ダウニング街のどこかで
ダウニング街のどこかに迷い込んだアリス。その両隣りには、二つのチェスの駒――赤の女王と白の女王――が腰を下ろしておりました。
「お前さん、何の用だね? 持ち場はどこだい?」
赤の女王は出し抜けにそう言い放ちましたが、今度は優しげな口振りでこう続けます。
「そりゃねえ、お嬢ちゃんがアタシらの身内じゃないのは分かっているよ。だけどね、宮廷の連中じゃないなら野党連中の誰かなんだろう? まあね、野党と言っても沢山いるし、どいつもこいつも大した奴じゃないからねえ。一人ひとりの顔なんていちいち覚えちゃいないのよ。だから『何の用だね?』って尋ねたのさね」
「ああ、そうなんですか。ところで女王様たちはここで何してらっしゃるんですか?」
話をはぐらかそうとしてアリスがそう尋ねると、今度は白の女王が答えます。
「いえいえ、何もしていませんよ。エエ、本当に何も。赤の女王様はね、たまにご自分が意図した以上に話を広げたがるんですよ。気まぐれな女王様ですもの。そうそう、気まぐれ道楽と言ったら、ワタクシ、昨日なんて85回も回っておりましたのよ!」と白の女王は熱っぽく告げました。
「回るって、一体何のこと?」とアリスが尋ねます。
「決まってるじゃありませんか、ゴルフ場ですよ。ゴルフリンクを回っておりましたの」
すると横から赤の女王が口を挟んで来ました。
「ゴルフリンクねえ……そうだ、リンクと言えば山猫の別名はリンクスだねえ。お嬢ちゃん、博物学は得意かい? じゃあ問題だよ。ライオンから名声を取ったら、さあ、何が残るかね?」
「え、ええと……名声を取っちゃったんだから名声はもちろん残らないでしょう? ええと、そうなったらライオンさんは生きていくのも嫌になっちゃうかも。だって、名声が無くなっちゃうんだもの。きっと、何も残らないんじゃないかしら……」
「ちゃんと残るさ、この『アタシ』がね。何が起きたって、アタシは大英帝国の傍にいるよ」
赤の女王はキッパリとそう答えました。
「この子、博物学はあまり得意じゃないようね」
白の女王はそう漏らすと、続けざまにこんな問題を出しました。
「それじゃ、今度は私の番。お嬢さんに想像科学の質問でもしてみようかしら。じゃあ仮に……戦争みたいなことがずっと続いている国か土地に居ることにしましょうか。そしてお嬢さん、貴方は戦争を終わらせたいの。だけどどうしたら良いか分からない。サア、『何もしないで済む』のなら、お嬢さんは何をすればいいのかしら?」
「『何もしないで済む』じゃなくて『何かしなくちゃならない』だってばさあ。白の女王さんは、ときどき話をゴチャゴチャに引っ掻き回すねえ」
赤の女王が口を挟みましたが、白の女王は「ワタクシたちにとっては、どちらも結局おんなじことでしょう」と言葉を返しました。
アリスはじっくりと考えます。そして一言。
「諦めた方が良いと思うわ」
この無理難題を前に、アリスは賭けに出たのです。すると女王二人はハッと息を飲むなり両手を広げてアリスを非難し始めました。
「貴方、それは一番してはいけない答えですよ」
白の女王は厳しく言い放ちます。
「いいですか、模範解答はこうです。こう想像するのですよ。『もともと戦争なんて無かったのです――だから、じきに終わりが来ることでしょう』と。そう自分に『言い聞かせる』だけで良かったのです」
「だけど、『何もしないで終わる』戦争だなんてそんな……。女王様は想像力が欠けているんじゃないでしょうか? それに問題も変だわ。『何もしないで終わる』のに戦争は続いてたんでしょ?」
そう言ってアリスは反論しました。
「わけの分からないことを言っておいでだね、この小娘は」と赤の女王が言い捨てます。
「お嬢ちゃんは想像科学のことなんて何にも知らないんだねえ。それなら、政治経済学の問題でもやってみようかね。例えば、お嬢ちゃんが『老人年金の議案を出す』と約束したとするよ。さあ、お次は何をしたらいいのかね?」
アリスはじっくりと考えました。
「ええと、私が考えるに……」
「そう、お嬢さんが考えるのです。当然ですわ」と白の女王様がアリスの言葉を遮りました。
「ジックリシッカリとよく考えるのです。時には考えるのを止めたりしながら、何年も考え続けるのですよ。年金問題はね、ワタクシもずっと考えておりましたの。でも、どれだけジックリシッカリ考えたかなんて、お嬢さんにはお教え出来ませんわ。ワタクシ、今でも少しは考えてるんですのよ。そうですね、ワタクシの結論としては、年金制度の実施は……絶対に火曜日! これだけは譲れませんわ」
話の邪魔をする白の女王を無視してアリスは続けます。
「私が考えるに、まずやらないといけないのはお金を見つけることだと思います」
「おやまあ、残念。そんなのは政治経済じゃないよ。まずやらないといけないのはね、議題を取り下げるときの言い訳を考えるんだよ」
赤の女王がそう答えると、白の女王が不満そうな声を上げました。
「とても恐ろしくなるほどに無益な経済談義ですこと! 貴方たちのお話を聞いて、ワタクシ、酷く不愉快になりましたわ。ああ、野に下っていた頃のことを思い出してしまって……。ねえ、お嬢さん、慰みに何か歌って下さらないかしら?」
「何を歌えばいいんですか?」
「そうね、何か気持ちを落ち着かせるような……そうですね『仲を取り持つ唄』でも宜しいかしら?」
歌い始めるアリスでしたが、歌詞を少し間違えたまま歌ってしまったのです。二人の女王様はそれを聞いてどう思うのでしょうか。皆目見当もつきません。
この頃 耳にしますは皆の声
報道せらるる戦闘仔細
畏れ慄く国の民
我らの抱く民草の 投じし票のおかげにて
うたたね寝 夢見る自由を得たり
いまだ 耳喜ばしますは
躊躇いの叫び
退陣しまいや 辞めまいや
歌い終わると、アリスはびくびくしながら女王様たちの顔色を伺いました。しかし、女王は二人ともぐっすり眠っていたのです。
「この二人の目を覚ましてあげるには、大きな声で叫ぶしか無いんでしょうね!」
【脚注】
赤の女王……ジョセフ・チェンバレン氏。
白の女王……バルフォア氏。氏はゴルフをして時間を過ごすのが大好きだった、と記憶している。
年金制度……チェンバレン氏は年金制度の実施を公約として掲げていた。しかしながら、当時、その公約の実行の遅延やそれに対する言い逃れに対して野党側から猛烈な非難を浴びていた。
(※ Westminster Gazette誌の編集長J. A. Spender (1862~1942) による注釈)
【備考】
原題:『Alice Anywhere but in Downing Street』
初出:Westminster Gazette 1901/10/11
ルイス・キャロル『Through the Looking-Glass, and What Alice Found There』(Queen Alice)のパロディ
挿絵は諷刺画家 Francis Carruthers Gould (1844-1925)の作品(Public domain)
【訳者の解釈】
保守党と自由統一党の連立政権において、領土拡大と金鉱権の獲得のため南アフリカでの戦争を積極的に推し進めていたのは植民地相のジョセフ・チェンバレンであった。一方、老いた首相の代わりに大蔵卿のアーサー・バルフォアは南アフリカを巡る外交問題を担っていた。つまり、英国本土においてはこの二人の閣僚が第二次ボーア戦争を主導していたのである。しかし、残念ながら彼らは戦争の始め方は知っていても、上手い終わらせ方を知らなかった。1900年に南アフリカの二つの首都を陥落させ戦勝ムードの流れに任せて選挙で圧勝……と、ここまでは良かったのだが、それだけでは戦争は終わってくれなかった。1900年9月から始まるボーア軍によるゲリラ攻撃、対する英国軍による南アフリカの民衆を巻き込んだ焦土作戦……と戦争は泥沼化していく。英国市民の心中は「戦争はまだ終わらないのか?」の一言に尽きるわけであるが、当の二人の閣僚は戦争の終結案ではなく逃げ口上ばかりを考えている。『栄光ある孤立』を貫いた大英帝国の光は何処へ行ってしまったのであろうか。
【風刺モデル】
〇赤の女王(The Red Queen)
植民地大臣:ジョセフ・チェンバレン。自由統一党。
〇白の女王(The White Queen)
第一大蔵卿:アーサー・J・バルフォア。保守党。