第二部 プロローグ
これからは文量ががっつり少なくなる予定です。
プロローグ
「………はぁ…」
主がいなくなり、うら寂しくなった部屋に少女の溜息がこぼれた。
吐息は静寂をしばし漂って哀愁をまとった部屋にしみ込み、少女の憂鬱をいっそう深いものにしていく。
少女は疲れきっていた。
しかし寝る間も惜しんで激務をこなしているというわけではない。
むしろその逆だった。
「…私は何をしているのでしょう…」
豪奢な寝台に腰かけていた少女は立ち上がるが、特に仕事があるわけでもないことを思い出し、そのまま立ち尽くしてしまう。
少女はふと、主がいつも使っていた姿見を見やる。
そこには自分が敬愛する高貴な主の姿ではなく、この世が終わったかのような表情をたたえた自身が映されていた。
「フ、私などもうお役御免だというのに、なぜ私はこのような…」
少女があざけったのは、自分の身なりのことだ。
陛下から賜った鎧に身を包み、腰には主に仇なす者を斬り捨てる宝剣。
主の側近としての生活が染みついたのだと思えば誉れ高いことかも知れないが、その主のいない今となっては、ただ滑稽でしかない。
少女が鎧を外そうと着替えを探していると、部屋の扉がノックもなく開けられた。
「やや、やっぱりココにいたんだねー、ナハト殿」
扉を開けた張本人は、少女を見とがめて抜けた声を発した。
少女…ナハトは、若干眉をひそめながらも応答する。
「…何か私に御用ですか? 大魔導士殿」
「や、なんだかご機嫌ななめだなー。さてはボクのこと嫌いだねー?」
「…否定はしません」
「そこはお世辞でも否定しておこうよー。ナハト殿は面白いひとだね」
面と向かってかなり失礼なことを言われたはずだが、大魔導士はけらけらと笑って愉快そうにするだけだった。
「やー、それにしても、謹慎処分を受けてもきちんと武装してるなんて、見上げた忠誠心だねー」
「…馬鹿にしているのですか?」
「ちがうよー。ほら、その髪型もかわいらしいとおもうよ?」
「貴方に褒められてもうれしくありません」
平和そうににやにやしている大魔導士にきっぱりと言い放つ。
ナハトは背中あたりまで伸びた髪を彼女から見て右側、片方だけをひとつにまとめていた。
なんでも『さいどぽにー』という人界で流行りの髪型らしい。
髪型などにあまり頓着しない性格だったナハトを見かねて、人界の娯楽をたしなんでいた主が薦めてくれた髪型である。
この髪型を主がしきりに『もえる』と褒めてくださるので、ナハト自身もかなり気に入っている。
なぜ燃えるのかは知らない。
「ナハト殿は本当に姫様が好きなんだねー」
「当たり前のことを言わないでください。…それよりも、再度お尋ねしますが、私に何か御用でしょうか。御用がなければ早々にここを立ち去っていただけませんか?」
「やや、用ならあるよー。さっきまた大議会で決定があってね、謹慎してるナハト殿にもおしらせしようとおもったんだよ」
「どうぞお引き取りください」
ナハトは大魔導士の肩をつかんで部屋の外へと押し出そうとする。
「ややや! ちょっとナハト殿!?」
「なんですか、どうせあのいまわしき人間を護衛しろなどというふざけた下知でしょう。私がお仕えするのはジル様ただひとりです。陛下の命令で謹慎しているだけでも譲歩しているというのに、ましてやジル様を人界に追いやった貴方や、ジル様が継承するはずの《大魔王の英魂》を姑息にも横取りした下賎な輩のために、私がなすべきことなんて微塵もありません。消えてください」
「やーなるほど、それでボクのこと嫌いなのかー、ってそうじゃなくてナハト殿! その姫様にも関係あるんだよ!」
大魔導士がそう言った途端、ナハトは両手を放した。
「聞きましょう」
「……ナハト殿…」
少女の変わり身の早さに大魔導士はドン引きしながらも、話を本題に移した。
「人界の星見ルイという人間が、暫定的に魔王になったことは知ってるよね?」
「はい、その大議会には出席していたので」
その決定が下された瞬間にナハトは発狂してしまい、大議会のさなかに暴れまくったため、現在こうして謹慎処分を受けている次第である。
それでもなお自室ではかまわず暴れ倒すので、ジルが使っていた部屋に軟禁されている。
さすがの少女も、敬愛する主の部屋で乱暴しようとは思わないだろうと判断されたからだ。
「それでそのルイ殿から《大魔王の英魂》を継承するまで、姫様が人界にとどまることになったんだよ」
「あぁ、たしかおぼろげにそんな記憶が…。…なるほど、もう私にはどんな命令が下ったのかわかりましたよ、大魔導士殿」
「やや、ナハト殿は鋭いなー」
「その人間を殺して《大魔王の英魂》を奪い返すんですね? 人間と言えど暫定魔王に選ばれた猛者、流石のジル様も魔力を失った状態では分が悪く、ジル様を援護する精鋭としてこのナハトに白羽の矢が立ったと…!」
「ちがうよー。全然ちがう」
「ちがうんですか?!」
ナハトは予想外の展開に仰天した。
「では一体なんなんですか!? ジル様が人界に残るのならば、例え魔界の全てを敵に回そうと私は人界に乗り込みますよ?」
「や、そう言うだろうとおもって、とりあえずナハト殿には人界へ向かってもらうことになったよ」
「なんですか、やっぱり殺してもいいんじゃないですか」
「飛躍しすぎだよー。その短絡的思考にボクはもうつかれてきたよ」
「だ、駄目なんですか?! では人界に行っても何もできないじゃないですか!」
「………。ナハト殿には姫様の護衛をしてもらうよ」
ナハトにこれ以上言い聞かせても無駄だと感じた大魔導士は、さっさと報告を済ませることにした。
「姫様の護衛…? 異存はありませんが、《大魔王の英魂》をもたず魔力も失った姫様を狙う輩などいないのでは?」
「たしかに今の姫様は狙うに値しないけど、人界の退魔士や天界なんかがどう出るかはよくわからないしねー」
「なるほど…、たしかに天界は注意すべきですね」
「そうなんだよ。あと、念には念をということで、ボクもついていくことになったのさー」
「大魔導士殿も?」
疑問に思うナハトに向かって、大魔導士は肩をすくめてみせる。
「《大魔王の英魂》が逃げたのはボクにも責任があるんだってさー。とんだとばっちりだよー」
「まぁ、姫様に過失がないのですから、妥当な処分ではありますね」
「………。…まーそういうわけで道中よろしくー、ナハト殿」
「貴方のような不審者と同行するのは不本意ですが、ジル様のためです、我慢しましょう。こちらこそよろしくお願いします」
「……ナハト殿は本当に愉快だねー」
心底イヤそうに溜息をつくナハトに、大魔導士は諦めにも似た感情で笑顔を向ける。
実際のところ、ナハトが魔界に残っても魔界に被害が発生し、人界に放り出してもルイに危険が及ぶため、ジルにどうにか制御してもらおうという、ナハトを厄介払いするための決定だとは黙っている大魔導士であった。