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#1

一年ぶりの新作です…

暗闇の中、小さな人影が二つ走る。


少年はボロボロのシャツを着て、白い服を着た少女の手を引いて駆ける。

手に持ったナイフは村を訪れた『客』がお守りといってくれたものだ。煌く刃の輝きはちょっとした宝石のようで彼の宝物だった。

二人ともあの村から逃げてきた。村は一年前に小奇麗な男が現れた後、奇妙な草を植え始めてからおかしくなった。

優しかった大人達は目を血走らせ、他人を疑うようになった。喧嘩や金のトラブルが昔より増えてしまった。

おかしくなったのはあの食べられない草を植えたせいだ。とうもろこしや小麦を作っていた頃の村は貧しかったが、平和だったというのに…


『ルーナ…さっきの怪我で足を挫いて…』


『わたしはもう走れない…あいつらが来る前にあなただけでも…逃げて!』


『いやだ! ルーナを置いてはいけないよ…』


『お願い、わたしの言う事を聞いて!おねがいよ……』


少年は走る。幼馴染のルーナを守り、村を包んだ火の手から逃れる為に…

彼女はおせっかい焼きで五月蝿くて、姉気取りでいつも自分の後についてきて小言を言ったり、収穫期の村の仕事を一緒に手伝ったりした。

腰まで伸ばした長い黒髪と、焼いた小麦のように日焼けした健康的な肌。そして猫のように気まぐれで時折物憂げな光を宿す瞳…

村の女の子達の中でも一番可愛い事に気づいたのは最近だ。少年は恋を知って青年になろうとする前に今回の襲撃が故郷の村を襲った。


『キャアアアアアア―――――――――――――ッ!!!!』


暗い森の中で少女の悲鳴が聞こえた。自分の事をよく知る彼女の声とは思えないほど恐怖に染まった声と下品な男達の笑い声…

見捨ててしまった。罪悪感が胸を焦がす、屈辱を受けようとする彼女の悲鳴が聞こえ戻る事を決意した。

走っていく、『彼女』を助けるために。しかし何処まで追いかけても少女の姿は見えず、それどころか声は遠くなっていく。


(待っててルーナ…今、僕が行くから!)


いつしか、薄暗い森は漆黒の闇へと姿を変えていた。視界は見えないままだが、それでも彼は走り続けた―――――







ゆっくりと男は目を覚ました。どうやら作業中に眠ってしまったらしい。

それを自覚すると同時に『現実』が視界から入ってきて急激に彼を夢の底から引きずりおこす。

たまに見る『夢』。それが何なのか今となっては男…『キルーマ』と呼ばれる彼にはわからない。

仕事とは無縁の事だ。余計な事はさっさと忘れてしまうに限るが、あの少女の声がどうしても耳からこびり付いて離れない。

今となっては思い出そうとしても思い出せない世界の出来事だ。今となっては彼の本名を知るものは『あの男』以外は誰も居ない。

夢の中で出てくるたびに自分の名を叫ぶあの少女は、もう手の届かない場所に行ってしまった。

悪夢を見るたびに心がざわめく、そういう感情こそが今の自分にとって不要なものでしかないというのに――――





夜の街。南米のある国のとある繁華街に立てられた豪華なホテルの一室から煙が上がっている。

一見火災のようだがそれは二次的な災害であり、それ以前に部屋の中が爆弾によって木っ端微塵になった事が直接の要因なのだろう。

完膚なきまでの破壊を行ったのは証拠を消すためだった。そこに泊まっていたとある人物もろとも消し去る為の…


「……」


男は外からホテルの破壊された一室を見つめていた。彼はこの事故に直接的に関与していた一人である。

周囲には野次馬であろう人だかりが出来ている。ここは南米にしては治安が一応安定している街で、このようなテロは珍しいのだろう。

しかし、一見そうは見えてもここは実質マフィアの被支配区であり裏社会とは無関係ではない。

一室だけを完全に破壊しつくす、周りに被害が出ないように爆風の規模や建造物の強度まで考慮に入れたような完璧な破壊。

すなわち標的だけを完全に仕留める、計算されつくした破壊である。

それを成したのはサングラス姿の三十手前くらいの男だ。無論、そんな事が出来る人間が堅気の者であるはずは無い。

彼は闇の世界で生きる血も涙も無い暗殺者であるのだ。そこに信念や情など入り込む余地は皆無である。


標的はこの町の市長であった。彼はクリーンな政治を掲げ、麻薬根絶をスローガンに精力的な活動を起こしていた。

それが、裏の支配者たちの気に召さなかったのか彼に指令が下ったのは就任後僅か二ヶ月の事であった。

一説によると彼の失脚を願ったのは、野党内の政敵の人間だと言う。何処の国にもある話で詳しく知る気は無かったが。

しかし、そんな政治ごとはこの黒づくめの男――――キルーマには関係の無い事であった。


(俺は生きるために昔から銃を握っていた…)


彼はとある紛争地帯で十年ほど前から、死の臭いに満ちた場所で生きている。

最初の殺人は誰かを守る為だった。しかし、その願いは果たせず彼は泥沼にのめり込む様にしてこの道を突き進んでしまう。

殺した人数は覚えていない。それほどまでに彼の故郷は死にありふれた場所になってしまったのだから。

そしてゲリラに拾われ子供だと言う事で腕も確かだった事から、よく暗殺の仕事に狩り出された。

人の命を奪う。そして何人も殺していく…無常なだけの灰色の日々に何の感慨も浮かばない。

自分が思った以上に自信の命に興味が無い事は自覚している。死ねばそれで終わる、そんなドライな価値観を彼は身に着けていた。


『ほう、良い目をしている。小僧の分際で綺麗な目だ』


今の組織のボスにそうやって拾われたのは、もう十年位前のことだ。

そのときの事だけははっきりと覚えている。それ以前の記憶は曖昧でわからなかった。

生きる為、ひたすらに殺す事だけに必死だったのだ。余計な事を考えているゆとりなど無かったのだから。


『お前の目は全てが等価値に映るのだろう。他人や私の命…そして自分のそれさえもな。素晴らしい

そんな人間だからこそ容易に人を殺せるマシーンとなる。お前は生まれながらのハンターなのだよ』


やや太り気味の体格ではあるが目つきが鋭く堅気の世界とは違う雰囲気を持つ男、彼こそがキルーマを拾い上げこの国に連れて来たのだ。

南米の某国。時刻の小麦を売りつけたい米国との通商協定によって穀物の生産を制限されてしまったこの国の農家は、

麻薬を作り、それを密輸する事によって飢えをしのぎ生活の糧としている。大国の都合により小国が不利益を被る一例だ。

かつて、第二のブラジルと呼ばれていたこの国にかつての繁栄は無く、大都市にはスラムが溢れ沢山のストリートチルドレンがたむろしていた。

その裏社会を支配しているのが、今の『ボス』がトップに立つ組織である。

米国の政治家とも繋がりを持つ彼等にとって、この国の治安が悪くなる事は双方の利益に合致していた。


(しかし、そんな事は俺にとってどうでもいい)


そう、キルーマにとって政治的な事情や自分の仕事が如何に影響を及ぼそうとも脅威の範疇外でもあるのだから。

自分自身の命さえ執着が無い彼にとって、それは当たり前であり揺るがない筈の絶対的な価値観であったのは確かだろう。

だからこそ、彼は自分が変わってしまう事など予期すらしていなかった。あの少女と出会う、その前までは……






「次の仕事は…敵対組織の首領の暗殺か」


一ヵ月後に電話にて彼に依頼の仕事が舞い込んできたのは、愛用の銃の手入れをしていたときだった。

尤も、彼は得物を選ばない。ライフルによる狙撃から刺殺、毒殺、爆殺、事故死に見せかけた暗殺…と仕事の手段にレパートリーを欠かす事は無かった。

その気になれば刃を落とした食事用のテーブルナイフで、悲鳴を上げさせずに確実に標的を仕留める事も可能であった。

クライアントのオーダーで如何なる注文にも対応してみせる、気の効くウエイトレスのようだとボスに評された事がある。

それはつまり自分の仕事ぶりが評価されていると言う事なのだが、彼にとってそんな事は興味が無い。

自分は殺しを行い、その対価としてボスからある程度の自由な時間と報酬を得ている。

貯金も極東の経済大国に豪邸を建てられるほどの額をもらっているが、仕事道具の保全と数少ない趣味のクラシックレコードに、

多少の額を費やす以外は殆ど手を付けてはいない。そもそも金なんて最低限生きていける程度の額があれば良いとさえキルーマは思っていた。


「……」


彼は無言で銃の手入れを続ける、分解した部品の汚れや埃を取って磨き、油を挿して組み立てる。

組み終えた銃のグリップを握り、銃身をスライドさせると特につっかえた様子も無くスムーズに動作した。

定期的に行うメンテナンスは今日もスムーズに終わった。ガンスミスに頼らずとも自分の道具は自分で面倒を見るのがプロの仕事だった。

彼の休日はいつもそうであり驚くような事ではないのだ。定期的な日常の確認、それこそ彼がマシーンと呼ばれる所以でもあった。


そして、次の依頼の日はすぐにやってきた。無論、キルーマも万全の準備をして仕事に備えている。

街中を盛況の渦が駆け巡っている。この国で年に一度だけ開催されるカーニバルの日だ。

そこにターゲットは来るのだと言う。恐らく祭りに乗じて、取引相手と重要な商談の話でもするのだろう。

キルーマに与えられた任務は彼を殺す事だった。人込みに紛れての暗殺はあまり経験は無い。

だが、慣れていても慣れていなくてもやる事は決まっている。標的の頭に銃弾を撃ち込み、命を奪う。

その後に自分は人込みに紛れて静かに立ち去っていく。要領は変わらない、しくじる事は無いだろう。


「ねぇ、お兄さん…」


(ルーナ…!?)


少女の声が聞こえた。一瞬振り向いたのは『彼女』の声質に似ていたからなのだろうか?

恐らく話しているのは日本語だろう。キルーマもそこで二回ほど『仕事』を行った事がある。

コンクリートのビルが都会を埋め尽くす街という印象が強い。その関係で最低限の会話は出来るのだ。


「…どうしたの?」


「……」


計画実行の一日前に場所の下見の最中に自分に声をかけた白い服の少女。両親とははぐれてしまったのか?

言葉からして日本人らしいが肌の色素は意外と薄く黒髪と合わさってまるで人形のようだった。

十、十一歳くらいの年頃に見えるが、大人しげな雰囲気がそれ以上に見せている。成長すれば可愛らしい女になるだろう。

どう言う経緯で治安も悪いこの国に来たのか分からない。しかし此処は都市部であり夜を出歩かなければ外国人でもひどい目に遭うことは無い筈だ。

少女に僅かな関心が湧いたのは、容貌は似つかないもののやはり声のせいだろうかだろうか?


「あの風船、取ってくれませんか?」


少女が指差した方向に街路樹があり、そこに赤い風船が引っかかっていた。

登れば子供でも届かなくは無い枝に掛かっているので、少女一人でも取れるかもしれないが危険だ。

キルーマは少しの間だけ考える、無視する事は簡単だ。しかし相手は子供だ、大声で泣かれて自分の事が敵対組織に感付かれてもまずい。

あくまでも一般人を装うならば、出来るだけ波を立てないように振舞うのも一つの手段だろう。


「少し、待っていろ」


彼は仕事の関係上他国にも出向く機会があり、数カ国語を理解できる日本語も少しだけ話せた。

少女は、期待と不安に満ちた目で彼を見上げてくる。純真で穢れの無い宝石のような瞳だとキルーマは思った。

キルーマは助走をつけて、木の幹を一回蹴り三メートル近くまで飛んで風船の紐を掴んだ。


「わぁっ! ありがとう。お兄さん」


少女は満面の笑顔を見せ、キルーマに礼を言った。

彼はそんな彼女の笑顔がとても眩しいものだと思った。彼女は人に希望を与える事が出来る人間なのだろうとキルーマは思った。

そう…闇の世界に生きる自分とは関係の無い光の当たる場所で祝福されながら少女は健やかな人生を送っていくのだろう。

いつも、その笑顔で彼自身を迎えてくれたものがいたような気がする。今となっては思い出すこともままならない風化しかけた記憶ではあるが。


「…早く親のところへ行け。心配しているだろう」


「……うん」


少女は何故か暗い顔になる。『親』という単語を口にしたとき彼女の顔が翳ったのをキルーマは見逃さなかった。

そして、少女の持つ赤い風船がやけに鮮やかに映って見えたのが印象的だった。まるで血の色をしたそれが不吉な予感を抱かせてしまう。

普段は何事にも心を動かされる事が少ないキルーマにとって何故、そう感じたのかは分からない。

何故か、懐かしい気がするのだ。彼女に似ている娘を遥か昔に見た事があるような気がする…

彼女の面影に何か懐かしいものを感じ取る。その理由がキルーマには分からないまま二人は別れたのだった。





標的はとあるバーの中に居た。さすがに窓の近くに座っているわけではなく狙撃は不可能な奥の席に護衛二人を従え商談相手とテーブルに付いている。

店の中にも人払いをかけているのだろう。中から此方の様子を伺う侵入者の様子も把握できるというわけだ。

流石に用心しているのだろうが、近づくための対策は考えてある。手にあるものを持ちキルーマはターゲットに近づいた。


「お客様、ある方からプレゼントでございます」


ウエイトレスの変装をした彼は営業用の笑顔を浮かべて、標的のテーブルに花束を持ってくる


「あ…なんだそれは?」


警戒心の緩んだ隙を見て、キルーマは花束の中に仕込んでおいたサイレンサーを装着した銃の引き金を絞った。


抑えられた銃声が一発。仕事を遂行するにはそれだけで十分の筈だ。


そして正確な死の一撃は、標的の額をやすやすと貫くように見えた。

しかし…危険を察したのか。屈強な護衛の一人が盾になって銃弾を受け、倒れる。

もう一人の護衛が反撃の為にキルーマに銃を向けようとするが、それより早く左手から抜き放ったもう一つの銃によって正確に急所を打ち抜かれ沈黙する。

僅か十秒にも満たない命のやり取りに商談相手はすっかりと腰を抜かして、呆然と事の成り行きを見守っていた。

目撃者の口封じに徹するのであれば、この男にも銃弾を撃ち込んで居ただろう。しかしキルーマはそのような指令は受けていない。

それに今現在、店の中には標的の姿は何処にも見当たらず隠れている気配も無かった。護衛が盾になっている間に逃げられたのだ。


「逃がしたか…」


バーの奥の方に隠し扉があった。万が一に備えて脱出経路を確保する為にこの店を選んだのだろう。

キルーマは少しばかり苛立ちを覚え、舌打ちした。だが、すぐに彼自身もその隠し扉に入って逃げ去った標的の後を追う。

この街の地理は頭に叩き込んでいる。どんな裏道だろうと追い付ける自信はある。

任務を果たさなければ、ボスを満足させる結果にはならないし時間の無駄である。

それにしくじってしまえば、彼自身の『殺し屋』としての評価も著しく下がる事は間違いないだろう。

逃がしはしない、必ず確実に息の根を止めてみせる。この付近の道は下調べしていた、逃がす事は恐らく無いだろう。

一人残された標的の商談相手は、ようやく我に帰って蛙がつぶれた様な短い悲鳴を上げた。





標的ダナン・イェーガーはぜいぜいと荒い呼吸をしながらを、狭い裏路地を必死に駆け回っていた。

暗殺者が自分を狙っているという情報は当の昔に掴んでいた。恐らくはこの国の裏に潜む巨大な犯罪シンジゲートの者が手配したのだろう。

この国の麻薬事情からすれば新参者に過ぎない自分達は、彼等の取り分を横取りするハイエナに見えたのだろう。

だから屈強なボディガードを側に置き備えさせていたのだが、無駄な努力でしかなかったようだ。

しかし贅沢は言っていられない。次の手も既に打ってある、後一つ先の角を曲がって表通りに出れば部下の車があるはずだ。

それに乗って彼は逃げるつもりだった。この落とし前は必ず付けさせてやると思ったが、残念ながら叶いそうに無い様であった。


「ひっ…!」


「……」


なぜならば彼の目の前には、先程護衛をすぐに葬ったあの男が無表情で待ち構えていたのだから。


「そうだ! か、金は出す。お前を雇ってやろう!! 今いる組織より多めに報酬は出してやる! 大金持ちに…」


御決まりの文句だ。これまで幾度となく聞かされてきたか判らない。

これもスマートに仕事を遂行できなかったからだ。僅かに哀れみを込めて銃口をダナンに向けた。

仮にダナンの命乞いに耳を貸して組織を裏切ったとしても、『ボス』はそれを絶対に看過しない。キルーマの変わりは居るのだから。


「悪いが、俺は金などに興味は無い」


「な、なら…お前を組織の幹部に…」


キルーマは何も言わずに引き金を引いた。聞く価値も無い戯言に耳を貸してやる余裕は無く、それもこの男の命乞いにしか見えなかったのだ。

額に穴を開けたダナンは仰向けに倒れ、視線は虚ろに上空へと放り出されたまま体は断末魔の痙攣を始める。

念の為、キルーマは胸部にもう一発銃弾を撃ち込んだ。噴水のように額から飛び出る血が鮮やかに路面を濡らし、あの風船のように路面を染めた。


「あっ…!」


直後に気配を背後に感じ、キルーマは振り返った。そこに青年が驚きの表情を浮かべて一部始終を見ていたからだ。

若い日本人のようだった。観光で訪れたのだろうが、どうしてこんな場所に迷い込んでいるのかは分からない。

実直そうな青年である。歳は二十代前半だろうか? とてもダナンの部下には見えない、ただの旅行客だ。

この治安の悪い国に外国人が来るなんて、基本はカーニバルの時くらいのものである。

それに日本人と遭うのはあの少女以来である。何があったのかは知らないが彼からすればどうでもいい。


「ひッ、人殺し…」


男が声を上げて逃げようとする暇も与えずに、キルーマは躊躇いも無く撃った。

悲鳴の言葉すらなく、胸に銃弾を受けた男は痙攣を繰り返しながら傷口から血を溢れさせ赤い水溜りのようになる。

死体がもう一つ増えた。キルーマからすればそれだけの認識であり、何人殺そうと関係は無かった。


脅しも兼ねて生かしておいたあの商売人とは事情が違った。事情も知らない一般人に事が伝わって警察やマスコミに暗殺の事が広まれば、

組織がもみ消すとしても、多大な労力と莫大な資金が掛かりボスにも迷惑をかける事になる。

だから男の口を封じて真相を表に出さないのは尤も安上がりで効率的な手段だった。

糸の切れた人形のように、日本人の男が倒れる。キルーマはそいつの顔を覗き込んだ。

殺した人間に関心など持たない彼からすれば珍しい事だった。何処となく見た事のあるような顔立ち、そして雰囲気…

日本人に限らず、アジア人は顔が幼いからそう見えるのだろうと割り切る事にした。掃除屋に連絡し今は此処を立ち去るのが先だ。


(うっかり迷い込んでなければ、死ぬことも無かっただろう)


死体の処理や後始末は『掃除屋』と呼ばれる領分で『殺し屋』である自分には関係が無い事だ。

キルーマはとりあえず、潜伏先に戻って休む事にした。久しぶりに酒が飲みたい気持ちなのだ。

暗殺は、やはり疲れる。標的を殺す瞬間はどうとでもないのだが、下準備や今のようなアクシデントが頻繁に起こるのは当たり前だ。

とりあえず今は休む事が先決だった。次の仕事がいつになるかは分からない。明日かもしれないし一ヵ月後かもしれない。

ただ、これからも自分が何人も殺していく事には変わりない。自分はそういう人間でそういう日々が続くとキルーマは何の疑問も無く信じていた。






プルルルルルル―――――。電子音に変換されたベルの音が部屋に鳴り響き、キルーマは浅い眠りから目覚めた。


『キルーマ。元気か?』


電話を取る。電波通信の盗聴の恐れの無い有線電話だ。

部屋の中には仕事道具以外あまり物を置いていない。盗聴器の対策でもあるがキルーマ自身が無趣味な事もある。

そんな彼が珍しく音楽鑑賞を趣味とするのは趣向の他に、盗聴対策という側面もあった。


「なんだ、新しい仕事か」


『この前の件について確かめて欲しい事があるんでな』


前の仕事とは、対立組織のトップ暗殺の仕事だろう。多少イレギュラーはあったものの滞りなく済んだ仕事だ。


「目撃者は始末した。あいつだけ見逃しておいたが殺したほうが良かったか?」


『まぁ、いい奴は金を握らせれば利用できる。どうやら鼠がちょろちょろしているらしい。分かっているな?』


鼠。恐らくぞの三流新聞の新人記者が特ダネを手に入れるためにしつこく嗅ぎ回っているのだろうか?

この前始末した。ダナン・イェーガーは表の世界では、それなりに名前の知れた若手実業家でもあるのだ。

そういった雑用はあまりやる事は多くなかったが、後始末という側面もある。

『ボス』の組織はこの国の政府とも癒着している。組織の方針に不利益な人間が存在すれば以前のように市長ですら消されてしまうのだ。

大手マスコミへの対策もその点は万全であり。組織に関しての不利な情報は表に出る事は無いはずなのだが、

稀に下手な正義感に燃えた若いブン屋が、裏社会を暴こうと若気の至りに走るのだ。

無論、そういった連中の殆どもまた闇に葬られてしまう。キルーマも何件かそれ関連の仕事を幾つか受けた事がある。

金を受け取っている以上、仕事は徹底すべきだとキルーマは考えていたので不服は無かったが。


『他の仕事を任せていた奴がヘマしちまってな。お陰さまで掃除人の人手が足りていないんだよ』


まぁ、よくあることではある。何の後ろ盾を持たない一般人なら兎も角、彼等が相手にしているのは巨大な権力と莫大な富を持つ裏社会の重鎮ばかりなのだ。

そんな連中がただ雁首揃えて殺されるのを待つほどお人よしな訳ではなく、中には暗殺が失敗し返り討ちにあう者も少なくは無かった。


「ああ、了解した」


二つ返事で了承したキルーマは、電話を置くとすぐさま準備に取り掛かったのだった。






爛々と日差しが地上を焼いている。灼熱に燃える太陽は石畳を炙り、燦然と天からの存在感を示していた。

今日は特に暑い日だと、キルーマは思った。それもそうだろう、この国は赤道に近い緯度にあるのだから。


夏場は日光の照射時間が長くなるせいか植物が良く育つ、それに平行して組織の管理する麻薬畑が青々と茂り収穫されるのだろう。

それが全世界に売り捌かれ、売人や業者を介して各国のジャンキー達の元へと送り届けられるのだ。

俳優や女優から、娯楽の無いストリートチルドレン…果ては経済大国の先進国でちょっとしたトリップを楽しむ少年少女などに多く需要がある。

そして田畑を麻薬畑に変えた農家の生活の糧となり、また麻薬を植え金に換えていくというわけだった。

つまりは今は組織にとって絶交の稼ぎ時というわけである。その収入からキルーマに支払われる報酬も出ているというわけだ。

世界的に違法とされ、表向きは撲滅が目指される麻薬ではあるが。古代から続くこの地方の文化のようなものだ。

遥か昔、この国が未開の地であったころから生贄を捧げ、神に捧げられる祭りでは頻繁に使用されていたのだと聞いた。


「……」


キルーマからすれば、この国の歴史にしろ金にしろあまり興味は湧かなかった。

必要最小限な額さえ手元にあればいいのであって、今でも十分な資産は口座の中に眠っている。

それだけで、少し贅沢しなければ一生過ごすのに不備の無い金額ではあるのだが、彼は仕事を止めることを思いつかなかった。

特に必然性も大儀も感じているわけではない。彼は依頼はきっちりとこなす、人を殺すのに感傷も覚えない。

別に殺しが好きだというわけではない。ただ、記憶がある頃から『死』は彼と共にあり、ごく自然にそれと向き合って生きてきた。

他人が死のうが、自分が死のうがキルーマにはあまり関係の無いように思える。人はどんな時にでも死ぬ。

それは真理だ。永遠に生きられる命などありえない、死んだら全てが無に帰る。

自分はそれを少し早めているに過ぎないと思っている。殺して殺してその後にいつかは自分も命を落とす。

それがキルーマの価値観だった。自分も他の命にも全く持って価値は無い。

何故、今そんな事を考えていたのかキルーマにはわからなかった。



そして現場へと足を踏み入れる。地元警察は既に引き上げていた。恐らく『組織』の手引きによるものだろう。

全く持って手が込んでいるものだと、キルーマは思う。いちいちやり方が徹底している、それも神経質なまでに…

『ボス』の代になってから、急激に勢力を伸ばし始めた組織。キルーマの聞いた話だと彼はいずれ世界をも牛耳って見せると豪語していた。

恐らくはこの国の麻薬の生産量が年々増加の一途を辿っているのも一枚噛んでいるのだろう。

そして、どこぞの戦場からキルーマを拾い上げて育てたのも彼であった。しかし、キルーマは『ボス』に忠誠を誓っているつもりは無い。

無論、拾ってもらった恩義は感じている。キルーマ自身の能力が生かしきれる場を与えてくれた事に関してもだ。

しかし、所詮は互いが互いを利用しているだけに過ぎない。故にボスの理想だか、野望だかの為に殉じてやる気は毛頭無かったが。


現場の建物に入ると、室内は綺麗に片付けられていた。業者まで呼んで隠蔽工作の為に清掃したのだろう。

恐らく、この場所もいつかは再利用されるはずだ。人死にが出た事も知らない無神経な客たちが酒を酌み交わす場所に…

背後で物音がした。嗅ぎ回っている『鼠』なのだろうか? 尾行にしては要領が素人で迂闊過ぎる。少なくともプロではない。

警戒しながらいつでも懐の銃を引き抜けるように身構えていたが、すぐに構えを解いた。現れた影が予想外の人間だったからだ。


「あ…あなたは」


「…お前は」


それはいつかこの町で出会った少女であった。カーニバルが終わった町にどうしてまだいるのだろうか?

理由はわからない。何も居えずに黙っていると少女のほうからキルーマに話しかけていた。

どうすれば良いかもわからずキルーマはたじろいでしまう。殺気が無いとはいえ他人にここまで近寄られたのは初めてだ。


「お兄ちゃん…」


「…何故、此処に居る? 親はどうした?」


キルーマはいつの間にか仕事のことを忘れ、彼女のことを気にかけている自分自身に驚いていた。

ふっと現れた少女が、まるで遠い過去の記憶にこびりついた『彼女』そのもののように思えてならなかったのだ。


「……わからない」


「どういうことだ?」


ふと、この前口封じに殺した日本人らしき青年の顔が脳裏を横切った。

彼女がこの娘の肉親で一緒にこの国に来ていた。といえば辻褄が合うだろう。

この南米は中東のように、頻繁にテロやゲリラによる武力活動が頻繁にあるわけではないが、

それでも治安がよろしくない場所である事に変わりは無い。彼女のように日本から来たものにとっては。


「わからないの。気付いたらここにいて…」


「……そうか」


キルーマは納得した。彼女はもしかしたら記憶を失っているかもしれない。

記憶が無いのなら、秘密を見られたわけではないかもしれない。ならば『処理』する必要性も薄れる。

そんな考えを抱いて無意識のうちに安心している自分自身に、今の彼は気付いてはいなかったが。


「親は居ないのか?」


「……」


その質問をしたのは二度目であることに言ってから気が付いてしまう。

今度は少女のほうが暗い顔をして黙ってしまった。前と同じ表情…その顔から推測するに何か深い事情があるのだろう。

もしかしたら本当の親は既に他界していて、あの青年だけが彼女の肉親であったのかもしれない。

ならば悪い事をしてしまったな、とキルーマは心の片隅で微かに反省した。しかし、仕方が無い事だ。

自分は仕事でやったのだし、事情を仮に知っていたとしてもだ。一般人の目撃者は消さなければいけなかった。

それに親を亡くした子供というのは内戦地域に腐るほど居る。少女の場合は平和な日本から此処に来たのが間違いだった。

仮に、少女があの青年と一緒に現場に居たのなら迷いも無く射殺していただろう。彼女は運が悪かった。

いや、命が助かっただけ運が良かったのか…それは判らない。


「…!?」


ふと、キルーマの携帯が鳴った。


『よぉ、キルーマ。首尾はどうだ?』


『掃除屋から今連絡が入ったんだが、目撃者の男が居たらしいな』


「ああ、見られたから処理した」


殺した、という言葉を控えたのは目の前できょとんと自分を見つめる少女への無意識の配慮であった事にキルーマは気づかなかった。


『そいつには肉親のガキが居たらしい。どうだ?現場の周りをうろついてなかったか?』


息を呑む。目の前の少女の事を報告して、その愛らしい顔を吹き飛ばせば済む話だ。

そうすればボスは安心するだろうし、キルーマもまた殺しの日常に戻る。今までだってそうだった筈だ。


「…さぁ、どうだかな。今のところは確認できていないが、はっきり見られたとしても所詮は子供だ気にする事はないかも知れん」


『いいか? 俺は臆病者で神経質だ…見つけ次第ガキも殺せ、一切の証拠を残すな』


「………」


一瞬、キルーマは黙ってしまった。『ガキ』とは目の前で不満そうな眼差しを向けてくる少女の事だろう。

あの男が女子供だからといって容赦するような人間ではないことは分かっている


『どうした、キルーマ?』


「…了解した。見つけ次第、処理する」


沈黙を察して尋ねたボスをはぐらかす様に、平静を装いキルーマは電話を切っていた。

彼の手はまるで凍りついたかのようにしばらく電話を耳に当てたままだった。


「どうしたの?」


少女が心配そうに顔を覗き込んでいる。恐らく『ボス』が言っていたガキと言うのは目の前の少女なのだろう。

拳銃を抜いて引き金を引く…それだけで依頼は達成できる。ミッション・コンプリートというわけだ。

後は、いつもの様に帰って洋楽でも流しながら、仕事道具の手入れをして次の依頼に備える。また、人を殺す為に…


「…来い」


今まで何人も殺してきた彼からすれば簡単な事だった。目の前の少女の顔を拳銃で吹き飛ばせばすぐ終わる。

しかし、たった一度風船を取ってやっただけの間柄なのに自分を心配してくる彼女に銃口を向ける事ができない。

自分でも何故そうなるのかキルーマにはわからなかった。どういう理屈でこんな行動を取ってしまうのかも…


「え!?」


いきなり少女の手を引くキルーマ。人形のように整いながらも幼い顔に困惑の表情を浮かばせる少女。

不思議な事に彼女は悲鳴を上げたり逃げたりする事は無く、その事が幸いだった。

何故かは判らない。しかし今はそうして大人しくしてくれる事が、彼女尾を救う事になるのだから。


「お前の名前は?」


「…ミホ」


「そうか…」


表には出さなかったがキルーマ自身も内心で動揺していた。自分の取った行動が理解できなかったのだ。

彼女をすぐに処理せず、逆に助けようとしている事自体が組織に対しての背信行為に繋がる事は百も承知である。

しかし、今すぐにミホの頭蓋に穴を開ける事は今の彼には出来なかったのだ。





「……」


ソファに眠る少女の幼い横顔にキルーマは銃口を突きつけた。

引鉄にかけた指に少しだけ力を込める。それだけで『ボス』からの依頼は完遂できる。

情報集めも、武器の手入れも要らない簡単な仕事だ。何故ならターゲットは目の前で無抵抗に寝息を立てているのだ。

仮に目覚めて抵抗させても所詮は女子供…組み伏せるのは容易い。それに、辛い目に遭うよりは直ぐに楽にしてやったほうがいいのかもしれない。

この世界は眼に見える異常に残酷で醜悪、そして冷酷だ。彼女の兄が死んでしまった事を知る前に苦しむ前に、安らかに…


「ん……」


(これも仕事だ、許せよ…)


静かに、そしてしなやかに…少女に死を運んでやる必要がある。

だが、胸のうちにためらいがあった。それが指に込めた力を引き止めていた。

撃たねば、と頭の中では考えている。その筈だ、そうしなければ自分は生きていけない。

自分を躊躇わせているのは、ミホの声が『彼女』に似ていたからだ。そんな感情を持っていても意味がないというのに…


「おにい…ちゃん…」


不安そうな寝言が聞こえた。何かに縋る様なか細い声が耳の中に入った。

何故か彼女のその言葉を聞いてしまってからキルーマは撃つ気が抜けていった。

それから暫くしてミホはうっすらと眼を明けたのであった。


「…起きたのか」


「あの…おはようございます」


「顔を早く洗って来い。直ぐに食事にする、それと…」


躊躇してしまった、殺すことを…此処においても自分のリスクが高まるだけでしかないと言うのに。

情を見せる。普通の人間としては当然だが、殺し屋としてはナンセンスだ。

だが、何処かほっとしている自分がいる事も否定できなかった。殺さずに済んだ事を素直に喜んでいる感情を否定できない。


「お前はしばらく此処で過ごすんだ。外には出るな」


「えっ、でも……」


「心配するな。記憶が戻るまで面倒を見てやる」


キルーマはぎこちない笑みを浮かべた。それは無表情に口の両端を吊り上げただけの歪な笑顔だったが、

ミホは彼の気持ちを察してくれたようで不安そうな幼い顔を和らげてくれた。

しかし、キルーマはその顔を直視できなかった。彼女の兄を名乗る人物は恐らくキルーマが殺した青年だ。

だから、自分は真摯に肉親を案じて探し回った少女の気持ちを裏切る事をしてしまったのだ。それが知らなかったこととはいえ…


(馬鹿らしいセンチメンタリズムだ。何故、こんな子供に構うのだ?)


かつて感じた事の無い義務感が肩に降りかかってくるのが判る。

人を『殺す』仕事に取り組んでいた自分が、人を『助ける』事など出来るのか不安だらけであった。

このプレッシャーは今までに無かった重圧であった。これまでしくじれば自分が破滅するだけであった。

今回しくじれば少女の身を危険にさらすだろう。いや、もう遅いのかもしれない。

安易な優しさから野良猫に餌をやるのと同じだ、無責任な同情心が返って本人の苦しみを長引かせてしまうかもしれないと言うのに…


「出かけるんですか?」


「…買い置きが少なくてな、調達に出てくる」


だが、どうしてか悪い気持ちはしない。不安もあるが気持ちは何故か今までに無いほどすっきりしており、こんな感覚は久しぶりだった。

彼は適当に買って置いた食べ物をミホの元に残して、自分は彼女をどうするか考えながら外に出たのだった。


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