第一章 喜劇は繰り返す(1)
第一章 喜劇は繰り返す
「…ルイ、起きなさい。…よし、まったく起きないわね。これはもう何をしても許されるわよね」
「ケケ、起こす気ねークセによく言うぜ」
「ちょっと静かにしなさいディア! 起きちゃうでしょ!」
…なんかよからぬ企てをする二人組の会話が聞こえた気がするけど、一分一秒でも長く睡眠時間を取りたい盛りのオレは、そんなことはまったく気にも留めずに朝の惰眠を貪っていた。
春眠は暁を覚えないと孟浩然先生も仰ってたから仕方のないことではあるよね。
「…フフ、じゃあいくわよ……夜更かしには罰を、寝坊には死を! 《水差しより零れ落ちる黎明》!」
「ぶぼぶぶぶぶばばはぁッッ?!! な、なんぶぶぶぼばぶぼぼ!!」
突如として顔面を襲った冷水に鼻と口を塞がれ、パニックのまま起き上がろうとしたオレは、だれかに肩を押さえつけられているらしく起き上がることがかなわず、上空のヤカンより降り注ぐ冷水を、ヤカンが空になるまであわれにも顔面で受け続けた。
「げぼほぉッ!! ぶはッ! ごほっげほっ…!」
ヤカンからの放水が終わり、肩の固定からも解放されたオレは、うずくまってひどく咳き込む。
そんなかわいそうにもほどがあるオレにむかって、大惨事を引き起こした張本人が快い笑顔で挨拶をしてきた。
「おはよう、ルイ。とてもいい朝ね」
朝の到来を告げる少女はその紫の美髪をふわりとなびかせ、金色の澄んだ瞳でオレをやさしく見つめる。
この世ならざる美の体現者である少女を前にして、オレは、
「…なにもよくねーよ! オレ史上まぎれもなく最低最悪の目覚めだったよ!!」
今しがた覚醒したばかりとは思えないテンションでその少女を叱咤した。
「なんだよコレ!? なんで寝てる人間の上から水注いでんの?! ヤカンの水ごときで溺死するところだったよオレ!」
「あら、心外だわ」
オレの抗議に機嫌を悪くしたのか、少女がその端正な顔を歪めてみせる。
「ただの水なんて芸のないことはしないわよ。これは砂糖水よ」
「なお悪いわ!! うわマジでべたべたしてきた! もうホントなんなんだよおまえ!」
「…? ジルよ?」
「知ってんだよ!!」
「まぁ、あなたが訊くから答えたのに。わたし理不尽なひとって苦手だわ」
そう言ってジルはやれやれとでも言わんばかりに溜息をつき、肩をすくめた。
…なにコイツすごいむかつく。
「なんだか『なにコイツすごいむかつく』という顔をしているけれど、わたし、一度はちゃんと声をかけたのよ? それで起きなかったあなたを起こしてあげたんだから、むしろ感謝してほしいくらいだわ」
「え? そうなの?」
「ケケ、まーウソはついてねーわな」
オレの問いに答えてくれたのは、少女の隣でふわふわと浮いていたドクロだ。
ザ・怪奇現象というべき物体を前にしても、オレは腰を抜かしたりはしない。
「ガイコツまで…。てかおまえ見てたなら止めろよ!」
「ケケケ! 面白そーだったからついよ」
寝てる人間が顔面に砂糖水注がれてる絵を想像して面白そうなんて思うヤツは人格が破綻してるぞ。
…いや、実際すげー面白そうだけど、当事者の笑えなさもすげーんだぞ。
部屋着から甘い匂いがプンプンしてる。
「うー…まぁ、一度ちゃんと起こしたって言うならしょうがないか……ないか?」
「しょうがないでしょうね」
「…しょうがないかな? 一度起こされて起きなかったからって、砂糖水でべたべたにされるのはしょうがないカテゴリーに入るのかな?」
「それはもう。余裕でカテゴライズされるわよ。ねぇディア?」
「ケケ、もう七秒くらいでカテゴられるな」
「そ、そうかな…オレがおかしいのか…?」
てかカテゴられるってなんだよ。
しかも七秒って実は結構時間かかってるだろ。
カテゴった人腕組みしてじっくり考えただろ。
しかしオレのそんなツッコミを口に出す前に、しびれを切らしたジルが仕方なさそうに開口した。
「もう、サヤに言われて《朝焼けを焦がれる蜜月》は勘弁してあげたんだから、そのくらいで納得しなさいよ」
「ちょっと待て! なんだその廚二全開ネーミングの技は!? ホントはなにしようとしたんだ!?」
「まぁ、ただ《水差しより零れ落ちる黎明》を可能な限り熱くしただけの技なんだけれど、ヤケドするからダメだってサヤが」
「サヤの言を聞くまでもなくダメに決まってんだろーが!! おまえ嫌がらせの達人だな!」
「フフ、この程度で達人だなんて…過ぎた賛辞だわ」
「ほめてねーよ皮肉だよ! おまえ、羨ましいくらいポジティブだな!」
「……それは…?」
「皮肉だよ!!」
こうして、高校生が普通に暮らしていれば朝から口にするはずはないだろう単語を声高に叫びつつ、オレはバスルームに駆け込んだのだった。
やぁ、久しぶりだな読者諸兄、オレだよ、星見ルイだ。
今は朝から居候に砂糖水をぶっかけられるというありえない理由でシャワーを浴びてるけど、それ以外はなんの変哲もない一般的な男子高校生だ。
ちなみに今日は平日で思いっきり学校があるからすげー焦ってシャワー浴びてる。
「あーくそ! なんでアイツは普通の起こしかたができないんだ、いっつもいっつも!」
オレは乱暴に髪を洗いつつ、先ほどの騒動を起こした少女の悪態をついた。
「昨日は鼻と口をボンドで埋められたし、その前は髪の毛燃やされたし、オレそこまでされることしたか?!」
もう悪質なイタズラどころか殺人未遂の域だ。
まぁ、そんな事件が立て続けに起こってるのに目覚ましすら使わないオレもオレかもしれない。
「……。そういや、アイツがうちに来て、もう一週間になるのか…」
アイツ、もといジルは、魔王になるためにこっちの世界にやってきた魔界のお姫様で、ガイコツはそのお付きらしい。
……いや、一週間前の騒動を知らない人が聞いたら『え、ちょっとヤダこの人なにかヤバイものでも食べたのかしら』ってなるだろうけど、これマジだからね?
しかもその一週間前のアレコレで結果的に今はオレが魔王ということになったらしい。
正気の沙汰じゃない。
そんなこんなで、オレから王位を奪おうとする悪魔や、魔王を討伐しようとするヤツらからの襲撃にびくびくしつつ、再び王位継承に挑戦するまでオレの家に住みつくことになったジルたちといっしょにこの一週間を過ごしてきてわけだけど、まぁ拍子抜けするほどに何もなくてなんだかオレも人並みに高校生活をエンジョイできるんじゃね? と最近は考えはじめたくらいだ。
「よし、回想終わり」
オレは自分でも意味不明な言葉を口走りつつ、浴室を出て新しい部屋着に着替えたあと、最愛の妹サヤちゃんがつくってくれた朝食をとりにリビングへ向かった。
「あ、兄さんおはよう。もう時間ないから急いで食べて」
そう言ってオレを急かすサヤちゃん。
肩に届かない程度の黒い短髪がいつになくキュートだ。
異論は許さない。
「おはようサヤ。…あぁ、だれかさんのおかげでね」
「ふふ、そのだれかさんならさっき学校に行ったよ。兄さんも遅刻しないようにね」
「りょーかい」
オレはこの四月から艶桜学院っていう高校の一年生をやっていて、なんの因果かジルもその学院の同級生だ。
しかもクラスまで同じで席も前後どうしというおまけ付き。
親類というわけでもないから同棲してることがおおっぴらにならないよう、家を出る時間も帰る時間もバラバラにしている。
その配慮が功を奏しているのか、ここ一週間でオレたちの関係を怪しまれたことはない…はずだ。
「…あ、そういえばサヤちゃん、ジルがオレに砂糖水かけようとしてたこと知ってたんだよね?」
「うん、それが?」
「いや、『それが?』じゃなくてさ、その現場に遭遇したら普通止めない?」
「うん、さすがにヤケドはかわいそうだったから止めたでしょ?」
「いやいや、砂糖水の時点でアウトじゃん。オレのベッドなんてまだべっとべとだよ?」
ベッドなだけに。
「まぁでも、兄さんを起こす仕事はジルさんに任せるって言っちゃったし」
「いやでも…」
「それに。兄さんが寝坊せずに自分で起きてくれば済む話でしょ? 手段はどうあれ起こしてもらってる立場で、偉そうなこと言わないでよ」
「いやそれ…は…。…うん…ごめん…」
まぁ結局のところそこに落ち着くよね。
しょうがない、この件はもう触れないようにしよう。
明日から目覚ましでもかけようかな。
「あ、そういえば兄さん、学校の帰りでいいからおつかい頼んでもいい?」
「へ? うん、べつにかまわないけど…何を?」
「…お砂糖」
「アイツ使い切ったのかよ!!」
オレはサヤちゃんが作ってくれた朝食をぺろりとたいらげたあと、オレの出した食器を洗い終わったサヤちゃんが家を出るのを見届けてから、制服に着替えるためにいったん自室に戻った。
制服に袖を通しながら時計を確認するオレ。
「朝のホームルームまであと三十分か。なんだかんだで結構時間あったな」
オレの家から学校までは徒歩で二十分程度の距離になるから、途中でダッシュをはさんでいけばまず余裕だろう。
だけど通学路にて起こりうる大惨事をつい一週間前に体験したばかりのオレは、気ぜわしく用意を済ませたあと妙な美少女に出会わないように注意しつつ足早に学校へと向かった。




