青空を追い求めて。
雨が降っていた。
空には分厚い雲が広がり、私の目に映る世界は灰色で、それ以外の色彩を持たない。
雨に濡れた衣服が、肌を刺す。
「冷たい……」
空を仰ぐ。
そこには雲があるばかりで、他には何も無い。空に行けたら、どれだけ素敵だろうかと私は考える。
分厚い雲の上には、雨も無いだろう。
そこに在るのは、青一色の世界。
青が私の全てを包み込んでくれる。
きっとそこは母親の胎内何かとは比較にならない程に居心地の良い世界に違いない。
それこそ本当の自由を手に入れられる筈だ。
分かっている。荒唐無稽で、如何にも幼稚な話をしている事は。
でも、過去の人間達。空に憧れ、恋い焦がれた人間達も、きっと私のように思っていたに違いないのだ。
空には本当の意味での自由が在る。
苦痛に満ち溢れた地上とは訳が違う。
そんな益体の無い事を日々考えながら、私は生きている。
ーー薄汚れた街を私は歩いている。
空には相変わらず厚い雲が広がり、雲間は皆無で、一筋の光も差さない。
嫌気が差す。
私は青空が見たいのに。
青に染まった空だけが私の希望なのに。
空さえも私を裏切るのだろうか。
そんな事を考えていると、突然背後から声を掛けられた。
雨音の所為で、よく聞き取れなかったのだが、肩を叩かれたので、私に声を掛けたのだな、と理解する事が出来た。
歩みを止め、振り返ると、そこには見慣れた顔があった。
「お姉ちゃん、何やってるの? ずぶ濡れじゃない」
二つ歳の離れた妹だ。
才色兼備で非の打ち所がない女。
それが私の妹。
それに反すして、姉の私は非の打ち所が有りすぎる根暗で半引きこもりの駄目女。
「何って。ただの散歩よ。見て分からない?」
「こんな雨降りに? 傘も差さずに?」
そう言って、傘を差していない、もう一方の手に握られていた青一色の傘を妹は私に差し出す。
「別に必要ないのに」
憎まれ口を叩きながらも、私は傘を受け取る。青一色の傘。この傘の下にいると、まるで青空の下にいるような気分に浸れる。
でも雨の日は差したくないのだ。
曇天の下で差すと、どうしても青が濁ってしまうから。だから私は、雨天の日でも傘を差さない。混じりっ気のある青なんて嫌いだ。
そんなものは青じゃない。紛い物だ。
「ほら、早く傘差して」
それでも私は傘を差さない。
紛い物の青の下に身を置くなんて我慢出来ないから。
妹に背を向け、歩き出す。
「何処行くの?」
妹が小走りでついて来る。
何だ、その小動物みたいな走り方は。
万年発情期の男達が、まるで小蝿のように妹に集る理由が理解出来た気がした。
「ついて来なくていい」
若干、語気が荒かったかもしれない。
でもそうでもしないと、この妹は食い下がらないのだから仕方がない。手が出ないだけマシと思ってほしいものだ。
トドメと言わんばかりに、妹の目を見据え睨みつける。
妹の口から漏れた溜息が聞こえた。
「夜までには帰ってきて。お母さんもお父さんも心配するから」
不承不承ながら、私は頷きを返す。
でも私は知っている。彼らは私の事なんて露程も思っていないだろう事を。
私は良くない子だったし、二十歳を過ぎた今も変わることなく、私は私のまま。つまり子供のままだからだ。
妹が踵を返し、歩き去ってゆくのを見送った後、私は散歩を再開した。
妹と交わした会話は十分にも満たないものだったし、私を心配して傘まで持ってきてくれた妹への対応としても、お世辞にも良い対応とは言えなかった。
米粒にも満たない罪悪感、と言うのかどうかも定かではない何かが、心の奥底で燻っている。
「青空が見たいな」
この二十数年の間で、幾度となく呟かれた言葉。形容のし難い感情が浮かぶと、私は直ぐにこの言葉を呟いてしまう。
空を仰ぐ。
未だに厚い雲に覆われた空からは一欠片の青も覗かない。
雨も降り続いている。雨脚は加速度的に強くなっているようで、衰える気配は皆無だ。
おそらく夜までに止む事はないだろう。
頭が重くなる。気分が悪い。吐気まで催してきた。街を行く群衆は、私にとっては監獄以外の何物でもない。
その時、ふと思った。
二十数年生きてきて、こんな事を思い付いたのは初めてだった。
『死んだら、雲の上に行けるかもしれない。青一色の世界に包まれて、私はきっと幸福だ』
自然と気分が高揚した。
まるで青空の下に居る時のように。
「そうか。私は何時でも好きな時に、空に行く事が出来るんだ」
そう思うと、もう少しだけ生きていても、いいかなと思えた。
下を見る。私は陸橋の上に立っていた。
下では、排気ガスをモクモクと撒き散らしながら、車が群れをなしてはしっている。
自然と笑みが零れた。
奥底に燻っていた何かは、その正体を暴かれぬまま、何処かへ霧散して行った。




