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中学一年生篇7




昨夜は夕飯も喉を通らなかった。

姉までもが色々と世話を焼いてくれたが、病気でもないのに何かが完治するわけもなく。布団にくるまって、いつしかくる眠気に身を委ねていった。


起きたら起きたで、思い出すと体が重くて本当に風邪を引いたのかと思うほど。

朝ごはんを無理やり詰め込み、直樹は家を出た。見送りの声に適当に応え、足を引きずるように進む。


靴箱でもたもたと上履きに履き替えた直樹は、今度はのろのろと階段を上っていく。教室に着くまでに、何人の生徒に抜かされたかわからない。邪魔になっていると知りながらも、早く足を動かすことができなかった。


教室のある階にくると、なぜか扉の前に人だかり。こんな気分のときに揉め事はやめてほしいものだと、目を伏せ近づく。

ヒソヒソと話し声がするのを直樹の耳は無意識に捉え、自分の名前があがっていることに気がついた。

嫌な予感がして走り出す。今まで全く機能を果たそうとしなかった足が動き、人の波を掻き分けて教室内に踏み込む。


一番初めに目に飛び込んできたのは、色とりどりの黒板だった。

多色のチョークで書かれた言葉の数々は、均一性もなく乱雑な大きさで直樹の心を深くえぐり取った。

人もまばらな時間で、教室の中には数人の生徒がいるだけで廊下の取り巻きは他クラスの生徒だと知った。


しかし、誰もがその黒板をみて、直樹を見て、友人たちと顔を付き合わせて密かに声を交わすのみ。

誰も彼に声をかけようとする人もいなく、黒板の文字を消そうとする人もいなかった。


直樹は教室に健二の姿を見つけた。いつもであれば、もっと時間ギリギリに登校してくる彼には珍しい。そして、遅ればせながら気がつく。

彼の口元が上っていることに。


呆然と立ち尽くす直樹を、健二がニヤついて見ていた。

激しい衝動にかられ、奴の横っ面を引っ叩いてやろうかとおもった。

それと同じく動揺と絶望が渦巻き、結局は指一本すら彼に届かない。

崩れ落ちないように踏ん張るだけでも大変なのに、この状況を覆すだけの力を直樹は持っていない。


ただ立っているだけに見えたのだろう。健二は面白くなさそうに顔を顰め、席を立ち上がって直樹に近づこうとしたとき、ざわつく廊下から鋭い声が飛んだ。


「誰だよ!」


声のした方を反射的に振り返る。


他クラスの取り巻きが、怒鳴った男子生徒を中心にザアッと引いた。輪っかができたそこには舜がいた。

カバンの肩掛け部分をぎゅっと握って、みんなの視線を一身に浴びて教室に入りながら、再度声を荒げる。


「こんなことしたの誰だって聞いてんだよ!」


男女構わず人気を誇る舜だったが、このときばかりは誰も味方になろうとはしなかった。

数人がちらちらと健二を窺い、席から立ち上がっていた彼は気まずそうに視線を逸らすしかない。


舜は目ざとくそれを見つけ、健二を睨みつけてすごむ。


「お前かよ」


名前も呼ばれていないのに、健二の肩が震える。図星なのだ。


「見てもないくせに、決めつけんなよ」


「テメェじゃなきゃ誰なんだよ!この間見たの、お前と俺だけだろうが!」


直樹は脱兎のごとくその場から逃げ出した。

舜の声が後ろから届くが構っていられない。やっと動いた体をここで止めたら、きっと全部が溢れてしまう。


学校へ来たときのまま数分前に通った下駄箱で靴を履き替え、登校する生徒を逆流して校門を出た。

不思議そうに直樹を見つめる目が怖い。まだ、何も知らない人たちの目が怖い。


早足だったのが次第に駆け足になり、いつしか全力で駅に向かっていた。

行くあてなど思いつかなくて、取り敢えず駅に向かっていつものように往復切符を買う。息を整えながら電車に乗り込み、座席に着いた。反対側の電車は人が多いのに対し、下りは人が少ない。今は感謝しなければならないだろう。


空気の抜けるような音がして、扉がガタガタと閉まった。

こうなれば向かう場所も決まっていて、どこにも行けない自分の世界の狭さを思い知る。直樹は四肢を投げ出して座り、ぐったりと背もたれに頭を預けて到着駅に着くまで無心のまま外の景色を眺めていた。

流れていく窓の外のように、自分を取り巻くものも全て綺麗に流れてしまえばいいのにと、直樹は心のどこかで願う。


駅に着いた電車から降り、いくらも落ち着かない心を携えて公園に向かった。他に居られる場所もない。


今頃、学校はどうなっているのか、家にも連絡はいってしまうのか、不安に思いつつも戻る気にはなれない。直樹を見る周りの視線を思い出すと足がすくむ。健二にいいようにされてしまった不甲斐なさにも、直樹は閉口するしかなかった。


午前の公園というのは結構な静けさで、いつもなら授業が始まるであろう時間に、こうして出歩いていることに罪の意識を感じた。


うつむき、ブランコに座る。前回は聞こえた子どもたちの楽しげな笑い声もなく、何を探しているのか地面をつつく鳩がいるだけ。

カバンを抱きかかえ、足元に寄ってきては羽ばたいて逃げていく鳩を見ていた。


日差しを遮るための木々はギリギリ直樹を影で覆う。けれども、夏の空はもうすぐに迫っている。


(梅雨なんだから、雨でも降ればいいのに)


直樹は砂を蹴る。

煙があがり、鳩が驚いて逃げ出す。

その鳩が逃げた方から、黒い影が落ちた。雨雲にしてはハッキリとした黒で、直樹は顔を上げて正体を知った。


「やっぱり、あのときのお姉ちゃんだ」


「君たちは……」


そこにいたのはあの姉妹だった。

同じ赤いランドセルを背負って、手を繋いで登校中だったようだ。

学生服を着た直樹を不思議そうに見つめ、二人はそっと近づいてブランコの前に立つ。


「お姉…お兄ちゃんは、ここらへんの学校?」


「ううん、今日はちょっとズル休み」


「あ、マユと一緒だ」


言って、隣にいる妹に視線をやる。

不満げな表情だった少女は、そういった理由だったのかと直樹は笑う。妹のマユが行きたくないとダダを捏ね、遅刻になったという。

自分が悪者にされたと思ったのだろう、マユは鼻にしわを寄せて姉の手を強く引っ張った。


「ユリちゃんも、本当は行きたくないって言ってたのに」


ずるい、と頬を膨らませた妹に、ユリと呼ばれた姉は小さく笑っていなす。仲がいいのだと直樹も、少し気分が晴れた気がした。


その小さな変化に気がついたのだろう。ユリはちらりと妹を振り返り、そっと唇を寄せて耳打ちした。

くすぐった気に肩をすくめるマユの顔がパッと輝き、「本当!?」と手を叩く。何か二人の間で動きがでたようだ。嬉しそうなマユを見ると、彼女たちに利益が傾いたのだろう。


直樹が首を傾げて理由を聞いてもいいか尋ねる前に、ユリが


「お兄ちゃん、私たちの家においでよ。きっといい日になるよ!」


笑う姉の隣で妹も嬉しそうに頷く。


直樹は突然のお誘いに目を丸くした。小さな天使たちは、陽光の降り注ぐ下で無邪気に微笑んで手を繋いでいる。

その後ろには、彼女たちが歩いてきたのであろう道が伸びる。


湿った手を握り、直樹はそっとブランコから立ち上がった。キイキイと耳障りな音は、少女の軽やかな足音にかき消された。

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