#6
少年は黒い殺意を纏った風となって駆け抜ける。
手にはナイフを持ち、獲物を狙う小さな狩人となって森の中を駆けてゆく。
まだ、あまり場所から離れていなかったのか。『彼女』の仇はすぐに見つかった。
(…見つけた!)
どういうわけか彼にはわかった。土地勘があったからかもしれないし。『素質』による天性の狩人の才が仇を見つけたのかもしれない。
あいつらの背中が見えた、感情が高ぶりそうになるのを抑える。今飛び出しても何にもならない。
連中の中には銃を持っている仲間が居る。そいつを無力化しなければすぐに射殺されてしまう。
そうなったら仇を討つことなどで気やしない。死んでしまえば何もかもがおしまいになってしまうのだ。
心臓の鼓動が大きくなってゆくのが解る。目の前に仇の姿を認め平静を保つので精一杯だ。
慎重に時を待つしかなかった。奴らが油断して無防備な喉笛を晒すであろう瞬間を…
(落ち着け…今飛び出しても仇は討てない……)
奴等は焚き火を囲み煙草を吸いながら談笑しているようだった。うち数人はカードで賭け事でもしているようだ。
憎い憎い憎い…彼女を殺して逃げる事など許さない。おめおめと生き延びて連中と同じ息を吸っている自分自身も許せない。
一瞬の内に忍び寄り、背中にナイフを突き立てる。肩甲骨と肋骨の間を抜けるようにしてナイフの刃が心臓を一突き、即死であった。
『おい、どうしちまったんだ? 酔いつぶれちまったのか?』
悲鳴も出ない鮮やかな殺しの技。それはもうアートと呼ぶべき鮮やかさだった。
すかさず銃を持った一人の背後に回り、首筋を狙って銀光を一閃させる。噴水のように噴出した血を見て残りの三人も襲撃者の存在に気付いた。
『おい、何なんだ! あの村には殺し屋を雇ったなんて聞いてねぇ!』
『クソッ、皆殺しにしてやったのに生き残りが居たのか!』
『別れるぞ! 固まっていたら皆殺しにされちまう!!』
すぐに二人の仲間が死んだ事が、彼らに動揺を与えているようだった。
此方としても好都合だった。冷静な決断力を失わせているように見える。
三人は別れて逃げた。しかし土地勘のないよそ者が足の悪いところで逃げ惑っても得物にしか過ぎない。
一時間も経たない内に襲撃者の数は最後の一人になっていた。
『お、お…お前は……あの時のガキ…』
彼よりも二り大きい白人の男は、打ち捨てられた神殿の壁に追い詰められて驚愕に顔を歪めた。
脚の腱は既に切っている。逃げられないようにする為と、これから苦しみを与える為であった。
『かっ、金で雇われたんだ。隣村の連中に…楽な仕事だって言われて…悪いのは奴らだ…俺は悪くない!』
命乞いを聞く気はない。こいつらは武器を持たない彼女を散々嬲った後に命を奪った。
だから最後は散々嬲って殺した。苦悶の声が夜の闇に響き、石畳は真っ赤に染まり神殿の床を血で漬した。
その様子はまるで昔この地方で行われた生贄の儀式の再現そのものであった。
それが、彼が…のちにキルーマと呼ばれる男が侵した、最初の殺人だったのだ。
嘗て、名を捨てた少年は思いを馳せた少女に語った事があった。
それは彼の夢であり嘗て望んでいた事だ、彼女…ルーナに話すまでは。
『ねぇ、あんたって将来何になりたいの?』
『僕は…この村から出てみたいな』
『どうして?』
『世界を見たくなったんだ。色々なものや色々な人に会えるかもしれないって』
村の外、それは少年にとって憧れの世界だった。
彼の見る世界はいつも村の作業の風景だった。麦を刈り取りとうもろこしの茎を回収し馬車に積む。
大人達はそんな日々を毎日過ごしていた。繰り返される日常が彼には退屈な時間に思えたのだ。
そして森の外れにある寂れたピラミッド、寂れながらも美しい四角錐の建造物は彼に外の世界への期待を盛り上がらせた。
役割を終えて徐々に朽ちながらもしっかりと存在感を保ち続けているアステカのピラミッド。
古の祖先達が造った石の建物を見たときに、もっと外の世界にはどんなものがあるのだろうかと想像した。
それは村の同世代の少年達と遊ぶ事よりも、彼の心をときめかせたのであったのだ。
『あんたなら、何にだってなれるよ。私は女だから…ここで暮らすしかないんだ』
『ルーナ…』
あの時の彼女の寂しそうな横顔が忘れられない。幼さを残しながらも女へと替わりつつある少女の憂いを残した顔。
彼女を残して村を出る事が本当にやりたい事なのだろうか? この故郷で死ぬまで村の農作業を手伝う一生でも悪くないんじゃないか?
その時からだろうか? 彼が明確にルーナを異性として意識し始めたのは…
だが、皮肉にも故郷を出るという彼の願いは違った形で叶う事になる。
それが嘗ての彼自身にとって望んだ道ではあったが、不本意な形で故郷を出て垣間見た世界は想像以上に汚く醜悪なものだった。
あるビルの中、『ボス』はキューバ産の葉巻を楽しみながら目の前の人物に指令を下していた。
薄暗い部屋の奥に立ちシルエットになっているその人物―――スマートなプロポーションはやや未成熟で大人になりきれない少女のものである。
『彼女』は早い段階で殺しを覚えてくれた。類稀なる才能と、そして奴に近親を殺された憎悪が力を与えているようである。
女としての武器と、数多くの銃器を扱う手腕で幾多の邪魔者を排除してきた成長ぶりはあの『キルーマ』さえも凌駕するほどであった。
「お前は非常によく役に立ってくれている。それでこそ拾った甲斐があるというものだ」
「…」
目の前の女はキルーマの置き土産だった。奴が居なくなった穴を十分に埋めてくれている。
自分は神に愛されているのだと『ボス』は思った。奴を失った事については痛いが差し引きはおおよそゼロといったところか。
そして彼は新しい暗殺者に指令を下す。表面上は無表情を装い、内心ではほくそ笑みながら…
「そして、始末して欲しいのはこの男だ。奴は俺を裏切り、そしてお前の肉親を殺した事は知っているな?
俺の組織にとっても秘密を知っている危険人物だ。奴の腕ならば他の組織に転がり込んでこちらに害を成すとも判らん」
「…!」
キルーマの写真を見せると、少女の瞳の色が変わった様に見えた。
感情を殺し冷静にさせる教育は施したはずだが、それでもこのプレッシャーは驚くべきものである。
内心、恐ろしくもあったのだが、それくらいの怨恨の力を備えなければキルーマは殺せない。
何故ならば、あの男は彼が始めて手塩にかけて育て上げた殺し屋の最高傑作なのだから。
「元エージェント…コードネーム『キルーマ』の抹殺を命じる。この任務にはお前が最も適任だ
奴の居場所は既に突き止めている。いくら最強の暗殺者といえども度重なる襲撃で疲労しているはずだ
そして、あれを使えば奴を確実に仕留めることが出来るだろう。楽しみにしているぞ」
キルーマを殺す。奴が裏切った直後に人員も装備も集めて潰そうとしたがまんまと逃げられてしまった。
人員は組織を動かすのに大切な要素だが、無能な人間の頭数など揃えた所で奴に対してはどうにでもならない事は織り込み済みである。
手塩にかけたキルーマは曲がりなりにも最強の殺し屋なのだ。ならば目には目を、最強には最強の人員をぶつけるのがベストなのだろう。
裏切り者一人に構っていられる場合でもない。キルーマの脱走、そして追撃の度重なる失敗は『ボス』の以降さえ微かに翳らせていた。
彼の不手際を見て、幹部達の中にも不穏な動きをしているものがいると聞く。敵は国内外に多く現状も万全であるとはいえない。
そういった手合いが居たのは以前からだったが、噂も何度も耳にすると安心して酒も楽しめない。
「了解しました…」
返事を返す艶やかな声は平坦な口調だったが、それには滲み出るほどの憎悪が宿っている。
『ボス』は満足だった、奴には復讐の約束を餌にこうして力を与えてやったのだ。そして影が部屋から消えるのを見届けるとニヤリと口元を歪めた。
今回は特別に趣向を凝らした演出を仕掛けている。殺しの手法は合理的な方が好みではあるし無駄が無いのが理想的であるのだが、
『奴』に対しては別だった。あの男の力が無ければ組織をここまで大きく出来なかっただろう。
彼なりのせめてもの礼である。手間をかけ苦労して仕込んだ舞台の上で、愛憎劇を繰り広げてもらうつもりだった。
「キルーマ…いや、元は名無しの小僧。俺からの餞だ、遠慮せずに受け取ってくれよ…ククク」
『ボス』は口元にワインを運び、グラスを軽く揺らした。照明の輝きを透明な容器が反射してキラリと輝く。
ゆっくりと口元に持ってゆき、グラスを傾け少しずつ味わい、噛み締める用に口に含む。
美味い、実に美味である。農薬を使わず人の手で手間隙かけ、太陽の光を与え育て上げた天然ものの葡萄を長い時間をかけて熟成させる…
十数年も前から保管しておいた秘蔵の一品であり、手塩にかけて保管してきた熟成のワイン…やはり欧州の荘園で作られたモノは違う。
封を開けるには少し心惜しいが仕方が無い。酒というものは味わうためにあるのだから。
「死神の最後を祝って…乾杯」
そういいながら、前に軽く掲げるようにして半分も減っていないグラスを掲げる。
まるで『ボス』は此処には居ないキルーマを祝うように、乾杯の礼を取ったのだった。
それもまた彼らしくない感情だ。部下は基本的に道具としてしか見ないものだったがあの男はやはり格別だった。
キルーマはこのワインと同じだ。手間をかけて育て、その力を組織の為に思う存分振るってくれた。
手駒が増えた今となっては彼の存在はさほど重要ではない。ないのだが…彼が居なければ組織を大きくする事も、今の自分の地位も無かった。
ならば…壊すのはせめて自分の手で行うというのは当たり前なのだろう。優れた狩り犬を育てた主人の手によって…
逃亡生活を続けて、既に一年近くが経過していた。
組織の追跡は追跡は思いのほかしぶとく、何回も銃撃戦を挟む結果となった。
当然、その過程で何人も殺した。最強の殺し屋と呼ばれた彼がそう簡単に捕まる筈も無い。
殺さなくてもいい場面もあったかもしれない。しかし、追っ手を生かしておくのはキルーマにとってリスクが大きかった。
命を奪わず無力化する…そういう選択肢もあったが合理的ではない。止めを刺さなければ彼らは新たな武器を持って自分を殺しに来るのだ。
キルーマが手をかけてきた人間の中にも家族がいる。かけがえの無い者を失い残された家族はきっと自分を恨むだろう。
「……」
自分はそんな彼らより生きる価値があるのだろうか? 生存すべき理由があるのだろうか?
それは全くわからない。胸の内に尋ねても、空を見上げても納得の出来る答えは沸きあがってこない。
余計な事を考えるようになったのはミホに会ってからだ。彼女はもういないというのに…
そのミホの家族もキルーマは奪ってしまっている。彼女を殺さずにおいたのは気まぐれだったが、
まさか目撃したというだけで彼女の兄を殺してしまうとは思わなかったのだ。
キルーマからすれば、それは不可抗力でしかない。目撃者は殺す、今までだってそうしてきたのだから。
(やはり、俺を変えたのもミホの存在か…)
自問自答するがそれが、決定的な答えであると彼自身薄々勘付いていた。
自分が変わってしまった最大の原因が彼女であるのだ。いや、気まぐれに少女の風船を取った事がこうなってしまった。
美穂とさえ出会わなければ、自分はまだ人殺しのマシーンのままで居られたかもしれない。
彼女はもしかしたら不思議な力を持っているのかもしれない。いや、殆どの人間がもっているのかもしれない。
しかし、少女とははぐれいまや自分は一年以上逃げ延びてしまっている。
守るといいながら結局守れなかった。組織がミホを生かしておく理由は無い。
そしてキルーマはまだ生き延びている。更なる屍の犠牲の上に…何故生きようとするのか、彼は自分なりに考えてみる。
(俺はミホに追う一度会いたいのかもしれない。自分の侵した罪の審判を彼女に仰がせる為に…)
廃屋の窓の外からオレンジ色の光が溢れ出している。真っ暗な地平線から徐々に太陽が顔を出しているのだ。
うっすらと考え事そしている間にどうやら夜は更けたようだった。今日はもう夜の襲撃を恐れる必要は無くなった。
キルーマはゆっくりと重い体を立ち上がらせた。場所を移動するためである。
いつまで絶望的な逃亡生活が続いていくのか、それは彼自身にもわからなかった。
しかしわかっているのは、もうすぐ自分が死ぬという事だけだったそれ自身は別に構わない。
だが、最後にミホと会いたかった。叶わぬと知りながらそう思わずにはいられない。
朝日はもうすっかり立ち上がり、荒涼とした荒野を太陽の光で炙り始めていたのであった。
「……」
キルーマは何も言わず、ただ歩き始めた。そうする事しか今の彼には思いつかなかった。
その背中には疲労と、僅かながらの寂寥感がこびり付いている様にも見えなくない。
ただ、このまま生きていったところでどうなるのだろうか? という疑問が胸のうちを通り過ぎていくだけであった。
少年が気が付いたときには、辺りは血の海に染まっていた。
彼の片手には捻じ曲がったような形のナイフがある。恐らくこの惨劇をもたらしたのはそれなのだろう。
少女の事を思って頭が真っ白になり、何も考えられなくなっていた。そして気が付いたらこうなっていたのだ。
『……』
助けようとした少女は既に息絶えていた。可愛らしかった顔には苦悶の表情と共に見開かれ、濁った瞳が虚空を向いている。
少年はそっとその瞼を閉じてやったら苦痛と無念に歪んだ顔が幾らか安らかになった。
それを見ても彼の感傷にはさざなみ一つ立たなかった。まるで人を模した機械のように少年は無表情のまま立ち尽くしていた。
どの位の時が経った頃だろうか? それは彼にもわからない数時間か、あるいはほんの数分かもしれない。
そんな状況の中で、彼に声がかけられてきたのだ。野太く、他人に命令する事を生業としているような男の声が…
『なんだ、こいつら全員お前がやったのか?』
『……ここにいる連中は』
『ほう、澄んだいい眼をしている。命を奪うのに迷いが無い』
男はそう言って蠅がたかり始めているゲリラの頭をつま先で小突いた。
少年は素晴らしい逸材だった。瞳に虚無を宿しているその眼に命を奪う事の躊躇いがない。
恐らく、この紛争のさなかに家族か大切なものが死に…そして彼を修羅にしたのだろう。
素晴らしい事だった。少年を手に入れればこれから先は役に立つだろう。
『…あんたはだれだ?』
銃口を少年に向けられても、男はまったくうろたえる事はなかった。
『フン…やはりこの地域には血の臭いが絶えない。そして歴史上止むを得ない事情もある。
二百年も前にアングロサクソン共が此処に来るまでは未開の秘境に等しい場所だったからな
しかし、それ以上に欧米諸国の思惑が絡んでいる事には違いないが。』
便利な道具を手に入れる為の詭弁はすらすらと口から滑り出てくる。
彼を少年兵として死なすには惜しかった。ならば自分が活用したほうがより有意義であろうと男は考えたのだ。
その少年は紛争の発端の一翼を、目の前の男が操っていた事など知りもしないだろうが…
『こんな場所で燻ったままでは、何時かは命を落とすだろう。誰も居ない場所で人知れぬまま…な
俺と一緒に来い。お前の能力を…才能を生かせる機会を用意してやる
お前は人を殺すために生まれてきた。これからの名前は【キルーマ】と呼ぶ事にしよう』
『……』
少年―――幼い頃のキルーマは何も言わず静かに男の言葉を受け入れていた。
異論は無い、むしろ男に与えられた殺す者――――【キルーマ】の名こそが両親に付けて貰った名前よりしっくりくるのだ。
自分は幼馴染を救う事ができなかった。それなのにこうして死しか生まない己こそ殺人人形に相応しい存在なのかもしれない。
そう、自分は誰も救う事が出来なかった。幼馴染のあの少女も、そして彼女さえも―――――
眼が覚めた。さっきまで見ていた夢は過去の出来事が記憶の奥底から蘇ったものだ。
後にキルーマのコードネームを与えられる少年と、若き日の野心と情熱に燃える『ボス』との出会い。
あそこから全てが変わっていった。あの男に拾われなければ自分は戦乱だらけの故郷でいつか命を落としていただろう。
しかし、それ以前の過去が思い出せない。今思っても碌な人生ではなかった、生きるためには何でもやった。
人間的な感情を持っていてはとても耐えられなかったのだ。悪意の坩堝のような場所で彼は必死に生きてきた。
嘗ての故郷に比べれば、ここは比較的治安のいいところではある。しかし、組織に歯向かった彼からすれば安息の地は何処に無い。
もしかしたら人の形をした悪魔と契約していたのかもしれない。そして契約を破った彼に奴は今、牙を向いている。
(いつの間にかこんな場所に来ていたのか…)
気が付いて辺りを見渡してみると、そこは何かの遺跡のようだった。
霧が石造りの建造物を覆い隠し、何処と無く神秘的な雰囲気をかもし出している。
夢の中にまだ居るようだとキルーマは思ったのだ。過去の世界を彷徨ってみたいだった。
遺跡なんかには興味は湧かない。それを知ったところで自分の生存には関係ないと思っていたからだ。
しかし、どこかの本で読んだ知識によれば南米に遺跡を残すアステカの太陽文明は生け贄を捧げることにより神への供物としたのであるという。
科学万歳な現代社会では迷信じみた信仰心によって、人死にが出るなど馬鹿馬鹿しいとしか言いようがなかったが、
現代人の物差しで過去の価値観を否定しても仕方がない。昔の人間の行いを頭ごなしに否定する気はさらさら無い。
神のための生け贄。キルーマからすれば、自分が生きるための贄をとして人を殺すことも代わりがないように思えた。
同属を殺す、それは人間そのものの業なのかもしれない。逃れる事のできない罪なのかもしれない。
(俺は、他人の生き血を煤っていきる吸血鬼だ…)
なんとなく、不思議な気持ちがする。そうキルーマは思ったのである。
とにかく歩いてみる。近くに立ち寄った村からは大分離れている場所であるようだ。
靴底の裏から石畳の感触が伝わってきて、今は誰も住んではいないこの場所でも嘗て人としての営みが行われていたのだと思い知る。
まるで…ではなく、ここは本当に人かはおらずゴーストタウンのようであった。
生者は彼以外この場所におらず、過去に神へと捧げられた生贄達の魂が霧の中で彷徨っているのかも知れない。
いつか、自分も死者になるのだろうとキルーマは直感する。多分、そう遠くない未来に組織の手にかかると。
それでも良いかもしれないと彼は思った。何人も殺してきて今更救いを求めようとも生き永らえようとも思えない。
どの道、自分はあの場所で死んでいたのだ。今ここにいるのは人に悪意をもたらす生きた亡霊のようなものだ。
生者を地獄に引き釣り込み、奈落へと誘う堕ちた魔物。そんなものがこの世の中に存在してはならない。
自分には人知れぬ場所で誰にも悟られないまま朽ちていくのがお似合いなのかも知れない。
只一つ、心残りはあった。自分が殺してしまった肉親の少女を守れなかった事が――――――
「ルーナ!? まさか…」
霧の奥に、白い人影が見えた。長い髪を靡かせて『誰か』は遺跡の中へと消えていく。
瞬く間の出来事である。まるで幻想のような出来事に流石のキルーマも動揺してしまった。
(…馬鹿な。彼女が生きているはずがない!)
しかし、一瞬見た白い横顔には見覚えがあった。嘗て彼が守れなかった少女。
彼女が生存して少し成長していたとならば、ああ育ってもおかしくなかった筈である。
そして…成長した少女は『彼女』によく似ていた様に見えた。
(ミホなのか?)
自問自答する。彼女がこんな場所にいるはずが無い。
もし、生きていたとしても組織は残虐なのだ。ミホを生かしておく理由は無い。
先程の人影は幽霊なのか?はたまた、霧が見せた幻なのだろうか?
キルーマはしかし彼女を本物だと捉えていた。暗殺者として磨き上げた直感がそう告げていたからだ。
「ミホ…」
霧の中から現れた彼女にキルーマは一瞬だが、ルーナの姿を見た。
髪が伸びたミホは肌の色や多少の違いはあれど、守れなかった彼女に雰囲気が似ていた。
唯一違う点があるとすれば、美しいが…険しい表情になった顔つきだ。
どんな思いで彼女は一年い近くを過ごしてきたのだろう? きっとそれは想像以上に辛い時間だった筈だ。
「キルーマさん。私、全部思い出したんです」
「……そうか」
キルーマは彼女に近づこうとした。しかし彼女は彼を拒絶するように手の中のそれを持ち、彼に向けた。
それは拳銃だった。女性や子供にも扱いやすいカービンタイプの銃であり、装弾数はそれほどでもないものの当たれば只では済まない。
「…あなたはお兄ちゃんを殺した犯人だったって」
その時キルーマは全てがわかった。ミホが一部の記憶を失っていたこと、そしてキルーマに銃を向け発砲してしまった事も…
彼女は兄が撃たれるのを見てしまっていたのだ。恐らくはそのショックで記憶を失ってしまった事も…
記憶を完全に取り戻した彼女が、兄を殺した張本人――――キルーマに殺意を向けるのも当然の帰結であった。