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#4


人間は生きている限り、何らかの形で生贄や人柱を欲する動物なのかもしれない。

現代でもそれは変わらない。上流階級によって下の人間が弾圧され不利益を被っている事例は古今東西どこにでもあるからだ。

例を挙げれば先進国の人間は後進国から資源も金と引き換えに持ち去っているのだし、経営者は低賃金で労働者をこき使いそのお金で莫大な利益を得ている。

大国同士だって軍事・経済・国土におけるパワーバランスにおいて不利な国が有利な国に屈したりもする。

アメリカは超軍事国家であるが故に国の維持の為にプロバガンダを流しつつも戦争を欲し、中東に干渉して内戦を激化させている。

そこに個人個人の人の命が入る余地はない。政治屋や財界の利権が作り出す大きな流れの渦に飲み込まれて消えていくだけなのだ。


『ごめんよ、ミホ…明日からしばらくご飯はパンかシリアルだけになりそうだ』


ミホの兄は理不尽な人生を強いられていた。人の良い彼は職場でパワハラの格好的な標的となった。

人間的に優れた人格の持ち主が世渡りまで優れた居るとは限らない。むしろ他人の痛みを理解できる優しい人間こそが不利益を被る確率が高いのだ。

敗戦後、戦勝国アメリカによって歪められた国体は、文化の土台を取り払われ国民そのものの本質さえもが変容してしまった。

アメリカという国は世界そのものに対して自分達の正義を押し付ける。

彼らはその気になれば、日本を第二、第三のインディアンにする事も可能だったのだ。

そうしなかったのは、ソ連との対決の為に日本を資本主義成功のモデルとしてプロバカンダに利用したという側面が大きい。

移りゆく時代の変化は国民の人間性にも大きな変革を齎した。ここ半世紀でモノは溢れあらゆる物をすぐに使い捨てるようになった。

文明の発展と情報の流動か、そして欧米によって齎されたあらゆる思想、文化は日本人が元来持っていた利点をも容赦なく塗りつぶしていった。


『ミホ、気晴らしに南米へ旅行に行ってみないか? あそこは暖かくて陽気な国みたいだ』


ミホは世間一般で言う『いい子』に育っていた。彼女自体元々大人しい素性の娘ではない明るく誰からも好かれるようなやんちゃな娘だった。

苦労をしてきた兄を間近で見てきたせいか、彼女は貴重な少女時代を『子供』として振舞えなかったのだ。

そんな経緯があったからかミホは苦労して通っている学校でも、よく会話や流行の流れに馴染めず苛めにあうこともあった。

彼女は強く、どんな嫌がらせを受けても動じないし、教師に相談する事も無かったので尚更激化する事もあった。

子供というものは思った以上に敏感で、環境にすぐ適応する。兄の傍で我侭を言う事すらも出来なかった環境がそうさせたのだろう。

苛酷な環境にあっても彼女は家事や買い物などを手伝って兄の力になろうとした。そんな兄も彼女に何一つ報いる事ができず苦しい日々が続いた、だが…


『あそこのカーニバルはすごいらしいんだ。都市部を離れたら少し治安が悪くなるって聞いたけど…』


兄を不憫に思った会社の同僚が、予定が潰れたからといって懸賞の旅行券をプレゼントしてくれたのだ。

これは彼にとって朗報だった。ようやくミホに兄らしい事をしてやれるのだから。

ミホもそんな兄に対し単なる肉親以上の想いを抱いていた。二人の繋がりがお互いを強くしていたのもある。

厳密に言うと彼は歳の離れた父が連れてきた従兄弟の子供だったので、血の繋がりはさほどなかったが彼女にとって関係は無かった。

苛酷な環境を助け合って生きてきた兄妹に、ようやく光明が見えたような気がした。しかし…一発の銃声がその穏かな時間をも断ち切った。


『お兄ちゃん…ありがとう』


銃声の後を走るようにして追うと兄は倒れた、そしてミホは見たのだ。立ち去ってゆく男の後姿を…

それは彼女が散々味わってきた理不尽の中でも、最大級の不幸であった事に想像は難くない。

そのショックからミホは記憶を手放してしまった。兄がいたからこそ自分は耐えてこられたのだ。

そんな兄が居ない世界など耐えられなかった。そして奇しくもその大切な人を奪った男に助けられる羽目になるとは誰が予想したか。

権力者達は自分達の地位が脅かされぬように、あらゆる手段を使って障害を排除しようとする。

小さな個人単位の人間の小さな願いやささやかな幸せなど、暴力的なうねりを伴った理不尽な世界の意思に抗う事は難しいのだから。







「少しだけ、思い出した事があるんです」


ミホがそういってきたのは、キルーマが室内でトレーニングに勤しんでいた一週間後の朝であった。

体は常に鍛えている。いざというときの為に動けるように…人殺しの際に肉体がいつも通りに機能するようにだ。

彼女はそんなときに話しかけてきたが、キルーマは特に気にした様子も無くミホに顔を向けた。


「何をだ?」


「わたしはお兄ちゃんと旅行に着たんです」


少女がそんな事を言い出した事実がキルーマには不思議であった。

何故ならミホがこのように自発的に自らの事を打ち明けるなど、今までに無かった出来事だったからだ。

旅行で訪れたとは


「記憶が戻ったのか?」


「はい、わたしはお兄ちゃんと一緒にこの国に着たんです。仕事の合間にスケジュールを入れてくれて

そして、お兄ちゃんはお土産を買いに行くと言って私をホテルに残して行ってしまったんです

それを追いかけていった私も…道に迷って、それで……」


「……」


しかし、キルーマは答える事が出来なかった。彼女は記憶を取り戻しかけている。

それは核心に迫り、記憶が戻りつつあるという事なのだろう。ミホはだんだんと真相に近づいている。

彼女にとってはいいことなのかもしれない。しかし、本当にそうなのだろうか?

仮にミホが自分の兄が既に死んでいることを知っていたとしたらとても残酷なのではないだろうか?


「私、キルーマさんは優しい人だと思います」


キルーマは眼を見張った。『優しい』などと言われた事は思い出す限り久しぶりだった。


『●●●って、無愛想で無口だけど優しいやつだと思うよ』


昔も、『彼女』にそう言われた。取り戻せない過去、捨てた名前…既に失われてしまった思い出が胸を抉るのを感じた。


「何故、そう思う?」


「お兄ちゃんに雰囲気が似ているから…」


不意にキルーマは笑い出したい衝動を覚えた。ミホがそう思っているのならばそれは自分にとって痛烈な皮肉でしかない。

彼自身、自分は非道な殺し屋で『優しい』とは縁が遠い闇の世界の住人であると自覚していたからだ。

恨まれたり命を狙われたりする事はあれど、優しいなどと評価されるのに最も縁が遠い人間である事に代わりが無い。

ミホ自身、相当に平和な世界で育ったのだろう。キルーマが彼女を助けたのは単に気まぐれでしかない。

彼女の面影があの『少女』を連想させるというたったそれだけの理由。安っぽいヒューマニズムでは断じて、ありえない。


キルーマがあの日の路地裏で彼女の『お兄ちゃん』を口封じの為に殺してしまった事実を知ったら、ミホは自分を恨むのだろうか?


「お前、家に帰りたいのか?」


不意に、キルーマは話題を切り替えた。ミホの先程の言葉の意味をあまり深く考えたくなかったのだ。


「……」


ミホは答えなかった。ただ、暗い表情になり俯いただけである。

キルーマは彼女の返答次第で本当に日本に帰国させるつもりだった。それだけのコネはあるしそこを頼れば一応、彼女を送り返す伝手は取れた。

後で『ボス』に色々詮索されるだろうが今は考えないほうがいい。


「お兄ちゃんが一緒じゃないと、いやです…親切にしてくれたキルーマさんも……」


「兄の事よりもまずは自分の事を考えろ。この国は治安が悪い。事件に巻き込まれている可能性もある…時間が掛かるかもしれない」


「でも、あなたに任せとけば…」


「…おそらく、俺はお前の思っているような人間ではない」


「え…でも…」


小さいが、はっきりとした声で告げられたミホの『お願い』。風船を取ったとき以来の二度目の要求。

キルーマは表情を崩さなかった。本人はそう思っていたがミホは何かを感じ取ったかのように不安そうな表情になる。

風船を取ったときの満面の笑顔とはかけ離れた、疲れた顔。それをキルーマは直視できなかった。


「…お前の兄のことはちょっと待ってくれ」


こういう時どうして良いかわからず、キルーマは思わず誤魔化しの嘘を付いてしまう。

絶対に果たせない約束。何故なら彼女が捜し求めている人物は既にこの世にいないのだから。

彼女の兄は自分が殺してしまった、そんな残酷な事実を少女に明かすわけには行かなかったのだ。

心の中で彼はミホに詫びた。他人にそんな気持ちを抱く事も彼にとって始めての事だった。

『待ってくれ』とはどういう意味なのだろう? 自分がミホの兄を殺した事実を打ち明ける決心が付くまで待って欲しいのか、

それともミホが完全に記憶が取り戻すまで待つのか…それはキルーマ自身にも判らなかったのだ。


「それと、ここを引き払う。色々と面倒なことになりそうなのでな」


「どうしてですか?」


「それは言えない。だが、仕事に関係する事だ…出来れば片付けを手伝って欲しい」


「わかりました。わたし、キルーマさんを信じます」


疑問を押し込めるような純真な少女の笑顔が胸に突き刺さってくるようだった。

彼女だって辛い筈なのに精一杯自分を励まそうとしてくれている。その気持ちが今は痛い。

美穂は純粋な気持ちで、善意を持って自分を信じてくれているのだ。こんな異邦の地で血も繋がっていない男の事を…

その様子が遠い日の過去の『彼女』を連想させてしまう。あの時も、自分を安心させるために笑顔を向けていたのだ。

こんな事を言っている裏で自分は人殺しに手を染めている。それは生きる為の強さを身に着ける為だったのだ。


「…すまない」


キルーマは謝罪の言葉を口にした、文字通り本心からの気持ちだった。






数日後、曇天の空の下で雨が降っていた。この国の降水量は赤道に近いということもあり頻度は多いほうだろう。

その気候が赤道付近の蒸し暑い環境を生み出している事は、この国の人間にとって周知の事実であった。

彼の組織にとっても降り注ぐ太陽と共に適切な雨量は恵みの雨であるともいえた。

麻薬はあり程度劣悪な環境でも育つのだが、質のいいモノを収穫する為に条件が整っているに越した事はない。

そしてキルーマもまた血の雨を降らす。組織の害となる『芽』を刈り取る為に…


「ハァ…ハァ……」


キルーマはとある路地裏で左肩を抑えて歩いていた。無論『仕事』の帰り道である。

今度もまた、標的を仕留める事に成功した。それはいつもと代わりが無い。

しかし、ボディガードの反撃を許し銃弾を受けてしまったのである。彼が手傷を負う事など初めての事であった。

一応、布で縛り止血を抑える程度の簡単な手当てはしてある。しかし、今は追っ手に見つかったら危うい状況にある。


(はやり…鈍ってしまっているのか?)


腕が鈍って来ている、今回の一軒だけではない。ミスも続けば嫌でもそう思わざるを得ないだろう。

標的を殺すときに、自然と頭に思い浮かんでくる事がある。それは彼等の家族の事や友人だったりするのだ。

そう、彼らも人間である以上他人との繋がりもまた存在するのだ。ミホと同じように…

暗殺者以前に人殺しとして、その感情を抱くことは致命的だ。組織の道具として心身ともに確実に仕事をこなすマシーンであらなければならない。


(余計な事を考えるようになってしまった。このままでは俺は…)


こんな事をしていれば、何時かは自分は死んでしまうだろう。

始めに武器を取った理由は、大切な人を助けたいと言う気持ちからだった。

目的が果たせなかった後も、戦場に居た時はひたすら生きる事を考えて他人の生き血を啜ってきた。

そうして『彼女』を探す為に何人も殺してようやく見つけた時は…全てが遅かった。

その後にあの男に拾われ、キルーマという名を与えられ殺し屋として教育を受けた。自ら機械になることを彼は選択した。

今、悩むようになったのは。血も涙も無いはずの殺人機械たるキルーマが、ミホに出会って人間に戻りつつある証であるかもしれない。


(こうなってしまったのは、ミホのせいなのだろうか…?)


彼が文字通り、かつてボスが望んだ道具として戻る為にはミホを殺さねばならないだろう。

キルーマ自身の手で彼女を殺す。少し昔の彼ならば出来たはずだ、彼女の声を聞かなければ…

しかし、今の自分がそれを出来るとは思えなかったし、またそうする気もさらさら無かった。


(俺は…これからどうなる?)


生きていく。それは果たして幾多の命を奪ってまで価値のある事なのかはわからない。

彼はひたすらに自分に課せられたレールを走ってきただけだ。ミホと同じ国に生を受けたとすれば別の人生もあったかもしれない。

ただ、彼に最初に与えられたフィールドが戦場であっただけの事。誰かを助ける為に殺しの腕を磨いてきたのがボスの目に留まり此処に着ただけだ。


運が悪かったといわれればそうなのかもしれない。だが、他者を害せずに生きていける環境に生まれる事はどれほどの確立で可能なのだろうか?

人間は他者を食い物にする生き物だ。『彼女』のように何かを守り排除する力がなければ蹂躙されてしまう。


(迎えか…)


黒服の男が4人程度、雨の中で車を囲むように立っていた。

車種は至って普通のワゴン。付近の車道を走るのには不自然ではない車種で窓に黒いフィルムが張ってある意外は普通に見える。

しかし、こんな入り組んだ路地の入り口でワゴンは少し大きすぎやしないだろうか。

男達は一瞬目配せをして、キルーマに向き直る。背筋がむず痒くなる様な感覚を彼は覚えた。


「殺し屋キルーマ…流石だな、ボスのお気に入りだっただけの事はある」


「…何の用事だ」


先頭に立つサングラス男の言葉が引っかかった。この男とは以前に仕事の関係で顔を合わせたことがある。

以前とは違う物々しい雰囲気。隠そうとしているが明らかに異質な雰囲気がキルーマの中の警戒心を刺激させる。


「ボスの命令でお前を拾いに来た。さぁ、車の中に入るんだ」


「……」


安心するよりも早く、妙だ。とキルーマの勘が告げた。

そもそも、殺しの現場から一キロも離れていない場所でリスクを侵してまで迎えなど寄越すのだろうか?

そして、何故数人の迎えなど寄越すのだろうか? 足を使うなら一人だけか、車だけ用意していればそれで事足りる。

乗ってはいけない、と反射的に思ってしまった。口頭だけの説明で彼らを信用するには危険すぎる。


「どうした、早くするんだ」


急かす様に言う黒服は言う。キルーマは何時でも銃を抜けるように身構えつつ言った。


「…俺はいい。いつもは自分の足で帰っている、それに乗るわけにはいかないからな」


キルーマは傷口を押さえながら言った。彼らしくない痛みに押さえ込むような表情を見てサングラスの男は微かに口を歪める。

まるで手負いの獣にどう対処して始末するかを算段する狩人のようだ。それで確信がいった。

先程感じた殺気は気のせいではなかったようだ。間違いなく彼等はキルーマの命を狙う『敵』であるのだろうという事が…


「いや、どうしても乗ってもらう。お前を処理して遺体を処分するためにな…これもボスの命令だ。悪く思うな」


背後の男たちが銃を取り出す。射程は短いが弾を広範囲に散らすサブマシンガンの咆哮が路地に響いた。

キルーマは横に飛びつつ斜線から逃れ、袖に仕込んだナイフをサングラスの男に投擲する。

ヒュン、と空気を裂く音を残して男の額に刃が刺さった。4人の内の一人を仕留め、後三人。

しかし、仲間が倒されたにもかかわらず背後のエージェント達は怯まずに射程内にキルーマを捕らえようと追って来る。


(やはり、真正面から撃ち合いは無理か…)


キルーマは傷の痛みを無視して、遮蔽物を盾にするようにジグザグにひたすら走った。

この狭い路地でサブマシンガンの射程に入ったら一巻の終わりである。しかし訓練を受けただけあってエージェント達の動きも早い。

しかもキルーマは先の任務で傷を負っていた。黒服に追いつかれるのも時間の問題だろう。

不思議な気はしなかった。いつかこんな日が来るのだろうとは、心の何処かで思っていたことなのだ。

だが、今は死のうとは思わなかった。自分が倒されれば組織はキルーマに関する全てを闇に葬ろうとするだろう。

そうなってしまえばミホの身が危うくなってしまう。自分だけが死ぬならいい、だが彼女の身の安全をまずは保障してからだ。


「クソッ、何処に行きやがった!」


黒服の一人はキルーマを見失い、苛立たしげに歩き回る。

最強の暗殺者と呼ばれた彼は傷を負ってもなお侮れず、さながら手負いの猛獣といった感じだ。

だが、数と装備では此方が上回っている。更にもう少しすれば応援も来るはずで勝算は十二分にある。

だから自分こそが、暗殺者として幾多の要人を死に追いやったキルーマを倒したかった。

他の誰でもなくこの自分が彼の首級を挙げれば、組織での地位も間違いなく向上するだろう。

功を焦ったからこそ、彼は最後まで気付かなかった。自分もまた数を頼りに慢心し隙を晒してしまった事に…


「何!がぁっ…」


短い悲鳴の後に倒れる黒服。突然背後に黒い影が降り立ち、銀色に光るナイフの刃で彼の頚動脈を断ち切ったのだ。

ろくな声すら上げられずに、倒れたエージェント。彼自身何が起きたのかも、自分が死んだ事さえも知らなかっただろう。

しかし、意図も容易く一瞬の内に追っ手を葬ったキルーマは安心していられる状況に無かった。

すぐに新たな追っ手がやってきたのだ。倒れた男の手からマシンガンをもぎ取り、発砲しようとするが弾が切れていた。

轟音が狭い路地に木霊する。まるで無数の野犬が吼えているようにも聞こえた。


そして銃声が途切れると、追っ手は狭い路地の向こう側にいる影に向かって発砲。無数の銃弾が人影を貫き、貫通した。


「やったか?」


すぐ側に寄って、仕留めたか確認する。しかしそれは先程キルーマが殺した同僚の遺体であった。

薄暗い路地の暗さと、狭い場所がその影をキルーマだと誤認させたのだろう。

しまったと思ったのも束の間…それに気付いた後はもう後の祭りであった。

隣の物陰に潜み、奪った弾倉の交換を終えたキルーマによって今度は自分が蜂の巣にされてしまったのだから。


「……」


キルーマは無言で二人の死体を見下ろした。冷たい眼光には確かに最強の暗殺者の風格が宿っている。

絞殺用のワイヤーを使って街頭に引っ掛け死体を立たせた簡単かつ即席のトリックだったが、雨による視界の悪さでうまくごまかせたらしい。

今までに生き残れた悪運の成せる業だろう。それがもう少し続いてくれる事を祈るしかない。

そしてキルーマは走り出す。新しい追っ手が来る前に、ミホを助け出すために駆ける。早く、黒き風のように――――――


足を用意するのは、キルーマにとって簡単であった。

付近に止めてあった車の鍵を針金でこじ開けて中に入りそのまま走り去ったのだ。

セキュリティが万全ではない近年の車種ではなく、恐らくオーナーが趣味で買ったであろう年代物の真っ赤なカウンタック。

手入れや整備も行き届いており中も綺麗でシートには皺も殆ど無く、あまり詳しくないキルーマでも相当な高級車というのは理解出来た。

悪いが、持ち主には泣き寝入りしてもらうしかないだろう。そもそもキルーマに返す気があったとしてもその余裕は無いだろうが。

アクセルを少し吹かすと、エンジンの回転が車全体に力強く伝わって走りだした。

ピーキーな調整を施されているのか、ペダルを少し踏むだけで50キロは軽々出せてしまう。

そもそもこんな入り組んだ場所で走らせるものではない。しかし、並みの車よりスピードが出せるという意味では有難かった。

即席で調達したにしては上等すぎる車である。趣味以外の用途で所有するには相当のコストと手間が掛かるであろう。

機体を走らせる。隠れ家に着くために早く、早く――――――


(奴はあの場所を知っている。そして俺を貶めるのに彼女を利用しない手は無い…)


アクセルを踏み込むキルーマ。タイヤが唸りをあげて回転し、アスファルトに一対の黒い平行線を刻む。

赤い車種が閃光のように夜の街を走っていく。まるで流星のように速く、速く――――――

急がねばならなかった。全てが手遅れになってしまうその前に…



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