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オレ、つかれました。  作者: みかぐらはやと
第一部
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第3章 高校生活のはじまり

     第三章   高校生活のはじまり




 …ピピピピピピピピ…ばしっ。


「…ん〜〜んぁ…うぅ…?」


 けたたましく朝の到来を告げる無粋きわまりない目覚まし時計を黙らせ、オレはまどろむ意識を覚醒させようと、迫りくる睡魔たちになけなしの気力で抵抗していた。

 時刻は七時に至る少し前、場所はもちろん星見家オレの部屋オレのベッドの中。


「…う〜ん……ZZZ…」


 そしてオレはあっけなく、睡魔たちの巧みな攻めの前に白旗を揚げてしまった。

 あと数分、妹の援軍が来るまでは睡魔にいい思いをさせてやろうという慈悲からくる偽りの降伏だ。

 断じて眠気に負けたわけじゃないぞ。


 心中でそんな負け惜しみを考えていたら、いきなりオレの部屋の扉が無造作に開け放たれた。

 妹が兄の自室を来訪するときにノックを怠るのは茶飯のことだから、オレは特に反応も示さず布団にこもって目のシャッターを固く閉ざしていた。

 一度閉じられたオレ製瞳シャッターの堅固さたるや、一流の警備会社が目を見張るレベルだと独断しておこう。

 たとえ妹が訓戒を垂れようと毒舌をふるおうと、生半可な舌鋒(ぜっぽう)じゃびくともしないつもりだぜ。


「…朝ですよ、起きてください」

「…………」

「…寝ているんですか? 困りましたね」

「…………」


 オレは妹の呼びかけに応じず、布団にくるまったまま夢の世界への扉を探求した。

 今朝見た夢はなんだかよさげな感じだったんだ、オレの堕落した様子を目の当たりにしたサヤがどう苦言を(てい)そうが、そう簡単にこのベッドから下りるつもりはない。

 来るなら来い。

 いかなる(そし)りもこのオレ製瞳シャッターの前では無意味であることを思い知らせてやろう!


「そんなに眠っていたいなら、二度と目が覚めないようにしてあげます!」


 ズンッ!


「ぐぇええぇぇっっ!」


 壁を向いて背を丸めていたオレの脇腹に度しがたい衝撃が走る。

 その正体は猛烈な速度で振り下ろされた手刀だった。

 精神的ではなく物理的な暴力を前に、重たいはずだったオレのまぶたは瞬時にこじ開けられる。

 セ○ムしておけばよかった。


「あ、朝からなにすんだよサヤ! もうちょっとやさしくしてくれたって…ってアレ?」

「おはようございますルイさん。妹さんでなくて残念でしたね」


 抗議のために勢いよく体を起こしたオレの眼前に立っていたのは、いつも甲斐甲斐しく兄を起こしにきてくれる献身的な妹ではなく、昨日からこの家に居候することになった次期魔王のジルさんだった。

 涙目なオレを見て、嗜虐的(しぎゃくてき)な微笑みを浮かべている。


「サヤさんからあなたを起こすよう頼まれたのです。こんな美少女に朝を告げてもらえて、あなたは人界一の果報者ですね」

「寝てる人間に暴力をふるうのは、世間一般での起こすという行為に該当しないぞ…」


 恐らく家庭内暴力のたぐいだろうな。

 朝じゃなく死を告げにきてどうすんだ。


「結果的に目が覚めたのですから良しとします。ほらルイさん、リビングで朝食をいただきましょう?」

「…………」


 ジルはそう言って上品に笑んだ。

 息の根を止めにきたことを良しとはさすがに言えないけど、その笑顔はオレを沈黙させるに十分な破壊力を秘めている。

 結局かわいいは正義か、ちくしょう。


 オレは不満なのか満足なのか判然としない心境のまま、ジルに続いてリビングに顔を出した。

 ご飯、みそ汁、焼き魚、煮物と、純和風な料理たちがけだるいオレを出迎える。


「あれ、兄さんもう起きてきたんだ。昨日にも増して珍しいね」


 中学の制服の上からエプロン装備という、マニア垂涎(すいぜん)の格好をしたサヤがオレを見とがめ、意外そうな顔をした。

 ちなみにオレはマニアじゃない。

 読者諸兄に誤解を生まないよう、シスコンという言葉とは無縁であることを主張しておこう。

 じゅるり。


「あぁ、いったん起きるか二度と起きないかの二択を迫られてやむなくね」

「へぇ、ジルさんに頼んで正解だったかも。ジルさん、これからもお願いしていいですか?」

「はい、こんなことくらいしかできませんから」

「…オレの話聞いてた? 永眠を強いられそうになったんだよ?」

「そう? 兄さんにはそのくらいがちょうどいいんじゃない?」

「ちょうどよくねぇよ! 明らかに容量超えてるだろ! キロとテラぐらい桁違いだよ!」

「そんな小言はいいから、早く食べちゃってよ。せっかくだし兄さんたちの食器も洗ってからいく」


 兄を軽くあしらって、サヤはソファで新聞を読み始めた。

 おのれ、オレの威厳はどこへいった、もう長らく見かけないけども。

 小学校卒業記念のタイムカプセルといっしょに埋めてしまったかな。


「ルイさん、そんな些末(さまつ)なことは捨て置いて、早くいただきましょう。料理が冷めてしまいますよ」


 ジルは目を輝かせながらそんなことを言う。

 薄々感づいてたけど、こいつほんと食べることに目がないよな。


「…わかったよ…。ただし、明日からはもっとソフトに起こしてくれ。オレの身がもたないから」


 オレは諦めてそう捨てゼリフをはき、ジルと共に食卓を囲んだ。

 む、やっぱりうまい。

 オレとジルはサヤの絶品手料理に舌鼓を打ちつつ、黙々と卓に並べられた食器たちを空にしていくのだった。





「じゃ、いってきます」

「はい、いってらしてください」「あぁ、いってらっしゃい」


 オレたちが食べ終わったあと、見事な手際で食器を洗ってしまったサヤを見届けて、オレは自分の支度に取りかかる。

 今日もまだ本格的な授業は始まらず、オリエンテーションなる学年を超えた親睦会に一日を費やすらしい。

 ずいぶんとのんびりしてる気がするけど、どこの高校もこんなもんなのかな。

 まぁ、学生の本分たる学業に一抹の不安を残すオレにとっては、ありがたいことこの上ない話だ。

 中学の頃よりいっそう重量を増した教科書群も待ち運ばなくて済むし。


「えっと…あとは……そうだ、弁当弁当」


 いざ家を出ようとしたところで、オレは重大な忘れ物に気づきあわててキッチンへ向かう。

 艶桜学院の学食を堪能してもいいんだけど、やっぱり青春の醍醐味といえば早弁だろ?

 …あ、今思いついたんだけど、愛する妹がつくってくれた弁当のことを、愛妻弁当ならぬ愛妹(あいまい)弁当と呼んでみてはどうかな?

 …うん、我ながらあっぱれなネーミングセンスだ。


「まぁちょっと曖昧とかぶっちゃうのがネックだけど……ん?」


 サヤがつくっておいてくれた愛妹弁当をかばんにつめこみつつ、オレはある疑問を覚える。

 キッチンには、妹作の絶品弁当がもう一包み置いてあった。


「…なんで二つもつくってあるんだろ? オレの早弁用かな?」

「なにふざけたことをほざいているのかしらこの底辺は。わたしの昼食に決まっているでしょう」

「あ、ジル」


 オレの疑問に苛烈な返答をくれたのは魔王さん。

 食への執念はオレ以上であるらしく、自分の弁当をオレ用と断じられいたくご立腹のようだった。


「あれ、でもなんで弁当箱? おまえのなら皿にラップでもしとけば……あぁそっか。おまえもどっかの高校に通ってる設定だったっけ」

「そういうことよ。回転の遅い脳みそでも理解できたのなら、早くその汚い手をわたしの愛妹弁当とやらからどかしなさい」

「なっ、なんでおまえがその呼び名を!」

「あなたがぶつぶつと呟いていたのが聞こえただけよ。気色悪くて寒気がしたわ」

「は、恥ずかしい!」


 心中での語りだったつもりがまさか無意識に口に出していたとは…!

 オレは着替えを覗かれた乙女のように赤面し、一目散という言葉がしっくりくるさまで家を飛び出した。







「おうルイ。 へっ、ひさしぶりだな。まだ生きてたのかよ?」


 昨日とは違いなにごともなく教室までたどりついたオレを迎えたのは、昨日は顔を合わせ損ねた小学校以前からの悪友たる、チョイ悪イケメンだった。

 鋭いひとにはヤツの底意地の悪さが垣間見えるにやけたスマイルを顔面にはりつけ、オレが知らぬ間にあてがわれた席の前を陣取っている。

 それでもカッコよさのほうが勝るところが憎たらしい。


「あぁ、ひさしぶり、いつき。ひかるもいっしょか。おはよう、二人とも」

「おはようルイ。今日も無事に会えてなによりだよ」


 かわいい系イケメンのひかるは、オレの右隣の席でやわらかな笑みをうかべた。

 二人のイケメンが売れっ子アイドルみたいに笑顔を安売りするから、オレの周りはステキ女子たちの熱視線で火の海と化している。

 イケメン二人は生まれもっての耐熱性を存分に発揮し、恋する乙女が発する怪光線にさらされてなお涼しいスマイルを絶やさないけど、そんな汎用の効かない不良品であるところのオレは熱烈な眼光に加え、己の内からわきあがる嫉妬と惨めさに身を焼かれるばかりだった。

 このお手軽火あぶりの刑には二人とつるんでいた義務教育時代から慣らされていたはずだったけど、春休みのブランクと高校という新たな環境は、オレのマッ○スコーヒーのように甘い考えを許してはくれなかった。

 熱い、だれか気の利いた寒いシャレでも言ってくれ。

 そうだな……ミミズクがミミズ食う。

 …あぁ、こんなときでも洗練された笑いのセンスはごまかせないか。

 オレはつくづく自分の才能が憎い…!


「へっ、それにしても三人全員の席が後ろのほうでかたまってるってのは、なかなかどうして、粋な采配だ」


 熱さにあてられ頭がおかしくなり始めたオレをよそに、いつきがゆるりとどうでもいいことをしゃべり始めた。


「そうだね。ボクらがこうして三人同じクラスになっただけでも僥倖(ぎょうこう)だというのに、これは出来過ぎだ。なんだか作為めいたものを感じざるをえないけど、きっと考え過ぎなんだろうね」

「まー、こういうクラス決めって、色々話し合いが行われてたりするって聞かないこともないな」


 学力がどうとか、家がどうとか。

 実際に決められる現場に立ち会ってるわけでもないし、公立私立でまた違いもあるだろうから、結局よくわかんないけども。


「学力で割り振られてるなら納得だな。ひかるとルイで丁度バランスが取れる」

「…は? いつきおまえ、今オレのことバカって言った?」

「お、なんだカンがいいじゃねぇか。この春休みで、多少はバカも治ったみてぇだな。しかしこうなると、おめぇ以外にも強烈なやつがいねぇとバランス悪ぃな」


 ほう。

 どうやらこの胸くそイケメンくんは、オレにケンカを売っているらしい。

 やれやれ。

 中学生までのオレなら、こんな安い挑発にも不用意に乗ってしまったかもしれないが、オレはもう高校生。

 場合によっては選挙権すら持ち合わせる、社会の構成要素。

 そう、大人だ。


「…フゥ。なんだ、そんなこと心配してるのか? まったく。…フゥ」


 大人たるオレは紳士らしく悠然と自分の席に収まる。

 オレの華麗なる所作に、いつきは嫉妬からか「うわ、キモ…」としか言えなくなってしまった。


「いつきくぅん。キミの心配は杞憂というヤツだよ。知ってるかなぁ、『き・ゆ・う』。学力のバランスをとるためのブァカなら、ほら、今ここに、オレの目の前にいるじゃないか。おあつらえ向きのお・ば・か・さ・ん…!」

「おい、星見くぅん…! ひとを指差しちゃいけねぇって、小学校で習わなかったのかぁ?」


 オレの大人びたポインティングに、敗色濃厚を悟ったいつきが、実力行使に訴える。

 オレの右手をつかんで、そのまま強烈な握力でゴリゴリしてきた。


「いたたたたた!! おい、おまえこそ小学校でぼうりょいたたたたたた! タイム! ターイム! はいレフリー! 見た今の! 今の反則だろ!?」


 オレがあまりの激痛に審判たるひかるを呼ぶと、いつきは相手をこかしたサッカー選手よろしく、両手を上げて首を横に振る。


「…キミたちは相変わらずだね…」


 オレたち二人の低レベルな争いを傍観していた美少年は、中学校時代と同じ反応で苦笑する。


「キミたちの愉快なやりとりを今年度も見ることができると思うと、うれしいよ」

「お、おぅ…」


 なんで急にそんな恥ずかしいこと言うかな、コイツ。

 いつきも拍子抜けしたように、「へっ」と溜息。

 まぁ、向こうに戦う気がなくなったのであれば、オレも矛を収めてやらないでもない。

 ラウンド終了だ。


「あ。おめぇの顔見てたら思い出したんだが、今朝こんなでけぇミミズが南風公園に何匹もいてよ、気持ち悪いったらねぇよな」

「…は? オレの顔見てたらってなにそれ? 暗にオレの顔が気持ち悪いって言った? わざわざその補足必要だった今の話?」


 第二ラウンド?


「いつき。この春休みあまりルイと話せなかったからって、あまりつっかかりすぎるのはよくないよ」

「あぁ? 誰がそんなこと言ったよ」

「顔に出てる」

「…けっ」


 いつきはつまらなさそうに照れ隠し。

 対するオレはニンマリ。


「ほーん? いつきくぅん。春休みぼくちんと話せなくてさびしかったんでしゅか〜? よかったでしゅ…」

「ルイも。女子に引かれてるけど、いいのかい?」

「えぇっ?!」


 ひかるの指摘でオレは煽り顔をやめて、周囲を確認。

 確かに、二人のイケメンに当てられていた熱視線は、こおり◯ケモンも真っ青のれいとうビームと化してオレへと向けられていた。

 まずい!

 すでに低めのオレの好感度が、下限を突き抜けて地中に埋まっちゃう!

 じめんになったらこうかがばつぐんになっちゃう!


 オレは執拗ないつき煽りをやめ、大きくそれた話題をもとの路線に戻す。

 えっと、なんの話だったっけ?

 あ、席がどうのと言ってたのか。


「ま、まぁなんにしても、席が固まってるのはラッキーだったよ。オレって結構人見知りするし。あとはすぐ近くにステキ女子たちがいてくれると言うことないんだけど、さすがに都合よすぎだよな」

「おめぇの言うステキ女子ってのがどの程度のモンかは知らねぇが、昨日チェックした限りじゃあ、この学院のレベルは相当だぜ?」

「えっ、マジで!?」


 オレはにわかに沸き立つ。

 昨日もう戻れないところまで脱線したかに思われたオレの青春は、まだ修正の効く場所でとどまっていたのかもしれない。

 よし、線路はどこだ。

 次の駅までには必ず復帰してやる。


「加えて、このクラスも例には漏れてねぇようだな。ぱっと目を引くような美貌はねぇが、色恋に興じるにゃあ十分な器量ばっかだ。…へへ、どの乙女からいただくか迷うぜ」


 いつきは今もなおこちらに熱いのか冷たいのかわからない視線を注ぎ続けているステキ女子たちを物色するように見回した。

 恐らくは旬のフルーツよりもみずみずしいであろううら若き少女たちを前に、まるで豪華バイキングかなんかに招待された貧乏人みたいなセリフをはくとは、なんて不届き千万な野郎だ、恥を知れ!


「女性と見れば見境がなくなるのもキミの悪いクセだ。改めるよういつも言っているだろう、いつき」

「そいつは無理な相談だって、俺もいつも言ってるぜ、ひかる」


 減らず口を叩いて、野郎はついによだれまで垂らしやがった。

 いいだろう、そのよだれはオレの鉄拳でぬぐってやる。

 目を閉じて歯をくいしばるがいい。



 ガラッ。



「皆さん席に着いてください」


 オレが世の女性の敵となった悪友を鉄拳のもとに制裁してやろうと、涙をのんで悲しくも固い決意を抱いたところで、この教室の支配者が扉を開け放って現れた。

 どうやら悪友たちとバカをやっている間にホームルームの時間がやってきたみたいだ。


 そう言えば昨日は担任と顔を合わせてないな。

 オレはこれから一年確実にお世話になるだろう声の主を見やった。


「…あれ?」


 しかし声が響いたはずの場所には、教師らしい人間の姿はない。

 三々五々席に戻りつつある周りの反応を見ても、オレの耳がおかしくなったわけではなさそうだし…。


「ではホームルームを始めましょう」


 そしてオレが担任らしき人物を見定めることができないまま、透き通る平坦な声が教卓から響いた。

 声はすれども姿は見えず。

 そんなバカな、これじゃ怪奇現象じゃないか。


「? どうしたんだい、ルイ。どうにも不服そうな顔をしているけど」


 うろたえるオレに気づいたひかるが、隣から密やかに声をかけてきた。

 おまえにはこの異常事態がわからないのか。


「どうしたもなにも、おまえこそなんでそんなに冷静なんだ…? 先生はいないのに、声だけがしてるんだぞ?」

「……。なにを言ってるんだい? 先生なら、先ほどから教壇に立たれているじゃないか」


 バカなことを言うもんじゃない、ひかるくん。

 先生なんて教卓どころかこの教室にすらいらっしゃらないだろ。

 まぁ確かに、教卓を占領している人間がいないこともないけど、アレは教師とは程遠い生き物じゃないか。

 オレが担任だと名乗り出るほうが説得力は勝るだろう。


「あのなぁひかる。教壇にいるのはどう見ても中学生かそこらの少女だよ。きっと、中等部のコが迷い込んじゃったんだろ。あれを担任だなんて言うのは、さすがに無理があるぜ?」

「…………」


 友人の他愛もない冗談を、ほほえみながら受け流すオレ。

 実に紳士的な対応だ。

 しかし当のひかるは、オレが優雅に流してやったにも関わらず、奇妙な沈黙で言葉のキャッチボールを勝手に中断させた。

 ボールの代わりにおにぎりを投げ返されたような反応だ。


「………そうだねー。ボクの冗談を見破るなんてさすがルイだー。じゃあ、あのかわいそうな少女をクラスまで案内してあげたらどうかなールイー」

「え、まぁやぶさかじゃないけど…。しょうがないな、オレが一肌脱ぐとするか」


 オレはそう言って立ち上がり、教室を間違いひとり教壇に立つあわれな少女へと歩を進めた。

 こんなこと、後方の席にいるオレじゃなく、前のほうに座ってる奴らが一言声をかけてあげれば済むことなのに。

 まったく、いつから世間はこんなに冷たくなったんだ。

 オレは老婆心ながらにこの国の将来を憂いつつ、ちょっと冷めた目つきの少女を前にする。


「…うわ」


 年端(としは)もいかぬ少女の前でいささか無礼だったかもしれないけど、オレは思わず感嘆の声を上げてしまった。

 遠くからうすうす感じてはいたけど、近くで目にしてその印象はより深いものになる。

 少女の精緻(せいち)で均整のとれた目鼻立ちは、その感情のこもらない瞳や表情とあいまって、精巧な人形みたいだった。

 やわらかにウェーブのかかった明るい青――勿忘草(わすれなぐさ)色って言うのかな――のロングヘアは、肩に届くかどうかの高さでツインテールに結ってある。

 低身長で起伏のとぼしいプロポーションはその筋の紳士たちを悶絶させること請け合いの妖しい魅力に包まれ、かくいうオレも背徳の海に進んで身を投げ出す五秒前だった。


 オレは自らの理性を奮い立たせ、高等部に迷い込んだ天使に声をかける。


「…ねぇキミ、もうわかってるとは思うけど、ここは高等部の教室なんだ。キミの教室があるのは…ほら、あっちの中等部の校舎だよ。よかったらオレがついて行こうか?」

「…………」


 オレを冷ややかに見つめ、沈黙する少女。

 …あれ?

  昨日もこんなことがあった気が。

 あれか、こんな状況でもオレは不審者と誤解されるほど奇怪なオーラをまとってんのかな。


「…ワタシは席に着きなさいと言ったのですよ、星見ルイくん」

「へ?」


 少女の落ち着きはらった切り返しに、間抜けな声を漏らすオレ。


「何度言わせるつもりですか。席に着いてください、星見くん」

「え? どういうこと?」

「随分と理解の遅い生徒ですね。キミが座ってくれないと、ホームルームが始められないのです。着席なさい」


 なにも映さなかったはずの瞳に不快の色をにじませ、教卓の少女が先生みたいな発言をする。

 はっはっは、悪い冗談だ。


「お嬢ちゃん、そういう遊びは自分の教室に帰ってからやろうよ。もうすぐオレたちの担任も来ちゃうだろうしさ」

「ワタシがキミの言う『オレたちの担任』です。星見くんとは昨日顔を合わせていませんでしたね、よろしくお願いします」

「はいはいよろしく。じゃあ自分の教室に戻ろうか先生」

「…ここまで頑迷きわまりない生徒は初めてです。そろそろ愛の鉄槌を下しますよ?」

「困ったコだなぁ。キミが言うこと聞いてくれないと、ホームルームが始まんないだろ?」

「…ワタシの心を代弁してくれたんですか? 嫌がらせですか? いずれにせよその言葉はキミにそのままお返しします」


 終わりの見えないオレとJCの押し問答。

 なんなんだこの聞き分けの悪い少女は!

 近い未来この国をしょって立つ若者がこんなに頭が固くてどうするんだ!


 オレは義憤にかられる感情に任せて、年長者たる威厳をもって利かん坊にせまった。


「おいおい、いい加減にしたらどうかなお嬢ちゃん。年上の言うことは素直に聞いとくもんだぜ?」

「ワタシのほうが年上ですし。この期に及んで状況を理解できていないようなので説明しますが、ワタシがこの一年三組の担任、真木名(まきな)こころです。よってワタシは教室を間違ってなどいませんし、そもそも中学生ではありません」

「はっはっは、笑止! そんなロリロリした先生がいるわけないだろ! 冗談はロリだけにしておくんだな」


 ぴきっ。


 そんな効果音とともに、自称先生こころの顔に青筋が浮かんだ。

 ついでに、殺気もゆらりと浮かび上がる。


「…説得は放棄しましょう…。どうやら星見くんは日頃の寝不足がたたっているようですね……仮眠をおすすめします……」


 プスッ。


「……あれ……なんだか急にすごい殺気立ってきたんだけど…? ど、どうしたのお嬢…ちゃ……ん……?」

「…おやすみなさい、星見くん」


 オレはなんだかわけのわからないまま睡魔に襲われ、静かな怒りを燃やすこころちゃんや『おぉ〜〜』とアホみたいに歓声を上げるギャラリーに見守られ、眠りの(ふち)へとダイブした。





「やぁ、お目覚めかい? 睡眠不足の星見くん?」


 固い机に横顔をこすりつける体勢でおもむろにまぶたを持ち上げたオレに、隣に座るひかるが笑いをかみ殺して声をかけてきた。


「こ、ここはどこだ…!?」

「まだ寝ぼけてんのかぁ? プリティーな真木名先生に、もう少し眠らされてたほうがよかったんじゃねぇか、ルイ」


 今度は前に座っていたいつきが、にやけた顔を隠そうともせずに話しかけてくる。


「ここはボクらの教室さ、ホームルームはキミが寝ている間に終わったよ」

「えっ!? オレ寝てたのか?!」

「それすらも覚えてねぇのか。つくづくめでてぇ野郎だな、おめぇは」

「ルイは真木名先生にたてついて昏倒させられていたんだよ。ふふ、実に愉快な見せ物ではあったけどね」

「せ、先生!? オレ先生にそんなことしたのか?!」


 ひかるの衝撃発言を受けて、寝ぼけた頭ながら十分に狼狽(ろうばい)するオレ。

 そんなバカな。

 成績不振で中学の頃から先生方に目をつけられてはいたものの、素行不良で目立ったことなど皆無な自称優等生(笑)のこのオレに限って、そんな慇懃(いんぎん)無礼にもほどがある振る舞いをするなんて考えられない。


「ルイが中学生と間違えた真木名先生はとても愛らしいこの一年三組の担任だよ。次に顔を合わせたときは変に暴走しないようにね」

「ちゅ、中学生…?」


 たたみかけるようなひかるの発言に、オレは焦りを隠せない。

 …えーっと、ひかるの発言を整理すると、オレ、担任を中学生と間違えてたてついたあと、その先生が仕切るホームルーム中に爆睡してたことになるんだけど。

 …素行不良もいいとこじゃん!


「へっ、まぁ華々しい高校デビューになってよかったんじゃねぇか? これ以上ねぇほどに悪目立ちできただろ」

「悪目立ちなんかしたくねぇよ! そういうのおまえの役目だっただろ!?」

「勝手にダチを損なポジションに押し込むんじゃねぇよ…」


 オレは半泣きで悪友とポジション確認にいそしむ。

 体育の時間で、互いにもう片方がとるだろうと思ってスルーしたらそのままミスになって『え? 今のおまえじゃなかった?』ってなるパターンを想像してくれ。特にバレー。


 友人への信頼を裏切られた絶望にくわえ、オレの脳裏には高校でステキ女子たちとキャッキャウフフの桃色青春時代を謳歌するという、オレ一世一代の巨大プロジェクトが轟音を上げて崩れ落ちていくさまがスローモーションで再生されていた。

 オレの高校デビューは逆のベクトルで音速を保ったまま彼方まで伸びていってしまったみたいだ。


「だけどルイ、キミの出過ぎた真似はなにも周囲に悪い印象を与えただけではないようだよ」

「…気休めはよしてくれひかる。オレだって今のオレみたいなやつを見たらドン引きするもん…」


 ハハ、自分で言って泣けてくるや。


「ボクは気休めなんて言わないさ。実はルイが寝ている間のホームルームで転入生が紹介されてね、ルイの暴走が気になった彼女にキミを紹介してほしいと頼まれたんだ」

「マジで?!」


 音速であさっての方向へ爆走していたオレの青春に、ひかるが待ったをかけた。

 『入学式の次の日に転入ってこれいかに?』とか、『オレの間違った高校デビューを()の当たりにして紹介してほしいなんぞほざくネジの外れた輩はどこのだれだ』とか、ツッコむべき点は多々あったはずだけど、『彼女』という単語を聞いた瞬間にオレは深く考えることを放棄していた。


「けっ、マジもマジ、大マジだ。…それにむかつく話だが、このクラスのレベルを軽く凌駕する美少女だぜ」

「ホントか?! そ、それでそそその美少女はどっ、どこに?」


 苦虫をかみつぶしたみたいな顔のいつきも、破滅へ邁進(まいしん)するオレの青春の前に立ちふさがってくれた。

 ふたりの親友に追い立てられ、オレの青春はもと来た道を逆走し始める。


「さきほどからずっと、ルイの背後で待ってくれているよ。キミの後ろが彼女の席でもあるしね」

「そーそそそそうだったのか!」


 オレはどもりまくりながら勢いよく背後を振り返った。

 そんな美少女がオレの真後ろの席に座しているなんてなんたる僥倖(ぎょうこう)か!

 神様、昨日に続いて二度目の絶好パス、感謝します!


「あっ、あのオレ星見ルイっていうんだ! こ、これからよろし…く……」


 振り返りざまに急いで自己紹介を終え、オレは即座に硬直した。



――なんて、美しいひとなんだろう――



 そこに座っていたのは、この世のものならざる美。

 吊りぎみの澄みわたる金の瞳はまっすぐにこちらを射抜き、宵闇を思わせる紫の美髪は背中まで流れ、その一部はツーサイドアップにしてかわいらしく結わえてある。

 薄桃色の形のよい唇は小さな(おとがい)の上に咲き、それぞれのパーツが調和し合う奇跡的なバランスを崩すことなく、やわらかくとがった鼻がこれもまた絶妙な均衡でその美貌に収まる。

 キメの細かい柔肌は白磁のように陽光をやさしくまとい、艶桜学院の真白い制服に包まれた体躯はたおやかに伸び、黒猫のような品のある美しさを秘める。

 しかし痩身というほどではなく、純白の制服を身につけた上からでもその女性的なふくらみは確認できる。

 むしろ総じて線が細く感じるからこそ、胸部や臀部(でんぶ)の確かな主張がより魅力的に、蠱惑(こわく)的に、見る者の視線を捕らえるのだろう。


 なんだか何行にもわたって変態的な描写をしてしまったけど、オレが受けた感動の十分の一、そのさらに片鱗でも拾ってくれたなら幸いだ。

 もうなんて言ったらいいんだろうか、この少女とは初めて会った気がしないんだ。

 運命の再開、そんなありきたりの言葉じゃ表現できないくらいの数奇な邂逅(かいこう)

 致命的なめぐりあわせ。

 どぎつい既視感。


 …オブラートを引きはがして言うのなら。

 今朝見た気がする顔。


 だけどこのときのオレは、少女の可憐さにやられて的確な状況判断能力が絶望的に鈍ってたんだ。

 


 そんなタイムリーな美貌の少女が、憎たらしいくらいに品よくほほえんでみせた。


「はじめまして、星見ルイくん。わたしは本日付けでこの艶桜学院に転校してきた、真皇(まおう)ジルです。こうして近い席同士になれたのもなにかの縁、ぜひとも懇意にしてくださいね?」

「まお…う……じる……?」



 まお…う、じる……。

 ……まおう、ジル。

 …魔王、ジル。

 …………。


 …オレの青春は賢しくもフェイントを(ろう)し、ふたりの友人の制止を振り切る。

 そのまま音の壁を越え大気圏を突き破り、太陽に直撃して蒸発した。



「ああああぁぁぁああぁぁぁっ!!!」


 がすっ!


「ああああぁぁぁああぁぁぁっ!!!」


 微笑をたたえる少女の前で、オレは器用に二種類の叫びをあげた。

 ちなみに前半はいるはずのない少女にでくわした驚嘆の叫び。

 後半はその少女に向こうずねを蹴られた悲痛の叫びだ。


「まぁ! 急にどうされたんですか星見くん? そんな奇怪な雄叫びをあげて」

「これがルイの平常運転だよ、真皇(まおう)さん。にしても、理由もなく悲鳴をあげられては、さすがのボクもキミとの友誼(ゆうぎ)に一抹の不安を抱かざるをえないな。…叫ぶにたる理由があると個人的にもうれしいけど、なにかあったのかい? ルイ」

「…ぐっ、理由もなにも…!」


 ギラッ!

 とジルの瞳が殺気を放った。


「…ない……よ…?」

「…ルイ……」


 さしものひかるも呆れたような視線をくれた。

 ごめんな、少女の脅しに屈するこんなオレだけど、変わらず友達でいてくれるとすごくうれしいよ。

 …そんなオレたちのやりとりに見向きもしないで机につっぷし、仮眠をとり始めたいつきとは絶交してもいい。


 オレが腐れ縁を断ち切らんと刃物を探していると、一校時目の予鈴が教室に響いた。


「おや、もう時間か。たしか次の授業は体育館に集合しなきゃいけなかったね……いつき、キミはどうするんだい?」

「…ねむい、サボる」


 顔をふせたまま問題児発言を放ついつき。

 …こいつ中学のころとなにも変わらねー。

 やっぱ悪目立ちポジション確定だろ。

 ひかるもそう感じたんだろうな、苦笑しつつも『了解』とだけ一言。

 いつきのサボりぐせは矯正しようがないことをオレたちは学習済みだ。


 そんなことはまったくご存知でない次期魔王さまはどんな反応をなされたかというと、


「ユニークな方なんですね。わたし、新しい環境に慣れることができるか不安だったんですけど、なんだか杞憂だったように思えてきましたわ♪」

「…………」


 どこかでひんむいてきた猫の生皮をかぶってほほえむ魔王。

 犠牲になった野良猫の返り血を一身にうけた、凄惨な笑みだった。

 …動物愛護法にひっかかってしまえ。


「ふふ、真皇さんはずいぶんと心配性だね。でもきっと大丈夫だよ。ここにいるルイがきっとよくしてくれる、下心丸出しで」

「最後が蛇足だ」

「まぁ、星見くんがそんなひとだったなんて…! 軽蔑します!」

「キミは登場からぜんぶ蛇足だよマオウさん…!」


 おまえの余計具合はむかでのごとくおびただしい数の足が生えた蛇の本体がその真ん中からするんと抜け出したあとに残った無数の足みたいなかんじなんだよ!

 どうだ気持ち悪いだろう!

 ………うわ気持ちわるッ!!


 と、自分で考えた形容に自分でドン引きするオレ。

 はきそうなほど策に溺れたあと、オレはさらに一計をひらめく。



「…と、とりあえず…そんなに新しい環境が不安だっていうなら、オレが今から校内を案内してあげるよ、マオウさん!」


 がしっ、とオレは魔王の手首をつかむ。


「えっ?! ちょっとあな…星見くん! いいいきなりななにすっ、るのかしらっ?!」


 かなりあわてふためきすぎなかんじもするけど、オレはかまわず少女を引っ張り始める。


「おやおや。ルイたちもサボりかい?」

「ちょっと遅れるって先生に伝えといてくれー!」

「ふふ、了解」


 ひかるはいつもの苦笑を浮かべ、引きずり引きずられなオレたちを見送った。


 内緒話といえば屋上。

 ひたすらにオレは屋上をめざした。

 その間もオレたちのやりとりは続く。


「わっ、わたしは了解してないわよですっ! あなたいい加減にこのきたな…お汚い手を離しなさいよ!」

「…口調が戻ってきてるよ?」

「きっ、お汚いお手をお、お離しになられなさい!」

「戻るというかくずれてきた…」

「きたねー手を離しやがれッ!!」

「おまえの言葉がきたねーよ!!」







「説明ッッッ!!」


 屋上にだれもいないことを確認したあと、オレは大音声をとどろかせた。


「…なんて下品な騒音かしら。わたしの高貴な耳を乱暴しないでくれる?」


 役者以上に不機嫌を顔面いっぱいに表現するジル。

 きっと鏡映しのようにオレの顔にも不機嫌がはられてるはずだ。


「なんでキミがここにいんの! なんでここの制服着てんの! なんでオレのうしろの席を陣取ってんの!」

「フ…ねらったわけではないけれど、これぞまさしく『いちばんうしろの…』」

「そーゆーのは言わなくていいから!」


 てかなんで知ってんだよ!


「おうおう落ち着けよルイ。そんなまくしたてちゃあ、お嬢だって答えられねーぞ?」

「デジャブかっ!!」


 やっぱりホネまででばってきてやがった!


「ケケケ! なんだかおもしれーことになりそーだったからよ」

「おまえが面白いときオレはまったく面白くねーんだよ!」

「ケケケケ! メシウマー」

「だからなんで知ってんの?!」


 危うくオレは、なんでジルたちが学校にいるのかより、なんでこっちの文化が魔界に流出しているのかを本題にしてしまうところだった。

 危ない危ない、閑話休題。


「とにかく、なんでジルたちがこの学校にいるんだよ?」

「そんなこともわからないの? あなた。…わたしは、あなたのそばにいるほうがはやく魔力を回復できるのよ」

「あーそういえばそんなこと言ってたね…って、それだけじゃなくて。どうやってこの学校に入学できたかを知りたいんだよ」

「それは……話せないことになっているわ」

「…なにそれ。まさかまた例の屈辱パターン?」

「パターン化するほど何度も屈辱は受けていないわ」


 …受けてる気もする。

 まぁ、どうせ怒るだろうから口には出さないけどね。


「じゃあどういうこと?」

「だから話せないと言ったでしょう? あなたほんとに………ね」

「せめてはっきり言ってくれよ!」

「筆舌に尽くしがたい頭の悪さという意味よ」

「はっきり言うなよーッ!!」

「…………」


 ジルさんドン引き。

 …まぁ引かれてしかるべき言動ではあったさ。


「ルイ、お嬢の話せねーってのはホントだぜ。だからそれ以上は聞かねーでやってくれ」

「いや、話せないって言われてもさ、どういう経緯で入学してきたのかがわかんないと、オレも学校でどうジルと接したらいいかわかんないし」


 さっきオレに対してジルは『はじめまして』と言ってきた。

 高校では初対面という設定なんだろうけど、家は家、学校は学校で接しかたを変えられるほど、オレは器用じゃないつもりだ。

 そんな大根役者なオレとしては、深くつっこまれたときのためにいいわけのひとつでも考えておきたいって思うのが道理なわけで。


「ま、そりゃーそーだが……こっちも立場がかかってっからなー。いつもどおりじゃダメなのかよ?」

「でもさっきが初対面なのに知ってるふうにしゃべっちゃ、違和感あるだろ。遠い親戚っていう手も使えなくなったし」

「面倒ね、接しかたなんて案ずるほどでもないじゃない。普段どおりに主従の関係でやっていきましょう?」

「初対面から主従ってますます違和感ありまくりじゃねーか! しかもオレとおまえが主従な普段はねぇ!」

「…なんなら、あなたが主でもかまわないわよ?」

「よしそれでいこう! ぜひ!」


 オレ即答。

 脳内にはどこまでも献身的にオレへ尽くすメイド服を着たジルがやさしくほほえみかけてくれていた。

 …ぐへへ。


「冗談に決まっているでしょう、この品性下劣の底辺男。生まれたことを煩悩の数だけ懺悔して魔獣のエサになりなさい」


 だけど脳外のジルはどこまでも高圧的にオレをののしってくれた。

 失望と嫌悪でせっかくの美貌が崩壊していらっしゃる。

 …そこまで言われることやったかな…?


「まーお嬢との接しかたも困るのは最初だけだろ。ルイが学校でもお嬢と仲良くしてくれりゃー問題ねーよ」

「んー……言われてみればそうかも」


 たしかに、高校でも親しくしてれば、今みたいなやりとりをしてても疑問に思うひとは少ない、かな。

 最初のうちは適当にお茶を濁して過ごすか。


「…あ、あなたと仲良くなんて虫酸(むしず)が走るけれど、魔力回復のためにはやむなしね」

「なんだよ、いやなら無理に仲良くしなくったっていいんじゃない? オレは全然かまわないよ」

「わ、わたしのほうが全然かまわないわよ! ディアがどうしてもと言うからわたしは! そうでしょ、ディア!」

「…おー、どーしてもどーしてもー」


 ガイコツがなげやりな反応を示す。

 言わされてる感ハンパない。


「ほら、このとおりよ。変な思い違いで浮かれないでちょうだい」

「なんでそんな得意げなの…。べつに浮かれてなんかないよ」

「ケケ、むしろ浮かれてるのはおじょ…」

「汚辱!!」

「!? 急にどうしたの?!」


 何か言おうとしてたホネの言葉を、ジルが話の流れ的にありえない言葉を叫んでさえぎった。


「な、なんでもないわよ…!」

「いや、さすがになんでもなくないんじゃない…?」

「だ黙りなさい! そ! そういえばあなたに言っておくことがあったわ!」


 微妙に顔を上気させたジルがびしっ、とオレを指差す。

 …なんなんだこのコの脈絡のなさ。


「はいはい。…もうなんでも言ってくれ」



「…………」



 溜息まじりにオレが話をうながすと、ジルはオレを指でロックオンしたまま動かなくなった。

 話せっていうと話さなくなるんだよな、このコ。

 まったく、どんだけあまのじゃくなんだよ。


「どーしたの? なんか言うことあるんでしょ?」

「…………」

「………?」


 さらに催促しても、少女はかたまったまま。

 さすがにオレも怪訝(けげん)に思う。


「……ジル?」

「…………」


 呼びかけには応じず、少女は無言で、オレを指差していた腕をおろした。

 そして、そのままオレに背を向ける。


 …明らかに様子がおかしい。


「…どうしたの? ジル」

「……べつに」

「べつにじゃないでしょ。なんで急に黙っちゃったのさ」

「…なんでもないわ。…ただ、嫌気がさしただけよ」

「嫌気って……オレ、なにか気に障ることでも言った?」

「…………」

「…黙ってちゃわかんないよ…」


 オレは不安になる。

 『面倒なコだな』とか、そういう考えは頭から消えていた。

 だって目の前の少女は、どう見ても落ち込んでいたから。

 もしかしたらオレが、原因かもしれなかったから。


 オレたちの間に生まれた静寂を破るように、学院の屋上に、一陣の風が吹いた。



「……あなたに嫌気なんて、起こすはずないわ…」



「…?」


 ジルがなにかつぶやいたけど、風にさえぎられ、その言葉はオレの耳までは届かなかった。

 風がやむと、少女はオレに背を向けたまま、屋上から去ろうとしていた。


「ちょ、ちょっとジル! おいってば!」


 例によって、オレの呼びかけに応じることもなく、ジルは屋上から姿を消してしまった。





「…なんなんだよ…」


 屋上にとり残されたオレは、やりきれない気持ちをごまかすようにひとりごちた。


 オレを指差したとき、なにかを思い出したように固まった瞬間の、絶望を秘めたような表情。

 あんな顔をされて、何も言わずに去られてしまったら、さすがに後味が悪い。


「………なー、ルイ」

「…ガイコツ?」


 ジルを追いかけようかと悩んでいたら、隣から声をかけられた。


「オレ様はよー、お嬢じゃねーが、ルイにはすげー感謝してんだよ」

「きゅ、急にどうしたんだよ…?」


 なんだかあらたまったことを言いだしたホネに、オレはすごい違和感を感じた。

 だけどガイコツはシリアスを崩さない。


「ルイとしゃべってるときのお嬢は、すげー楽しそうだからな。魔王のあとを継ぐことが正式に決まってから、お嬢があんなにふっきれてんのを見るのは初めてだったからよー。オレ様としちゃ、ルイに《大魔王(ルシファー)の英魂》が入ったまんま、お嬢には魔界のごたごたも一旦は忘れててほしかったワケよ」

「…………」


 ジルが楽しそうなのはいいけど、《大魔王(ルシファー)の英魂》がオレに憑いたままなのは困る。

 なんて、野暮なツッコミはしない。


「お嬢はさっき、《大魔王(ルシファー)の英魂》持ちのルイは、これからいろんな勢力にねらわれるだろうから十分気をつけろ、って言おーとしてたんだよ。けど、そんときに魔界のこととか、自分の失敗とか、そーゆーメンドーなモンも思い出しちまったんだろーな」


「…嫌気がさしたってのは、自分に対してだったのか…」


 魔界のことを忘れ、こっちで楽しんでた自分に対して。


「そーゆーこった。つくづく、損な性格してやがる」

「…それをオレに話して、オレにどうしてほしいんだよ?」

「………。オメーは急に切れ味が増すな…。《大魔王(ルシファー)》が見込んだ理由がわかるぜ」

「…本題を言えよ」

「お嬢と、仲良くしてやってくれねーか」

「……バカなこと言うな」


 オレの言葉に、ガイコツは一瞬沈黙する。


「…そりゃー、ルイは人界の住人だし、ルイにはルイの守る生活があるのはわかる。今の状況も、単に巻き込まれただけってのもな。だけどよ、《大魔王(ルシファー)の英魂》を持ってるオメーが協力してくんねーと、お嬢の心はずっと休まんねーんだ」

「だから、バカなこと言うなって」

「…………」


 くどくどと無用な言葉を続けるガイコツを一蹴する。


「仲良くとか、他人に言われてやるもんじゃないだろ」

「……わかった。もともと加害者側のオレ様がとやかく言えることじゃねーよな。わりー、調子のって欲かいちまったみてーだ」

「…だーかーらー、バカなこと言ってんなよホネッコ」


 オレは宙に浮くドクロを軽くこづく。


「………?!」

「おまえに言われなくても、ジルをほっとくつもりなんてないよ」

「……ルイ…」

「魔界のいざこざとかはカンベンだけど、オレが自分で首をつっこんだとこもあるしさ。謝罪なんかもういい」

「お、おう…」

「わかったら、さっさとジルを捜しにいこうぜ。あの様子じゃ、授業に戻ってそうにない」

「…だな。よっしゃ、オレ様も空から捜すぜ!」

「じゃあオレは屋内か。見つけたらおしえてくれよ」

「おーよ!」


 そうしてオレたちはジルを捜しに屋上で解散した。





「…いた…」


 さんざん屋内を捜しまわっても見つからず、『もしかしてあいつ普通に授業戻っちゃった…?』と不安になってきて念のため屋外も見ておこうと昇降口を出てすぐ、遠くからでも無駄に目立つ紫色の髪を見つけた。

 あのホネは何をやってやがった。


 ジルは中等部側の中庭中央にある噴水の前にたたずんでいた。

 オレは背後から声をかける。


「こんなとこでなにしてんの? ジル」

「…! …あなた…」

「急にどっか行くんだもん、すごい捜したよ。…ほら、授業に戻ろう」

「わたしに近づかないで」


 ジルは厳しい目つきでオレをにらむ。


「…なんでそんなこと言うのさ…」

「話しかけないで」


 …ひどくね?

 昨日の続き?


「…どうせディアになにか言われてきたんでしょう? わたしのことは放っておいて…迷惑だわ」

「…………」

「………な、なにか言いなさいよ」


 どっちだよ!

 やっぱ昨日の続きか!


「…キミがほっといてくれって言っても、オレはキミをほっとかないから」

「……どうせ――」

「ホネに言われたからじゃないよ」

「…………」


 オレは、まっすぐにジルを見つめる。


「昨夜も言ったけど、オレはキミの力になりたい。キミが落ちこんでるときは、助けになりたい」

「…わたしがいつ落ちこんだっていうの?」

「昨日も、ついさっきも、今だって、オレにはそう見えるよ」

「見間違いよ。魔王になるべき存在が、落ちこんだりなんてしないわ」

「…どうしてキミは、そんなに強がるんだよ?」

「わたしは強がってなんか!」

「強がってるよ!!」



 ジルの言葉を、強く否定する。

 少女の肩が、ビクッと震えた。


「ご、ごめん…。どなるつもりじゃなかったんだ…。…ただ、なんていうか…無理しないでほしいんだよ…」

「…………」

「思い上がりかもしれないけど、オレやホネの前でくらい、弱音でもなんでも言ってほしい。キミは魔王である前に、一人の女の子なんだから。…それに、弱さも認めないと、ほんとに強くなんてなれないよ」

「…………」


 最後の言葉は、父さんの受け売りだったりする。

 だけど、オレなりの真剣な言葉。

 拒否されたらちょっと悲しい。



「……なによそれ、説教くさい…」


 でもそんな心配は不要だったみたいだ。

 文句を言う少女の顔には、ちょっと珍しい、やさしい笑み。


「けれど、一理あるわ。…気負っても、すぐにどうにかなる問題でもないでしょうし…。今は英気を養うとき、とでもしておけということかしら。ねえ? ディア」

「え?」

「ケケ、ばれてーら」


 オレが唖然として声のしたほうを振り向くと、何もないはずの場所から、ガイコツが溶け出すようにして現れた。

 …おまえそんなことできたのか!


「おまえ! 見つけたらオレにおしえろって言っただろ!」

「ケケ、わかってねーなールイ。世の中にゃ役回りってモンがあるんだよ」

「役ってなんだよ! わかんないに決まってるだろ!」

「もー切れ味が鈍ったな…。言わぬが花だ、おしえねー」

「なんでだよ!」

「…聞くも無粋、語るも無粋」


 なんか小粋なことをつぶやいてホネは黙ってしまった。

 …くそ、いつもは舌禍(ぜっか)なんて眼中にないくらいペラペラなくせに。


 ジルなら何かわかるかもと思って振り向くと、少女はどうにも複雑そうな、というかオレから見て複雑な顔をしていた。


「ディア……変な気をまわさないでちょうだい…」

「ケケケ! なんのことだかなー」

「ね、ねぇ! ふたりしてなんの話してんだよ!? オレをハブるなんてひどくない!?」


 のけ者にされてあせるオレ。

 ジルは軽くオレに一瞥(いちべつ)をくれ、小さく溜息をついた。


「…あなたにだけは関係ないわよ…」

「オレだけ関係ないの?!」


 ますます気になるんですけど!


「い、いいから……あ…あまりこっちを見ないでもらえるかしら?」

「え? え? なんで? 意味わかんないって。ねぇジル、なんでオレだけ関係ないの? な、なんで目ぇそらすの?!」

「あーもう! しつこい!!」


 バッチーン!


「ぶるぅっっ!!」


 なんでだよちくしょう!



「…まー今のはルイがわりー」

「マジで?! オレ今ハブられた理由聞こうとしてただけじゃなかった!?」

「そこらへんがわかってねーからオメーはよー」

「だからなんのことだよ! ヒント少なすぎるだろぜったい!」

「あなたが見ないでと言っても聞かなかったり、聞くなと言っても聞いてきたり、関係のない分際で気持ち悪くしゃしゃりでてくるからでしょう」

「きっ…! おまえちょっと言いすぎじゃねぇの!? なに微妙にイラついてんだよ!」

「いら…ついてなんかないわよ」


 ちょっとつまった。

 図星だな。


「いーやイラついてるね! てかだいたい、おまえは言うこと聞いたって怒るし、そもそも言うこと矛盾しまくりでなに言いたいかわかんないんだよ! オレに文句言う前に、そのメンドくさい性格をどうにかしろよな! メンドくさい性格を!」


 ハイ!

 大事なことなので二回言いましたとも!

 たまにはオレもビシッと言うんだぜ!


「…………」


 どうやらさすがの魔王様もオレの強気な発言にぐぅの音も出ないみたいだな。

 よしよし、これからはオレの言葉を戒めにして素直に生きろよ。


「…言いたいことは……いや、…言い遺すことはそれだけ…?」

「…あれれぇ…?」


 なんだか素直になった結果、オレの言葉は遺言にされそうです。


「ディア、あれもう殺しちゃっていいわよね?」

「ケケケ! まーしょーがねーわな。今のもルイがわりー」

「しょうがあるよ! たっ、確かに言いすぎたかもしれないけど、なななにも殺しちゃわなくてもいいんじゃない…?」

「仕方ないのよ。わたしの右手があなたの血を欲してうずくのだから。このうずきは、きっと多大な犠牲者を出すわ。そう、あの大戦のときのように」

「なんだその唐突な厨二設定!」

 

 なんか怒ってるのかふざけてるのかわかんなくなってきたけど、魔王は地味に目をつぶそうとしてきたり顔くらいデカい石で頭をねらってきたりと、わりと本気で殺そうとしてきてた。

 魔力でドカーンとかじゃなくて現実的なぶん余計こわいんですけど!


「…ちなみに、この血に飢えた右腕は、その筋では《悪魔の右腕》と呼ばれ恐れられているわ…!」

「それおまえからするとただの右手だろーが!」


 オレを殺すのにノリノリな魔王にツッコミを入れつつ、オレは必死に逃げ回っていた。

 …いつまで続くんだよこのデスゲーム!


 …まぁあと五分もしないうちに中学生みたいな先生がオレたちを捜すために中庭に襲来するんだけどね。

 そしてオレたちは半泣きになるくらい説教されるんだけど、このときは知るよしもないオレたちだった。



「ちょ…まてまてまて! ベンチはまずい! てかなんで持ち上げられるんだ!?」

「魔王に選ばれる悪魔をみくびらないことね…!」

「そしてなんで投げられるんだ!! …ってうおぉぉぉっ! 危ねええぇっ!!」

「ケケケケケ!! うまく逃げろよールイ!!」

「マジで死ぬ! マジに死ぬぅーッ!!」




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