表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ウェストミンスターアリス  作者: サキ(原著) 着地した鶏(翻訳)
8/16

聖ステファノ倶楽部にて

「ああもう、じれったいわね」とらすアリス。その目の前には一匹の青虫がおりました。

 ひどく真面目まじめくさった顔で、古典的ゴシックでヒラヒラした飾りつきの巨大おおきなキノコの上に一匹の青虫がチョコンと腰を下ろしていたのです。アリスはその大きな青虫と話をしようとしたのですが、十五分もった今でも何の反応も無いのです。


挿絵(By みてみん)


「そうだわ、青虫に話しかけるときにはちゃんと目を見ないといけないのよ。聞いたことがあるわ、チャンスはそれ一度きりなんですって……」

 そんなひとごとがアリスの口をついて出ますが、アリスはもうることに気付いておりました。――ええ、そうです、青虫は決してアリスと目を合わせようとはしないのです。

 青虫の視界に入ろうとするアリスでしたが、青虫の瞳はどこか遠くを見ていたり、アリスの足元をジッと見つめていたりと、あちらこちらに視線を散らすだけなのですから。

 そんな青虫の様子を見たアリスはいつかどこかで聞いたことわざを思い出しました。

『子供のおりは見てるだけ。相手なんぞはしてやるな』ということわざです。

「でも、私はまだ『見て』もらってすらないわ。ああ、でも良く考えてみて。相手をしてもらえないって言うけど、そもそも私は青虫さんに何の話をすればいいの?」

 ですが、とにもかくにも『言葉くらいは何とかわしてみましょう』とアリスは心に決めたのでした。


「あの、よろしいですか――」

「よろしくない」

 青虫はそう短くげたっきり、何の興味も見せてくれやしませんでした。ギクシャクする沈黙の後で、アリスはまた話を始めました。

「お願いなんですけど――」

「お願いなんぞ御免ごめんこうむる」

 青虫がそうキッパリと言い放つものですから、アリスはがっかりと肩を落としてしまいました。しかし、言われるがままに口を閉ざしても何の得もありませんので、アリスも今度は出来るだけ愛想良く話し掛けてみたのです。

「ま、まだ何も言ってないじゃないですか、青虫さん――」

「言わずもがなと、ワシはことあるごとに申しておる」

 青虫は堅苦しくそう答えると、こう付け加えました。

「ところで小娘よ、左様さような品の無い言葉なぞ使うものではないぞ。斯様かように礼儀知らずのことばかり申すのは、話し合いには相応ふさわしく無いのじゃ」

「で、でも、ちゃんとしたことしか言って無いと思うんですけど――」

「ちゃんとしてなどおらぬ。教えてやろう、お主の言うことはちゃんとしてなどおらぬ」

 青虫は腹を立てながらそう言いますと、アリスもつい大声を上げてしまいました。

「あなただって、とんでも無く『りて無い』じゃないの!」

 この叫び声には青虫もつい身を強張こわばらせてしまいました。ですが、青虫の怒りがもうすっかり頂点に達っしているのを目にするなり、アリスはあわてて言葉を付け加えました。

「あ、ええと……違うんです……『足りて無い』っていうのは……気配りのことで……別に頭が足りて無い……っていう意味じゃないんです……」


 それからアリスは『青虫なんかと口喧嘩するなんて馬鹿げているわ』と思い直し、謙遜へりくだりながら「本当に、何を言おうっていうんじゃ無いんですよ」と続けたのです。

 すると青虫は鼻を鳴らしました。

「小娘よ、何を言おうというでも無い、と言ったな。なら、お主と話をすることに何の意味があるというのだ。いつもいつも言いたいことも無いのに話をしていると云うのなら、お主の話など聞く価値も無いわ」

「え、そんな、誤解ごかいですわ、ちょっと――」

五階ごかいだと? お主なんぞに建築の話が出来るわけなかろう。そういう話には国家予算の談義が付きものだからの。そう、身の程をわきまえよ!」

「わけが分からないわ」とアリスは呟きます。

「分からぬなら教えてやろう。身の程をわきまえるというのは、しなびる――つまり「萎縮する」ということだ」

 講釈を述べ終わると、そのまま青虫は遠くの方を見つめ始めました。そう、まるでアリスの存在など忘れてしまったように――


「さようなら」

 しばらくしてそう呟いたアリスでしたが、胸の奥では青虫から『小娘、また会おうぞ』という言葉が返ってくることに淡い期待を寄せておりました。ですが、当の青虫はアリスの言葉にはちっとも耳を貸してくれません。アリスはしぶしぶ腰を上げて、遠くへと歩き出しました。

「ああ、よりにもよってお偉いさんがあんなのだなんて……」

 青虫が見えなくなると、アリスはそうひとりごちました。

 アリスは青虫の言うことなど全く理解しておりませんでした。

 なのに、青虫の方は『お偉いさん』らしいことを言えてすこぶる安心していたのです。


【脚注】

青虫……庶民院議長であるガーリー氏。

(※ Westminster Gazette誌の編集長J. A. Spender (1862~1962) による注釈)


【備考】

原題:『Alice at St. Stephen's』

初出:Westminster Gazette 1901/6/1

ルイス・キャロル『Alice's Adventures in Wonderland』(Advice from a Caterpillar)のパロディ

挿絵は諷刺画家 Francis Carruthers Gould (1844-1925)の作品(Public domain)


【訳者の解釈】

ウェストミンスターの議会を形成するのは貴族院(上院)と庶民院(下院)であるが、その庶民院の議長は演説者スピーカーと呼ばれる。演説者という名は、議論を交わす『国会』という場に非常に相応しい名称だと思うが、果たして其処で交わされる議論とは如何なるものであろうか。老練たる若手議長のウィリアム・コート・ガリー氏、聖ステファノ倶楽部に集う議員たち……彼らの口を飛び交っていたのは真の議論だったのだろうか、それとも根も葉もない言葉遊びに過ぎなかったのか。『お偉いさん』という言葉の抜け殻たちが、そこには集っていた。


余談であるが、聖ステファノ倶楽部(St. Stephen's Club)というのは庶民院の議員たちの社交場のことである。現在は国会とは少し離れているが、1901年当時は国会のすぐ傍に位置しており、天を仰げばビックベンを望むことが出来たであろう。


【風刺モデル】

〇青虫(The Caterpillar)

 庶民院議長:ウィリアム・コート・ガリー。自由党。


【余談(2023.10.21追記)】

F・C・グールドの挿絵を見るといくつか気になることがあったので、ここに書き残しておく。

ウィリアム・ガーリー庶民院議長を青虫になぞらえた挿絵をよく見てみると、青虫の傍に立つアリスのスカートには「MP」という縁取りがされていて、これはMP(member of parliament、庶民院議員)のことを指していると思われる。また、画角の左下に生えている二本のキノコは軍兜カブト、それも外地任務の英国兵が被っていた「ピスヘルメット」の形をしている。しかし、当の青虫議長はアリスにも軍兜のキノコにも目も向ける様子はないので、議会に集まる議員にも遥か彼方の南アフリカ戦争にも目を向けていないという風刺なのだろう。

そして、アリスの後ろに並ぶ鈴成りベルも気になる。これについては確証は無いのだが、おそらく英国大連合コモンウェルス諸国の議会で評決の時を告げるされるDivision bellのことだろう。「呼び鈴鳴れども聞く耳持たず」ということを揶揄していたのかもしれない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ