序文(1927年再編版より)
ウェストミンスターガゼット誌 元編集長 J. A. スペンダー記す(※1)。
ウェストミンスターガゼット誌に限っての話だが、あの「サキ」という男を見つけてくれたのは、他ならぬ諷刺漫画家のF・C・グールドだった。先生方がどういった経緯で知り合ったのかは私の知るところでは無いが、あの日のことは今でもはっきりと思い出せる。そう、あれは1900年だったろうか。グールド先生は編集部に「あの男」を連れて来て、私の部屋の扉を叩いた。そして部屋に入るなり、先生は新しい記事の話を始めるのだ。先生が「誰それが文を書く」「あれこれが絵を描く」といった風に話を進める一方で、連れて来られた「サキ」なる男は口数も少なく、話の方は先生にほとんど任せきりだった。いや、そもそも、この男の口から何かしらの言葉を引き出すには、こちらから根掘り葉掘りと話を深く切り込まないといけなかった。けれど時偶、その男の口から飛び切りの辛辣な言葉が飛び出し、その上その言葉は稀有なほどの独創性に満ちていたのだ。それからしばらくして、グールド先生がこの男のことを『掘り出し物』と誉めそやすのも無理はないと、私は妙に納得したものだった。そう、その日、その男の口から飛び出た構想こそが、後の『ウェストミンスターアリス』だったからである。
さて、この度、再版の運びとなった『ウェストミンスターアリス』だが、本書は大雑把に言ってしまえば、「南アフリカでの戦争」と「それを巡る政治家たち」についての諷刺小説である。ただ、この作品を単に諷刺と言い切ってしまうのには、私自身、疑念が残る。むしろ、これは「アリス・パロディの傑作」として評価すべきではなかろうか。これまでも私のところには、あの有名な「不思議の国のアリス」のパロディが何作も何作も持ち込まれてきたが、蓋を開けてしまえば、みんながみんな悲惨な失敗作だった(まあ、これはどこの出版社でも同じような状況だったとは思うが)。往々にして、こういった類の作品は、非の打ちどころのない完璧な成功作か、涙が出るほどに酷い大失敗のどちらかしかないのである。つまり、『完璧な成功』を手にするには、単に形を真似るだけでは駄目なのだ。原作が持つ唯一無二の幻想的な感覚、その魂が感じられなければ、とても『完璧な成功』とは言えないのである。だからこそ、『サキ』はその数少ない成功者の一人と言えるだろう。それを疑問に思う者はない。また、政治諷刺というのは一度世に出てしまえば、普通は数ヶ月もすれば死んでしまうものだ。なのに、初刊から25年経った今でも、この『ウェストミンスターアリス』は生き生きとして、キラキラと精彩を放っているのである。
また、本書に収録されている作品に関して、その政治諷刺や隠喩について、私が改めて解説してみせる必要は無いと思う。例えば『パルメル街のアリス』に登場する白騎士をご覧あれ。彼は、今も昔も変わらない陸軍大臣の姿そのものである。「任期の間に戦争が起こる」なんて想像もしていない政治家の姿そのものだ。白騎士殿は威風堂々たる面持ちで『1899年という年は予想外のことが起きた年でありました。そしてその予想外の年に、たまたま私が偶然にも陸軍相という馬の鞍に腰をかけていただけなのです。それだけのことなのでございます』という態度を取り、その顔には老練さが浮かぶ。もはやここまでくると、単なる不運としか言いようがない。赤い紐飾りに身を包んだ白騎士の名馬は、羽飾りを帯びた老将校や王侯貴族が拵えてくれた軍馬装束で、さらにその身を飾り立てる。そして、官公庁の古い厩舎を飛び出して、まっすぐと歩みを進めるのだった。
また作中で白騎士は哀しい憂鬱を顔に浮かべていたが、キャロルの原作と同じように、咄嗟に思い付いた素晴らしい妙案でそんなものは叩き壊してしまった。これについては少し説明が要るだろうから、補足しておこう。本書をよく読み込んでくれた読者諸氏なら気付いていただけると思うが、あの挿絵に描かれている白騎士は、鞍に『ブロッホ著:戦争は不可能なるや?』と書かれた本をぶら下げているのだ。エミール・ ブロッホ氏はベルギーの戦略研究家であり、11巻にも及ぶやけに手の込んだ戦術書を書いた男である(※2)。ブロッホ氏は「陣幕の内の参謀幕僚が思い描いている戦闘」と「近代的戦闘」が異常なほどに異なっていることを証明するために、その戦術書の中で近代戦について多少なりとも広い視野で論じあげている。そして、本国のジャーナリストであるW・T・ステッド氏の精力的な執筆活動のおかげで、この11巻もの書物は胃もたれせぬよう噛み砕かれ、1冊の本にまとめられた。その本のタイトルこそが『戦争は不可能なるや?』である。さて、「パルメル街のアリス」の挿絵にステッド氏の訳本のタイトルを掲載したところ、それを見たブロッホ氏が全11巻の原著を我が編集室に送りつけてきたのである。ブロッホ氏は「今の戦争が昔のものと大きく異なっていているとはいえ、私は戦争が不可能になると言いたかったわけではない。いくつかの問題さえ解決すれば、それこそ戦争は賢明で先見の明あるものになるであろう」と仰る。それを伝えるためだけに氏は自分の本を送ってきたらしい。いや、しかし、この11冊のブロッホ全集が送られてきたのが、『ウェストミンスターアリス』の出版後で本当に良かった。というのも、これが「サキ」の目に触れれば、きっと彼はこれ幸いにと、ブロッホ氏を糾弾するような、ここ一番の強烈な一撃を呟いたはずだからだ。
×××
「さあさて、先日、とある本を読みましてね。そこには『近代的な軍事技術の下では従来の戦争などは不可能である』と書かれていたのです。お嬢さん、想像してみてごらんなさい。今までとは違う戦場で、我が兵はどれだけ心を掻き乱すのかを きっと多くの兵士が、みんな全てを投げ出して、そのまま祖国に帰ろうとするでしょうな。しかし、それでも私はそのような状況に頭を悩まし、心を砕いてきたので御座ございますよ。もっとも、お嬢さんには私がしていたことなど決して分かりはしないのでしょうが……」
「ねえ、貴方は戦争に行ったのよね、当たり前かもしれないけど――」
アリスがしばらくジッと考え込んでから口を開くと、白騎士は馬を止めて言いました。
「ええ、その通りです。ですが、近代的な戦争では御座ございませんよ」
静寂の中でその言葉は良く響き渡っておりましたが、白騎士はそれに愉悦を感じていたのかもしれません。
アリスが息つく暇もなく、丁寧な口調で白騎士は話を続けます。
「ふむ、そうですねえ……お嬢さん、この鞍に提げている小さな銃が見えますかな。この銃は射程がひどく短いのですが、私が戦地に届けたのはまさしくこういった類の銃なのです。この理由がお分かりですかな? それはですね、安全だからですよ。もし仮に、我が軍の武器が敵の手中に落ちてしまったとします。ですが、この銃ならどうです? 全く使い物にならないから安全でしょう。この作戦を考え出したのは、何を隠そう、この私なのです」
×××
思うに、世には政治を諷刺した小説が多くあるが、この『ウェストミンスターアリス』のように短期間で成功をおさめたものは私の記憶には無い。本書は至るところで引き合いに出され、市街中をみな笑いに包み込んだ。当時は、それまで長く続いていた『戦勝狂喜』などはもう民衆の心から消え去り、人々はボーア戦争を巡る政府の不始末に対して徹底的に憤っていた。ゲリラ戦の頃になると、どう見てもダラダラ続けているとしか思えないような延長戦に、人々は苛立ちを隠せなかった。ただし、本書のようなチクリと刺さる諷刺や冗談まで禁じられることはなかったから、状況はさほど悲劇的なものでは無かったと言えよう。
敢えて解説する必要も無かったと思うが、「パルメル街のアリス」はそれだけで雄弁に政治諷刺を語っている。そして、「ランベス宮殿のアリス」についても同じことが言えると思う。一応、補足しておくが、グールド先生の挿絵の中で、抗議新教と書かれた鍋をかき混ぜているのはサミュエル・スミス議員である。そして、類稀なる独特な風貌の公爵夫人に扮していたのはカンタベリー大主教を務めていたテンプル博士であった。「ランベス宮殿のアリス」は終幕を迎えたが、幕が降りた後では、この二人はきっと抗議新教と英国国教会が互いに手を取り合えるような安息の地に辿りついた……のだと、私は信じたい。だが残念ながら、ランベス宮殿と名付けられた騒がしい厨房では、20世紀に入ってから現代に至るまで、相も変わらぬ困難に直面しているのだ。今代の新しい大主教様も慈愛に満ち溢れてはいるものの、昔の大主教様とほぼ同じような苦境に陥っている。ただ、グールド先生がテンプル大主教を好んで、良く諷刺画をしたためていたが、この新任の大主教様には全く以て興味が無く、画題にすらしてないということだ。
『聖ステファノ倶楽部のアリス』も現代に通ずる普遍的なテーマを扱っている。この小話は、庶民院議会のガーリー議長に宛てて書かれた諷刺である。弁護士然とした彼の頑固で融通の利かなさを取り上げ、多くの平議員の神経をすり減らしてきたその堅苦しい性格を鋭く非難しているのである。ただ、出自がどうあれ、庶民院議会の議長になる者にとっては、この青虫(ガーリー議長)の立ち居振る舞いは多いに参考になるのではなかろうか。なにしろ、この青虫の行動は、自己保身のための緻密な戦術の良い例なのである。庶民院の議員席から引き摺り落とされたくないのなら、誰ぞ名の知れた小官吏を非難するときには、この青虫戦術を駆使するべきだろう。
他の話も、よりいっそう時事的で話題に富んでいる。この作品が執筆された当時の政情を読者諸氏に伝えるため、この新装版では、私も筆を執り少しばかり脚註を書き添えてみた。そのうちのいくつかはここでも言及している。
この新装版の第一話目にあたる「ダウニング街のアリス」が執筆されたのは1900年7月のことで、その少し前に、英国陸軍はボーア人たちの居城であった首都プレトリアの陥落に成功した。だが、首都が陥落したにも関わらず、戦争は終わる気配を見せず、英国市民は不安を募らせるばかりだった。「ダウニング街のアリス」はそうした人々の不安な心情を反映したものである。未だ続く戦争を前に、果たして、人々は誰に怒れば良いのだろうか。ボーア人に腹を立てれば良いのか。それとも、英国内にいる親ボーア派の連中を糾弾すれば良いのか。あるいは、英国政府に憤慨するべきか。ボーア戦争に対する国民感情の矛先は、この戦争が勃発して以来、永らく議論の的であった。
英国政府に限っていえば、国民たちは、もはや我慢ならんとばかりにその怒りを爆発させたものである。そして、その怒りの矛先は、「サキ」が諷刺譚の中で「ボンクラ馬鹿」と皮肉っていた第一大蔵卿のバルフォア氏に向けられたのであった。ここで私は思うのだが、この話からはもっと詳細な史実が見て取れるのではないだろうか。つまり、バルフォア氏は幾度となく苦境に立たされ、それをずっと耐え忍んできたものの『哲学的な懐疑主義者』なるレッテルを貼られるに至ったわけである。政府の態度に、これ以上ないというほどの苛立ちを見せていた当時の国民の間では、「世の中が悪い」と言って被害者ぶるような風潮が流行っていた。よもや、そんなことになるとは、世の識者の誰も予期出来なかったのである。そのうえ、南アフリカでは敵が新式の銃を所有し、巧みに馬を乗りこなし、すさまじいまでの機動力でもって逃げ足速く立ち回っているらしいではないか。そんな事実が公になると、国民たちは心の底から驚愕してみせた。バルフォア氏に貼られたレッテルは、そんな国民感情の集約だったと言えるだろう。
一方その頃、政府の長たる、かの有名なソールズベリー侯爵は、「我、関せず」という風に、ただひたすらに孤高の存在であろうとしていた。だからこそ、本書では、安直だとは思うが、ソールズベリー侯を熟睡した王様の姿で描き、終わりの方では「キチガイ帽子屋のお茶会」に登場する「居眠りのヤマネ」として描写した。そしてその間に、手ごわい赤の女王様(ジョセフ・チェンバレン氏)が怒りに任せて荒れ狂いながら、森を駆け抜けていくのであった。その甲高い声で「世論を軍服色に染め上げよ」と命じながら、穏やかで気難しい同僚の脊髄に戦慄を送りつけているのである。
そのすぐ後にあった1900年の「カーキ選挙」を経て、不思議の国の生き物たちは、批評家や諷刺家に見事打ち勝ち、今までよりもさらにいっそう独善的になっていった。だが、彼らは「何故、戦争をまだ続けなければならない」理由を説明するという困難に直面することになる。というのも、敵国の首都プレトリアを陥落させた際に「戦争は終結した」と発言してしまったからだ。けれども、アリスが何かにつけて根掘り葉掘りと知りたがる少女に成長していく一方で、彼らはクリスチャン・サイエンスに逃げ、目を閉じ眠りに落ちるだけであった。
また「サキ」は、当時の野党であった自由党についても新たに書き綴っている。1900年から1901年にかけて自由党は、「自由主義の魔物 (自由党帝国主義派)」と呼ばれる前党首と「親ボーア派」の現党首の間に挟まれ、暗黒期とも言える苦境の中にあった。その現党首は、後に首相となって唯一無二の権威を誇るキャンベル=バナマン党首だったが、この頃はまだ何の権威も勝ち得ていなかった。「サキ」の手によって彼は、徒に自分の気持ちを帳面に書き綴る困惑の白の王様に姿を変えた。そして、赤の王様(ローズベリー伯爵)が「薔薇色の鎧が少し錆びつく」くらいの永い眠りを経て、ガチャガチャと音を立てながら、かの有名なチェスターフィールドの演説(1901年12月16日)で目を覚ましたのである。赤の王様が目を覚ますと、白の王様の家臣たちは流れるようにして赤の王様の後を追うのだった。本書に収録されている最後の諷刺画では、色んな庭師(ウィリアム・ハーコート卿やエドワード・グレイ卿、ロイド・ジョージ氏)が、それぞれ庭木の薔薇の自分の色に染めようと躍起になっている。この諷刺画は、チェスターフィールドの演説の解釈を巡って起こった一風変わった論争のことを伝えようとしている。
政治小説「ウェストミンスターアリス」を執筆した「サキ」であったが、彼がウェストミンスターガゼット誌の政治面を担うことは無く、彼は「サキ党」で彼の思うままに文章を書き綴っていた。どちらかと言えば、その上品な嘲笑を通じて自身の心の内を多少なりとも知ることが出来る機会を得たことを、彼は楽しんでいたのだと思う。
また、本書の挿絵を担当してくれたF・C・グールド先生についても言及しないわけにはいかない。「サキ」がルイス・キャロルの魂を巧みに掴み取ったように、グールド先生も先生らしい大雑把な筆でジョン・テニエルの魂を捕まえたのである。この二人の共作の中には二人の喜びがあって、作品が生み出される前の長い長い議論があったことを私はよく覚えている。私の目には、グールド氏が描いた口絵が、小さいながらも傑作として映る。この小さな空間に詰め込まれた多くの登場人物や、この諷刺画で扱っている時代の味わいに、どこで誰が気づいてくれるのだろうか。それだけは私にもわからない。
J. A. S
【訳者の解説】
※1 本訳の底本である「The Westminster Alice」はロンドンの政治新聞ウェストミンスターガゼット誌に1900年7月から1902年1月まで連載された政治諷刺小説である。今でこそ「短編小説の名手」として有名な「サキ」ことヘクター・ヒュー・マンローは、この頃はまだ無名の新聞記者にすぎなかった。この無名な記者の新聞連載が「The Westminster Alice」というタイトルの1冊に纏められ出版されたのは存外に早く、1902年のことであった。グレシャム出版から出たこの初版本は、諷刺漫画家のF・C・グールドの挿絵とサキの諷刺小説が載っていたが、注釈や時代背景の解説などは一切なかった。その数年後、サキは小説家として名を成し、「クマのプーさん」のA・A・ミルンや「ジーヴス」のP・G・ウッドハウスを魅了するに至り、第一次世界大戦のフランス戦線で凶弾により命を落とす。そのサキの死後、ウェストミンスターガゼット誌の元編集長であったJ・A・スペンダー(1862-1942)の手によって、再び「The Westminster Alice」は日の目を見ることになる。政治諷刺小説の賞味期限は短く、二十数年前の事件やニュースなど誰も覚えていないため、スペンダー元編集長は諷刺小説のひとつひとつに連載当時の政情を解説した脚注を付け加え、初版ではバラバラに収載されていた各小話を時系列順に並び替えた。こうして一過性の時事小説に過ぎなかった「The Westminster Alice」は「再編版(Collected Edition)」として1927年に新たに出版され、百年たった現代まで読み継がれる作品となった。この「序文」は、この1927年の「再編版」を刊行するにあたって、スペンダー元編集長が連載当時を振り返って記述したものである。
※2 「Budushchaya Voina(これからの戦争)」または「Is War Now Impossible?(戦争は不可能なるや?)」の著者として知られる戦争研究家イヴァン・ブロッホ(ヤン・ブロッホ、ジャン・ブロック)のこと。事業家でもあったブロッホは普仏戦争(1870-1871)をきっかけにして、近代的な戦争の研究を始め、その研究成果をロシア語で以て記述し「Budushchaya Voina」のタイトルで出版された。これは、金銭の動きまで含んだ近代における戦争形態の変容について論じており、英国のジャーナリストであるウィリアム・T・ステッドの手によって英訳され「Is War Now Impossible?」のタイトルで英国本土に広まった。このイヴァン・ブロッホというポーランド系ユダヤ人はロシアを拠点として活動していたのだが、本稿では「エミール・ブロッホ」なる「ベルギー人」として記述されている。これがJ・A・スペンダーの勘違いなのか、それとも意図的なものなのかは分からない。また、J・A・スペンダーが語るに、イヴァン・ブロッホがウェストミンスターガゼット社の編集室に「戦争は不可能なるや?」の全集11冊を送り付けてきた、と書いてあるが、「Budushchaya Voina」は全6冊の書物と言われている。果たして、これもJ・A・スペンダーの虚構なのか、それとも別言語の版なのかは、不明のままである。
【余談(2023.10.21追記)】
「The Westminster Alice」には1902年刊行の初版と1927年刊行の再編版があるのは前述したとおりだが、本拙訳は基本的に初版の掲載順に従っているし、この序文を冒頭に持ってくるのはわりとネタバレを食らってしまいリズムも悪くなってしまうので後ろの方に持ってきた(2016年~2023年にかけてはこの序文が最初に来ていた)。やはり「巻頭歌」で始まる方が個人的には好きなので。




