第四章 少女の想い(6)
その人物は、普通の教室に置いてあるものより数段質の良さそうな椅子に腰掛け、息も絶え絶えに転がり込んできたオレたちを見て大層驚いたようだった。
「…なになに? どうしちゃったのキミたち。一般の生徒は完全下校でもういないハズなんだけど」
オレは聞き覚えのある声に顔を上げ、その人物を見て驚愕した。
「…天座先輩!?」
「…そういうキミは…星見ルイくんだね」
そう応える美少女は、まぎれもなく今日、学長室で出会った生徒会長そのひとだった。
「先輩がなんでこんなトコに?!」
「なんで…って、この部屋にわたしがいるのって、そんなに不思議?」
首を傾げる先輩。
そう言われて改めて部屋を見渡すと、生徒会長と書かれた会議で使われる三角のヤツとか、選挙用のたすきとか、今月の議題とかが書かれたホワイトボードが置いてあった。
「…ここって、生徒会室ですか…?」
「ご名答♪ それで、キミたちは何してるの? 完全下校時刻はもう過ぎてるわよ」
「そんなことより! 先輩、こんなトコにいちゃ…」
「待ってください」
かわいらしく人差し指を立てる先輩に、オレは危険が差し迫っていることを訴えようとすると、隣にいたナハトがそれを阻止した。
「なにすんだよナハト! こんなトコにいたら先輩が危ないだろ!」
「貴方は底無しの馬鹿ですね。あれだけきついニオイを発しているのに、何も感じないんですか」
「ニオイ? おま、女性に対してそれは……って…」
オレはそこまで話して、ナハトの言っているニオイが体臭のことを指しているわけではないことに思い至った。
「………まさか…」
「そのまさかです」
オレはいやに真剣な表情をつくるナハトから視線を外し、美少女生徒会長のほうを見やる。
生徒会長は感心したように微笑んでみせた。
「へぇ…報告では短絡的で謀略に疎く、脅威は感じられないって聞いてたんだけど。案外鋭いじゃない、御影ナハトさん。いや、ナハト=ガルム=ケルベロス、と言ったほうがいいのかな?」
「その報告には思うところが多々ありますが、そう言う貴方は何者ですか? 外を飛び回っている虫たちと同じニオイがプンプンしますよ。貴方のはとびきり強烈ですけどね」
「えー! わたしってそんなに臭う? ちょっとショックだわ…」
「「…………」」
天座先輩はナハトの言葉を受けると不安そうに自分の制服をクンクンして、シリアスっぽかった空気を一瞬で台無しにしてくれた。
「調子が狂いますね、なんなんですか貴方は」
「あ、そうそうその話だったわね。いやぁ、協定のこともあるし、下っ端連中に任せてわたしは関わらないように努力してたんだよ? 精々星見くんにちょっかいかける程度にしてたのにさ。…でも、さすがに目の前に現れたら、下っ端たちも見てる前で黙って見過ごすなんてできないわよね…?」
そう言って先輩は不気味に微笑むが、正直なんの話をしてるのかがわからない。
「う〜ん…よし! 都合よくアイツが結界なんか張っちゃってくれてるみたいだし、久々に暴れようかな!」
そんな軽い調子で何やら恐ろしいことを口走りながら先輩は勢いよく立ち上がり、右手を天に掲げてこう叫んだ。
「へ〜ん…しん!」
更なる軽いノリのセリフをきっかけにして、先輩の体が黄金の光に包まれる。
…うおっ、まぶしっ!
「じゃじゃ〜ん! この姿になるのも久しぶりね。…ね、どう? わたしってカッコイイ?」
「…はぁ、カッコイイんじゃないですかね…」
「ノリ悪っ! そんなんじゃ女のコにモテないよ?」
そんなことを言われても、正直急展開過ぎてついていけない。
とりあえず、先輩はゲームに出てきそうな光り輝く鎧を身に纏い、白い翼を生やし、頭には光の輪っかを乗っけている。
つまりは天使だ。
今日知り合ったばかりの美少女生徒会長が天使だっただけでも驚きなのに、というかいきなり現れた天使たちに殺されかけているだけでも充分パニックになっているというのに、これ以上何かを求められても困る。
オレの情報処理能力の容量を大幅に超えている。
「じゃあほら、これ見てよ! じゃじゃじゃ〜ん! 《鞘から抜かれた剣》〜!」
オレの反応が芳しくないのが気に入らなかったのか、先輩は得意げに黄金に光る剣を出現させた。
「めっちゃそのままなネーミングじゃないすか。せめて名前つけてあげてくださいよ」
なんだ《鞘から抜かれた剣》って。
呼びにく過ぎるだろ。
とか思っていると、先輩はかわいらしく頬をふくらませて抗議してきた。
「ぶ〜! これはこういう名前なの! ていうか星見くん、キミ知らないの?!」
「え? 黄金に輝く剣なんてエクスカリバーくらいしか知りませんけど…」
更に言うとエクスカリバーが黄金なのかもよく知らない。
「…キミって本当にバカなのね…」
失礼な。
自分の剣に《鞘から抜かれた剣》なんて名前をつけるひとに言われたくない。
「……ナハトちゃんは知ってるみたいだけど。この剣のこと」
「え? そうなの? ナハ………どうしたんだおまえ!?」
先輩に指摘されてナハトのほうを振り返ると、なんとあのナハトが床にへたりこんでいた。
その表情は恐怖にひきつっており、只事ではないことがすぐにわかった。
「………そんな……………なんで、……あんなもの…が……」
ナハトはオレの問いを聞いていたのか聞いていなかったのか、とにかくやっとのことで口を開いた様子だった。
「おいナハト、あの剣のこと、何か知ってるのか? おまえがそんな反応するってことは、ただの剣じゃないんだよな?」
今度はへたりこむナハトの側までいって、しゃがみ込んで訊いてみる。
ナハトは余裕なく自嘲気味に笑んで、こう答えた。
「……知っているも何も、悪魔であの剣を知らない者なんて……存在しません」
「そんなに有名なのか」
「…簡単に言ってしまえば、あれは天界における、《大魔王の英魂》です」
「なんだって?」
ってことは…………どういうことだ?
「…貴方の馬鹿さ加減が今だけはうらやましいですね…。つまりあれを持っているということは、あの女は…」
「説明は終わったかな? ……うん、そろそろ始めてもいいよね!」
「終わってないですよ先輩! もうちょっと待ってください、今いいところなんですから!」
「あーいいよいいよ。そこからはわたしが説明してあげる。天使たるもの、正々堂々名乗ってから闘わないとだしね♪」
それはあんたの下っ端に言ってやってください。
そんなオレの願いなんて先輩が聞き届けてくれるわけもなく、先輩は《鞘から抜かれた剣》を掲げて高らかに名乗りを上げた。
「…我が名は大天使ミカエル! 気高き天の軍勢、その先頭に立つ者なり! 《人界の魔王》星見ルイ! いざ尋常に!」
先輩…大天使ミカエルは天に響き渡るような声で宣言したあと、いつもの人好きのする笑みを浮かべた。
「天使に疎い星見くんに優しく教えてあげるとすると、キミが魔界最強の魔王なら、わたしは天界最強の天使ってことよ」
「…え? それって…」
どうにか必死に理解しようと頭を回転させるオレをよそに、ミカエルは得意げに《鞘から抜かれた剣》をオレに向ける。
「天界、魔界、人界、仙界…この四界を統べる存在と闘うなんて久しぶりだわ。ガッカリさせないでよね、魔王様♡」
かわいい声音とは裏腹に、ミカエルはオレが今まで触れたことのないレベルの殺気を、その輝く全身から放出していた。
今日何度感じたかわからない死の予感。
《大魔王の英魂》はどう使えばいいのかわからないまま。
立ちはだかるのはナハトすら恐怖する天界最強の天使。
…今回ばかりは、どうしようもなくないか?