ウェストミンスターの昼食会
塀の上に卵が一つ、ハンプティ・ダンプティがおりました。
「あの、そういった『お話』は今ちょっと聞きたくないというか……」
「いやいや、お嬢さん。この話はな、ちゃんと文書にして公表する予定のちゃんとした話なのだよ。きっと近いうちに新聞の一面を飾るやもしれぬ。いや、飾るに決まっておる。何しろ、それだけの価値はあるのだからね」
なるべく丁寧な口調で断りを入れようとするアリスでしたが、塀の上のハンプティ・ダンプティはどうしても『その話』をしたいようです。
「……分かりましたわ、それなら聞いた方が良いんでしょうね」
諦めた様子でアリスは言うと、ハンプティ・ダンプティは『その話』を始めるのでした。
「ふむ、宜しい。舞台は南アフリカのレディスミスを臨む戦場にて、時は――オホン、時はコレンソの戦いの終わりし折のことである――」
×××
吾輩は伝令を送る
ホワイト卿へ伝令を送る
伝えし言葉は
――『卿よ 事を為さねばならぬなら なさりませ』
されど
吾輩はこうも思う
――『ことに拠ると 卿は なさらぬかもしれぬ』
(天候は甚だしくも暑くありける)
斯様な疑惑も
獲物を即座に料理するが如き素早さで
吾輩の脳裏に舞い込む
――『なさるとすれば 卿はどうなさるお積りか?』
吾輩は何も知らぬ
それどころか 思念を巡らす
――『吾輩は事を為すべきであろうか』と思い悩みたるなり
×××
「何のことだか全くさっぱり分からないわ」
ハンプティ・ダンプティの話を聞いてアリスはそんな言葉を漏らしました。
「続きを聞けば段々と分かってきますぞ」
そう言うと、ハンプティ・ダンプティは再び話を始めるのです――
×××
連中が手を出したるは
甚だしくも醜悪な作戦なり
連中が川に並べるは
嗚呼 死馬の山
(其れを見し吾輩は 酒を片手に陣内で思う
『ボーア人め 詰まらぬことを 馬無き戦を好むなどとは』)
吾輩の握りしは戦の終焉なり
されど
吾輩の握りしは
いずれにせよ
我が平和に非ず
断じて非ず
吾輩の握りしは戦の鍵なり
そう
其れは詰まらぬこと哉
されど
其の門を叩くこと叶わず
我が耳に 人は告げる
『耐え忍ぶのが宜しいかろう』
斯かる重圧に付き纏うは 新聞屋なり
斯様なことを
声を大にして
包み隠さず語るは
奴らなり
吾輩は歯を見せて
笑いつつ 簡素に語る
『嗚呼 連中のなんと慌ただしいことか!』
吾輩は戦地に赴き 待機戦に興ず
気付けば
それでも吾輩は事を成したり!
もし より良き将が居るならば
嗚呼 吾輩に教えて下され
もし 出来るならの話であるが
×××
「素晴らしいわ、とっても面白い話でした。でも、一つだけ気がかりなことがあるんです。皆の前でこんな話をしても場を静めることは出来ないんじゃないかしら」
そんな感想をアリスは告げました。
「なるほど。しかし、こんな話でよければいくらでもお話し出来ますぞ」
そう言ってハンプティ・ダンプティが話し始めようとするので、アリスは慌てて口を挟みました。
「お話の方はもう十分に聞きましたわ。森の中を進む話も森の中で戦う話も沢山。だから残りはまた別の機会に、ね? それが良いと思いませんか?」
【脚注】
ハンプティ・ダンプティ……レドヴァース・ビュラー将軍、ヴィクトリア十字章(V.C.)受勲。 1901年、南アフリカ戦線から帰還したレドヴァース卿は、新規陸軍再編計画に従って、アルダーショットの第一軍団の指揮官を拝命した拝命し。この任命に対しては多くの批判が上がったが、レドヴァース卿は、10月10日、ウェストミンスターのクイーンズ・ホールでの奇妙な演説で以て批評家に答えを返したのだった。レディスミス包囲戦で降伏するよう英軍を唆したという告発があったが、これに対しては特に演説の中で自己弁護の論調を張っていた。卿の言い分では、レディスミスで指揮を執っていたジョージ・ホワイト卿へ反射光信号機を使って次のような指示を出したという。「レディスミス市街に閉じ込められて降伏も止む無しという局面になることもあるだろう。そんな状況下でジョージ卿の責任を減ずるために『獲物を即座に料理するように即断即決』という言葉を授けよう」と。だがレドヴァース卿が言うには、その言葉が狭量な曲解をされて、降伏教唆の逃げ口上に変えられたそうだ。卿の演説は常軌を逸し、ひどい混乱を招た上に聴衆を大いに困惑させた。その10日後、英国政府はレドヴァース卿が任官に当たって規約違反を犯したという理由で任命を取り下げた。また、レッドヴァース卿の演説で言及されていたことだが、南アフリカ戦線においてボーア軍は、包囲していた駐屯軍の飲み水を毒に変えるため、トゥゲラ川に馬の死体を投げ込んだそうだ。
(※ Westminster Gazette誌の編集長J. A. Spender (1862~1962) による注釈)
【備考】
原題:『Alice Lunches at Westminster』
初出:Westminster Gazette 1901/10/14
ルイス・キャロル『Through the Looking-Glass, and What Alice Found There』(Humpty Dumpty)のパロディ
挿絵は諷刺画家 Francis Carruthers Gould (1844-1925)の作品(Public domain)
【訳者の解説】
英雄というものは良くも悪くも注目を集めるものである。
第二次ボーア戦争において、レディスミス包囲と呼ばれる戦局があった。当時の南アフリカの地図を線引きすれば、英国領(ケープ植民地、ナタール共和国)とボーア領(トランスヴァール共和国、オレンジ自由国)に大別されるわけだが、1899年に英国はボーア軍の侵攻からナタール共和国を守るため、その中心都市レディスミスに軍隊を投入した。このナタール方面軍を指揮していたのはジョージ・ホワイト中将であったが、ボーア軍を相手に苦戦を強いられ、最終的には英国軍はレディスミス市街ごとボーア軍に包囲されてしまう。
このレディスミスに取り残された友軍の救済に向かったのは、アルダーショット駐留軍のレドヴァース・ビュラー将軍であった。ビュラー将軍はボーア軍の包囲を解くために苦戦を重ねたが、援軍の到着により1900年にレディスミスの友軍救出に成功する。このレディスミス救出に代表されるような英国軍の反撃によって、始めは苦しかった戦況も好転し、遂に英国軍はオレンジ自由国の首都ブルームフォンテーンとトランスヴァール共和国の首都プレトリアを陥落させるに至った。そして戦勝気分の昂ぶる英国本土において、ビュラー将軍の凱旋は熱狂的な歓声もって迎えられたのである。それはまるで英雄のように。
しかし、それでも戦争は終わらない。南アフリカではボーア軍のゲリラ攻撃が始まり、英国軍は再び苦境に陥ってしまう。未だ終焉の見えない戦争を前にした民衆はやり場の無い不安と不満を抱え、その矛先は必然と『目立つ的』に向けられることになった。新聞各社は弱体化した英国軍を非難し始め、タイムズ誌は苦境の責任を被せるようにしてビュラー将軍を痛烈に批判した。浴びせかけられる非難の嵐を前に、ビュラー将軍は1901年10月10日ウェストミンスターの昼食会で即興の演説を行った。レディスミス救出などの武勇伝を織り交ぜたその演説は新聞社に対する反論であった。だが、その演説の七日後、ビュラー将軍は指揮官を罷免される。
つまり塀の上の卵が転げ落ちたのである。
【風刺モデル】
〇ハンプティ・ダンプティ(Humpty Dumpty)
英国陸軍少将:レドヴァース・ビュラー