#3
雨の後に森の奥地をひたすら進んでいると、霧に覆われた巨大な石の建造物を目にする事が出来る。
ひっそりと浮かび上がるような石造りの建造物…それはアステカ文明のピラミッドだった。
天に近い場所に神が存在するというのは多くの国の神話でも共通の見解である。高くて空に近い建造物というのはそれだけで特別な意味を持つ。
その場所に少年は惹かれていた。天を指す様な四角錘の形が巨大な剣の切っ先に見えなくも無い。
彼らは知らないが、エジプトのピラミッドと大きく違う点は最上部が完全な四角錘のように先端が尖っているわけではなく神殿のような建物が建造されている事だ。
そしてそこの神殿の最上部の祭壇…其処は幾人ものの贄達が血を流した忌まわしき場所であり狂った歴史の爪跡でもある。
そんな事など知らない彼だけの『秘密の場所』にルーナが訪れた事に驚いていた。
『あんた、まだこんな場所をうろついているの?』
『ここってさ、何処か不思議な感じがするだろ?』
ルーナと彼は森の奥にある石の神殿の近くに来ていた。
四角錘の形をしたそれはエジプトのピラミッドに似ていなくも無い。
そんな知識も無い彼からすれば、この場所は自分が見つけたお気に入りの隠れ家であったのだが。
『ここって昔、神様に捧げる生贄を祭る祭壇だったんだって』
『イケニエって何? ちょっと怖い感じがするけど…』
『神様の供物に捧げる為に、自分の体を差し出すの。選ばれた人は最高の名誉だといわれているわ』
知らなかった。こんな場所でそんな事が行われた居たなんて。
アステカの文明は人身御供を中心とした封建社会である。そして生贄を捧げる儀式が盛んな事で有名だった。
神に選ばれた神聖な人間の心臓を捧げるという事は、村の繁栄や作物の豊作を願う行事であり祭りの一環でもあったのだ。
確かにたまに骨を見かけることはあった。動物の骨とは違う、小さく細かい骨が多かった。
今更ながらぞっとする。よく石畳を見ると床に血の後のようなシミが見えて、無駄に想像を掻き立てられてしまうのだ。
『…ルーナはそんな事にならないよね』
心配になって思わずそんな事を口走ってしまう。彼女の身を案じての発言だったが、
アステカの文化も、それを強要する暴力的な支配者達も16世紀にスペインの侵略によって滅ぼされたというのに
コロンブスの南アメリカ大陸発見は虐殺の歴史を生んだのかもしれない。しかし、それによって一つの蛮行が終焉を迎えた事も事実なのだ。
『えっ、もしかしてあたしの事心配してくれたの…?』
『そ、そんなことない! ルーナは何でも出来て怒りっぽくてガサツだから、僕が心配する事でもないとおもうんだ』
彼は元々こんな口数の多い少年ではない。どちらかというと寡黙で黙って大人達に混じって農作業を手伝っているタイプだ。
幼馴染のルーナの前だからこそ、色々な表情をみせるのだ。彼女がいたからこそ彼の青春は色鮮やかなものになっていた。
『でも…なんか嬉しいな』
そこで嬉しそうに笑ったルーナの笑顔が、少年に彼女を意識させるきっかけだと気付いたのは後の事だった。
あの事件から彼は仕事から手を引くことはなかった。むしろ率先して殺しに染まるようになった。
組織と袂を分かち、手を洗って道を変えるなんて考えは思い浮かばなかった。
彼は昔から人を殺してきたのだし、今後もそうする以外の生き方を知らなかったのだ。
それに組織に逆らって生き延びたものは居ない。彼等は裏切り者を何処までも追い詰め粛清の手を下す。
幼少期から血に染まってしまった手を持つ彼は、修羅の道を選ぶことしか出来なかったのだから。
殺すべきミホは殺さず、他の殺しは率先して行う…それはキルーマ自信のエゴなのかもしれない。
矛盾を抱えながらも生き続けるのは、それこそ人間の業であり原罪なのかもしれない。
誰だって大なり小なり悩みを抱えながら生きている。それを超越したものはもはや人間ではないのだろう。
キルーマだって苦しんでいた。
しかし、彼のそんな日々も終わりを告げようとしていた事にも気付かずに…
「あなたはどんなお仕事をしているんですか?」
純真な光を瞳に湛え、ミホが聞いた。澄んだ湖水のように透き通った目を前に真実は話せなかった。
『彼女』より背は低く、性格も異なるがこういった顔をされるとどことなく面影が似ていると見えなくも無い。
それが少しずつ封じ込めていたはずのキルーマの人間性を表層に浮き上がらせていた。
「一種の掃除だ」
「それは、良い事ですか?」
絹を搾り出すような細い声でミホは再び尋ねる。彼女の心は何処までも穢れなく、そして純粋だった。
まだ、幼い少女の面影。それが彼の記憶の底にある人物の名残を連想させる。
ますますミホが『彼女』とダブついてしまう。声や目が多少似ているだけだというのに。
「わからない。だが…目障りなモノを掃除して喜ぶ連中がいることは確かだ」
「それが、掃除なんですか…?」
そう、答えるしかなかった。ミホが額面通りにキルーマの仕事が『掃除』であると受け取っていないように見えた。
自分は彼女の兄を殺してしまったのだ。彼は決して『掃除』が必要な『ゴミ』では無い善良な人間だった。
だが、現場を見られてしまった以上目撃者を残しておくわけには行かずに手を下すしかなかった。
兄を死に至らしめたその道具が先日、ミホ自身が暴発させたあの銃である事を彼女は知らない。
正直に答える事がミホにとってどれだけ残酷な現実を突きつけてしまうだろう。
今まで当然のようにやってきた行いが、どうして胸糞悪くなるのか?原因はミホであることには違いないだろう。
「キルーマさん。あたし…また少しだけ思い出したの。自分の事を」
「記憶が…戻ったのか?」
「ううん…よくわからないけどわたしのお兄ちゃんはとても優しくしてくれた事がわかったんです。
あの人はあたしが何処で迷子になっても、必ず探し出して抱き閉めてくれたことは思い出しました
だから、今は何処にいるのかわからないけど、きっと迎えに来てくれるかも…」
お兄ちゃん…恐らくその人はもうこの世には居ない。遺体すら残っていないだろう。
何故ならキルーマが殺した日本人の青年こそが彼本人であり、なきがらは掃除屋が『処分』したからだ。
よくミホの顔を見ると、幾分か面影が見える。目元の人が良さそうなところはそっくりだった。
「そうか、よかったな…もうすぐ食事にするか?腹も減っただろう」
「……」
無論、キルーマは腹など減っていない。いや、そうならないように何時でも殺しが出来るように
急に話を逸らそうとしたのは、これ以上この件には触れられたくなかったからだ。
ミホは顔に不満そうな表情を浮かべたが、何かを察したのかそれ以上は何も言わず口を閉ざした。
(俺は唯の殺し屋に過ぎない筈だ…)
そうだと、言い聞かせるように思ったのはこれが初めてだった。
嘗て守れなかった人が居るから力を欲し、過去の自分を恨みひたすらに力を求め続けた。
仇は自分の腕で取った。しかし、強さを欲する為に他の感情は削ぎ落としてしまった。それをあの男が拾ったのだ。
奴に金を貰って人殺しを行い、その金でミホを養っている自分がひどく穢れた存在のように思えた。
『止めろ…』
また、夢を見た。
少女は毛むくじゃらの男に手を押さえつけられた。彼女の腰ほどもある太い腕の拘束を逃れる事はできない。
抵抗できないと知って泣き喚く少女の褐色の整った顔立ちに暴力が振るわれる。やめろ!と彼は叫んだが助ける事は叶わない。
何故なら彼は男達に羽交い絞めにされていたからだ。そのまま何も出来ないまま男達は半裸に脱がせた少女の体に手を伸ばす。
彼の目の前で少女の細く、大人の女になる前の華奢な体が四、五人ほどの体格のいいゲリラに組み伏せられる。
か弱い手がまるで助けを求めているように宙を掴もうとする。少年はそれを見て何をする事も出来なかった。
それはまるで、純白の穢れの無いシーツに蠅が無数にたかり黒く染め上げているようであった。
『やめろ―――っ!!!』
手の中にはいつの間にかナイフが収まっていた。それでルーナの体に伸びる男達の腕を切り落とす。
しかし、幾ら腕を切り落としても、男達だった毛むくじゃらの化け物は更に新たな腕を生やしてきてルーナを取り込もうとしてゆく。
幾ら触手を切り落としてもまたすぐに生えてくる。その数の暴力で小さな抵抗も強引にねじ伏せられてしまうのだ。
『やめろおおおおおぉぉォォォォォォ――――――――ッ!!!!!』
喉が枯れんばかりに叫びながら少年は頭の中が真っ白になっていくのを自覚した。
しかし、彼が幾ら叫んでも目の前で行われる蛮行は止む事は無く、毛むくじゃらの無数に腕の生えた化け物がルーナを自分の中へと引き摺りこんで行く。
この醜悪な形をした化け物に彼女が汚されてゆく…そしてそれを自分は止める事が出来ない。
ある日を境に、すべてがおかしくなった。故郷やその周りの村ではいつの間にか暴力こそが支配の象徴になっていた。
村の収入を安定させる為にとうもろこしや小麦の変わりに麻薬を植えるようになってから村の周りはおかしくなっていった…
まるでみんなの中に、伝承で伝えられる『悪魔』が宿ったような気がした。
変質してゆく日常の中でルーナだけが、何も変わらない存在だった。しかしそれももう奪われてしまった。
既に確定してしまった事例を捻じ曲げる事など、神の身ではない人間には不可能なのだから…
次の仕事の連絡はその食事の後に来た。急な仕事に時間を用意できず十分な準備が出来なかった。
今までだって、似たような事は何回もあった。むしろ今回は短時間とはいえ支度を出来るゆとりがあるだけマシだったと言えよう。
ターゲットは一人。隣町の酒場に通って、情報収集をしているウォーチャー・コードマンだ。
彼は隣の国出身で国を跨いでジャーナリスト活動を行っている。ある国に君臨した独裁者の非道を暴き、
それを世界に発信して世論を動かし、革命の後押しをした功績がある正義感を秘めたベテランカメラマンだ。
そんな彼を組織は『手段は問わずに殺して死体を処理しろ』とだけ伝えてきた。
要は組織にとって都合の悪い事実を掴まれたので、永久に消息を絶ってもらおうという事だ。
この国は首都以外はあまり治安がよいとは言えず、麻薬に関与する非合法組織は『組織』の傘下に入っていないものも少なくない。
だからこそ、一介のジャーナリストが姿を消す理由に事欠かない。最初の内は世間を騒がせるだろうが、大衆というものは飽き易い。
コードマンを消し去りたい組織は枚挙に暇がなかった。そして彼を始末できれば組織の影響力が拡大するとボスは踏んだのだろう。
そして、車を走らせること二時間。キルーマはその古宿に到着したのであった。
「コードマン様。食事を持ってまいりました」
彼の部屋の前に立ち言うなり声音を作ってドアが開くのを待った。無論手に持つのは彼の夜食などではなく鋭いナイフだ。
音を立てずに殺すのなら素手が一番だが、コードマンは体格が良いと聞いている。
だから得物を持つべきだと思い、使い慣れたナイフを用意したのだ。
ドアが微かに開かれる。向こう側で疑うような訝しげな表情を作っている。髭面の男が画像で見たコードマンなのだろう。
鍵が開いたのを確かめるとキルーマは強引にドアを開けた。向こう側には拳銃を取り出したコードマンがキルーマを睨み付けている。
世界を飛び回るジャーナリストという職柄、護身にも気を使っているのだろう。
「やはり私の命を狙いに来たのか…」
「大人しくしてもらおうか」
「フン! 何をしたって最後には殺すのだろう?私はこんな事で倒れるわけにはいかんのだ!」
コードマンは躊躇せず発砲した。狙いはそれなりに正確であり銃弾はキルーマの左頬を抉った。
しかし、場合によっては銃の扱いに精通したプロよりそこそこ使い慣れた素人のほうが恐ろしい事がある。
銃の扱いに手馴れたものならば狙いの付け方も正確で、射程距離もや性能も熟知しているのだが、
ただの護身具として持っている人間がセオリーどおりの対応を取るとは思えず対処しにくいのだ。
二射目を放とうとするコードマンに接近して銃を叩き落し。そのまま刺そうとするキルーマ。
しかしコードマンはそれなりに修羅場を潜り抜けているのか、身を捻り急所への一撃をかわすが右腕を一気に切り裂かれる。
浅くない傷だったために血が一気に彼のシャツを赤く染めた。コードマンはうめき声を上げる。
「く…くそっ」
そして彼とは対照的に落ち着いて止めを刺そうとするのがキルーマであった。
そもそも、最初の一撃で彼を仕留め切れなかったのが運の尽きなのだ。
最近のキルーマによく見られる傾向だった。迷いを振り捨てて再度ナイフを振りかぶる。
「だ、誰か――」
コードマンが大声を上げて助けを呼ぶが、キルーマは最後まで言い終わる内に彼の喉を切り裂いた。
切られた箇所を掻き毟る様にしてコードマンは仰向けに倒れ、その上にキルーマがのしかかりに胸に一突き繰り出す。
根元まで刺さったナイフ。そしてそれによる傷がコードマンの致命傷となっていた。
ごとり、と何かが転がる音がした。キルーマがそれを拾ってみるとロケットのついたペンダントのようだった。
ロケットを開けるとそこにはコードマンの妻らしき女性と娘が映って笑っていた。
「あの…悲鳴が聞こえたようですが。何かあったのですか…?」
部屋の様子を見た宿の使用人が悲鳴を上げる前に銀光が煌き喉を切り裂いた、キルーマは口を封じたのだった。
思わず舌打ちしてしまう。殺しがバレてしまった。こうなってしまえばここにいる館の人間ともども全てをお葬り去るしかなくなった。
こんな失態は初めてだった。それに後味の悪さを感じざるを得ない。
(俺も末期的だな。ミホの存在がこうさせてしまったのか…?)
キルーマは拳銃に弾を込めた。弾装の中に納まっている数でこの小さな宿の人間を皆殺しにしてもお釣りがくる。
そして静かに下の階へと降りていった。速やかに『後始末』を付ける為に…
休日の静かな午後の一時。あの依頼から既に二週間ほど経っている。
その間に新しい仕事の依頼はこないので、午前は銃器の手入れをして午後はこうやって映画や洋楽を鑑賞している。
ミホが退屈しないように、アニメーション等のビデオも仕入れてきたのだが彼女は興味を示さなかった。
変わりに、少女はキルーマの好む物ばかりに興味を示した。
「その音楽、好きなんですか?」
「…ああ」
「なんか、古い感じの曲ですね」
「70年代の洋画の主題歌だ。あまり一般には知られていない作品だが」
それはアメリカで一時期カルト的な人気を誇ったバンドの曲だった。
そのバンドは人気に反してあまりにも活動時期が短かった。ボーカルのリーダーが麻薬にはまり自殺してしまったからだ。
事件が風化しそのグループが世間から忘れ去られても、彼の悲劇的な結末が一部の人間に共感を与え隠れファンが多いのも事実であった。
「なんか、静かで…とても寂しい感じがします」
「……」
「どこかで聞いたことがあると思ったんですけど、お兄ちゃんも確かその曲が好きだったと思うんです」
「…そうか」
どうしてその曲ばかりをリピートしてしまうのかキルーマ本人にもよくわからなかった。
ただ、過去から呼びかけてくる歌詞がどこか失って戻らないものを刺激されるようで感情が揺さぶられるのだ。
曲名は『過去への巡礼と贖罪』。映画そのものの内容は自分の不手際で婚約者を失ってしまった男が出家し、巡礼の旅に出るというものだ。
そして、最後に男が迎える悲劇的な結末とあわせ、あまりにも暗い内容だったためか、
客足が伸び悩んだ不遇の作品だったが、その悲劇的な結末が一部のマニアには熱狂的な評価を得ている…と聞いた。
そしてミホの兄もこの曲が好きだったという。彼女はどこか自分を兄に重ねてみているような節が感じられた。
キルーマ自身が手にかけてしまった兄の事に…運命の悪戯か、皮肉にしか思えなかったが。
電話に出ると、ボスの声が聞こえてキルーマは顔を顰めた。恐らく仕事の話だろう。
『キルーマ…しくじっちまったそうじゃねぇか?』
ボスの言葉に違和感を覚える。しくじった、といわれれば弁解は出来ないがあそこの人間の口は全て封じたはずだし何の問題は無い。
彼は現場を見ているはずが無い。全てをキルーマに任せていたはずなのだが何か勘付いたのだろうか?
「…標的は殺した。後始末も完遂したが?」
感情が薄い平坦な口調で答えるキルーマ。だが、
『それがな、消し忘れがあったんだよ。こちとら古宿がボヤをおこして中にいる連中が全員焼け死んだとしても
たいした騒ぎにはならねぇ、乾燥した場所だといきなり火がつくところもあるからな。不幸な事故って事で世間も納得する
ただし…だ。たまたまその内の一人が難を逃れていて、そして偶然にもターゲットと親しかったとしたら?』
「……」
『そいつがよ、新聞社にタレこんだらしいんだ。知り合いが変トラブルに巻き込まれたってな
幸いタレこみ先には俺の息が掛かった奴がいたし、お陰さまでそいつもすぐ黙らせる事が出来たって訳だが
仮に国外に出て行って、手の出せない場所で延々と喚かれたら組織は打撃は受けるんだよ』
相変わらず電話越しでもボスの声は飄々として掴みどころは無く、軽い口調で話しているように聞こえる。
腹の底で何かを隠しているような感触は、まるで沼の底に潜む猛獣に見られているかのようで落ち着かない。
『黙らせる』と言うことは、別の殺し屋を雇って情報を引き出した後に『消した』したと言うことなのだろう。
自分の隙を覗っている。電話越しからなのにどこからかボスの視線を感じ、見られているようだった。
『なぁ、お前らしくねぇじゃねぇか? あのダニエルの小僧も息の根を止めるのに即死でなかったと聞いたが』
「狙撃は久しぶりだったからな。次は同じ失敗はしない」
『そうか、お前がそう言うのなら安心できるな』
「……」
ボスはその言葉を最後に電話を切った。しかし、彼の声にはなんの感情も宿っていはいない。
期待も失望も彼の中には無かった。数々の暗殺に携わり幾多の邪魔者を葬ってきたキルーマでさえ『便利な道具』にすぎなかったのだ。
キルーマは不吉な予感を感じ取っていた。これから悪い事が起きるのだと。
そして幾つもの死線を潜り抜けた彼の直感は、滅多に外れる事などなかったのだから…
キルーマが電話を切った後にボスは葉巻を吹かして一枚の写真を流し見ていた。
道具は使われてこそ意味を持つものだ。その用途や使い方は使用者によって異なる。
得てして目的のために役割を求められるというものが道具なのだ。
それ自体に選択の余地など無く、使用者の思うがままの働きを見せればいい。
だからこそ、道具が感情を持って持ち主の命に背いたり疑問を持ったりしてはいけないのだ。
「やれやれ…奴も使い物にならなくなってきたか」
まだ、少年だった頃の彼を思い出す。昔の自分に一瞬見せた殺意の眼差し、それを向けられたことで『素質』を感じた。
ヤツはダイヤの原石だった。無駄な部分をそぎ落とし。磨き輝かせることで道具として素晴らしい一品になる。
『道具』であったキルーマの価値は有用だった。あれで幾人もの同業者の邪魔者や敵対者を排除し、のし上がってきた事か。
ボス自身、自分が天才と呼ばれる人種でないことを知っていた。だからこそ堅実かつ確実に使い古された手法でこの組織をのし上げていった。
自分は部下を使うことだけを考えてそのほかの人間は、必要なだけの役割を与えて能力を生かしてもらう。
そして、役割が果たせなくなった人間の結末はいつも同じだ。キルーマもそうならない事を祈りたかったが…
「しかし、十年前に拾ってやったにしてはそれなりに持った方か…?」
用途に陰りが見えた道具は、いつ壊れてしまうか判らない。そうなる前に代わりのものを用意するのがセオリーであろう。
もう検討はしているつもりだ。そして使えなくなった道具をどうするかの処遇については検討中である。
我ながら少し甘いと感じたのも確かだ。組織の躍進は彼の活躍と共にあったのだから。
それを見定めるのは、奴をもう少し働かせてからでいいだろう。使い物にならなければそれで死ぬだけではあるが、どれだけ耐えられるか?
「クク…こいつがお前を骨抜きにしてしまった原因か」
ボスは葉巻を加えた口元に笑みを歪めつつ、片手で摘んだ写真を眺めていた。
口は笑っているくせに、灰色の瞳は全くそうではない。
まるで鷹を思わせるような鋭い眼光は、見るものを萎縮させ服従させてしまう危険な輝いを秘めていた。
だからこそ彼はここまで組織を拡大できたのだ。恐怖に値しない存在が支配など出来るはずがない。
「なぁ、薗田巳緒ちゃんよぉ…キルーマの奴にどんな魔法を使ったのかねぇ?」
女…十年ほど前の奴の傍らにも女が居た。ボス自身分かってはいるが、女というものはどうしてこうも男を狂わせるのか?
可愛らしい少女だ。娼婦のように媚びても無く、かといって若さによる青臭さもないのに咲く花のようにひっそりと佇むような表情。
彼は愛おしそうに、恋人に語りかけるように葉巻の煙を写真に吹きかけた。
なるほど、奴の傍らに居たあの少女に面影が似ているのかもしれない。尤も詳しいところはキルーマ自身に聴かないと判らないだろうが。
その目はまるで神に捧げる為の新しい血を滴らせる生贄を欲するような、狂った神官に似た輝きがあった。