第五章 魔剣の継承(5)
「…ジル様と初めてお会いしたのは、私が物心ついて間もない頃でした。私の母上は、私を産んですぐに病気で亡くなっていて、父上は任務で忙しく、使用人たちもいずれ高い地位につくだろう私を煙たがっていました。…私は当時すでに、だれかに必要とされる存在ではありませんでした。…そんな私に声をかけてくださったのがジル様です。ひとりで部屋にこもっていた私を外へ連れ出し、遊びや勉強、食事や稽古など、色々な事にご一緒させてくださいました」
「…………」
少女の話に、オレは黙って耳を傾ける。
「それから、私は常にジル様のお側に置いていただけるようになりました。ジル様のお母様が亡くなられて、ジル様が人知れず懸命に努力されているときを、私はお側でずっとお支えしてきたんです。ジル様は常々、魔王として相応しい存在でありたいと仰られていました。そしてそれを実現させるための努力を、怠らなかったお方でした。そのジル様を支えている事が、私にとって何よりの誇りでした。ずっと、永遠に、私はジル様の理想を支えるために生きていくのだと、決意していました」
語る少女の横顔は実に誇らしげで、昔を懐古して高揚しているようだった。
しかし、少女の表情がわずかに曇り始める。
「…ジル様の王位継承が決まったときも、当然だと、寧ろ遅過ぎるくらいだと思いました。………ですが、王位継承は失敗に終わりました。私は信じられませんでした。絶対に裏で悪しき者が暗躍していると思いました。更に、《大魔王の英魂》を追って人界に向かったジル様が魔力の殆どを失い、代わりに人間が《大魔王の英魂》を継承したと聞きました。私は奈落に突き落とされた気分になりました。絶対に、その人間を許しはしない、きっとジル様が王位継承に失敗したのも、その人間が原因なのだと。ですから、ジル様の護衛のために人界へ向かう許可が下りたとき、とてもうれしかったのです。小賢しい人間を排除し、またジル様のお側にいられる、またジル様をお支えできると思ったんです…」
少女の表情は次第に翳りを深めていき、それに呼応するように、少女はオレの制服をつかむ手を強めた。
「…………ですが、一週間お会いしなかっただけで、ジル様は別人のように変わっていました。魔王としての張りつめた雰囲気は霧散し、下賎な人間たちにも笑顔で対応し、無駄だと思えるようなことに労力を費やす…。ジル様は何らかの精神汚染を受けていると本気で疑いました。………ですが……」
少女の瞳から、一旦は治まっていた激情がまた溢れ出す。
「…貴方と言葉を交わすジル様を見て…、貴方と私に仲良くなってほしいというジル様の想いを聞いて…。すべて……すべてわかってしまったんです…ッ! …ジル様が何をお考えなのか、本当は何を…、…望んでいるのか……ッ! …………私が勝手な理想を押しつけて、ジル様を追い込んで、苦しめていた事が……ッ! 全部……ぜんぶッ!!」
「…………」
少女の慟哭は続く。
「私はジル様に幸せであってほしかった! ジル様のお母様が亡くなってから、ずっとお側に控えていた私にだって、あんな顔をされることはなかった! …そしてあの笑顔こそが、私を孤独から救ってくれたジル様の本来のお姿なのだと、気づかされたんです…。……ですから、最初はこれでもいいと思ったんです。ジル様が笑っていてくださるなら、このままジル様が人界で暮らされるのも、悪くはないと………」
「……じゃあどうして、今もまだジルが魔王になることにこだわってるんだ…?」
「…………」
ナハトは躊躇うように一呼吸置いたあと、静かに言葉を紡ぐ。
「………気づいて、しまったんです…。ジル様がこのまま人界で暮らし、王位継承から遠ざかることになれば……命を狙われることもなくなるでしょう…。そうすれば、王を守る事でしか、剣を振るう事でしか、役に立てなかったナハトは……必要とされなくなります…」
「………何をバカな……」
呆れたように呟くオレの言葉に、ナハトは声を張り上げて抗議した。
「貴方にわかるはずがありませんッ!! ジル様の心を救うことができた貴方に! ジル様の心を追いつめることしかできなかった私の気持ちなんて、わかるはずないじゃないですか!!! ジル様は王となるために、私の力を必要としていた! でも、魔王になる必要がなくなれば、私を必要とする理由なんてどこにもないじゃないですか! ジル様は私がいないほうが…貴方やディア様と一緒にいるほうが、きっと幸せでしょうね!! …でも、私は…! 私はジル様がいなくなったら生きていけません!! 誰も私を見てくれない世界に逆戻りです…! 私はそれが怖いんです!! …私が、私であるために、ジル様は王女として、ゆくゆくは魔王として、私の側にいてくれなきゃ困るんですッッ!!!」
少女は叫ぶ。
なりふり構わず、己の想いを、己の心を、ありのまま、オレにぶつけてきた。
そしてひとしきり叫び終わると、またオレの胸に顔を隠し、押し殺すような声で嘆いた。
「…………こんな汚い事を考える私と……誰が一緒にいてくれるって言うんですか………ッ……!」
「…………」
泣きじゃくる少女を、オレは優しく抱きしめた。
「……少なくとも今は、オレがいるよ」
「……ッ…! …………」
ナハトの体が一瞬強張るが、彼女はオレから逃げようとはしなかった。
オレは言葉を続ける。
「…きっとジルも、ガイコツも、おまえの側にいてくれるさ。さっきの本音、聞かせてやったらどうだ?」
「………嫌です…。……絶対に嫌われます…」
「…ははっ」
「…何がおかしいんですか!」
思わず笑ってしまったオレに、不満を訴える少女。
「いや、ジルと似たようなことを言ってると思ってさ」
「…ジル様と…?」
「…昼休みに、ジルとも少し話をしてさ。ナハトの理想に無理して付き合う必要はないんじゃないか、って言ったんだ。そしたら、ジルがなんて言ったと思う?」
「…な、なんて言ったんですか…?」
ナハトがオレの顔を凝視し、恐る恐る訊いてくる。
オレはそんな少女に笑顔でこう言ってやった。
「…『ナハトに嫌われたくない』ってさ」
「………!」
その言葉を聞いたナハトは目を丸くし、しばらく微動だにしなかった。
「…うそ…です…。ジル様が…ナハトのことを、そんな風に……なんて…」
「ウソじゃないよ。あんだけバカ正直に話してくれたおまえに、ウソなんかつくか」
「で、でも…ジル様が嘘をついていた可能性だって…!」
「アイツは、ウソをついてまで弱音を吐くヤツじゃないさ」
オレの言葉にナハトも思い当たる節があったようだ。
「………じゃあ……じゃあ、本当に………ジル様が……」
噛み締めるように言葉を発するナハトの瞳から、またも涙が溢れ始める。
「そうだよ。だから、おまえらはもっと本音を言いあったっていいんだ。…その先に、きっと望むものがあるはずなんだから」
本当の信頼関係なんてものは、一度は本音をさらけ出さないと築けない。
オレはそう思っている。
もちろん、そうすることで衝突や仲違いを生むことだってあるだろう。
でも、真に互いを想いあえる心があるなら、そんな些細な問題はやがて乗り越えられる。
更に深い理解と、強い絆で結ばれる。
きっと、ナハトとジルには、それが足りなかったんじゃないだろうか。
だからジルも、ナハトを友人とは呼ばず、大切な存在と言うにとどまった。
ナハトも、ジルを己の理想を介してしか接することができなかった。
ふたを開けてみれば、ただのすれ違いだ。
お互いがお互いを想うあまりに距離をおいて、それ以上踏み込むことをしなかった不器用なふたりの、溜息をつきたくなるような、ただのすれ違い。
「………………はぁ〜………」
なんだかそう思うと、どっと疲れが出てきた。