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ウェストミンスターアリス  作者: サキ(原著) 着地した鶏(翻訳)
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パルメル街の出会い

「馬から落ちそうになったとき、どうすればよいか。ご存知ぞんじですかな? なるほど、ご存じない。では、私が教えてあげましょう」

 白色の騎士ナイトは『リクグン・ショー』という馬に跨り、道行く少女に語りかけました。


挿絵(By みてみん)


「とっておきの秘策ですぞ。まず、落馬しそうになったら、自分の馬を他の馬に寄せるのです。そして転がり落ちる前に、ヒョイとその馬に飛び乗ればよいのです。地面ではなく、別の馬の上に落ちてしまえば落馬することもないですからな」

 白騎士がそう言いましたが、アリスは首を傾げます。

「だけど、お馬さんを横に並べて走らせるのって難しいんじゃないのかしら」

「ええ、もちろん難しゅうございますよ。ですが、非常時のために我が軍はいつでも準備と対策をしなければならんのです。例えば……そう、南アフリカでの戦争がありましたね。お嬢さん、軍隊を指揮した経験はありますかな?」

 白騎士の問いに、アリスは首をブンブンと横に振りました。

「なるほど、左様さよう御座ございますか。なるほど、なるほど。いえいえ、私は違いますよ。私には、実際に大軍を率いてきた経験がありますから」

 白騎士は静かにこう言いますが、その口振りはすっかり陶酔に浸っているようでした。


「それじゃ、戦争に勝ったのは貴方あなたのおかげだったのね。ねえ、そうでしょ?」

「いえいえ、それは全く違います。『勝った』と結論づけるのはるのは早計ですし……それどころか終戦と断言することさえも出来ぬ有様ありさまでしてね。ええ、完璧に勝利したわけでは無いのですよ。正直なところ、戦争はまだ終わっていない、と私は思っております。ですが、お嬢さんには分からないでしょうね。ご存知ですかな、きちんとした戦争を始めるためには、如何(いか)ほどの用心を重ねなければならないのかを」

 そして白騎士はこう言い放ちました。

「失礼を承知で言わせてもらいますが、よろしいですかな。この戦装束いくさしょうぞくを見ても、お嬢さんは何のことだかサッパリ分かっていないのでしょう?」

 そのときアリスの頭には疑問符が一つ、確かに浮かんでいました。なにしろ馬のくらげられた武器や道具はどれも古臭く、実戦で役に立つようにはとても見えなかったものですから。それに当の白騎士はというと、どうにも居心地の悪そうにして馬にまたがっておりました。よく見れば、仰々(ぎょうぎょう)しい赤いひも飾りのせいで、馬の足取りはなおさら重くなっているではないですか。

「ああ、分かったわ。きっとあれより速いと、白騎士さんは馬から落っこちちゃうんだわ」

 言葉にこそ出しませんでしたが、アリスは心の中でそう呟きました。


 どこか遠くの方を見つめながら、白騎士は夢現ゆめうつつな声を出します。

「オホン。先日、とある本を読みましてね。そこには『近代的な軍事技術の下では従来の戦争などは不可能である』と書かれていたのです。お嬢さん、想像してみてごらんなさい。新式の武器や兵器が跋扈ばっこするような戦況では、昔ながらの騎兵や歩兵の銃剣突撃なんて、まったく意味を成さなくなるのです。ええ、今まで通りの戦場風景が滅茶苦茶めちゃくちゃみだされてしまうのですよ。そうなると我が兵はどれだけ心を掻き乱すことでしょうか? きっと多くの兵士が、みんな全てを投げ出して、そのまま祖国に帰ろうとするでしょうな。しかし、それでも私はそのような状況に頭を悩まし、心を砕いてきたので御座ございますよ。もっとも、お嬢さんには私がしていたことなど決して分かりはしないのでしょうが……」


「ねえ、貴方は戦争に行ったのよね、当たり前かもしれないけど――」

 アリスがしばらくジッと考え込んでから口を開くと、白騎士は馬を止めて言いました。

「ええ、その通りです。ですが、近代的な戦争では御座ございませんよ」

 静寂の中でその言葉は良く響き渡っておりましたが、白騎士はそれに愉悦を感じていたのかもしれません。

 アリスが息つく暇もなく、丁寧な口調で白騎士は話を続けます。

「ふむ、そうですねえ……お嬢さん、この鞍に提げている小さな銃が見えますかな。この銃は射程がひどく短いのですが、私が戦地に届けたのはまさしくこういった類の銃なのです。この理由がお分かりですかな? それはですね、安全だからですよ。もし仮に、我が軍の武器が敵の手中に落ちてしまったとします。ですが、この銃ならどうです? 全く使い物にならないから安全でしょう。この作戦を考え出したのは、何を隠そう、この私なのです」

「貴方の言うことは良く分かるわ。だけど、こっちが攻撃するときはどうするの? そんな銃じゃ敵の所には届かないでしょうに」

 アリスが重々しく口を開くと、白騎士の顔には困惑の色が浮かびました。

「ええ、それは御尤ごもっともに御座ございます。しかし、それでも私は危険な武器を敵の手元に置くような真似まねはしたくなかったのですよ。それに、もし戦地で我が国の海外保護領バストランドが反乱を起こした時のことを想定しても、あそこの連中との縁を切るにはその程度の銃で十分だったのです。ええ、まあ、もちろんバストランドは蜂起なんて起こしませんでしたが、それでも可能性だけはありましたからね」


 するとそのとき、さきほどまで足を止めていた馬が急に歩き始めたのです。馬上の白騎士は落とされないよう咄嗟とっさたてがみを掴みました。

「馬の、悪い点は、こういうところ、なのですよ」と白騎士は言い訳っぽく語ります。

「馬が動き出しますと、思いがけないような酷いことが色々と起こるものでしてね。正直なところ、出来ることなら馬はなるべく使いたくないのです。……ですが、いざ馬から降りようとしても、この馬は言うことをちっとも聞いてくれないのですよ」

 そして、悩ましげな声で白騎士は続けます。

「あ、そうそう、クレシーの戦いをご存知ですかな。かの百年戦争の一戦なんですがね、そこで一番活躍したのは騎兵では無く、なんと歩兵だったのですよ」


「だけど、馬がいなかったら、どうやって戦場と戦場を行ったり来たりするの?」

 アリスがそう反論すると、白騎士は熱く語り始めました。

「いいですか、お嬢さん。あちこちに移動する必要など無いのです。これこそが馬の無い戦争の魅力でしてね、兵の移動する範囲が狭ければ狭いほど、持っていく地図も小さなもので済むのですよ。地図はかさ張らない方が有り難いですし、軍資金もあまり多くはありませんからね。それに、私は地図を読むのが少しばかり不得手ふえてでして……」

 それから白騎士は明るい声で「ですが、地理でなくて外国語なら得意ですよ」と付け加えました。

「だけど、地図に載ってない所で敵が攻撃をしてきたら――」

 どうしても喰い下がろうとするアリスの言葉は、陰鬱そうな白騎士の声に遮られました。

「……ハイ、確かに、その通りで御座います。南アフリカでの戦闘はまさしくそれでした。普通の地図には載ってもいない名も無き場所に、彼ら農民兵ボーアの大軍が現れたのです」


「ですが、お嬢さん。どうしてそんな道らしき道も無いような土地に、彼らは辿り着くことが出来たのでしょうか?」

 そう呟いたきり、白騎士は口を閉ざしました。アリスがそばに歩み寄ると、穏やかな瞳を少女に向けました。すると、白騎士の口からうつろな声がこぼれ落ちました……。

「実は、彼らも馬に乗っていたのです。施条銃ライフル片手に、馬を疾走はしらせていたので御座ございます。彼らはもはや死にくだけの田舎兵ではありませんでした……ええ、機動力を手にした騎乗歩兵だったのです」

 白騎士は感情の激しいたかぶりに身を震わせておりました。それはもう今にも鞍の上から落ちるのでは無いかというほどに、ブルブルと震えていたのです。

 そして、とうとう転がり落ちると思った瞬間、白騎士のすぐ横に別の馬がいることにアリスは気付きました。きっと白騎士は例の秘策のように、落馬するより前にその別の馬に飛び移るつもりなのでしょう。アリスはホッと胸をで下ろしました。


挿絵(By みてみん)


 土煙がもうもうと舞い上がっていましたが、アリスは白騎士の様子をじっと眺めておりました。『ガイム・ショー』という名の書かれた新しい馬の手綱を一纏ひとまとめにつかみ取りますと、白騎士はアリスを見てとても愛想よく微笑ほほえんで大声でこう言いました。

「馬と言うのは決して扱いやすい生き物では御座ございません。しかし、優しく撫でて外国フランス語で語りかけてやれば、きっと私の行きたいところを察してくれることでしょう」


 それから白騎士は希望を込めて次のように付け加えました。

「私の思いが伝われば、この馬もそこへ足を向けてくれるでしょう。外国フランス語に明るく温厚であれば、困難が沢山あろうとも一つの道に出会うことが出来るものですよ」


 鞍の上に落ち着かなそうに座っている白騎士を見ながら、アリスは心の中で呟きました。

「あーあ。他にも人は沢山いたのに、白騎士さんに出会うんじゃなかったわ。時間の無駄ね」


【脚注】

白騎士……ランズダウン侯爵。陸軍大臣(任期1895年~1900年)を経て、当時、外務大臣を兼任していた総理大臣ソールズベリー卿の後任として1900年9月に外務大臣に着任。

諷刺漫画で、たてがみの付け根に外務省と刻まれた馬は、フランス語に長けていると評判のランズダウン候の語学力を示唆している。

(※ Westminster Gazette誌の編集長J. A. Spender (1862~1942) による注釈)


【備考】

原題:『Alice in Pall Mall』

初出:Westminster Gazette 1900/11/5

ルイス・キャロル『Through the Looking-Glass, and What Alice Found There』(It's My Own Invention)のパロディ

挿絵は諷刺画家 Francis Carruthers Gould (1844-1925)の作品(Public domain)


【訳者の解釈】

ボーア戦争とは英国軍にとって辛酸を舐めさせらるような戦いであった。

一方は大英帝国謹製の綺麗な赤色の制服を着揃えた近代軍であり、もう一方は服の柄もまばらな農民ボーア軍である。これでは戦う前から勝負が決まっているように思えるが、実際は違った。

第一次ボーア戦争ではその赤い軍服が射撃の標的となって英国軍はボーア軍に敗北している。第二次ボーア戦争では英国軍はボーア軍の包囲により籠城戦を余儀なくされた。籠城戦を脱してトランスヴァール共和国とオレンジ自由国の首都を陥落させた英国軍ではあったが、ボーア軍によるゲリラ攻撃に一年近く苦しめられることになった。


清国やインド、アフガニスタンなど多くの植民地を手にしていた大英帝国軍が、南アフリカという辺境の地の田舎軍に苦しめられる。そんな状況を目の当たりにした英国市民の動揺は如何ほどのものであったろうか。そして政府に向けられた市民の不満は、陸軍大臣へと焦点が絞られたのである。当時の陸軍大臣であったランズダウン侯爵(白騎士)は戦争準備の不徹底を糾弾され、その座を退くこととなった。ただ、陸軍大臣を辞職した彼はそのまま流れるようにして外務大臣の職に就いたのであった。まるで馬から馬へ飛び移るかのように、である。

(物語の最後に白騎士が「フランス語云々」と語っているのは、当時の国際的な共通語がフランス語だったということが背景にある)


ただし、19世紀末という時代が軍事技術や戦闘形態の変化の過渡期であったことを鑑みると、戦争準備の不備をランズダウン侯爵だけに負わせるのは少し不憫である。というのは訳者の私見である。なお白騎士が読んでいた本は「Is War Now Impossible?(1898)」で、その著者イヴァン・ブロッホは軍事や経済を含んだ戦争形態の変動について論じている。(ただ、ブロッホの説は当時あまり受け入れられていなかったそうであるのだが)


【風刺モデル】

〇白騎士(The White Knight)

 陸軍大臣→外務大臣:ランズダウン侯ヘンリー・C・K・ペティ=フィッツモーリス。自由統一党。外務大臣ペティ=フィッツモーリスと言えば日英同盟(1902)で有名であるが、それはまた別の話。


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