第五章 魔剣の継承(3)
「…まったく、期待はずれもいいところだわ。ルイくんは《大魔王の英魂》を扱えない、ナハトちゃんは肝心の魔剣を持ってない…。魔界の主力のはずのふたりがこうも簡単に倒せちゃうなんて」
オレが絶望的な状況に打ちのめされていると、背後から忌まわしい美声が聞こえてきた。
少なくともナハトが窓から投げ出されたときまではあの部屋にいたはずのクセに、いつこっちに下りてきやがった。
ナハトを地べたに寝かせて振り向くと、大天使ミカエルはその気品漂う美貌に落胆の陰を落していた。
「時期が悪かったってことかしら? まぁでも、仕方ないわね。もう奥の手みたいなものもなさそうだし、ルイくんも覚悟を決めなよ」
「そうはいくか。まだオレはピンピンしてるだろ」
「治癒能力だけじゃどうにもならないわよ。蟻の巣から出てくる蟻を一匹ずつ潰してるみたいでつまらないわ。もういっそ、熱湯を直接注いであげたほうが長引かなくて済むでしょ?」
「蟻を潰すのをやめれば済む話だと思うけど」
「またその話? キミの平和主義は筋金入りね」
平和主義じゃなくて自分の命が惜しいだけだ。
「まぁ、キミとのおしゃべりはちょっと楽しかったけど、もう終わりにしないとね」
ミカエルはオレとの話を強引に切り上げ、《鞘から抜かれた剣》を構え直す。
「…待ってください。貴方なんかに星見ルイを殺させるわけにはいきません」
「…ナハト?」
弱々しい声に振り向くと、赤髪の少女が頼りない足取りでこっちに歩いてきていた。
「おい、おまえは立ってるのもやっとだろ。じっとしてろよ」
「貴方こそ下がっていてください。貴方には魔王として《大魔王の英魂》を守り抜く義務があります」
「…じゃあオレには魔王としておまえを守る義務だってあるはずだ」
「…………」
オレの言葉にナハトは若干驚いたようだったが、すぐに苦い顔をする。
「口の減らない人間ですね。そんな言葉は…」
「…うははははは!!! よくぞ言ってくれたな《人界の魔王》よ! それでこそサタンの後継者たる器である!」
「「「!?」」」
ナハトの小言は高らかな笑い声によってかき消され、オレたち三人は一斉に、馬鹿みたいな大音声で笑う闖入者の姿を探す。
しかし、周りをいくら探しても人影らしきものは見当たらない。
「密かに見守らせてもらったが、ようやく王としての言葉を発したか。ちともの足りぬが、今はそれでよしとしよう。今のお前等ではどうにもならん状況だろうしな」
「???」
なんだか偉そうな口ぶりの言葉は聞こえているけど、肝心の出所にひとがいない。
「どうした? 阿呆のような顔をして。聞こえているのだろう?」
ひとはいないが、生物ならいる。
それは赤い毛色をしたチワワだった。
「…………」
どうしよう。
ちょっと血を流し過ぎたかな、幻覚が見えてきた。
いや、幻聴かもしれないが。
「こら、無視をするな魔王。おれの姿は見えているだろう」
「…オレの目の前にはチワワしかいない」
「なんだ見えているではないか。手間を取らせるな」
しゃべるチワワに怒られた。
チワワがこんなにかわいくないと思ったのは初めてだ。
「なんなんだおまえ。この状況で出てきたってことは味方か?」
「おお、存外話がはやいな。そういうことだ、名をアヌビスと言う」
「アヌビス?」
なんかどっかで聞いた名前だな。
とか思っていたらオレがそれを思い出す前にナハトが仰天した。
「父上?!!」
「えっ?! 父上?!!」
ナハトにつられてオレも仰天する。
そういえばそんな名前だって聞いた覚えがなきにしもあらずだったかもしれない。
にしても、
「おまえの父親チワワなの?!」
「そんなはずないです! 父上、何故そのようなお姿を?!」
「人界で怪しまれずに行動するためだ。まぁ、ナハトを見張るためでもあったがな」
「おまえの元の姿は知らないけど、赤いチワワは逆に目立つと思うぞ」
「なに! そうなのか! 道理で道行く人間たちに注目されたわけだ。うははは! 失敗失敗!」
知らなかったのか。
てか気付け。
そう言えばコイツのことをジルが頭弱そうとか言ってたな。
「ち、父上、それにしても何故ここに?」
「そうなのだ、それが本題だったな。…無論、お前たちを逃がすためだ」
赤いチワワは心なしかキリッとした表情をつくり、ミカエルと向き直る。
「…ここからはおれが相手をしよう、大天使ミカエル。ちと不足かもしれんが、ヒヨコ二匹をいたぶって楽しむ趣味はお前にもあるまい」
「…そうね、魔界の番犬が相手なら、少しは楽しめるかもしれないけど…」
ミカエルはオレたちとチワワとを値踏みするように交互に見比べる。
「まぁ、お前の意思に関係なく、無理にでもそうさせてもらうがな」
「父上! いけません! 今魔剣の継承を行っているということは、父上だって今までほどのお力は…!」
「そう思うのならはやく継承を成功させよ。長くは保たんぞ」
「ナハトにはそんなことできません! 父上もお逃げください!」
「ナハト、聞き分けろ。唐突でお前は正しく理解できていないかも知れんが、これは魔界の存亡がかかった戦いだぞ」
チワワの言う通りなのだろう。
現に魔界の切り札を持つオレが殺されかけてるわけだし。
不甲斐なくて嫌になるな。
ずいぶん前から《大魔王》に呼びかけてるつもりなんだが、なんの反応もない。
「…よし、決めた! まずはナハトちゃんを片付けましょう!」
「「「……!!」」」
もめるオレたちをよそに、ミカエルは優先順位を決定したらしく、邪気のない笑みでそう宣言する。
「わざわざアヌビスを相手するのは面倒だし、かといっていきなり魔王を殺しちゃうのも味気ないし。いい人選だよね♪」
「おれの娘を殺す? …させると思うか、ミカエル!!」
アヌビスは咆哮とともに魔力で固められた音の衝撃を放つ。
ミカエルは剣でそれを弾き飛ばし、呆然と立つナハトに肉薄した。
「ナハト!!!」
オレはすかさず駆け寄ろうと走り出すが、ミカエルのスピードには到底及ぶべくもなく。
「…………ッ!!」
オレの眼前で、鮮やかな紅が散った。