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#7



――――人間、死んだら終わりなのだ



あの気が強かった彼女さえも、尊厳を散々踏みにじられた末に命を奪われてしまった

俺は今まで人を殺してきた。絶対に生き残る為に、何人もの命を奪ってきた

それは仕方の無いことかもしれない。人間という生き物は存在するだけであらゆるものに犠牲を強いてしまうのだ

最初の殺し以外はあまり必然性のないモノの方が多かった。言われるままに人を殺した

そうした才能があったのは不幸なのか、悪運なのかは解らない。ただ、俺の価値は道具としてのみ認められていた

後から思えば、あの場所でルーナと同じように死んでいたほうが結果的には殺さずに済んだのかもしれない

ただ、過去を取り戻せる…やり直したいのなら誰だってそう願うのかもしれない…



だからこそ、今の俺の願いは如何なる形であれたった一人の少女を救いたいという…ただそれだけの事だったのだ―――――







人殺しの自分に資格はないのかもしれない。彼女に語りかける権利など彼には存在し得ないのかもしれない。

だが、言葉を出さずには居られない…謝罪を伝えられないわけにはいかない。

そう、これは彼の―――キルーマ自身の過去の清算でもあるのだ。

無駄に終わっても良い、このまま撃ち殺されても良い。だが、ようやく再開した事で伝えたい言葉があるのだ。

封印したと思っていた感情が染み込んでくる、枯れたと思われていた古井戸に再び地下水が懇々と湧いて出るように…

それがキルーマの持つ殺し屋としての仮面に徐々に傷を付け素顔を晒させたのだった。


「ミホ、俺は…」


珍しく―――本当に稀な事ではあるがキルーマは動揺していた。

死んだと思っていたミホが生きていて、胸の片隅で安堵の感情を感じていたら彼女に銃口を向けられたからだ。

嬉しいという感情が湧き上がる反面、脳の奥底で疑問が顔を出す。どうしてミホがこんな場所に居るのかと。


「来ないでッ!!」


「……」


険しい表情のまま、拒絶の声で近寄ろうとするキルーマをけん制するミホ。彼女は心を閉ざしキルーマを拒絶していた。

久しぶりに再開し、成長した彼女はあどけないままの少女から間違いなく大人の女性へと変わりつつあった。

それと同じくして幼いままだった表情も固くなり、鋭さも増して暗い影を漂わせている。

そんな彼女を見てキルーマは胸の奥が痛くなる。彼女を底まで追い込んだのは彼自身なのだ。


「それ以上近づくと撃ちます…わたしの質問に答えてください」


昔と声質は同じだが、硬さを増した言葉がキルーマに銃口と共に突きつけられる。


「…ああ」


言葉を促すキルーマ。何を彼女が聞こうとしているのかは解っていたし、事実としてそれは当て嵌まっていた。


「私と一緒に旅行に来ていた…兄を殺したのは…本当に貴方だったんですね!」


まだ幼さを残す、少女の瞳は殺意と困惑に揺れていて引き金は今にも暴発しそうであった。

持ち方からして素人だろう。そのまま打てば発砲の反動を受け止められず肩を折ってしまうかもしれない。

子振りであるが無骨で角ばった黒光りする拳銃は細いミホの腕に不釣合いで、不気味に光を反射していた。


「そうだ、俺が殺した。済まないと思っている…」


否定する必要は無い、もしそうした所で信じてもらえないだろうし嘘を付く気もさらさら無かった。

なにより、嘘をこれ以上重ねたくなかった。今までの偽りが彼女を苦しめていたのならばもう傷つけたくなかったのだ。


「―――――ッ!!!」


ミホが一気に息を呑む気配が聞こえた。殺意が一気に収束しキルーマのほうへと向けられる。

銃身はもう震えておらず、キルーマの額にぴったりと狙いを定めている。

この距離ならばほぼ確実に命中するであろう。大口径の銃弾は易々とキルーマの頭蓋を砕き、脳漿を飛び散らせ、生命活動を停止させるはずだ。

しかし、死を目の前にしても彼は冷静だった。むしろ穏かな気持ちが胸の中に満ち満ちている。

何時かはこんな日が来るんじゃないかと思っていた。逃げても何時かは来る逃れえない最後の時。


(お前に殺されるなら、それはそれでいい…)


彼女に殺されるならそれも悪くないと考え、キルーマは銃を捨て静かに眼を閉じた。

カシャン、と乾いた音を立て石畳の上を銃が滑る。それをミホは驚いた眼差しで見つめた。


「……っ」


だが、暫くしても少女は引き金を引くことはなかった。いや、銃口は相変わらずキルーマの方向を向いている。

ミホが撃とうとすれば弾は発射されるであろう。だが、一向にその気配が訪れる事はない。

彼女の大きめな瞳から暗い憎しみの感情が薄まっているようにキルーマは感じた。


「…どうして――――――んですか?」


「……。」


ミホは小さい声で何かを呟いた。キルーマは思わず戸惑ってしまう。

彼女の口から出た言葉が自分への恨みでもなく、キルーマへの疑問と戸惑いである。


「どうして…兄を殺したのに、わたしを殺そうとしないんですか…?」


「…お前の兄は俺の『仕事』を見てしまった。お前は俺の仕事を見ていない」


「そんな…たったそんな理由で……お兄ちゃんを……ッ!」


再び膨れ上がる怒りと殺意。それは先程にも増して膨れ上がり彼女自身をオーラで包み込んでいるようだった。


「そうだ、俺の組織の勝手な基準…いや、俺本人のエゴがお前を傷つけてしまった。だから、お前には俺を殺す理由がある」


「あなたは…そんな理由で人殺しが出来るんですね」


そうだ。とキルーマは言葉に出さずに胸の中で肯定した。

恨みや憤りを対象に抱く、そして積もり積もったそれが他人を殺める為の動機へと純化される。

それは人間として当然の感情なのだ。そして彼自身への復讐が遂行されるのは全くもって正しい。

だからこそキルーマのように「仕事」で人を殺すのは異質なのだ。

そんな疑問など昔の彼は抱かなかった。しかし、ミホを助けてしまった事で彼の内情にも変化が起きていたのだから。


「俺は人殺しに過ぎない。そして組織に逆らった今、俺はお前を殺す理由は無い

だが、お前は俺を殺す明確な動機がある。何の理由も、恨みも無く無く自分の兄を撃ち殺した…そうしたのは只の仕事に過ぎなかったからだ。

だからこそ復讐する権利がある筈だ、それに俺を殺してもお前を狙うものは誰も居ない」


「よくも…よくも私のお兄ちゃんを!!」


地獄の底から響くような怨嗟に篭った声は可愛らしいミホの声とは思えなかった。

しかし、キルーマはどうでもよかった。ただ立ち尽くして死が訪れるのを待つのみなのだ。

もう、生きることに疲れた。組織の手に掛かって死ぬのは確実だろうが、彼女の恨みを晴らさせる為に命を使う終わりも悪くない。


「……」


キルーマはゆっくりと眼を閉じた。今際の瞬間に彼女と眼が会わないように、ミホが自分の事で悩まないように…

早く撃って欲しかった一方でこう思う。もし、あの時に気まぐれを起こさずミホを組織に引き渡すなり殺すなりすればこうはならなかったのだろうかと。

今となってはどうすればよかったなんて解らない。ただ、彼女に引導を渡されるのは悪くないと思っている。

人を殺すだけの人生には飽きた。ここらで死を振りまいていくだけの人生にピリオドを打つ。

だが、心を静かにして最後の瞬間を待っているときに妙な違和感を覚えた。

自分では無くミホに向けられた殺意。それもミホのキルーマに向けられたものよりも、もっと禍々しくそして突き刺すような気配。


(まさか…!)


それに気付いたとき、キルーマは眼を見開いた。そして彼女を守るために行動する。


「…伏せろッ!」


ミホはびっくりして自分に覆いかぶさってくるキルーマに発砲してしまった。

それと同時に響く銃声の二重奏。少女の銃弾は彼の脇腹を穿ち、何処からとも無く飛来した音速の弾丸は左の肩を浅く抉った。


「キルーマさんっ!!!」


少女の悲痛な、しかし自分を心配してくれる声が聞こえて胸の中が暖かくなるのを彼は感じた。

脇腹を押さえながら、キルーマは美穂を抱え遺跡の中へと避難した。

誰かが自分達を狙って狙撃した。それが組織の人間であると彼は一瞬のうちに理解したからだ。


「狙われている…何処からだ?」


「血が出ています、じっとして下さい…」


呻きながらも銃撃の方向に注意するキルーマを気遣うようにミホが言う。

自分のスカートを破き、傷口に当てる。弾は貫通しているらしく、摘出の必要が無いのが不幸中の幸いであった。


(この深い霧の中で狙撃されている…どこからだ?)


その答えはすぐに判った。ミホがもし自分をあの場所に誘導する役割を担っていたのだとしたら辻褄が合う。

しかし、彼女がその事を知らないのは先程の銃撃に驚いていた事から明白だった。恐らく、ミホと再会する前に感じた別の気配のものだろう。

誰がこんな事を仕組んだのか?その人物は思いのほか早く予想できた、キルーマの事を熟知しているのはあの男しか居ない。


(この手の込んだ仕込みをしたのも、あの男が糸を引いているに違いない)


予感ではなく、確信だった。お前の運命は俺が握っていると言わんばかりの『ボス』の不適なニヤリ顔が脳裏に浮かぶ。

運命をまるで弄ばれている様だった。ミホさえ利用して、あの男は自分を殺そうとしてきた。

ギリ…と、歯を食いしばる。目の前に奴がいたら確実に脳天に銃弾を見舞ってやりたい。

しかし、現実に今ここに奴はいない。そして現在は生き延びる事が最優先だった、心配そうな眼差しで自分を見つめるミホと共に…


「誰に連れてこられた? お前一人ではこの場所にくることなどできないはずだ」


「女の人です…鋭い、氷のような感じに金髪を短く切った…」


組織の新しい刺客なのだろう。今までと違って搦め手に出たのはどういうことなのだろうか?

ボスがそんな事をするのだろうか? いや、自分の事をよく知る奴ならば下らない趣向を凝らしても仕方ない。

そのおかげでミホと再会できたのは、僥倖なのかもしれないが。


「そうか…」


「待ってください、もしかしてその人を殺すんですか?」


「……。」


一瞬躊躇ってしまったのは、ミホに自分の正体を明かしたくなかったからなのだろうか。

しかし、もう彼女に嘘を付くのは嫌だった。自分を偽って生きていくのはもう疲れてしまったのだ。


「…ああ」


だからこそキルーマは簡潔に答えた。誤魔化しても仕方ない。

ミホを無事に生かすには自分が出て刺客を殺すしかないのだ。彼女が納得しなくてもそうする以外の選択は無い。

恨みというものはしぶとく付いて回るものだ。影のように常に付きまとい、いつ襲い掛かるとも限らない亡霊のようなもの。

何処かで憎悪の円環を断ち切らねばならない。そしてそれは自分に由来する因縁なのだ。

そんなものにミホが殺されたり、彼女が自分以外の誰かを殺したりするのはもっと嫌であった。


「あなたは………」


ミホは何も言わなかった。ただ、避難するような視線を一瞬送っただけだ。


(それでいい。お前はそうであってくれ)


胸の奥に胸糞悪い感傷を覚えて、キルーマは霧の中に向かって行った。この視界の悪さでは、狙撃を警戒する必要は無いだろう。

キルーマは遮蔽物を盾にしながら霧の中を歩いていった。前に見たときの彼とは違う何処と無く脆い印象がミホの胸をざわつかせるのであった。





キルーマは焦っていた。ミホの存在が心の平静を掻き立てていたのだ。

それも『敵』は計算の内だったのだろう。微かに気付いた殺気の存在を暗殺者としての彼の本能が拾ったからかわせた。

いや、それ以前に霧の中でルーナの幻影を見た際にミホとは全く違った気配が潜んでいた。それが敵の正体なのだろう。

恐ろしく狡猾な敵であることに間違いない。キルーマに正攻法で挑めば苦戦すると踏んでミホを使ったのだ。


(俺が狙撃手だとして、まず抑えておくであろうポイントは…)


霧が立ち込め、周りの風景などうっすらとしか捕らえられない濃霧の中でキルーマは警戒しつつその場所に向かう。

まず低所や平坦な場所を狙い打つのは高所に陣取るのがセオリーかつ基本的な方法だろう。

この視界の悪い場所でも狙撃を敢行できたのは、赤外線スコープなどの機器を使っている可能性が高い。

ミホを使ったのは、確実に足止めし殺すためなのだろう。自分を確実に殺すために彼女を助けたのはいかにも『奴』が考えそうな事だ。


(俺がミホに殺される事を望んだことを知っていた…その上で念には念を入れる。奴らしい合理的な手段だ)


殺しの為には手段を選ぶ事はない、地獄からやってきたソルジャー…それが今回の敵なのだ。

だから、わかる。自分を殺しに来た敵は限りなく自分に近い存在なのだろうという事が…

朽ちた遺跡のピラミッド場の建造物を用心しながら、時折遮蔽物に身を隠しながら昇って行く。

何の苦労も無く頂上にたどり着いた。そこは高さゆえに霧の濃度もそれほどではなく、ほぼ全ての視界を下方に治める事が出来る。

間違いなく敵はここから撃ったのだ。肩を抉った銃創の角度から逆算してもこの場所は辻褄が合う。


(俺を殺しに来た組織の人間…か)


唐突にそいつが誰なのか見たくなった。ミホが言うからには女なのだという。

何故かそれが気になっていた。異性だからとかそういう意味ではない、なんと言うか直感のようなものだ。

そしてその彼女が自分に強い恨みを持っている事はミホの扱いを見てわかっている。


(奴は冷酷だ。ミホ諸共俺を殺すつもりだった)


また、殺す。ミホはもしかしたらその事で傷つくかもしれない。

何気に他人の為に自発的な殺人を行うのは初めてだった。

彼女には優しい世界へ帰って欲しかった。誰も傷つかない場所へと…


(…いない。いや、場所を移動したのか)


刺客の姿は影も形も無かった。何処かで待ち伏せているのか?それともすでにこの場所を離れ別の狙撃ポイントに移動したのか?

どの道、標的を仕留め損なった狙撃手がのうのうとその場に留まる可能性は低かった。

そしてビリビリ突き刺さるような殺気も無い。文字通りもぬけの殻なのである。


(まさか…ミホが危ない!)


移動したという事は敵はまたミホを使うかもしれない。その可能性に至らなかった己を呪いつつキルーマは来た道を戻った。






迂闊だった、そうとしか言えない。ミホの安全を優先するために彼女の傍を離れてしまった。

敵を倒す。それは戦士として、暗殺者として当たり前の事だ。だが、それは人として正しいのか?

結局ルーナは助けられなかったのだ。力で力を制するのは本当に正しい行いなのだろうか?


「…クソッ!」


終わりのない疑問に悪態を吐いても始まらない。今は考える事はそれではない。

今はミホの元に戻るのが先だった、彼女を救う為に…胸騒ぎを覚えながらキルーマは走った。

霧の向こうに二人の人影が見えた。近づく度にそのシルエットが明らかになり彼は息を呑んだ。


「お前は…」


「…」


そして、刺客はミホを置いて来た場所から少し離れた石造りのピラミッドの傍に佇んでいた。

短く切った金髪とスレンダーな体を包む黒のボディスーツが印象的な冷たい雰囲気を持つ女である。

顔を無機質に人の顔面を模した様な白の仮面で隠している。その癖に瞳には爛々と暗い感情を滲ませて陰険な印象を与える。

感情を殺しきれていない。ならば、付け入る隙があるかもしれないと、キルーマは頭の片隅で思う。


(何故だ…俺はこの女を知っているような気がする)


たとえ顔を見ずとも、仮面の女が醸し出している殺気は尋常なものではない。

暗殺者は感情を殺すように仕込まれるはずだ。道具として徹底して相手を殺すための刃に徹する。

それが『あの男』が望む殺人人形の姿であり、理想だったはずなのだ。

そうだとしても目の前の女は殺気を隠しきれていない。奴の人形にしては出来が悪い印象さえ受ける。


「ミホを放せ」


「……」


キルーマと相対する女はこれまでの殺し屋とは違う雰囲気をかもし出していた。憎悪に染まった瞳で睨み付けている。

それでようやく思い出した。暗殺の後に彼の方向に向かって視線を投げた金髪の娘の事を…


「…銃を捨てろ」


「キルーマさん…」


助けを求めるミホを、まるでモノでも扱っているように女は乱暴に石畳の上へと放った。

その背中には黒光りする銃口が向けられている。ミホの両腕は縛られていた。

逆らえばどうなるか、それはこの世界に生きるキルーマなら言われなくても解る事だ。

ミホの頬に擦り傷ができて血が滲んでいる。言う事を聞かなければそれで済まない事を刺客は行うつもりなのだ。


「……」


キルーマは無言のまま銃を放った。先程と同じようにミホを助けるための行動だ。

彼女に殺されるか、それともこの刺客に殺されるかどちらかなのは解らない。


「そうだ、そのまま動くな…」


女はキルーマに向けて発砲する。右肩左足に銃弾が突き刺さり鋭い痛みが走った。

この至近距離で頭部を狙わなかったのは、嬲る目的があったのだろう。

やはり、この女は自分に明確な恨みを抱いている。


「…」


女は無言のままに腕を振りかぶった。袖から滑るように銀色の刃が飛び出てくる。

キルーマと同じ方法でナイフを取り出したのだ。復讐という美酒に酔う女…

暗殺者としては技術が一流だが、感情の整理に関しては二流だ。キルーマは感情で人を殺す事は今まで無かった。


「まずは耳から切り落としてやろう。お前に殺された肉親の仇だ」


(やはり…)


この女に殺される事自体は構わない。キルーマが殺した肉親の仇討ちなのだ、いわば正当な復讐なのである。

しかし、自分が死ねばミホを守るものが居なくなる。奴は彼女を助けるのだろうか?


(いや、その可能性は低い。この女は俺に携わる全てのものを抹消する気だ)


この女を狂わせて憎悪の虜にしてしまった一件は自分に責任があるのかもしれない。

だが、彼女の復讐を受け入れてしまえばミホが救えなくなるだろう。

今は時を待つしかなかった。そしてキルーマの首筋にナイフが突き立てられた。


「死ね!」


仮面の奥に隠れた刺客の眼に、自分への底知れぬ憎しみが滾っている事にキルーマは気付いた。

それは彼女だけのものではない。今までに殺してきた者達の無念が彼女の体を借りて自分に復讐しようとしているようだ。

だが、今は死ぬわけには行かなかった。この女はミホを狙っていた、自分を殺しても彼女も放って置かないだろう。

この女も『ボス』に吹き込まれて襲い掛かっているに違いない。全てが奴の掌だと思うと悔しくなる。


「…!」


急に聞こえたのは発砲音。しかしそれは女のものでもキルーマのものでもなかった。


「く…」


女が右手を押さえて背後を振り返り目にしたのは尻餅をつき、それで居てしっかりと銃口を彼女に向けるミホの姿だった。


(ミホ…何故?)


キルーマはミホが何故自分を助けたのかその理由がわからなかった。

それを不利と見たのか駆けて行く女。そしてキルーマは彼女を追った。

彼女を放置しておく事は出来なかった。ミホに災いをなす物を放置しては置けない。

そしてそれは自分で蒔いてしまった種なのだ。芽が出てしまっては刈り取らなければならない。

復讐という苗床。それが自分にのみ向けられるのならば甘んじて受け入れよう。しかし、ミホに危害が及ぶ事は許容できない。

彼女を平和な世界に戻すと約束したのだ。奴は何処までも追ってくるだろう。

キルーマの『やり方』で問題は解決するしかなかった。彼はそれしか知らないのだから…


「貸せ、それはお前には重すぎる」


ミホが持つ拳銃を渡すように促すキルーマ。彼女は一瞬躊躇った後に、黒い人殺しのための道具を渡した。

彼がそう言ったのは自分が持っていた方が十分に性能を生かせるだろうとの目算もあったが、

これ以上ミホに人殺しの道具を持って欲しくなかったからというのが大きい。


「キルーマさん!」


少女の声が背後から聞こえたがそれに構わず、キルーマは傷ついた体を押して霧の向こうへと走ったのであった。







「…やはり来たか」


女は逃げ切れないと悟ったのか。それともあらかじめ待ち構えていたのか開けた場所でキルーマを待ち構えていた。

霧は徐々に開けていく。それと同時に彼女は顔を覆っていた仮面を取り払う。

キルーマは彼女の素顔を見て息を呑んだ。どこか胸の内で抱いていた疑惑が確信へと変わったからである。


「ミホを見逃すつもりは無いのか?」


「無い。あの女は後で殺す。そして貴様には散々屈辱と苦痛を味わってから死んでもらう」


女の整った顔は憎悪に歪んでいたが、その素顔にキルーマは見覚えがあるような気がしていた。

やはり、あの少女が成長したらこうなるのだろう。あの頃の面影は確かにある、そして彼女の人生を狂わせたのはキルーマだ。


「覚えていないだろうが、私は貴様が殺したダニエル・スーンの娘ロザリー…ロザリー・スーンだ!」


「…!」


その名前は知っている。ダニエル・スーン、かつてキルーマが殺した男の名前だった。

そして狙撃銃のスコープ越しに見た少女の姿。彼女の成長した姿なのだろう。

自分によって人生を狂わされた者の末路を突きつけれれているようだった。

いや、彼女だけではない…ミホや彼女の兄やその他の大勢だって人生を狂わせてしまったのだ。


「ボスの命令以上にお前に対する復讐は成し遂げなければならない

お前の協力者、親しいものに対しても私が味わった苦しみを味あわせてやる…」


ロザリーの体に黒い霧が纏わり付いているようにキルーマは見えた。

彼女の心から闇を取り払い説得する事はキルーマには出来ない。自分は他人を救える人間ではないと知っていた。

汚い殺しの技に秀でた、ボスの操り人形にすぎずミホのような日に当たる場所に居るべき人間ではない。

そもそも彼女の父親を奪った自分にそんな資格があるわけでもないと自覚してはいたが、今は過去の罪の清算に終始し、

ミホに災いが降りかからないようにしなければならない。そして、始末は自分の手でつける。


「…そうか」


「死ねっ!」


黒い風のようにキルーマは一気に接近。ロザリーは瞬時に反応し、ナイフで薙ぎ払う様に一閃させる。

だが、鋭く速い銀光がキルーマの体を捉える事はなかった。身を低くされ回避されたのだ。

そのままの体勢で体のバランスを保ちながら体勢を低くしつつ、刈り取るような回し蹴りがロザリーに襲い掛かる。

怪我人のものとは思えない、まるで野生の獣が持つような柔軟さと素早さは並みの使い手なら一瞬の内に足を払われて転倒を免れなかったはずだ。

しかし、それにさえ彼女は反応して跳躍して回避。後方に飛びつつナイフを投擲して見せた。


(くっ…!)


キルーマは体を捻ってそれをかわすが、その時に脇腹の傷が疼く。そしてそれを見逃す敵ではなかった。

再度一気に接近して一気に予備のナイフを振りかぶる。薙ぎ払い、突き、いくつかの動作を組み合わせたフェイント…

様々な殺し技の応酬が殺意を滾らせてキルーマに降りかかってくる。その一つ一つが必殺の威力を備えていた。

避け続けていく彼であったが、怪我による出血が徐々に動きを鈍らせていった。

致命傷ではないが、浅い傷が徐々に増えていく。険しい顔になっていくキルーマ、それを見てほくそ笑むロザリー。


「お前は一思いに殺さない。じわじわといたぶってパパの無念を晴らさせてやる!


キルーマは後方に駆けた。手傷を負っているとは言えその行動に迷いは無い。

だが、殆ど無傷のロザリーに追えない速さではない。逃げたとしても直ぐに追いつけるだろう。


「逃げるのか? どうやら臆したようだなッ!!」


嘲笑と嗜虐心を顔に思い浮かべながら彼を追うロザリー。

今の彼は拳銃こそ持っているが、それほど脅威とは思えなかった。

だが、彼は地面から何かを拾い上げると反転して此方に投げてきた。

完全に油断しきっていたロザリーはそれを弾く事が精一杯で、完全に体勢を崩す。

そして次に放たれた銃弾がナイフを吹き飛ばし、彼女は丸腰になる。

それを見逃さずキルーマは間合いを詰め、喉元に拳銃を突きつける。この一瞬の攻防で互いの優劣は逆転した。


「くっ、何だと…!」


「……」


キルーマは彼女に拳銃を向け、無表情のまま見下ろしている。それは勝敗が決した事を示していた。


「無駄だ。私が死んでも組織の新しい追っ手がお前を殺しに来る…お前は逃れられないのさ」


ロザリーはあらん限りの憎しみを持って彼を睨んだ。自分が死んだとしても残された怨念で彼に災いを残そうとするように…

彼女の後にも刺客は送られてくるだろう、しかしロザリーの憎しみは看過できない。

ミホに災いが降りかかる可能性を放置出来なかった。自分が争いの種を蒔いた事には変わらず、それは刈り取らねばならない。

これも『ヤツ』の目論見通りだと思うと、苛立ちが腹の奥底で煮え立ってくる。

あの男は自分も含め様々な人間の運命を狂わせてきた。そして彼女を倒しても第二、第三のキルーマやロザリーは生み出されてしまうのだ。


(結局はこれも、あの男の筋書き通りか…)


彼女を生かして置ける道もあるかもしれない。しかしその選択肢を彼女の父を含め幾多の命を奪ってきたキルーマに選ぶ選択肢はないし、

ロザリーは決してキルーマを許しはしないだろう。何処までも追い続け彼とミホに危害を加えようとするはずだ。

結局、自分もこの女も同じだった。力を求め悪魔に魂を売ったのだ。そう、彼の故郷に古から伝わる生贄を欲する悪魔に…

だが、ミホをそうする訳にはいかない。彼女に同じ道を歩ませるわけにはいかない。この連鎖は何処かで終わりにしなければいけない。

あるべき者は、あるべき場所へと返さなければならない。ミホの戻るべき平和な日常の故郷へと…


(すまない…)


一瞬の躊躇。そして心の中で彼女に詫びた後、彼は引き金を引いた。

乾いた発砲音と共にロザリーの体が跳ね上がり動かなくなった。銃声と共にキルーマの数多い罪の清算の一つは終わったのだ。






「…キルーマさん」


「…」


戻ってきたキルーマを見てミホは一瞬戸惑ったような顔をした。

そこから十数秒の間、沈黙が二人の間に降りかかる。霧が互いの距離を思っていた以上に広げていた。

ミホに何を言われようとキルーマは贖罪を受けるつもりではあった。自分は彼女に裁かれる咎が有るのだと自覚していた。

しかし、彼女の唇から毀れた言葉は彼の予想していた罵倒とは大きく異なるものであった。


「…無事だったんですね」


「ああ…」


ミホは戻ってきたキルーマにようやく安心したような表情を浮かべる。

可愛らしい顔には先程の憎悪と困惑の間で揺れている影を引きずってはいたが、素直に彼を安心する様子は健気で普通の少女そのものだ。

そんな彼女の顔を見て、キルーマは安心する一方でどこか後ろめたい感情を引きずっていた。

そんな思いが彼の口から言葉となって零れ落ちる。傍目から見ると平坦な彼の表情だったが


「あの女も俺と同じだ、だがあいつは元はそうじゃない…普通の人間だった」


「え…」


いきなり話し始めたキルーマの独白。それに彼女は戸惑っているようであった。

それを知ってか知らずか、彼は言葉を続けた。まるで自分の罪を牧師に告白するように。


「俺があいつの父親を殺した。だから復讐に来たのだろう」


ミホはそれで大体察したように見える。必ずしも、察しが悪い娘ではない。

自分の兄以外にもキルーマが手にかけてきた大勢の人間がいると実感してしまう。

そして先程に銃を持ち、彼女自身がやろうとしていた行為も、その刺客と同じなのだ。

復讐。その言葉のなんと甘美で忌まわしい事だろうか? 自分がキルーマを殺さなくて良かった。

今は兄の事を別にして、キルーマが自分を守り無事に帰ってきてくれたことが嬉しかった。


「それじゃ…」


「ああ、全て俺のせいだ。俺が居なければ、恐らくあの女も普通の人間と同じ生活を送っていただろう」


彼女とキルーマ。両者の間には薄くてとてつもない壁が横たわっているように思えてならなかった。

何処まで行っても、如何なる優しさを見せようともキルーマは只の人殺しであり許されない罪を負った罪人であるのだ。

そしてミホは綺麗で平和な世界で生きていくべき人間なのだ。自分のように肩まで血に染まった裏の世界の住人とは訳が違う。

どんな罪を侵しても生きていく。ミホの安全を確保するまでは、それが贖罪となるのならば…


(俺が時折見た夢の少女は、ミホの事だったのか…?)


彼女の横顔を見ながらキルーマは思う。しかし、自分の推測が正しいかどうかは彼自身にもわからなかった。




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