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#5


ミホという少女の半生は幾つもの奇数な運命の星にあったといえるかもしれない。

両親は事故死に、そして血の繋がりが薄い兄は苦労の果てに異郷の地であえない最後を遂げてしまった。

そして自身は記憶を失い…あろう事かその兄を殺した男の元に身を寄せている。


その男は彼女を祖国返す為にいろいろな手段を模索していた。知り合いの武器商人に頼んで帰還ルートの構築を頼んでいたのだ。

彼女がもし過去に慕っていた少女と近い声質じゃなかったら、もし完全な暗殺者として人間の心を捨て去っていたとしたら…

もし~、~たらればは意味のない仮定である。過去を変える、起きてしまった事は神ならぬヒトに変えることは出来ない。

しかし、罪の清算は出来るかもしれない。少なくとも彼はそれを望んでいたしそうしようとしていた。

だが、障害は常に立ちふさがっていく。まるで彼らの行く末を嘲笑うかのように…

だからこそ、運命とはかくも皮肉なものであるのかもしれなかった。






「ミホ!」


隠れ家のアパートに着くと自室のドアを思い切り開け、キルーマは彼らしくない鋭い声を上げて少女の名前を呼んだ。

この場所は既に奴に知られている。当の昔に襲撃を受けてもおかしくは無かったが今のところそんな様子は無い。

しかし、安心でいるものではない。こうしている間にも刻一刻と危機は迫っているのだ。


「キルーマさん、一体どうしたんですか?」


ミホはそのまま家に居た。家は移してはいるが、あの男が自分の所在を把握しているとは思いにくい。

不幸中の幸いというべきだろうか? それにしては何かきな臭い、彼の勘がそう告げていた。


「早く外に出ろ。そして車に乗れ、ここから離れる」


「え…?」


冷静な彼らしくない一気にまくし立てるキルーマの言葉の意味が飲み込めずミホは目を白黒させていたが、彼女なりに切迫した状況を察したのか頷く。


「今は危険だ。奴等がいつ襲ってくるかわからない」


「…わかりました」


ミホは頷く。キルーマは部屋の中から最低限の火器を持ち出して二人は三分以内にそのから去ったのだった。

意外なほどに、スムーズに事は運んだ。キルーマの運転するカウンタックは高速道路に出て夜の道を赤い流星となり走る。

夜に煌く無数のヘッドライトの光が次々と後方に流れては消えていく。それを見て今まで奪ってきた命の事をキルーマは考えていた。


「何処へ行くんですか?」


「とりあえず南に向かう。北は奴等の勢力圏内だ」


だから道路を通って南に向かうしかなかった。最短の道はここしかない、追撃も来るだろう。強行突破は覚悟していた。


「奴等…って、誰ですか?」


「俺達の…命を狙う連中だ」


「それって…」


ハンドルを握りながら、ミホの質問に答えるキルーマ。彼女は眼をパチクリさせて、まだ完全には状況を飲み込めてないようだ。

仕方の無い事なのだろう。十二、三歳の少女がこんな非日常に放り込まれてすぐに対応してしまう事自体がおかしいのだ。

そんな非日常の住人たるキルーマは、一人の少女を守り日常に返そうとしている。それが贖罪だと自分に言い聞かせながら…

以前の自分なら彼女なんて放って逃げたはずだ。いや、こんな状況にすらならなかったはずだろう。

今も『殺人機械のキルーマ』として生きる目的も無いまま、ボスに言われるがままに殺しを続けていた筈なのだ。


「大丈夫だ、お前は俺が守る」


「キルーマさん…」


平坦な彼の言葉に少女は安心したようであった。その事で反応を見てキルーマの顔が少し綻んだ。

昔の彼なら決して口にしなかったであろう言葉…しかし、今なら守りたいものの気持ちが薄々と解る。

感情など生きるためには必要ないと思っていた。だが、今となってはそれも悪くないような気がしていた。

遠い昔に失ったはずの感情。嘗て自ら捨て去ったものと再会した感想は決して悪い感触ではなかった。


背後からの眩いハイビームが伸びてきて、唐突に車内を照らす。

キルーマはバックミラーを見て気付いた。黒い後続車両が少なくとも二台、このカウンタックの後をぴったりと追随していることに。

間違いなく『組織』の追っ手であることは疑いようが無いのだろう。『裏切り者』を処断するために追ってきたのだ。


(正気か!? こんな場所でやりあうつもりなのか?)


愚痴をこぼしても事態の解決にはなりえない。いくら状況に文句を言ってもそれがプラスになる事などありはしない。

状況を少しでも好転させたければ、自分が動く事こそ手っ取り早く確実な手段なのだ。

運転席の足下からサブマシンガンを取り出しながら彼はミホに言った。


「耳に手を当て頭を低くしろ!」


切迫した声から何かを察したのか、それとも咄嗟に危険を感じ取ったのだろうかミホはいわれた通りに両耳を塞ぎ首を引っ込めた。

その直後に発砲音が叩きつける豪雨のように響き、ミホが短い悲鳴を上げた。

防弾加工が施されていない後部窓ガラスに弾痕が空き、クモの巣のような罅が幾つか入る。

幸いなことに窓を抜けた弾は無い様だった。弾がガラスに当たった角度が浅いのと貫通するタイプのものではなかったことが幸いしたのだろう。




ギィィィィィィッ!!




キルーマはハンドルを大きく切って右に車を寄せた。タイヤが異臭を放ちつつスリップし、甲高いスリップ音が響いた。

強引な方向転換で追捕を振り切ろうと試みたのだが、それでもしがみつく様に後続の車も追ってくる。

車間距離が急激に縮まってくる。下手をするとそのままクラッシュする…そんな勢いだ。

単純な直線ではカスタムされたカウンタックの加速性能に分がある。黒塗りの襲撃車は武装も人員も此方より多く搭載している。

それが幸いだった。ミホと成人男性の体重は二倍近くの開きがある。デッドウエイトが少ないという事は、

単純な速度競争になってしまえば、加速に優れるカウンタックで引き離せる。

キルーマはバッグの中からサブマシンガンを取った。右手で持った事はそれだけ射角が制限されてしまう。

運転手側の窓しか今は撃てない、ここに密着されてしまった場合は一貫の終わりだ。


距離を取る為に左手でハンドルを固定しつつ側面の窓を開けて後方にサブマシンガンを撃つ。

弾幕が下方に展開され、避けようとした後続車の動きによって車間に少しの余裕が出来た。

狙いは付けない、どうせ自分の後ろに敵がいるのだ。ならばその動作こそが無駄であるだろう。

せいぜいが眼くらまし程度、時間稼ぎになればそれで十分。結果として後方の二台は若干距離を取って車間を離した。

しかし、彼等も見逃してくれる気は無いようである。黒い影を振る払うようにアクセルを一気に吹かす。

すると一気に上がったエンジンのパワーに連動するように、トルクががっちり噛み合って電導部分のギアに膨大なパワーを伝え、

路面を一瞬空回りするまでにタイヤが高速で回転し、黒い後続車両を一気に引き離していく。

流石に元の持ち主がスポーツカーに改造を加えていたのか、カウンタックが叩き出した速度は市販の車を遥かに越えていた。

組織の用意した黒い車は追いつけない。此方は防弾加工はされていないがスピードは折り紙付だ、追随できる車は限られる。

散発的に銃弾が飛んでくるが、既に有効射程から離脱しておりタイヤに命中しない限り大事は無いだろう。

カウンタックは赤い彗星となって夜の路面を滑るように、紅蓮纏いし風となって駆け抜けるてゆく…


「きゃあっ!」


急に掛かった加速にミホが悲鳴を上げる。キルーマですら一瞬歯を食いしばり腹に力を入れたほどだ。

完全に後方の追っ手は振り切れた。今は徐々に距離を離しつつあるが、まだ予断を許せる状況ではないのだろう。

ガソリンも、後十数キロ走れば尽きてしまう。このようなスポーツカーは速度は出せるが燃費などは度外視なのだ。

武器も持ち出せたものを最低限持ってきてはいるが、組織を相手にするとなるととても心許ない。

それにミホを守っていかないとならないのだ。もう少し行けば裏で武器を流している知り合いに合流できる。

この車は目立ちすぎる。しばらく走ったら別の車を盗み乗り換えつつ南に向かう。

ほとぼりが冷めるまで、住居を転々としながら組織の眼の届かない場所まで退去するしない。

既知の武器商人ジェムと連絡が取れればいいのだが、この状況では接触は難しい。

彼にはいくつかミホを日本に返してやれるルートの打診をしていて、ようやく折り合いが付いた所なのだ。

幾つかの人間に金を握らせて、組織の目を欺かせるには時間がかかる。もうしばらく時間があれば実現は可能だった。

だが、追われている現在では暫くミホを祖国に返してやる事は出来ないかもしれない。だから後で彼女を説得して…


「前っ!」


思考する脳裏に入り込んできた切羽詰った声。一瞬ミホの言っていた意味が解らず、前方を凝視したキルーマ。

まだ数百メートル先、最大速度でも駆け抜けるのに数秒を要する距離の向こうにそれは待っていた。

橋に入った直後、先程見た覚えのある黒い車をバリケードを築くように配置して道を封鎖し、更に十数人の人影がこちらに銃口を向けている。

完璧な待ち伏せである。ルートを読みあらかじめ人員を手配していたのだろう。組織の力と物量を侮ったキルーマの敗北だった。


(…馬鹿な!)


どうやら、逃がしてくれるつもりは毛頭無いらしい。組織は本気で自分たちを潰すつもりなのだ。

キルーマは一瞬考えた。このまま突っ切って突破するか、降りて手持ちの火器で彼等に挑むかを…

突っ切るにはバリケードの隙間が狭く、そして単身で黒服達に挑むには数が多すぎる。

引き返すにしても、背後から隙間の無い銃撃が飛んでくるだろう。そしていつ増援がやってくるかわからないのだ。


(あれは!?)


自分達の行く手を遮る者の一人が抱えているものを見てキルーマは戦慄した。

肩に抱えるように持ち抱える巨大な砲身は対戦車用のロケットランチャーそのものであり人に対して使うものではない。

『ボス』は自分をどうしても潰そうとしている事が解った。彼はそれほどまでにキルーマを恐れつつも評価していたのだ。

逆に言えば、組織の活動の中核となり率先して暗殺を行ってきた彼は秘密を知りすぎているという事になる。

もう少しで橋を抜ける。そしてその先には黒い車が厳重なバリケードとなって重なっている。

やはり泳がされていたのだ。追撃に出た車は囮、本命は道路を封鎖して陽動し確実にキルーマを仕留める手筈だったのだ。

『奴』はチェスの駒を動かしてゆくように此方の先の先を読んでいただろう。

そもそも新しい隠れ家からの逃亡ルートをいくつか開拓できていれば、話は違ったのかもしれないが…


「クッ…!」


今頃過ぎたことを悔やんでも仕方ない。ただ、あらゆる手段を講じて危機を回避するしかない。

キルーマの判断は一瞬だった。ミホを抱きかかえて車の外に脱出、そして下の川へと身を投げる。

高さは三十メートル近くある。水の上に落ちるとはいえ、打ち所が悪ければ死ぬ事もあるのだ。

しかしあのまま進めば蜂の巣にされるのはわかりきっている。どちらにせよリスクの低い方を選んで博打に賭けるしかないのだ。

直後にロケットランチャーがカウンタックに直撃、赤くて美しいボディラインを持つスーパーカーの名車は木っ端微塵に破壊される。

破壊されたボンネットからガソリンが漏れ出して引火、そして爆発して夜の道路に鮮やかな橙色で照らした。

只の鉄屑になってしまった。元の持ち主が見たらショックでそのまま昇天してしまうかもしれない。

しかしそんな事を考える余裕はキルーマには無かった。それなりの高さから落下した事のショック。

冷たい水の感触が傷ついた体を引き摺りこむようにして凍えさせ、傷と連続した疲労が限界に達した彼は意識を手放した。












「ここは…?」


柔らかな朝日に照らされ、眼が覚めるとそこは知らない川岸だった。随分と流されてしまったのだろう。

周辺に気を配ったが、追っ手の気配は無い。意外に流れの早い川だった事、そして夜だった事が幸いして上手く逃れられたのだ。

運が良かったとしか言いようが無いほどの強運だが、傍らに居るべき筈の少女が居ない事にようやく気付く。


「ミホは…くっ!」


彼と一緒に川に飛び込んだミホは周辺の草むらを探しても見当たらなかった。

恐らく流されているうちに別々の場所へと別れてしまったのだろう。

彼女の事が心配だった。溺れたのかもしれないし、仮に組織に捕まったとしたら生存は絶望的だ。

キルーマは暫く捜索に当たったが、やはりミホの姿は何処にもなかったのだった。

途方に暮れた彼はただただ、太陽が頭上に昇りつめるまで立ち尽くす事しか出来なかった。


「ミホ…俺は……」


彼はミホに謝罪した。生きていると思いたかったが再開の可能性は限りなく低い。

また、失ってしまった。『彼女』のときと同じ過ちを繰り返してしまったのだ。

キルーマは静かに岸の傍らで膝を着く。目の前には流れる雄大な河川が何処までも広がっていたのだった。






数日後、キルーマは久しぶりに夢を見た。

こんなにはっきりとしたヴィジョンで夢を見るなど相当に疲労やストレスが溜まっていたのかもしれない。

数年の逃亡生活の末に彼は追っ手の襲撃によって、全身に銃弾を受けていた。血が全身から溢れ、生きているのが不思議なくらいだ。

しかし、一歩、また一歩…と踏み出すたびに体はまるで自分のものではないように重くなっていく。


(俺が死んだら、ミホはどうなる…?)


自分の肉体が瀕死の危機にあるというのに、完全に他者の身を案じている事がとてもおかしく思えてならなかった。

どうも考える事は苦手だ。昔からあまり頭を動かすのは得意ではない。率先して自分のみを守り敵を殺すために体を使って居たから。

状況に振り回され、道具として振舞っていたほうがキルーマ(殺人者)の名を与えられた名無しの自分に相応しかった。

しばらく休暇を取るのが良いかもしれない。血なまぐさい場所から離れた遠く遠くの田舎町で…

その傍らには彼女が居て、時折温かいティーを入れてくれるのだ。50年代の邦楽をレコードで味わいながらそれを口に運ぶ静かな午後…

こんな想像が出来るのも、後何分間許されるのであろうか?


(そうだ、彼女は何処にいる?)


もう何も見えなくなっていた。体が急激に寒い、これが今まで幾多の人間に自分が与えた『死』の感触なのか?

唐突にキルーマは死ぬのが怖くなっていた。存在の消滅が恐ろしい、光閉ざす闇の中で漆黒の霧が全方位から体を侵食しているようだった。

体が冷たい、寒い、体の感覚が消え全身が凍っていくようだった。既に彼は死の世界に首筋まで浸かっている。

しかし、どこかで静かにそれを受け入れている自分がいた。幾多の人命を奪った当然の報いなのかもしれないと。


『これも、因果という奴か…』


そして、キルーマは最後まで気付かなかった。感情に目覚めた彼とは異なり、心を失い機械のように無機質な瞳を持った人物の事を…

自分を撃った弾丸を放ったのが、キルーマが見たことのある人物だという事に――――――







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