直樹はカラスと一緒に、茜の空の下を帰っていった。

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